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お前の番だ! 17 創作 ブログトップ

お前の番だ! 481 [お前の番だ! 17 創作]

「若しも将来事情が許すようになったら、総本部道場にも稽古に伺いたいとも云っていたぞ。大きく変貌したとは云え、興堂流は常勝流から発したのは間違いのない事で、そこで指導をする者として、遅ればせながらも常勝流の理を学んでみたいのだそうだ」
「何でも宗家から常勝流の一端は習っていると、花司馬先生におっしゃったようです」
「威治からか?」
 寄敷範士は頓狂な声を発するのでありました。「そりゃ駄目だ。威治では話しにならん。彼奴のは常勝流本流ではないし、道分先生の技にしても全然受け継いではいない」
 寄敷範士は花司馬教士同様、全く以って鮸膠もないのでありました。
「さてしかし、将来事情が許せば、と云う事ですが、田依里さんがウチの道場に稽古にお見えになる日が、何時か来るのでしょうか?」
「威治が興堂流のトップにふんぞり返っている限り、当分は無理だろうな」
 寄敷範士は顰め面で首を横に何度かふるのでありました。「しかしまあ、あの田依里と云う男が筆頭師範を務めているのなら興堂流も、安泰とはいかんかも知れんが、一先ず落ち着くだろう。あの男なら門下生にも、支部長クラスにも評判は良かろうからなあ」
 寄敷範士は、今度は無表情をして首を縦に数度ふるのでありました。
 こう云った寄敷範士や花司馬教士の評言、それに来間の意見を踏まえた万太郎の田依里筆頭師範に対する感触等は、当然是路総士にも鳥枝範士にも、それにあゆみにも伝わるのでありました。是路総士は田依里筆頭師範に直接逢ってはいないから、特段の興味をそそられると云う程ではないようでありましたし、あゆみも同様にクールでありましたか。
 その点鳥枝範士は田依里筆頭師範のような人物が興堂流に現れたと云う事を、余り歓迎してはいない口ぶりでありました。と云うのも、鳥枝範士は興堂流がこの儘次第に衰弱していって、結局消滅して仕舞う事を期待しているようでありましたから。
「そんな人物が居るのなら、興堂流の命脈も少し延びるか」
 鳥枝範士は渋い顔をするのでありました。「威治やあの会長が結局二進も三進もいかなくなって、みすぼらしく武道界から遁ズラする時の吠え面が見てみたいと思っていたのだが、そうなるとワシのこの楽しみは少し先延ばしになるか」
 鳥枝範士はそんな憎まれ口を利いて、口の端に人の悪い笑みを湛えるのでありました。勿論万太郎は同じような渋面を作ってその意に同調するような事は控えるのでありましたが、これは調子に乗って若しそんな事をしたとすれば、逆に鳥枝範士の怒叱を誘発して、返って万太郎が吠え面をかく事になるのを知っているためでありました。

 万太郎が聞くところに依ると、威治宗家は稽古にも殆ど顔を出さないようになっているようでありました。この、聞くところ、の出処は、来間の情報や最近昔の誼が戻った堂下と、八王子の体育館で時折短く交わす近況話しの交換から得たものでありました。
 威治宗家は葛西の道場の師範室を一人で専有して、そこに最近普及し始めた高額のパソコンなんぞを持ちこんで、指導そっち退けでゲームに夢中になっていると云う事でありました。これは何とも実に、無責任且つお気楽な宗家であります。
(続)
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お前の番だ! 482 [お前の番だ! 17 創作]

 まあ考えてみれば実技指導の方は田依里筆頭師範が居るので、威治宗家なんぞの出る幕はないであろうし、元々が武道に対してそんなに気高い志操を有していた人でもなかろうから、つまりは成るべくして成った姿とも云えるのでありましょう。田依里筆頭師範にしても、それに門下生にしても、気紛れに稽古に出て来て大威張りで頓珍漢な指導をされるよりは、大人しく奥に引こんでいて貰った方が余程有難いと云うものでありますか。
 それに高額のパソコンを大した使い道も考慮せずに衝動的に購入する割には、この頃の威治宗家は万事に甚だ吝くもなったと云う堂下の話しでありました。道場の補修とか切れかかった電灯の買い替えなんかにも、一々渋い顔を見せると云うのであります。
 田依里筆頭師範の指導がそこまで行き届かないのか、堂下は威治宗家への愚痴やら悪感情をあっけらかんと万太郎に話したりするのでありました。今では堂下は他流派の指導員でもありますから、万太郎としてはそれを窘める事もしないのでありましたし、寧ろ堂下の話しから威治宗家の最近の様子などが窺い知れるので好都合とも云えましたか。
 出納に関しては、宗家が何処からか拾って来た四十代半ばのイカさない風貌の男が見ていると云う事でありました。この男の肩書は事務局長と云うものだそうであります。
 威治宗家は金銭の出入りを厳密に管理したり、出納帳や経費帳とか元帳をつけるなんという仕事は端からする気もないようで、金銭の出入りに敏感になった割にはそう云う仕事はこの男にすっかり任せているようでありました。威治宗家としては大凡の入った金出た金の様子がざっくりと判れば、それで事足りると云う了見なのでありましょう。
 欠かせない道場の畳の補修とかには金を出し惜しみするくせに、パソコンもそうでありますが、道場での自分の飲食費とか遊興費、或いは余所に対しての自分の見栄や体裁とかに使う金には、到って寛容なようでもありました。件の事務局長とやらもその宗家の魂胆に便乗させて貰って、少しのお零れに喜色を浮かべているようであります。
 それは当然、田依里筆頭師範や堂下、それに他の二三の指導員への給金もしみったれると云う事でありますし、そのくせに自分の懐に入れる金はしっかりと確保していると云う事でもありました。堂下としてはそ辺にも大いに憤っているようでありました。
 田依里筆頭師範以下の指導員連中の月々の給金は、時給計算なのだそうであります。しかも実働時間のみで算定されるので、例えば遠近の支部道場等に出張指導に赴く場合の、移動の時間等は全く考慮されはしないと云うのでありました。
 おまけに、各個に自立した傘下団体への出張指導はその団体から交通費が出るのでありましたが、本部直属団体への交通費はずうっと自腹だったのだそうであります。しかしまあ、最近は田依里筆頭師範の進言に依り実費は出るようになったようでありますが。
 元々他人には恥ずかしくて云えない程、まるっきり少額なところに加えての時給計算でありますから、風邪を引いたり忌引き等で休んだりすれば、その分の給金は一円も貰えないのであります。威治宗家としては若しもっと稼ぎたいのであれば、自分で支部でも創って門下生を一杯集めて自力で勝手に稼げ、と云う腹でいるようであります。
 要は、修行をさせて貰っている身で金の事をあれこれ云うな、と云うのが威治宗家の考えでもありますか。云う人が云うなら、それも一理かと万太郎は思うのでありました。
(続)
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お前の番だ! 483 [お前の番だ! 17 創作]

 考えてみれば自分の内弟子としての給金てえものは、ひょっとしたら堂下の貰っている給金よりも少ないかも知れないのであります。しかしながら食う事寝る処は保障されているのでありますから、その金はすっかり小遣いに出来るようなものでありますし、これと云った道楽もない万太郎であってみれば、寧ろ使い切れない程なのであります。
 花司馬教士は所帯持ちでありますから、家計を維持出来る額は出さなくてはならないわけでありますが、万太郎としてはそれは当然の処置と思うのみで、それに比べて道場を主導している筈の自分が殊更冷遇されている等とは露程も考えた事はないのであります。是路総士に対しても内弟子として師事させて貰っている事を感謝するだけであります。
 雇用と被雇用の関係、または労働の対価としての賃金、と云う見地から傍観すれば、この万太郎のあっけらかんとした心根なんぞは、労働者の風上にも置けない了見のようにも見えるでありましょう。或いは良いように扱き使われている愚か者のようにも。
 しかしどだい、武道を修行する者が損得勘定や生活の快適さ等を優先させていては、修まるものも修まらなくなると万太郎は考えるのであります。形として常勝流総本部道場に勤めを得ているのでありますが、万太郎の実質は武道修行者なのであって、それを被雇用者と云われて仕舞うと、何とも尻の落ち着き悪さを感じて仕舞うのであります。
 ところが堂下はどうしても損得の計算が先走るようになっているようでありました。それは恐らく堂下が威治宗家を師であると認めていない事に起因するのでありましょう。
 威治宗家に武道的力量にしても人間的信用にしても、師たるに足りる魅力が決定的に足りていないのが第一番目の理由ではありましょうが、堂下は威治宗家をある意味、見下しているのでありましょう。それは田依里筆頭師範の存在がある故でありましょうか。
 田依里筆頭師範とは直接の利害関係がない事もありましょうが、威治宗家よりは遥かに信頼に足る人物と堂下は見做しているようであります。確かに田依里筆頭師範は万太郎が見ても、なかなかに大した人物と見えるのであります。
 この田依里筆頭師範と比較すれば、威治宗家は自分の立場を笠に着た横着の仕放題だけの人物で、人を人とも思わずその事を屁とも思ってもいない、如何にも人間的な魅力に乏しい、底の浅い、取るに足らぬ人物に見えて仕舞うのでありましょう。田依里筆頭師範に心服する分余計に、堂下の威治宗家への軽蔑が増幅すると云うものでありますか。
 堂下は興堂派に残った、或いは早々に脱する機を逸した自分を悔いた事でありましょう。その堂下には田依里筆頭師範の存在が云ってみれば救いなのかも知れません。
 さて、こう云った威治宗家の評判は常勝流総本部道場の指導陣ばかりでなく、門下生達の間にも様々な尾鰭までついた形で伝わっているのでありました。恐らく嘗て興堂派に身を置いていた事のある移籍者辺りが、何処からか仄聞してきて齎すのでありましょうが、その者達は自分の移籍と云う選択が正しかった事を改めて再確認し、且つその正しさにより強固な裏づけを与えるためにあれやこれやの尾鰭も必要とするのでありましょう。
「威治は一体、この頃どうしちまったんだ?」
 鳥枝範士に万太郎は訊かれる事があるのでありました。「彼奴の虚け加減は今に始まった事じゃないが、それにしてもこの頃は輪をかけて酷いと云うじゃないか」
(続)
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お前の番だ! 484 [お前の番だ! 17 創作]

「それは僕も、八王子に行った時に堂下辺りからちょろっと、威治宗家の最近の動静等聞く事があります。まあ、堂下もあんまり好意的な事は云いません」
「田依里は何もお前に云わんのか?」
「そうですね。田依里さんは内輪の事情は決して外にはお話しなさいませんし」
「ああそうか。しかし堂下はお前に色々漏らすわけだな?」
「ええまあ。しかし堂下も、何もかもと云うわけではありません」
 万太郎は堂下が田依里筆頭師範に比べて、思慮の浅い迂闊な男と鳥枝範士に見做されるのを避けようと気遣ってそう返すのでありました。
「何でも、威治は最近、横着して道場に顔も見せんと云う事じゃないか?」
「いや、道場には毎日いらしているようです。金銭の出し入れを管理されているのですから、いらっしゃらないと道場の日常業務が滞るでしょうから」
「じゃあ、顔は出しているんだな?」
「堂下からはそのように聞いております」
「名前は忘れたが、何某とか云う自分が何処からか連れてきた番頭みたいなヤツに道場での出納はすっかり任せて、その番頭が昼頃、威治の家に立ち寄って金庫と帳簿を預かって行って、夜にまた来て威治にそれを返却するのだとワシは噂を聞いたが?」
「いや、そう云う事はないと思います」
 鳥枝範士が云うこの、番頭、とは、興堂流の事務局長の事でありましょう。
「道場に来ないのは何でも何処かのクラブのホステスに入れ上げていて、夜な々々その店に通っているからだとも聞いたのだが?」
「いや、そのような話しは、僕は知りません」
「堂下がそんな事を仄めかせてはいなかったか?」
「いや、特段そのような事は」
 それに関しては、堂下からは本当に聞き及んではいないのでありましたが。「ただ、道場にはいらしても、あまり稽古には顔出しされないようですが」
「稽古には出ないのか?」
「田依里さんが殆ど稽古を仕切っていらっしゃるようですから」
「成程。威治の出る幕はないか」
 鳥枝範士はそう云って納得気に頷くのでありました。
「それじゃあ威治は道場で、金庫の見張り以外に一体何をしているのだ?」
「パソコンゲームだそうです」
「パソコンゲーム?」
 鳥枝範士は剣幕を添えた目を剥くのでありました。
「堂下からはそんな事を聞いております」
「何だ幼稚な。女に入れ上げるよりもそれはもっと体裁が悪い」
 万太郎はパソコンゲームと女性への思慕の、体裁上の優劣について少し考えてみるのでありました。しかしどちらが優でどちらが劣か何とも良く判らないのでありました。
(続)
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お前の番だ! 485 [お前の番だ! 17 創作]

