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もうじやのたわむれ 5 創作 ブログトップ

もうじやのたわむれ 121 [もうじやのたわむれ 5 創作]

 閻魔大王官はそんなちまっとした応えを返すのでありました。
「そんな事にその巻物を使って良いのですか?」
「なあに、構いはせん。どうせ飾りの小道具なんじゃから」
 閻魔大王官はそう云ってから、広げた巻物を両手でくるくるとまた巻き戻すのでありました。「こんな物は消耗品なんじゃし、若し欲しかったらお手前に進ぜようか?」
「いや、それは拙いでしょう。それに幾ら飾りとは云え、大王官さんが持ってこその、如何にもそれっぽい飾りなのですから」
「まあ、こんな物をお手前が持っていても、邪魔になるだけか、確かに」
 閻魔大王官は云いながら巻き戻し終えた巻物を軽く放り上げて空中で一回転させて、それをまた上手に掌の上に受け止めるのでありました。
「後ろの補佐の方々が持っている巻物も、飾りの小道具なんでしょうか?」
 拙生は先程地蔵局の役人ともめた時に拙生の横に来て、丁寧な口調で拙生を諌めた、一番年嵩らしい補佐官の顔を見ながら聞くのでありました。
「ええ、私等の持っている巻物も装飾品です」
 その補佐官が笑いながら云うのでありました。「大昔にはこれに亡者様の罪状なんぞが書き記してあったのですが、しかし今はもう特に亡者様を審理する事もありませんので、なにも書いてはありません。まあ、手持無沙汰を慰めるために持っているようなものですね」
「矢張り、葱一束とか日本酒とか、書いてあるのでしょうか?」
「いやいや、私のは休息時間中の徒然に、頭に浮かんだ俳句なんぞが書いてあります」
「ほう、俳句をおやりになるのですか?」
「ええまあ。それが私の唯一の趣味なので。まあ、駄句ばかりしか作れませんけど」
「一つご披露願いたいものですな」
「いやいや、もう本当に私の吐くものなんかはつまらない句ばかりで、人様に、いや違った、亡者様に披露する勇気なんぞは全く持ちあわせておりませんから」
 補佐官は顔の前で掌を何度もふって頭を下げて恐懼するのでありました。
「そう云わずになにか一つ」
 拙生は尚も強請るのでありました。
「そうですか、それではまあ」
 補佐官が満更でもない顔をしてそう云いながら、手にしている巻物を広げるのでありました。「ええと、はるさめ、と云うお題でものしたやつですが」
 補佐官はそこで咳払いを一つするのでありました。「船底を、・・・」
「ほう、船底を、・・・」
「船底を、・・・ガリガリ齧る春の鮫」
 拙生はあまりの下らなさにたじろいで、吐く息を思わず止めるのでありました。それにその句は娑婆で聞いた事があるのでありました。確か上野の鈴本演芸場で聞いた、春風亭柳昇師匠の『雑俳』という落語に出てくる句であります。
「うーん、他には?」
(続)
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もうじやのたわむれ 122 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「そうですねえ」
 補佐官が巻物の上で目線を左右にふるのでありました。「では、さるすべり、と云うお題でものした句ですが、・・・」
「ほほう、さるすべり、ですか」
「狩人に、・・・」
「うんうん、狩人に、・・・」
「狩人に、・・・追っかけられて猿滑り」
 予想通りの句でありました。
「味わい深い魅力的な句ですが、何やらややこしいですね」
「いやね、山で猿が狩人に追いかけられて、それで慌てたものだから、猿が間抜けにもツルっと濡れた岩の上を滑って怪我をしたという、ちょっと刃傷物です」
 すっかり柳昇師匠の『雑俳』その儘であります。
「他に、ふくじゅそう、と云う題で、福寿荘お二人さんで一万円、とか、朝顔、と云う題で、朝顔を洗うは年に二三回、とか云う句が、きっと書いてあるのでしょうね、その巻物の中には。それと、初雪や裏の窓開けしょんべんすれば、なんと云うヤツとか」
「お、どうして私の句を一々ご存知で?」
「娑婆の落語に既にあります。春風亭柳昇師匠とかがよくやられていた『雑俳』です」
「おお、こう云う句を捻られた方が、既に娑婆にいらしたのですか!」
 補佐官が大袈裟に驚くのでありました。
「こちらにいらっしゃいませんかな、春風亭柳昇さんと云う落語家さんが?」
「いや、そう云う方は存じ上げません。テレビでも寄席でも見た事もありません」
 まあ、柳昇師匠もこちらに来られてそれ程経っていないのでありましたから、未だ落語家になっておられないのかも知れません。いや彼の師匠が、こちらの世でも落語を志されているのかどうかも判らないわけではありますが。
 補佐官は柳昇師匠を知らないと云うし、その『雑俳』も聴いた事がないとすると、補佐官の捻った句が、彼の師匠が娑婆時代に得意とされた落語の中に出てくる句と符合すると云う事は、一体どう云う事態なのでありましょうか。これも全くの偶然なのでありましょうか。しかし全くの別人、いや、別人霊、いやいや、別人鬼と云うべきか、兎に角、そう云う二個の個性が、互いの住む世の交渉が全然ないのに、こんな文言まで同じに句を作る事があり得るのでありましょうか。拙生は腕組みをして、暫し思案するのでありました。
「娑婆の柳昇師匠と、柳昇師匠を全くご存知ないこちらの世の補佐官さんが、全く同じ句を捻り出すと云う現象は、いったいどう云う按配でそうなったのでしょうか?」
 拙生はそう、補佐官に向けるとも、閻魔大王官に向けるともつかない目線で、問いの言葉を発するのでありました。
「どう云うわけじゃろうのう」
 閻魔大王官が顎髭を扱きながら云うのでありました。「まあ、色々な理由が考えられるじゃろうが、どの理由も、これだ、と云う決定打ではなさそうにも思えるしのう。・・・」
(続)
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もうじやのたわむれ 123 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「その色々の中で、最も妥当と思われる理由とはどのようなものでしょうかな?」
 拙生は、今度は閻魔大王官に視線を据えて聞くのでありました。
「まあ、