「それからこう云う話しも聞いておるぞ」
 鳥枝範士は続けるのでありました。「道場の女の会員にちょっかいを出して、その女を孕ませて仕舞って、裁判沙汰になるところを会長が出てきて隠密裏に事を収めたとか」
「いや、そんな話しは、僕は初耳です」
「ああそうか。これも単なる噂の類か。まあ確かに小学校低学年みたいにパソコンゲームに現を抜かしていると云うのなら、そんな色っぽい真似は威治には出来はしないか」
 鳥枝範士は妙な納得の仕方をするのでありました。
「いやしかし最近のゲームは、大人が楽しめるものもあるようですよ。それに少し前にテレビゲームが流行りましたが、あれは喫茶店なんかに置いてあったので小学生は喫茶店には出入りしません。ましてやパソコンですから子供には手に負えないかも知れません」
 万太郎はそう云いながら、そんな事はこの際どうでも良い事かと頭の隅で考えるのでありました。ここでは威治宗家が小学校低学年並に幼稚かそうでないかが問題なのではなく、宗家でありながら稽古に出ない事、それに無責任な噂が面白可笑しく、尾鰭つきで飛び交う程威治宗家の人望が地に堕ちている事が基幹の問題なのでありますから。
「まあしかし、噂話しは噂話しとして、威治は常勝流と縁を切って宗家になってから、何でもしたい放題になっていると云うのは事実のようだな」
「でも僕は寧ろ、宗家になられてからと云うもの興堂流宗家として、何もしない放題、になられているような気がしますし、そこが色んな問題の大本のように思います。まあ、僕のような者がこんな概括めいた事を云うのは僭越の誹りを免れませんが」
「成程ね。何もしない放題、ね」
 鳥枝範士はやや口を尖らせて頷くのでありました。「折野にしては上手い事を云う」
「押忍。僭越な云い方で恐懼しておりますが」
 万太郎はお辞儀して見せるのでありました。
「確かに威治は面倒な事は何でも人任せにして、自分は楽を決めこんでちっとも働かなくなっているのだろう。その癖美味しいところは自分が真っ先に手を出す。それでは人が良く云う筈もないし、在らぬ噂なんぞも立って仕舞うと云うものだな」
 鳥枝範士はまた納得気に頷くのでありました。
 この万太郎の気がかりを裏付けるような情報を来間が齎すのでありました。
「そう云えば何でも、興堂流の地方の幾つかの支部が、今後威治宗家の出張指導は断ると、連名で本部の方に申し出たと云う話しを聞きましたが」
 一日の課業が終わって内弟子部屋に引き上げてから、布団を延べる折に来間は事の序でのように万太郎に報告するのでありました。
「ほう、それは穏やかじゃないな」
「威治宗家の出張指導料が法外に高いと云うのもありますが、来るとあれやこれやの接待でかなり金銭の支出を強いられるから、堪ったものではないと云うわけです。それに指導と云っても威治宗家のは、今の興堂流の技の体系とは違う旧態依然のもので、普段の稽古に全く役立たないから、態々来て貰っても意味がないと云う事らしいです」
(続)
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お前の番だ! 486 [お前の番だ! 17 創作]

 こうなると威治宗家は向後、今にも況して何もしなくなる、或いは何も出来なくなると云う事になりましょうか。名前ばかりの宗家、と成り果てるわけであります。
「宗家の指導が敬遠されて全く人気がない一方で、その代わりに田依里さんへの指導依頼は殺到していると云う事です。支部長クラスの人望も、門下生の心服もすっかり田依里さんに集まっていて、今では田依里さんが実質上の興堂流の総帥のような観だそうです」
「まあ、さもありなん、と云うところではあるか」
 万太郎は敷き延べた布団の上に座って頷くのでありました。
「それで今度は、宗家と田依里さんの間で確執が生じている模様です」
 来間も自分の布団の上に座りこむのでありました。
「そりゃあ宗家としては、そんな状況は面白くないだろうからなあ」
「宗家は田依里さんに、この儘では自分の地位が侵されて仕舞うのではないかと云う恐怖があって、毎日が心穏やかではいられないようですね」
「しかし今、田依里さんが辞めるような事があったら、興堂派はすっかり立ち行かなくなって仕舞うだろう。その辺は宗家も判ってはいるだろうに」
「でも嘗ての花司馬先生の事例もありますように、あちらの宗家は自分の宗家としての体裁や面目が侵害されたら、或いは侵害される恐れがあるなら、後先の情勢も何も考えずに情動的に行動する危険があります。目の上のたん瘤が何より嫌いな人ですから」
「確かに有能な人を上手く使えない、人事の下手な組織の長ではあるな」
「それも自分が誰よりも能力が上であるから竟々人あしらいが下手だと云うのではなく、妬み嫉みや保身と云うところで配下を粗略に扱うのですから、レベル以下ですよ」
 来間はなかなか辛辣なのでありました。
「田依里さんもなかなか出来た人であるからこそ、返って威治宗家相手じゃあ、色々と気苦労が絶えない、と云ったところかな」
「そうですね。田依里さんが気の毒になって来ますよ」
 来間はため息をついて見せるのでありました。
「ところで来間、・・・」
 万太郎は語調を少し変えるのでありました。「お前、興堂派の内部事情にあれこれ妙に詳しいが、その情報源と云うのは何なんだ?」
「いえまあ、色々と。・・・」
 来間は有耶無耶に口を濁すのでありました。
「向こうにお前のスパイでも送りこんでいるのか?」
「いえ、そんな事はしていませんが、ちょっとした知りあいはいます。情報を得ようと抜かりなくアンテナを張っていれば、画策しなくてもそこそこ集まってきますよ」
「ああそうかい」
 万太郎は少し口を尖らせて見せるのでありました。「情報を集めるのは良いが、向こうにつまらん勘繰りをされたり、あらぬ誤解を招くような真似だけはするなよ」
「押忍。十分気をつけて、抜かりなくやります」
(続)
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お前の番だ! 487 [お前の番だ! 17 創作]

 万太郎は、抜かりなくやります、と云う云い方に少し引っかかるのでありました。
「来間、抜かりなくやれと、別に奨励しているのではないぞ。面白がって情報を集めていると逆に、痛くもないこちらの腹を探られるような場合もあるからな。そんなつまらない事態を招くくらいなら、向こうの情報収集なんか止めておけよ。興堂流の動静と云うのは、常勝流総本部にとって絶対必要な情報と云うわけではないのだからな」
「押忍。弁えて行動します」
 来間はそう云って頭を下げるのでありました。万太郎は何となくその来間の頷きの言葉も少しばかり軽々しいように思ったのでありましたが、今ここでこれ以上小言を並べても仕方がないかと考え直して掛布団を捲って横になるのでありました。
「電気を消します」
 来間が立ち上がって蛍光灯の紐を引くのでありました。来間が布団に潜りこむ気配が消えると、真っ暗闇の中で物音がすっかり消えてなくなるのでありました。

 仙川駅前商店街の中の馴染みの喫茶店で、あゆみはコーヒーカップを口に近づけながら、向かいに座る万太郎をやや上目で見るのでありました。
「興堂流の田依里さんと云う人は、どんな感じの人なの?」
「ああそうか。あゆみさんは未だ逢った事がありませんでしたね」
 万太郎も釣られるようにコーヒーカップを取り上げるのでありました。
「そうね。あたしが八王子に行った時には偶々向こうの稽古が休みだったり、やっていても堂下君だけが来ていたりで、未だ逢う機会は未だにないの」
 この頃、月曜日の道場休みの日の夕方は、万太郎は食材とか道場や母屋内の備品の買出しをするあゆみによくつきあうのでありました。どうせやる事もなく内弟子部屋で寝転んでいるか、気が向けば稽古着に着替えて道場で木刀をふっている万太郎は、あゆみが同道を頼めば丁度良い暇つぶしになるので何時でもおいそれと承知するのでありました。
 あゆみの方もどうせ暇を持て余している万太郎ならば気軽に誘えるのであります。あゆみは万太郎の無趣味ぶりに時々呆れるのでありましたし、ゴロゴロしているのなら好都合とばかり荷物運びを依頼すると、必ず万太郎はいそいそとついて来るのでありました。
 あゆみの買い物につきあうと、帰りにコーヒーとケーキを驕ってくれるのであります。万太郎としては、まあ、それに釣られてと云うだけでもないのではありますが。
「話した感じでは、諸事に気配りの行き届いた信頼感のある人、と云った風ですかね。真面目そうでもあるし、情誼に篤い人のようでもあますし」
「ふうん。寄敷先生も鳥枝先生も、それに花司馬先生や注連ちゃんも好意的な事を云っていたわ。尤も、皆居酒屋で一度驕って貰った事があるようだけど」
「僕も奢られた口です。だから好意的な方に一票、です」
 万太郎はコーヒーカップを受け皿に戻すと、ショートケーキの上に載っている苺をフォークで刺して、それだけを口に運ぶのでありました。
「花司馬先生みたいな人?」
(続)
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お前の番だ! 488 [お前の番だ! 17 創作]

「そうですね。・・・花司馬先生から頑なさと声の矢鱈に大きいところを引いて、穏やかな表情と静かで落ち着いた喋り方を足したような感じですかねえ」
「ふうん」
 あゆみはこの万太郎の判るような判らないような解説に、無抑揚な声で返事をするのでありました。「田依里さんは花司馬先生と同い歳くらいの人?」
「多分同年配だと思います。まあ、雰囲気としては花司馬先生と似ているところもあり、似ていないところもあり、と云った感じですねえ。体格とかは似ていますが」
 万太郎は無意味に、曖昧さを余計につけ足して仕舞うのでありました。
「そう聞いただけじゃ何となく為人が、今一つはっきりしないわね」
「想像するよりも、あゆみさんもその内八王子に指導に行った折に逢う事もあるでしょうから、その時にでもご自分の目できっちり確かめてみてください」
「あたしも居酒屋とかに誘われるのかしら?」
「多分そうでしょうね。来間も誘われたくらいですから」
「ところで、堂下君は前に比べて随分と変わったわね」
 あゆみが堂下の事に話しを移すのでありました。
「そうですね。興堂派で内弟子をしていた頃より何となく佇まいが堂々としてきましたね。道分先生のご逝去以来あいつも色々あったでしょうから、鍛えられたのでしょう」
「そうね。確かに逞しくなったわね」
「田依里さんと出会ったのも、堂下の変貌に大きく作用しているようです」
「へえ、そうなんだ」
 あゆみが少し瞠目するのでありました。
「道分先生が亡くなって以来、ようやく信頼出来る人に巡り逢ったような気がする、なんて僕にちらっと云っていましたから」
「堂下君にそんな事を云わせる田依里さんに、あたし益々興味が湧いてきたわ」
 あゆみはそう云って万太郎に含みのあるような笑みを向けるのでありました。万太郎としてはそんなあゆみの様子が面白くない気もしないでもないのでありました。
「ま、八王子の稽古後に居酒屋に誘われた時に、ご自身の目でしっかり田依里さんの為人を観察してください。その方が僕がここで色々云うより確かだし」
 万太郎は然程はっきりではないにしろ、今までの話しぶりよりは多少突慳貪にそう云ってコーヒーカップを取り上げるのでありました。その時万太郎はあゆみの顔から目を離したので確とは判らなかったのでありますが、万太郎のその反応に、あゆみが少しく満足気な笑み等を浮かべたような風情が目の端にちらと映り過ぎるのでありました。
「この頃少年部の会員が増えたわね」
 あゆみが話頭を変えるのでありました。
「そうですね。常時の稽古の人数が二十人以上になりましたかね」
 万太郎はコーヒーカップを受け皿に戻して、あゆみの顔に目を戻すのでありました。
「あそこまで増えると道場が手狭に感じるわね」
(続)
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お前の番だ! 489 [お前の番だ! 17 創作]

「未だ々々増えそうな気配ですよ。保護者や子供同士で学校の友達に声をかけて連れて来たりするから、募集広告なんかしなくとも結構広まりましたね」
「まあ、いろんな小学校から、と云うのじゃなくて一つの小学校に偏っているけどね」
 あゆみはそう云いながらコーヒーカップを取り上げるのでありました。
「最初はそんなものでしょう。他の校区の子供でも、何かの折に一人でも入れば、そこからまた何人か一緒に通い出しますよ。子供の情報伝播力や影響力は侮れませんから」
「今以上増えると、パンク状態になるわね」
「週一回を、二回とか三回に増やす必要がありますね。そうやって人数をふり分けないと、指導の目が行き届かなくなって稽古の質も、それに安全性も落ちますからね」
「確かにそうね。・・・」
「それに入門随時ですから、入ってきた時期によって子供の熟度が違ってきますし、上達の具合も子供に依って区々ですから、夫々に指導者がつくとすれば指導の方が幾人居ても追いつかない事になります。そう云う意味で指導の体系を見直す必要もありますし」
「実際にやってみると、色々問題が出てくるわね」
 あゆみはコーヒーカップを口元に止めて溜息をつくのでありました。
「言葉の難解さもあります。相手の後方四十五度に転身しろとか云っても、子供にとっては何の事やらさっぱり要領を得ないでしょう。それは確かに少し慣れた子供は習い性でそれっぽくは動きますが、動きの軸も何もあったものじゃない。それより何より、先ず角度の理解が曖昧だし、体軸とか重心軸とか云う言葉も理解できていませんからね」
「そうね。子供にも理解出来る言葉で指導をすると云うのは難しいわね」
「相手との接点ではなくその先に力を作用させると云う意味で、伝播性のある力、なんて大人の稽古では普通に使いますが、大人は初心者でもその言葉のニュアンスなりとも感じ取ろうとするけど、子供はチンプンカンプンとなると遠慮なくそっぽを向きます」
「それはそうね」
 あゆみはコーヒーカップを受け皿に戻して頷くのでありました。
「子供にも判る簡単な言葉に云い換えると、その言葉の持つ微妙な陰影が失われる場合もあります。つるっとした平滑なだけの言葉で技を習ってきた子供は、大人になって常勝流の技の力加減と云うのか、微妙な程の良さが上手く腹に収まらない危険もあります」
「その加減の理解を子供に期待するのは少し無理なような気がするわね」
「少しどころか、全く無理ですし無意味です。大人でも手古摺るところですから」
「何か万ちゃんと話していると、絶望的になってくるわね」
 あゆみはまた溜息を漏らすのでありました。
「少年部の責任者であるあゆみさんが絶望してはいけません」
 万太郎は空かさず柔らかく、少しく冗談ぽい口調で窘めるのでありました。「少年部指導の狙いを、我々指導者の中でもう一度明確にしておく必要があります。常勝流武道はあくまでも大人の武道ですから、大人になっても滑らかにその稽古の中に移行できるような素地を育てるのが、子供に常勝流を教える第一の狙いであると僕は思うのです」
(続)
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お前の番だ! 490 [お前の番だ! 17 創作]

「そう云うこちらの狙いはあるとしても、武道を習わせる事で親御さんが何をあたし達に期待しているのか、と云う問題もあるわ」
「親御さんから月謝をいただいている以上それも大切な課題です。しかし武道の持つ厳しい雰囲気とか、何だかよく判らない指導者の言葉の中で一時間、じっと耐えられるようになると云うのも、立派に武道的な修行の成果ではあります。体力や胆力をつけるとか礼儀作法習得とかの個別要件は、それはそう云う中で結局付随的に身につくものだと僕は思います。勿論、彼等の興味を喚起する事は、指導上のテクニックとして必要ですが」
「でも自分が段々強くなっているとか、出来なかった技が何とか熟せるようになってきたとか、そう云った具体的な実感が子供達の中に生まれないと矢張り続かないでしょう」
「実感、ですか。・・・まあそうですね。稽古が好きで通って来ている子は確かに少ないでしょうし、親に云われてとか友達同士の遊びの延長と云うところが大概でしょうしね」
 万太郎はコーヒーを一口啜るのでありました。冷えたコーヒーは先程の一口よりも幾分苦くなっているような気がするのでありました。
「大人になってからの稽古がスムーズに出来るようになるため、なんて説いても子供達にはチンプンカンプンで理解出来ないだろうし、厳しい雰囲気の中で一時間過ごす事で自分が成長している、なんて如何にもこちらが好都合なように思ってくれるよりは、大体の子供は益々稽古が嫌いになっていくだけじゃないかしらね。テクニックとして子供達の興味を喚起する、とか万ちゃんは簡単に云うけど、そこがなかなか大変なところなのよ」
「でも僕や来間なんかが幾ら云ってもちっとも云う事を聞かないくせに、あゆみさんの云う事は結構素直に、子供たちは聞いてくれているじゃないですか」
「別にあたしは、何らかのテクニックを用いている心算じゃないけど」
「ああそうですか。僕はその秘訣を明快に伺いたいと考えていたのですが」
「そんなもの、あるわけないじゃない」
 あゆみは口をへの字にして首を横にふるのでありました。
「そうすると結局、あゆみさんの人徳とか雰囲気、と云うところに帰すのでしょうかねえ。つまり、あゆみさんが子供が好きだから、向こうもそれが判ってあゆみさんの事を信頼しているとか、まあ、そう云った構図として理解すべきなのでしょうかねえ」
「子供が好きかと訊かれれば、それは好きだと応えるけど、でもそんな抽象的で曖昧な事が決定打と云うのも、何か面白くない結論ね」
「でもご自身で、これと云ったはっきりした秘訣は思い当たらないのでしょう?」
「それは全然、思い当たらないわね」
 あゆみは至極あっさりとそう云うのでありました。そのあゆみの言葉を聞きながら、気が気を呼びこむ、と云う言葉を万太郎はふと思いつくのでありました。
 これは随分前に内弟子の剣術稽古で是路総士から聞いた言葉でありました。後の先、先の先、或いは、先先の先、と云う、対峙状態にある相手への武技の発動契機の機微についてのものでありますが、相手との対抗関係が最高潮に達して、今にも間合いをつめて互いに武技を仕かけようとするそのタイミングについての言葉でありましたか。
(続)
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お前の番だ! 491 [お前の番だ! 17 創作]

「後の先でも先の先でも構わんが、今だ、とこちらが思って技を仕かけようとした刹那、相手が不意に親愛に満ちた目でニッコリと笑って見せたら、折野はどうする?」
 是路総士は万太郎にそう訊くのでありました。
「それは多分、一瞬たじろいで、二の足を踏みます」
「それが相手の手管で、そこにつけこまれるかも知れんぞ」
「そうと判っていても、多分僕はたじろぎます」
「一瞬後に、そう云う手管だと判明しても、もう立て直す暇はないぞ」
 例えば堂下クラスが相手なら万太郎はたじろがないでありましょう。しかしこれが是路総士を始めとする格上の高位者となると、間違いなくたじろぐでありましょう。
「たじろぐかそうでないかは、相手に依って違うような気もしますが。・・・」
「生死がかかっている勝負では、誰が相手であろうとたじろいではいかんだろう」
「たじろいでも、誰よりも早く一歩引く動作に僕は自信がありまして、それを以って何とか相手の一撃目を先ずは躱します。多分、誰であろうとも」
「私が相手でもか?」
 是路総士にそう訊かれて万太郎は暫し考えるように小首を傾げて黙るのでありました。
「総士先生が相手だとしても、僕はこの必殺の一歩下がりを試みます」
「必殺の一歩下がり、か」
 是路総士は万太郎の言葉をなぞってから愉快そうに笑うのでありました。「妙な手だが、確かにタイミングを読むのに長けていて、相当にすばしっこいお前の事だから、そう云うのも案外有効かもしれんな。しかしその時点で気勢ではもう負けているから、後を立て直すのは至難の業と云える。一撃目は躱せても二撃目で倒されるかも知れない」
「それは確かにそうですが。・・・」
 万太郎は眉根を寄せて困じた表情をするのでありました。「総士先生なら、相手が不意にニッコリ笑ったとしたら、如何されますか?」
「私は、相手がニッコリ笑う前にこちらが笑うさ」
 これは是路総士なら出来るだろうと万太郎は思うのでありました。先先の先の機微を体得していて使い熟せる是路総士なら、相手が意表を突こうとしてニッコリ笑う事、或いはそこまではっきりではないにしろ、何やら胡散臭い手で意表を突こうと企んでいる気配を疾く感じ取って、対峙した時点で既に心を用意する事が出来るでありましょう。
「そうなると攻守が一瞬に逆転して、相手がたじろぐと事になりますかね。それで相手の怯みに乗じて、総士先生が先をお取りになると云う寸法ですね」
「いや、相手の及び腰に乗じて先を取る心算は更々ない」
 万太郎はそう云う是路総士の心機を読み切れないのでありました。
「ああそうですか。・・・では、その後はどうなさるのですか?」
「そう云う局面で笑う以上、私は心底から親愛の笑いを相手に送る」
「つまり、・・・勝負する事を止めると云う事でしょうか?」
「何よりも、そうなれば慎に結構と云うもの」
(続)
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お前の番だ! 492 [お前の番だ! 17 創作]

 是路総士は頷くのでありました。「しかしその笑いには威がなくてはならん。それも巧まれた威ではなく、長い修行に明け暮れた末に身につけた覚悟からの、自然に滲み出る迫力と云うものがなければいかんだろう。そうでないと人を打つ笑いは笑えないだろうよ」
 これは是路総士だからこそ云えるものでありましょう。万太郎は自分にそう云う威が備わっているとは到底思えないのでありました。
「僕にはそう云った種類の笑いは出来そうにありません。第一に、そんな迫力を身につけるには、未だ修業歴が僕には決定的に足りないように思いますし」
「気が気を呼びこむものだ。こちらに邪気があれば相手の邪気を呼びこむし、こちらが無邪気であれば相手も無邪気になる。こちらが元気であれば相手も元気になるし、呑気なら相手も呑気だ。好い気になっていれば相手も好い気になるし、こちらが本気を出せば相手も本気になる。勝負では、気と気が呼応する。そう云うものだ」
「しかしそうは云っても、相手の気をこちらが貰って仕舞う場合もあると思います。相手が陰気だからこちらも陰気になるとか」
「その場合、どちらの気が強いか或いは優っているかが、遣るか貰うかの分かれ目だな」
「気の強さ、ですか。・・・」
 万太郎は、気の強さ、と云う言葉で、脈絡もなくどうしたものかあゆみの顔をふと思い浮かべて仕舞うのでありました。言葉の意味あいが違うと云う事は承知しながらも。
「大気が小気を自然に同調させる。武道の修業とは、畢竟、大気を錬る事だと云える」
「大気を錬るとどうなりますか?」
「物事を一瞬で思い切る覚悟が出来る。これはなかなかに強い」
「一瞬で思い切る覚悟、ですか。・・・」
 万太郎は判るでもない判らないでもない曖昧な表情を浮かべているのでありました。
「お前は在りし日の道分さんがそうであったように、後の先で動き出す時の見切りが人よりも早いから、誰よりも早く大気を獲得するのに資質は充分と云えるかも知れんな」
 この是路総士の言葉は、単に万太郎を持ち上げて発奮させようとする言葉であるのか、それとも掛け値なしの評言であるのか、万太郎には確とは判らないのでありました。
「しかし僕は未だ大気を手に入れておりませんから、暫くは暫定的な手段として、相手がニッコリ笑ったなら、取り敢えず素早く一歩下がります」
 万太郎がそう云うと是路総士はニッコリと笑って見せるのでありました。ここでは勿論、万太郎は即座に一歩下がらずに是路総士の大気に釣られて微笑むのでありましたが。
「・・・要するにあゆみさんの大気に、子供達が思わず同調させられているのでしょうね」
 万太郎はすっかり冷め切ったコーヒーを一口飲むのでありました。
「どう云う事?」
 向いに座るあゆみがやや身を乗り出して万太郎の顔を覗きこむのでありました。
「大気のあゆみさんがニッコリ笑うから、小気の子供がたじろぐのです。その一瞬であゆみさんの主導権が絶対的に確立されて、子供達はあっさりあゆみさんに従うしかなくなるわけです。つまり修業歴と人間の差が歴然とそこに現れていると云う事なのでしょう」
(続)
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お前の番だ! 493 [お前の番だ! 17 創作]

「何それ? 云っている事が良く理解できないんだけど」
「いやまあ、良いです」
 万太郎は掌を横に何度かふって見せるのでありました。「僕なんぞは子供達が僕の云う事を聞かないとすぐに声を荒げて仕舞うのですが、これはつまり怒気が怒気を呼びこむだけで、僕が子供達のそんな呼応性を、意ならず引き出しているのでしょう。ところがあゆみさんはそこでニッコリ笑うわけです。ここが僕とは違うところですね」
 万太郎は自得するように数度頷くのでありました。
「あたし別に稽古中はニッコリなんて笑わないけど」
「顔がニッコリしなくとも、心がニッコリするのです。子供にはそれが判るのです」
「それって、日頃の万ちゃんには似つかわしくない、如何にも抒情的な表現ね」
 あゆみは戸惑うような笑いを万太郎に送るのでありました。
「まあ取り敢えず、僕にそう出来るかどうかは別の話しですが、どうして子供があゆみさんに心服しているのか、何となくその秘訣の一端が判ったような気がします」
 万太郎はあゆみの戸惑いにお構いなく、勝手に一つ頷いて見せるのでありました。
「あたしにはさっぱり判らないわ、万ちゃんが今、一体何を納得したのか」
 あゆみは狐に摘まれたような顔で、首を横に何度かふるのでありました。
「いやまあそれはそれとして、ところで少年部の時間を週にもう一齣増やすと云う点、それに少年部の指導で使用する言葉の問題とかは向後どうしますかね?」
「時間を増やすのは多分大丈夫でしょうし、お父さんも了承してくれると思うけど、今現在の一齣の中の人数を二齣にしてどう割りふるかは、子供達の都合もあるだろうから、これから色々保護者と話しあう必要もあるわね。言葉の問題は、万ちゃんと一度しっかりつめてから、花司馬先生や注連ちゃんの意見も聞くと云う段取りになるかしらね」
「そうですね。では近々二人でじっくり話しあうと致しましょう」
 万太郎は嬉しそうに笑いながらコーヒーをすっかり飲み干すのでありました。

 午前の稽古が終わったところで、来間が万太郎に耳打ちするのでありました。
「どうやら威治宗家が、興堂流を辞めたようですよ」
「興堂流を辞めた?」
 万太郎は全く意外な情報に目を剥いて、思わず来間に顔を寄せるのでありました。「辞めたって、それはつまり興堂流と云う自分の流派を解散したという事か?」
「いや、興堂流はその儘です。そこの総帥の地位を辞したと云う事です」
 来間はより小声になるのでありましたが、それは事が事なだけに、未だ道場に居残っている門下生達に迂闊に聞かれては拙いと云う配慮からでありましょう。
「少し詳しく聞こうか」
 万太郎は来間を師範控えの間に連れて行くのでありました。是路総士や鳥枝範士、それに寄敷範士が不在で、それに何か不都合でもない限り、万太郎とあゆみ、それに花司馬教士は師範控えの間を自由に使用して構わないと云うお許しが出ているのでありました。
(続)
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お前の番だ! 494 [お前の番だ! 17 創作]

「宗家の金銭上の不始末が発覚したのが、辞した理由のようです」
 師範控えの間で万太郎と二人だけになったにも関わらず、来間は未だ声を潜めるような喋り方をしているのでありました。
「ああそうだ」
 万太郎はふと気づいたように来間の顔の前に掌を差し出して、話しを一旦遮るのでありました。「あゆみさんを呼んできてくれ。その話しはあゆみさんと二人で聞こう」
 来間は頷いて、すぐに食堂にあゆみを呼びに行くのでありました。
「何、何の話し?」
 師範控えの間に入ってきたあゆみが万太郎に話しかけながら、卓の左側に座るのでありました。上座を遠慮して右側に座っている万太郎と対座する容であります。
「何でも来間の情報に依ると、威治宗家が興堂流の総帥の地位を辞したらしいのです」
 万太郎はあゆみにそう云ってから下座に座る来間の方に顔を向けるのでありました。それに釣られるように、あゆみも来間の方に視線を移すのでありました。
「金銭上の不始末が発覚したらしいのですね」
 来間が小声の儘で前言をあゆみに向かって繰り返すのでありました。
「具体的にはどういう事だ?」
 万太郎が先を促すのでありました。
「興堂流の金を宗家が私的に流用した、と云う事のようです。まあ、要するに横領ですから、自ら退いたという体裁になっていますが、事実上の懲戒免職、と云う話しです」
「それは間違いのない情報なのか?」
「自分が仕入れたところでは」
 来間はしかつめ顔をして重々しく頷くのでありました。
「事実上の免職を決めたのは興堂派の理事会か?」
「いや、興堂派会長の一存で自発的な辞職と云う容にしたと云う事です。理事会の総意で免職、と云う事になると話しが大袈裟になって様々な方面に対してあれこれ面倒だし、世間体も悪いと云うので、会長が差しで宗家に話しをつけて、なるべく素早くスムーズに事を収めるために、個人都合に依る辞職と云う格好を取ったのだと云う話しですね」
「まあ、そう云う事にした方が、威治宗家にとっても好都合ではあろうしなあ」
 万太郎は差し当たり、納得気に頷くのでありました。
「でも、興堂流は一応、財団法人なんだから、そんな処理で大丈夫なのかしら?」
 あゆみが疑問を呈するのでありました。
「そう云えばそうですよね。外部の監査とかも入るだろうし、空いた穴を塞げないとなると、色々な方面に対してあっさりとはなかなかいかないでしょうしね」
 万太郎はこちらにも頷いて見せるのでありました。
「事が発覚した以上、横領した金は威治宗家が弁済すると云う事のようですし、会長の政治力と、会計処理に些かの策を弄すれば、監査とかの外面は何とか繕えるのではないでしょうかね。そう云手練手管はあの会長のお家芸だと云う話しもありますし」
(続)
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お前の番だ! 495 [お前の番だ! 17 創作]

「着服した金額は一体幾らなのかしら?」
 あゆみが首を傾げながら来間に訊くのでありました。
「詳しくは判りませんが数千万円単位と云う話しです」
 相変わらず来間はヒソヒソ声で応えるのでありました。
「それはかなりな額じゃない。威治さんに弁済する能力があるのかしら?」
「道分先生はなかなかの資産家でいらしたから、遺産の事を考えれば、そのくらいなら多分大丈夫なのではないでしょうか。まあ、僕には確かなところは判りませんが」
 万太郎が思いつきの推測を述べるのでありました。
「威治さん一人がその資産の全額を相続したのなら大丈夫でしょうけど、あちらにはお兄さんがいらっしゃるでしょう?」
「威治宗家だけの力じゃあ無理だとしても、お兄さんは興堂流の理事でもありますから、亡くなった道分先生のお名前を汚さないためなら、その辺は協力されるのじゃないですか、いたく渋いお顔はされるとしても。何はさて置き弟御の不始末なのですから」
「その辺が大丈夫なら、隠密裏に事を片づける事は出来そうだけどね」
 あゆみが万太郎に頷いて見せるのでありました。
「威治宗家は解任された後、どうするのだろう?」
 万太郎は来間の方に目を遣るのでありました。
「さあ、それは判りません。ある日唐突に、威治宗家が興堂流総帥を辞した旨の簡単な報告文が、道場の掲示板に張り出されていたと云うのですから」
「宗家と云う立場は、その儘なのかな?」
「いや、宗家も辞める、或いは辞めさせられるんじゃないかと云う話しです」
「それはそうだろうな。そんな人が宗家じゃあ、興堂流は立つ瀬もなかろうし」
 万太郎は頷くのでありました。
「宗家は、お兄さんが継承されるのじゃないかと云う噂です」
「それはその方が無難な線か」
「でも、お兄さんは学校の先生をしていらして、武道には全く無関係な方でしょう?」
 あゆみがまた首を傾げるのでありました。
「まあしかし、名目だけとは云え興堂流の理事の一人でもいらっしゃいますし、血統を絶やさないと云う一点で、実技を全く修めた事のない血縁者が道統を継ぐ、なんという例は世間にはざらに、とは云わないまでも、間々にある話しではないでしょうかね」
「それはそうだけど」
 万太郎の観測に納得の斤量が少ないのか、あゆみは今度は頷かないのでありました。
「何れにしても、威治宗家は向後、興堂流とは全くの無関係な人となるのかな?」
 万太郎はまた来間の方に視線を移すのでありました。
「恐らくそうなるでしょう。そんな背信行為をした人と関わりを持ち続けるのは、興堂流の方が真っ平ご免被りたいところでしょうから」
 来間は興堂流に成り変わってげんなり顔をして見せるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 496 [お前の番だ! 17 創作]

「そうすると興堂流の、運営面は理事会の意向もあるだろうから別としても、技術面に関しては田依里さんがトップに立つと云う事になるのだろうなあ」
「そうですね。実際のところ以前からそんな風ではありましたが、それがこれからは名実伴にそうなると云う按配でしょうね」
「そうね。前から実技では田依里さんが率いているようなものだったから、今の興堂流の技法や稽古の仕方に照らせば、その方がスッキリ実態にあうような気もするわね」
 あゆみがあれこれ考える風の表情をして、呟くように云うのでありました。
「そうですね。既に常勝流興堂派の色あいはすっかり薄まって仕舞っていて、今では技も武道的な考え方も別物の、田依里流、と云う風に云えますからね」
 万太郎が納得気に頷くのでありました。
「それにしても、門下生がまたまた減るんじゃないかしら?」
 あゆみは無関係な他派の事ながらも運営面での危惧を表明するのでありました。
「しかし前の威治宗家の場合と違って、今度は組織がより健全に変わると云う事になりますから、門下生の目には立て直しと映るのではないでしょうかね?」
 万太郎がまた憶測を述べるのでありました。
「確かに門下生達の動揺する気配は余り見られないようです。それよりは寧ろ、大方のところは歓迎するような雰囲気のようですね。要するに田依里さんの人望の方が宗家より数段優っているのですから、門下生にとっては返って好都合な事となるのでしょうし」
 事情通の来間が興堂派内部の空気なぞを紹介するのでありました。
「威治さんは結局、何処ででも疎んじられる役回りばかりね」
 あゆみがふと、溜息交じりにそんな事を呟くのでありました。そう呟くあゆみ自身も、嘗ては威治宗家、いやもう、前宗家、と云うべきでありましょうが、その人を、見事に疎んじた内の一人なのではありますけれど。・・・
 三人がそんな話しをしているところに、準内弟子の片倉が昼食はどうするのかと師範控えの間に訊きに来るのでありました。存外万太郎とあゆみと来間の話しが長引いているようなので、待ち草臥れて様子伺いにやって来たのでありましょう。
 その日、総本部道場に来ている準内弟子は片倉と高尾とジョージの三人でありました。万太郎は障子戸越しにすぐに食堂に戻ると云って片倉を下がらせるのでありました。
「威治前宗家のこの件は、総士先生はもうご存知なのだろうか?」
 話しをここで一段落として、立ち上がりながら万太郎が来間に訊くのでありました。
「鳥枝先生辺りから、既にお聞きになっているのではないでしょうか」
 一緒に腰を上げながら来間が応えるのでありました。
「ああそうか。鳥枝先生は向こうの理事に知りあいがおありだからな」
「そうね。でも今夜にでもお父さんにはあたしからちらと、一応伝えるわ」
 あゆみも立ち上がるのでありました。
「そうですね。まあ、気にはなりますが他派の動向ですから、総本部運営者全員で以って、その件で態々打ちあわせの場を設ける必要はないのでしょうし」
(続)
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お前の番だ! 497 [お前の番だ! 17 創作]

 三人は来間を先導として廊下を食堂の方に歩むのでありました。万太郎はこの場ではそう云うのでありましたが、しかし後日是路総士を始め鳥枝範士も寄敷範士も、それに花司馬教士にあゆみに万太郎も加えて、その件で話しあいの場が持たれるのでありました。

 鳥枝範士は猪口をグイと空けるのでありました。空かさず来間は徳利を取って鳥枝範士の空いた猪口に日本酒を満たすのでありました。
「何でも使いこみがバレて、会長に引導を渡されたようですな。何ともさもしい辞め方ですが、まあ、威治らしいと云えば如何にも威治らしいとも云えましょうかなあ」
 鳥枝範士は是路総士に向かってそう云ってまた猪口を空けるのでありました。興堂派の威治前宗家が辞職した経緯は、先に来間に聞いた話しと大方一致するのでありました。
「彼奴は、興堂派は自分の専有物だと端から思っていたようだから、興堂派の金と自分の金との区別が全くつかずに有耶無耶だったのだろうなあ。呆れたものだが」
 寄敷範士も同じく、花司馬教士が差した自分の酒を飲み干すのでありました。
「だから、その場に同席したワシの知りあいの理事に依れば、どうして会長がそんな無体な説教をするのか、と云った顔をして威治は会長の怒声を聞いていたそうだ」
「万事に鈍い、と云えばそれまでだが」
 寄敷範士は花司馬教士から徳利を受け取って、それを花司馬教士が恭しそうに手にしている猪口に差し返すのでありました。
「開き直りではなく本気で、どうして自分が非難されなければならないのか、と云ったその場での威治の無愛想面が目に見えるようですよ」
 花司馬教士がそう云って皮肉な笑いを口の端に浮かべるのでありました。
「威治君はその金を何に使ったのかな?」
 是路総士が鳥枝範士に訊くのでありました。
「銀座のバーのホステスに入れ上げていて、その女の云いなりに、ブランド品の服やバッグや貴金属の代金を貢いでいたと云う事です。まあ、そのバーの飲み食いの代金も、当然興堂派の金から出していたのでしょう。それに飽く事なき女の要求に応えるために、株で一儲けしようと企んで、素人のお定まり通り大損したと云うのもあったようですな」
「いやはや、何とも下衆な」
 寄敷範士が小さく吐き捨てるのでありました。
「如何程使いこんだのかな?」
 是路総士が万太郎の酌を受けながら訊くのでありました。
「二千万余りだそうです」
 鳥枝範士がそう云って渋い顔をして見せるのでありました。威治前宗家が着服した金額に関しても来間に聞いた通りでありました。
「どうしてバレたのかな。外部の監査でも入ったのかい?」
 寄敷範士が鳥枝範士の猪口に酒を注ぎながら訊くのでありました。
「腰巾着の筈の事務長が会長にチクッたらしい」
(続)
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お前の番だ! 498 [お前の番だ! 17 創作]

 これは万太郎としては初耳でありました。来間はその辺の具体的な事情に関しては、あんまり通じてはいなかったようであります。
「その事務長とやらは威治がどこからか拾ってきたヤツじゃないのかね?」
「そうらしいが、威治ばかり良い目を見ていて自分へのお零れにはケチなところに不満だったのだろう。まあ、威治の不正を糺すと云う正義面を装ってはいたろうが、不満があったとしても今までに自分もそのお零れに与っていたわけだから、事務長のヤツは間抜けにも自分の首も一緒に締めたようなものだ。こちらの方も馬鹿丸出しと云うわけだ」
 鳥枝範士は猪口を空けた後に冷笑を口の端に浮かべるのでありました。
「身を切ってまでも、何とか威治に吠え面をかかせてやりたいと云う了見かな?」
 寄敷範士は事務長とやらの心根を忖度して見せるのでありました。
「何れにしても、品性下劣な奴原が品性下劣なすったもんだをやらかしたと云う事だ」
「で、向こうの会長は威治を呼びつけてあっさり辞めさせたと云う経緯か。まあ、懲戒処分とはしないで自主退職扱いにしたのは、勿論興堂流の体面を気遣ってと云う面もあろうが、僅かながらも威治に対して、惻隠の情を示したと云う事になろうかな」
「会長たる自分の体裁を気にしたのが九で、威治に対する惻隠の情が一だな」
 鳥枝範士はそう云って鼻を鳴らすのでありました。「要するに威治が全額弁済すると云う条件を飲んだから自主退職扱いとしたのだろう。威治にそれを飲ませるに当たって、こちらが刑事告発したらお前は監獄に入る事になるぞとか、そうなれば社会的に抹殺されるぞとか色々脅したに違いないが、それでも虚けの威治がその売り言葉を買ったりでもしたらと内心は冷や々々していたろうよ。世間に明るみに出れば会長の体面も傷がつくし」
「まあ、狸の会長だから、その辺の腹芸は心得たものだろう」
「威治なんかでは到底太刀打ち出来まいよ」
 鳥枝範士はどう云う心算か、自分の腹を掌で一つ打って見せるのでありました。
「聞くまでもないが、事務長とやらも辞めさせられたのだろう?」
「そうだな。しかしこちらへは口止め料のつもりか、幾らかの退職金を出したそうだ」
「しかし威治を裏切ったヤツだから、会長のそんな思惑も裏切るかも知れない」
「抜かりなくこちらへもたっぷり脅しをかけているだろうよ」
「成程ね。それはそうだな」
 寄敷範士は辟易の表情で頷くのでありました。
「辞めた威治君は、今はどうしているのかな?」
 今まで黙って、如何にもゆったりとした手つきで酒を口に運びながら、鳥枝範士と寄敷範士の遣り取りを聞いていた是路総士が訊ねるのでありました。
「その辺は情報がありません。今のところ自宅に逼塞しているものと思われます」
「万事に反省のない男ですから、それでもちっとも懲りずに、銀座のバーの女とやらの処に通っているのではないでしょうかね」
 花司馬教士が口を挟むのでありました。
「ま、充分考えられる事だが。・・・」
(続)
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お前の番だ! 499 [お前の番だ! 17 創作]

 鳥枝範士はそう云って花司馬教士に含み笑って見せるのでありました。「しかし威治にはもう貢ぐ金の出処がないだろう。そんな威治には女としても興味もなかろうし」
「成程。まあ確かに、素の儘でもモテる、なんと云うような男ではありませんからね」
 花司馬教士は特に憫笑を浮かべて見せるわけでもなく、全くの無感情の顔で、納得したように数度頷いて見せるのでありました。
「興堂流は、その後はどのような形で運営されているのだろう?」
 是路総士が別の面に話しを移すのでありました。
「威治は殆ど顔も見せなくなっていたから、稽古の上では別に問題は生じていないと云う事ですな。今まで通りの、田依里を主とする指導体制に変化はないそうです」
 鳥枝範士がそう応えて、来間の注いだ猪口の酒を口に運ぶのでありました。「前から実質的に田依里が今現在の興堂流の技術を総覧していましたし、元々威治なんぞは居ても居なくてもどうでも良い存在になっていましたからねえ」
「組織の運営面ではどうですかな?」
「会長の息のかかった公認会計士が入っているそうです。すっかり専属に会計等を見ると云うのではないようですが、適宜目を光らせているようです」
「日常的な事務はどうなっているのでしょうかな?」
「堂下が事務も兼任しているようです。所帯も昔に比べれば随分縮んで仕舞っていますから、そう云う形でも充分熟せるのでしょう。これは余談になりますが、田依里にも堂下にも、威治が宗家だった頃に比べればそれなりの待遇改善がなされたようです。堂下なんかは威治の頃よりは現在の方が、余程有難い扱いになったと云うところでしょうな」
「組織的には寧ろ、色んなところが明朗になったと云うわけかな?」
 寄敷範士が花司馬教士の傾ける徳利を猪口に受けながら質すのでありました。
「まあ、そうなるな。未だこれから先、あれこれ体制上の細かい変遷はあるとは思うが、しかし何につけても疎漏のない田依里が、名目も実質も興堂流を主導する事になるのだから、威治の頃の様な万事に有耶無耶だった辺りはなくなるだろうよ」
「結構な事だ」
 寄敷範士はそう云ってグイと日本酒を喉に送りこむのでありました。
「まあ、興堂流は心配ないようですが、今後の威治君個人に関しては心配ですなあ」
 是路総士がそんな事を漏らすのでありました。
「身から出た錆、と云うものです」
「それはそうだが、私は威治君を後見すると道分さんに約束していたからなあ」
「総士先生の後見役は、筋としては威治が常勝流から独立した時点で解消されております。総士先生が気に病まれる必要は、もうないと思われますが」
 鳥枝範士が来間から徳利を取って是路総士に差しかけるのでありました。
「しかし亡くなった道分さんと私の仲を考えれば、遺児の威治君の身に対して全く無関係と云う態度を決めこむのも、私としては何とも心苦しい」
 是路総士は少し苦った表情で鳥枝範士の酌を受けるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 500 [お前の番だ! 17 創作]

「お気持ちは充分お察しいたしますが、総士先生のご寛恕を受け取るかどうかは相手の威治次第です。威治にその気がないのなら、如何とも仕様がありません」
 寄敷範士が慰めるような事を云うのでありました。
「その通りですな。それに威治に今までの自分の非を悔いて身を慎む用意がなければ、総士先生が何か手を差し伸べられたとしても、それは単なる甘やかしになって仕舞います。それでは威治のためにもよろしくないでしょう。ここは向後の威治がどんな動きをするのかじっくり見ておくべきでしょう。寛恕を示すのはそれからでも遅くはありませんぞ」
 鳥枝範士の意見は是路総士を慰めると云うよりは、威治前宗家に対する冷淡と不信感からのもののように万太郎には見えるのでありました。
「威治君は私に何か援助を求めてくるでしょうかな?」
 是路総士はそう云ってあれこれ考えるような顔をするのでありました。
「それはどうですかな。道分先生の遺産を無駄に食い潰して、どうにもこうにも切羽つまったら、ひょっとしたら金の無心になんぞ来るかも知れませんな」
「いやそれはなかろうよ」
 寄敷範士が猪口を持った反対側の掌を、鳥枝範士に向かってひらひらと横に動かすのでありました。「意地っ張りで人一倍体裁屋の威治の事だから、どんなに窮しても総士先生にはそんな情けない姿は見せまいとするだろう。色々経緯があって自ら袂を分かった常勝流に、結局浅ましく屈服したと思われるのは、彼奴のプライドが許さんだろうからねえ」
「道分先生の御曹司であるところをちやほやする連中が未だ居る内は、それは彼奴のプライドも立っていられただろうが、その代表格の興堂流会長にきっぱり見捨てられたのだから、もうそろそろ昏倒してもおかしくない。意地っ張りで体裁屋の小人が昏倒すると、取り乱して支離滅裂に何を仕出かすか知れたものじゃないから、ないとも限らんよ」
 鳥枝範士のこの言にも、威治前宗家に対する心底からの侮りが満ち溢れているのでありました。そう云う鳥枝範士の心機は前から知れた事なのではありましたが、それは父君の道分範士が偉大であっただけに、返ってその分余計にその子たる威治前宗家が不幸にも割を食っている所為かも知れないと、万太郎は考えるともなく考えるのでありました。
「威治の血筋や名前を評価する連中、或いはそれを未だ利用価値ありと考えてちやほやする連中なんぞは、興堂流会長の他にはもう誰も居ないのかな?」
 寄敷範士がそんな疑問を呈するのでありました。
「まあ、全く居ない事もなかろうが、少なくともその中に大物と呼ばれる者は居ないだろうよ。それに自分の隠した不埒な魂胆のために上手く利用しようとしてちやほやするだけで、本当に威治と云う存在を尊く思っているヤツなんか一人も居まいよ」
「しかし誰であれそんな連中が未だ居る限り、威治のプライドは立った儘なのだね?」
「ま、そうなるかな。しかしそのプライドそのものが如何にもショボクレたものだが」
「ショボクレていようと、プライドはプライドだから、総士先生が寛恕のお心をお持ちだとしても、未だ当分総士先生の出る幕は来そうにはありませんなあ」
 寄敷範士がそう云って猪口をグイと呷るのでありました。
(続)
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お前の番だ! 501 [お前の番だ! 17 創作]

「これを或る種の潮として、威治君に関わる諸事が好転するなら良いのだが」
 是路総士がそう云って猪口を卓上に置くのでありました。「まあ、興堂流や威治君の動向については粗方判りました。それでこちらがすぐにどうこうすると云うのではないけれど、一応そう云う事情を心の隅に置いておく事は不必要ではないと思います」
 これがこの談話の何となくの締め括りの言葉となるのでありました。後は、飲み足りない一同は他愛ない四方山話しに興じながら、暫時杯を重ね続けるのでありました。

 崖上の石が一つ転がると、連鎖反応でもう一つ、また一つと別の石が転がり始めるのでありました。と云うのは威治前宗家が興堂流を退いて未だそれ程間が空かない内に、今度は興堂流会長がその職を降りたと云う話しが伝わってくるのでありました。
「武道興堂流会長、と云う役職が、実質にも名刺の飾りにも資さないと判断して、あっさり見限ったのだろうよ。それに威治の横領事件が若し将来公にでもなれば、寧ろ自分の名前に傷がつく恐れもあるので、手を切るに如くはないと判断したのだろう」
 これは鳥枝範士の言でありました。恐らく大概はそう云ったところでありましょう。
「表向きは、今次の威治前宗家の不始末の件で、会長としての監督責任が全うできなかったため、と云う尤もらしい理由からのようですが」
 万太郎がそう返すと鳥枝範士は冷笑を口の端に浮かべて鼻を鳴らすのでありました。
「彼奴はそんな殊勝らしい男なんかじゃなかろうよ。それは辞職するための体の良い方便であってだなあ、本心は早々に、そんな胡散臭い団体とは縁切りしたいと云う、自分本位の都合だけで辞めたのは目に見えているではないか」
「今まで長くその職にあったわけですから、会長としての興堂流への愛着とか、亡き道分先生への情義のようなものはなかったのでしょうかね?」
「そんなものを期待する方が無理だ。徹頭徹尾自分本位な男だよ、彼奴は」
 鳥枝範士だけではなく寄敷範士の方も同じような感想のようでありました。
「保守の政治家らしく、日本的な伝統芸能とかに漠然とした憧憬があるだけで、元々武道には無関心な人だったからなあ。道分先生との交誼も、異世界の多士済々とのつきあいが広いと云う辺りで自分を装飾しようと云う、他力本願的な魂胆の一環に過ぎなかったし、それに選挙の折に幾らかの票の足しにもなるとかの実際的理由からだっただろうから、興堂流への薄情は疾うに知れていた。引き際の尤もらしい、ある意味で無難で妥当な理由として、威治の仕出かした今回のごたごたを利用したと見るのが真面な線だろうな」
 花司馬教士もほぼ同意見でありましたが、こんな事をつけ加えるのでありました。
「あの会長は元々、道分先生の実子と云う事以外、威治を何も買ってはいませんでしたからねえ。寧ろ全くの無能者扱いで、とことん見縊っていましたね。それから、前に道分先生が亡くなられた時も会長を辞めると一旦は云い出したのですが、その時は未だ、道分興堂先生の常勝流興堂派、と云う看板に大いに魅力があったので思い止まっただけです」
「今はもう、大方魅力も失せたから、冷淡に棄てたと云う事ですか?」
「ま、冷淡に、と云うか、計算高く、ですね」
(続)
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お前の番だ! 502 [お前の番だ! 17 創作]

 是路総士はと云えば、ああそうか、と特段声の抑揚もつけずに無表情に頷いて見せるだけでありました。しかしそれは興堂流会長の辞職と云う事態に全く無関心と云う事ではなくて、揉め事を抱えた他派の動向に逐一好奇の目を向けると云う行為が、甚だ以って卑しい心情からのものだとして、慎む方が良かろうとする節度からでありましょうか。
 出来不出来は別として興堂範士の直系である威治前宗家も、功罪は別として長年組織を取り纏めていた財団会長も去った興堂流は、これから一体どのような道を進むのでありましょう。残った理事連中と田依里師範が向後どんな方向を打ち出して運営に当たるかは、間接ながらも源流たる常勝流に関係がある事と云えなくもないでありましょうから、ここは是路総士も他人事として無関心の儘を決めこんでいる事は出来ないでありましょう。
 以前興堂流が常勝流から独立した時のように、常勝流総本部の傘下に入りたいと願ってくる興堂流支部等がまたも出るやも知れません。しかし今では技術の様相も全く違ってきているのでありますから、それをおいそれと認めるわけにはいかないでありましょう。
 それに威治前宗家と違って、総本部とは友好的なつきあいを望んでいる筈の田依里師範との関係もありますから、その許諾なしに来たい者を無条件に拒まないと云うのも、田依里師範に対する友好的な常勝流総本部の姿勢とは云えないと云うものであります。しかしまあ、事が起こる前にあれこれ取り越し苦労しても詮ない事でもありますし、ここは一つデンと構えて、クールにこれからの推移を見守っていくしかないでありましょうか。
 万太郎がこんな事を考えながら日を送っていると、ある日突然田依里師範から是路総士へ面会を申しこむ電話が入るのでありました。この電話は偶然万太郎が取ったのでありましたが、電話の向こうの声が田依里と名乗るのを聞いて、万太郎はほんの少し緊張を覚えて、思わず右手で持って右耳に当てていた受話器を左手に持ち替えるのでありました。
 しかし全くの不意から思わず緊張を覚えたと云う事ではなくて、万太郎は田依里師範が遠からぬ何時かこちらに接触を求めてくるかも知れないと、特に根拠があるわけではないながら予知はしていたのでありました。でありますから万太郎のこの緊張は、いよいよその予知が当たった事への少しの感奮からであったと云うべきものでありましょうか。
 その時これも偶々是路総士が留守であったものだから、万太郎は後程是路総士に伺いを立ててこちらから連絡すると、それだけ丁重な物腰で云い置いて受話器を置くのでありました。万太郎としてはその後の動向を田依里師範に聞いてみたくもあったのでありましたが、それは自分如きが僭越の誹りを免れ得ないと思い止まったのでありました。
 この電話から遠からぬ或る日、田依里師範は興堂流財団理事を一人伴って、調布の総本部道場にやって来るのでありました、伴った理事とは佐栗真寿史理事で、件の鳥枝範士と繋がりのある、広島の須地賀氏と伴に前に総本部に来た事がるのでありました。
 万太郎の出迎えで玄関を上がった二人は、早速師範控えの間に招じ入れられるのでありました。控えの間には是路総士を筆頭に鳥枝範士と寄敷範士それに花司馬教士もあゆみも揃っているのでありました。勿論万太郎も案内後その儘その場に座るのでありました。
 総本郡道場の主立つ者勢揃いと云う按配でありました。しかしこれは総本部の威を見せつけるためではなく、興堂流のその後に皆が関心を抱いているが故でありました。
(続)
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お前の番だ! 503 [お前の番だ! 17 創作]

「総士先生、色々とお騒がせしております」
 佐栗理事が是路総士に頭を下げるのでありました。
「いえ、私共には特段」
 是路総士浅くもお辞儀を返すのでありました。
「お聞き及びの通り、この度は威治宗家が辞め、間を置かず財団会長も辞めて、興堂流も機構の大幅変更を余儀なくされまして、この田依里君を入れた理事会であれこれ話しあった結果、ここは一旦興堂流を解散しようと云う結論になりました」
 万太郎は初耳でありましたが、佐栗理事が、お聞き及びの通り、と云うのでありますから、この報は恐らく鳥枝範士経由で是路総士に既に知らせてあったのでありましょう。
「そう云う事らしいですな。一昨日、鳥枝さんから聞きました」
 是路総士は落ち着いた物腰でそう云って、先程来間が運んで来た茶を一口啜るのでありました。「聞いた時には驚きましたが、まあ、予期もしていました」
「流名を興堂流としたのは威治宗家と財団会長の意向でありましたが、その二人も去って仕舞ったのですし、それに今般の我が流の技法や稽古法は、道分先生のお遺しになったものとはすっかり様変わりしておりますので、敢えて道分先生のお名前を連想させるような団体名で通すのは、実態に照らして相応しくはないし畏れ多いと云ったところです」
「成程。そうですか」
 是路総士は表情を変えずに一つ頷くのでありました。この静かで厳とした無表情は興堂流の決定に対して、別流である常勝流は一切容喙しないと云う態度表明でありましょう。
「理事会では最初に、新規蒔き直しの意味もこめて、流名の変更が議題として上がったのですが、色々議事を進める内に、ここはいっその事、興堂流自体を解散した方がすっきりするだろうと話しが推移しまして、この度の決定と相成りました次第です」
「実技指導を担っておられる田依里さんも、ご納得なのですね?」
 是路総士は田依里師範の方に顔を向けるのでありました。
「道分先生の遺された会派を仕舞うのは私としては忍びないものもありますが、私は云ってみれば新参者ですし、道分先生のご薫陶を受けたわけでもありません。全くひょんな経緯から興堂派で指導を始める事になったのです。ですから興堂派以来、それに興堂流になってからもずっとその職に居られた理事の皆さんの決定に従うのは、当然です」
 田依里師範はそう云って是路総士に目礼するのでありました。
「興堂流の解散と同時に、葛西の道場も閉められるのですかな?」
「いえ、今の葛西の本部道場は続けて参ります。何とか経営を維持出来るだけの門人もおりますし、こちらの都合だけで急に閉めるのは門下生に対して申しわけないですから」
「新しい財団を設立されるのですかな?」
「いえ、そこまでは考えておりません。当面は私的な団体としてやっていく所存です」
「田依里流、か?」
 鳥枝範士が横から戯れ口調で訊くのでありました。
「いえ、そのような名前にはしない心算です」
(続)
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お前の番だ! 504 [お前の番だ! 17 創作]

 田依里師範は真面目な口調で受け応えるのでありました。
「まあ、田依里君の主催する道場と云う事にはなりますが、・・・」
 佐栗理事が後を引き継ぐのでありました。「敷居も低くして世間への体裁も考えずに、出来るなら会費も下げて、稽古好きな者が気安く集える一介の武道同好会、と云った色調で運営していく心算でおります。一応私も世話役、と云う形で参画する気でおります」
「月謝を下げたりして、先々回していけるのかね?」
 鳥枝範士が腕組みしながら訊くのでありました。
「営利は当面考えない事にします。若し運営の面で苦しいようなら、私は別途生計の道を探しますし、これまでも私はそのようにして武道を続けて参りましたから」
 田依里師範が特段気負った顔もせずに、到ってあっさりと云うのでありました。
「田依里さんは、ご家族はお在りにならないのですか?」
 花司馬教士が訊くのでありました。
「ええ、ずっと独り身で、養うべき家族は持った事がありません。ですからこの身一つが何とか食えれば、それで構わないのです」
 これは家庭持ちの花司馬教士ならではの質問と云ったところでありましょうか。
「まあ、田依里君に関しては他に仕事をしなくとも、道場だけで食えるように私の方で計らう心算です。田依里君が若し別に何処かに就職したりするならば、稽古時間にも制限が出来ますし、それでは門下生もそうそう集まらないでしょうから」
 佐栗理事が所存を述べるのでありました。
「まあ、佐栗さんが後援してくれるなら、大船に乗った気でいて大丈夫だ。これでなかなか、佐栗さんはやり手の経営者だからなあ」
 鳥枝範士がそう云ってニンマリと笑うのでありました。この佐栗理事は、娑婆では建築設計事務所を経営しているのでありました。
「いやいや、私なんぞは鳥枝さんの足元にも及びません」
 佐栗理事は苦笑しながら掌を横に数度ふって見せるのでありました。
「堂下の扱いはどうなるのでしょうか?」
 万太郎が質問するのでありました。
「堂下君は新しい道場に助力すると云ってくれております」
 田依里師範は万太郎の方に視線を向けるのでありました。
「佐栗さんの方で、堂下君も面倒を見ていただけるのでしょうかな?」
 これは寄敷範士が訊くのでありました。
「まあ、田依里君と堂下君と二人丸抱えですっかり面倒を見るとなると些か腰が引けますが、今の道場の経営状態からすれば、堂下君も、充分とは云えないまでも道場の方に専心して貰えるだろうと考えております。堂下君も自分は他でアルバイトをしながらでも協力する、と云ってくれていますので、その意気には充分報いたいと思っております」
 こう云う佐栗理事は到って篤実な人と、万太郎には見えるのでありました。こういう人が後ろに居れば、田依里師範も堂下も一先ずは安心と云うものでありましょう。
(続)
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お前の番だ! 505 [お前の番だ! 17 創作]

「興堂流が今般解散となるのならば、当然威治君の後の宗家の跡目の問題も、つまり霧消する事になるのでしょうかな?」
 是路総士が茶を一口啜ってから佐栗理事に訊くのでありました。
「そうなります。当初は興堂流を存続させるには、道分先生のご長男である道分辞大さんに跡を継いでいただこうかと云う話しもあったのですが、自分は偶々興堂流の理事の一人ではあるが、武道とはまるで縁のないところを歩んできたからと固辞されました」
 佐栗理事が序ながらと云う風に、その間の経緯を披露するのでありました。「それに宗家と云っても道分先生が望んでそう云う制度を導入したのではなく、道分先生ご逝去後の威治氏の都合で偶々そう名乗っただけで、宗家の存続は道分家としても特段望まないと云うご意見でして、まあ、そんな事情もありましたものですから、それならばいっそ、興堂流を解散しようと云う意見で理事会が一決したと云うところもありましょうか」
「ああそうですか」
 是路総士は頷いてまた茶を啜るのでありました。
「ところで、今日こうしてお伺いしたのは、興堂流を始末する決定のご報告と同時に、総士先生にお願いの儀もありましたももですから、・・・」
 佐栗理事が物腰を改めるのでありました。
「ほう、それは何でしょうかな?」
「興堂流を畳むに当たって、私共の支部の幾つかが、先の時と同じように、こちら様へ移籍したいと願い出てくるかも知れませんので、その時にはどうぞご寛容に受け入れてやっていただけないかと、そんな手前勝手なお願いもありまして。・・・」
 佐栗理事の云う、先の時、とは、威治前宗家が独立して興堂流を立ち上げた時でありましょう。その折のゴタゴタ時には敢えて移籍を希望しなかった支部が、今更節を曲げる不謹慎に目を瞑って、寛容に、受け入れて貰いたいと云う願いのようであります。
「ああ、そう云う事ですか」
 是路総士は無表情に頷くのでありました。
「しかし今となっては、興堂流と常勝流とでは技法がかなり違ってきているでしょう。こちらに移りたいと云うのなら、それを改められますかな?」
 寄敷範士が口を出すのでありました。
「そのご懸念は当然の事だと思います」
 これには田依里師範が受け応えるのでありました。「当身中心の技の体系に変えたのはこの私が張本人ですが、それは採用した試合形式に馴染むようにとの思いからでした。その時にはそうすべきとの信念があったのですが、まさかこんな仕儀になるとは、・・・」
「他流となった興堂流の技の変化をとやこう云うのではありませんが、今の興堂流の稽古に慣れた人達が、再び常勝流本来の稽古を受け入れられますかな?」
「それは移籍を希望する以上、受け入れると覚悟しての事とお考えいただいて結構だと思います。恐らく移籍を望むのは興堂流になる前の、道分先生時代からの支部が殆どでしょうし、常勝流の稽古に復帰するのに然程の難はないと私としては考えております」
(続)
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お前の番だ! 506 [お前の番だ! 17 創作]

「特に古武道に於いては、技や稽古法の不統一が流儀の乱れと考えますので、技術面では我々は大いに非寛容です。で、一応懸念を示したわけです」
 寄敷範士は目に鋭さを留めて田依里師範を見るのでありました。
「その点は移籍を希望してきた者に、厳に云っていただいて結構だと思います」
 田依里師範は寄敷範士に目礼して見せるのでありました。
「前の興堂派時代にしても、道分先生に教えていただいた技法と総本部の技法とは若干違った面もありました。それに対しても我を張らずにちゃんと修正する覚悟が必要です」
 技術の微妙な違いに戸惑った経験のある花司馬教士が横から云うのでありました。
「それも厳しく云っていただいて構わないと思います。総本部に移られて戸惑った経験のある花司馬先生が、今こうして総本部の技法に馴染んで、立派に指導までされていらっしゃるのですから、花司馬先生がおっしゃれば如何にも説得力があると思います」
「いやまあ、立派かどうかは判りませんが。・・・」
 花司馬教士はそう語調を落として頭を掻くのでありました。
「まあ、判りました。移籍の希望があったならば、良しなに取り計らいましょう」
 是路総士が結論として、受けあうのでありました。
「よろしくお願いいたします。これで支部の関係者の憂いも和らぐと思います」
 佐栗理事が是路総士に深めに頭を下げるのでありました。
「つきましては、私の方から、もう一つお願いがあるのですが、・・・」
 田依里師範が畏まるのでありました。「すぐにと云うのではありませんが、落ち着きましたらこの私がこちらに稽古に伺わせていただく事をお許しいただけないでしょうか?」
「ほう、田依里さんご自身が常勝流の稽古をされるのですか?」
 田依里師範の意外な一言に是路総士は口元に運んだ茶椀をその位置で静止させるのでありました。満座の目が、佐栗理事の目も含めて、田依里師範に集まるのでありました。
「今からでは遅いと云われるかも知れませんが、常勝流の技術にこのところ大いに興味が湧いてまいりまして。それに総本部の皆さんとこうしてお話しをさせていただいて、皆さんが修められている常勝流を、是非自分も習ってみたいと切に思ったものですから」
「まあ、武道と云うものは幾つになってから始めても遅いと云う事はありません。しかし田依里さんの場合は一派の長でいらっしゃるし、そう云う人が白帯の初心者に混じって一から常勝流を習うと云うのに、抵抗がおありではありませんかな?」
 是路総士が田依里師範の立場を気遣うのでありました。
「いえ、体裁など気にしませんし全く抵抗はありません。習う以上当然の事ですから」
「自分の門下生達に示しがつかなくなるのでは?」
 花司馬教士も気遣いを見せるのでありました。
「そんな事はありません。習いたいと思ったら、そう云った娑婆っ気は無関係の事です。若い時からずっとそんな風に、まあ、云ってみれば気儘に色んな武道の稽古をしてまいりましたし、私は一派の長である前に一人の探究者とし在りたいと考えておりますので」
 田依里師範のこの心根には一種の爽やかさが薫っているのでありました。
(続)
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お前の番だ! 507 [お前の番だ! 17 創作]

「判りました。支部への配慮にも今の言葉にも大いに感心致しました。何時でも稽古にいらっしゃい。我が常勝流総本部道場は屹度歓迎致しましょう」
 是路総士が田依里師範にニッコリと笑いかけるのでありました。
「有難うございます」
 田依里師範は深々とお辞儀するのでありました。
「ところでその後、威治君はどうしているのか、田依里さんはご存知ですかな?」
「いや、はっきりとは私も知りません」
 田依里師範はそう云って横に座っている佐栗理事の方に顔を向けるのでありました。
「私の方にも特に動静は伝わって来ませんね。必要なかったかも知れませんが、一応礼儀から、こちらからその後の組織の変更に関しては電話を入れた事がありましたが、もう自分には全く無関係な事だと云った風の、実に突慳貪と云うのか、無愛想と云うのか、そんな応対でした。ですから、その後どうしているかとか、そんな話しもしませんでした」
 佐栗理事はゆっくりと首を横にふりながら云うのでありました。
「ああそうですか」
 是路総士は目線を自分の正坐した膝の上に落として、憂いを表するのでありました。「それでは一度私の方から、家の方にでも電話でもしてみますかな」
「威治に対して、もう総士先生にはそのような配慮をなさる必要はないかと存じます」
 鳥枝範士が口を挟むのでありました。「云ってみれば自業自得で、彼奴が勝手に仕出かした不始末と帰結ですし、彼奴に関ずらわっていると碌な事がないですからな」
「そうは云いますがねえ、・・・」
 是路総士は陰鬱な表情を解かないのでありました。
「彼奴の方から連絡でもしてくれば、それから少しの憐情でも表せば良いのではないですかな。こうなった以上、後はどうなと勝手に生きて行けと、その程度に助言を与えて。ま、彼奴の事ですから総士先生に自分から連絡を取ってくる殊勝さもないでしょうがね」
 鳥枝範士は慎につれないのでありました。しかしその見こみ通り、自ら連絡をしてくる事はないのでありましたが、思わぬ辺りから威治前宗家の動静が知れるのでありました。

 さて、嘗ての興堂流は、武道興起会、と名前を改めて、任意の武道道場として再出発するのでありました。田依里師範に依れば流派ではなく、稽古の研究会と云った趣で、現状の姿や特定の技法を守ると云うよりは、新しい武道の在り方を模索し試行錯誤を繰り返しながら、将来に亘って自律的に変化していく団体だと云う事でありました。
 これは意識的に変化を許容すると云う姿勢でありますから、武道界に在っては異色と云えるでありましょうか。特に常勝流の様な古武道は守旧を宗とし、出来るだけ変化を嫌うと云う態度でありますから、それは大いに可能性を秘めた試みと映るのであります。
 さて、結局興堂流から常勝流総本部の傘下に移ってきたのは五団体でありました。それも興堂流になって新しく出来た支部ではなく、常勝流興堂派時代から既に在った支部で、常勝流の技法に既に馴染みのあったところと云う事になりましょうか。
(続)
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お前の番だ! 508 [お前の番だ! 17 創作]

 それから武道興起会と行動を共にする支部が七団体在るのでありました。その他の支部は独立の道を選んだり、ゴタゴタに倦んで解散するところも見られるのでありました。
「全く、威治のせいで常勝流が萎んだ事になったわい」
 鳥枝範士はそう云って憤慨して見せるのでありました。
「いやしかし、その後に新しく出来た総本部の支部も在りますから、どちらかと云うとあまり増減していない事になるのではないでしょうか」
 万太郎が遠慮がちに反駁すると鳥枝範士はムキになって再反駁するのでありました。
「旧興堂派も含めた常勝流を稽古していた支部は、現に減っているではないか」
「しかし減ったのは旧興堂派で、総本部としては俄然増えております」
「常勝流全体で見ると、稽古者の総人数は明らかに減っているだろう?」
 鳥枝範士はあくまでも自分の見解を押し通そうとするのでありました。
「いや、はっきりと数字を調べたわけではないですが、常勝流門下生の数は若干ながら、旧興堂派と総本部が二つ伴に存在していた頃より、増えていると思います」
「ほう。それは本当か?」
「興堂派も一応常勝流を名乗るために毎年門人の数を総本部に報告していましたから、調べれば門下生の総数はすぐに判ります。確か今は、その頃よりも増えている筈です」
「それは知らなんだな。感触として、減っているとばかり思っていた」
 鳥枝範士は一瞬全く意外だと云う面持ちをするのでありましたが、すぐに渋面を取り戻して続けるのでありました。「しかし増えているとしても、それは威治とは何の関係もない推移だ。威治が居なければ寧ろもっともっと増えていたかも知れんぞ」
「さあそれは、増えていたかも知れないし、そうでないかも知れないし。・・・」
 万太郎もあっさり引き下がらない辺りなかなかに頑固だと云えるでありましょうか。
「増えているのならそれは、ワシや寄敷さんのお蔭とは云えないから、お前とあゆみの功績だろうな。それと花司馬辺りの」
「いや僕は特段何もやった覚えはありません。あゆみさんに関しては、少年部の創設とか色々目に見えて門人獲得に貢献されましたが」
「ああそうか。少年部か。それもあったな。しかしところで、お前は何もしていないと云うが、この頃は門下生の間で、ワシや寄敷さんよりもお前の人気がなかなかのものだぞ。皆が挙って折野先生折野先生とお前の名前の連呼で、ワシなんか実に影が薄い」
「まさかそんな事はないでしょうが」
 万太郎は珍しく鳥枝範士に持ち上げられて、尻の辺りがモゾモゾとむず痒くなるのでありました。世間では、末期が近づくと気弱から人格が妙に丸くなる、と往々にして云われるのでありますが、ひょっとして鳥枝範士のこの珍しい持ち上げも、その類かと不謹慎な事をちらと考えるのでありましたが、勿論それは口に出さないのでありましたし、まあ、つまりそれくらい鳥枝範士から持ち上げられるのは珍事だと云うことであります。
 ところで威治前宗家の動静でありますが、八王子の門下生の一人から情報が齎されるのでありました。思わぬ辺りから聞かされたもので、万太郎は驚くのでありました。
(続)
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お前の番だ! 509 [お前の番だ! 17 創作]

 それに依れば、何でも八王子のとある居酒屋で、威治前宗家らしき人と瞬間活殺法の洞甲斐富貴介氏が、睦まじく呑んでいるのを目撃したと云うのであります。余人は居らず、二人だけでテーブルを囲んでいたとの事でありました。
 この二人の取りあわせに万太郎は意外の感を抱くのでありました。威治前宗家は洞甲斐氏をずっと以前より、まあ、自分の事はさて置いて、如何にも胡散臭いヤツと見做していて、どちらかと云うと極めて冷淡に接していた筈でありましたが。
 それがどうした按配か二人で睦まじく酒を酌み交わしていたと云うのであります。どのくらい睦まじかったのかは、伝聞でありますから万太郎としては確とは判らぬのでありますが、しかし傍目にそう見えたのはどちらも寛いだ様相をしていた故でありましょう。
 同病相憐れむとか、同気相求む、或いは、類は友を呼ぶ、なんという言葉が、先ず万太郎の頭の中に浮かんでくるのでありました。二人のどちらが声をかけたかのかは判らないながらも、恐らくはそう云ったところも屹度あるのでありましょうか。
 鳥枝範士は威治前宗家のその後に全く無関心でありましたが、是路総士は少なからず気にしているような風だったから、万太郎はこの情報を是路総士だけにそれとなく知らせるのでありました。是路総士もこの二人の取りあわせに顔を曇らせるのでありました。
「その八王子の門下生は威治前宗家と面識があるわけではないのですが、前に武道雑誌に写真が載っていた威治前宗家その人に間違いないと、そう云っておりました」
 万太郎は念のため、情報のあやふやさも云い添えるのでありました。
「あああそうか。しかしそれが本当だとすると、やや呆れた展開と云った趣だな」
 是路総士は眉宇の翳を濃くするのでありました。「しかし、すっかり何もかも失った威治君としては、捨てる神あれば拾う神あり、と云った心持ちだろうかな」
「と云う事はつまり、総士先生は洞甲斐先生の方から威治前宗家に接触してきた、と云う風に見ていらっしゃるのですね?」
「威治君は洞甲斐さんを全く買っていなかったし、扱い方もぞんざいなものだったから、どんなに窮したとしても、洞甲斐さんと共に、と云う選択肢はなかったろうよ」
「それならばどうして、洞甲斐先生のコンタクトを受け入れられたのでしょう?」
「貧すれば鈍する、と云う言葉もあるし。・・・」
 貧した威治宗家が鈍して、洞甲斐氏と云う拾う神の言葉にうかうかと乗って仕舞った、と云う風に是路総士は見ているようであります。と云う事は是路総士は洞甲斐氏を、あんまり好ましからざるところの拾う神だと思っているのでありましょう。
「洞甲斐先生が声をかけた真意と云うのは、どんなところに在るのでしょう?」
「まあ、そんなに深い理由があるわけではなかろう。精々威治君の名前をちょいと利用してやろうと云う程度だろうよ。あの人は深謀遠慮の人ではなさそうだし」
 確かに洞甲斐氏は事象の後先の行方に抜かりなく目線を走らせるタイプではなく、ちょっとした閃きに自分で興奮して、すぐに軽忽に動く人と云った印象でありますか。ご本人はその、閃き、に大いに高い蓋然性と自信とをお持ちのようでありますが。
「威治前宗家と云う名前は、未だ利用出来るだけ価値があるのでしょうか?」
(続)
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お前の番だ! 510 [お前の番だ! 17 創作]

「まあ、威治君の名前と云うよりは、父親であった道分さんの驍名と云うべきだな。それに今般の興堂流を辞めた経緯にしても、隠密裏に処理されたようだし、動向に一種の不可解さはつき纏うものの、未だ深い傷はついていないと見る向きもあるだろう」
「洞甲斐先生もそう云う目のつけどころで、と云うわけですね?」
「聞けば洞甲斐さんは興堂流を辞してからは、自宅の道場で細々と、まあ、あの人なりの武道を続けているのだそうだが、なかなか人も集まらないようだし、ここは一つ道分さんの遺児である威治君と組む事に依って、世間の耳目を引こうと云う企みなのだろう」
「興堂流を仕くじった者同士で、過去の様々な因縁は綺麗に水に流して、新たに二人手を組んでこれから起死回生を狙う、と云う寸法ですか。・・・」
 万太郎にしては、これはやや皮肉な云い草と云えるでありましょうか。是路総士はこの万太郎の云い草に対しては、特に反応を示さないのでありました。
「洞甲斐さんと何かを企てても、威治君にはあんまりプラスにはならないだろう」
 是路総士は陰気な声でそう云うのでありました。「折野、然程にそっちの方に力を入れる必要はないが、八王子に行った折とか、少し二人の動向に気をつけておいてくれんか」
「押忍。承りました。少し探ってみます」
 万太郎は了解のお辞儀をするのでありました。
「ま、あんまり熱心にやる必要はないぞ。それとなく、で構わんからな」
 是路総士は万太郎の過剰な意気組みを抑えるためにかそう云い添えるのでありました。しかしそうは云われても、是路総士直々の依頼なのでありますから、徒や疎かには出来ないと万太郎は腹の中で褌の紐をキュッとややきつ目に締め直すのでありました。

 直近の八王子への出張指導がある日、万太郎はその日助手につく事になっている片倉に、ちょいと用があるからと云い置いて一人で先に総本部道場を出るのでありました。具体的な探りの手立てを未だ何も考えているわけではなかったから、取り敢えず洞甲斐氏の道場の様子でも実見しに行ってみるかと思っての事で、万太郎はそろそろ夕方に差しかかって日中よりも人通りの増えた道を、仙川駅に向かって足早に歩くのでありました。
 洞甲斐氏の自宅兼道場は西八王子駅から少し離れた辺りに在って、万太郎はポケット判の多摩地方の地図を頼りにそこを訪ね歩くのでありました。南浅川と云う川を渡ってすぐの処に八王子剣道連盟の道場があって、洞甲斐氏の道場はそこより未だ先の、崖下の住宅地が切れて家屋も疎らになった寂しい辺りにあるのでありました。
 それは廃屋とまで云わなくとも相当の年月風雪に耐えてきたような、ある種の趣のある木造建物で、如何にも立てつけ悪そうな玄関引き戸の脇に、日本真武道洞甲斐流道場、と云うのと、大宇宙の意志研究所、と云う何とも怪し気な看板が並べて掲げてあるのでありました。宇宙の意志研究所、の方は建物と同じくらいの年月を経てきたような、墨の文字も掠れた木札でありましたが、日本真武道洞甲斐流道場、の方は段ボール片に黒の極太マジックインキ書きで、鋲で四隅を止めているだけの至って簡素なものであるのは、今般興堂流を仕くじった後に、新たに緊急に掲げ変えたためと推察されるのでありました。
(続)
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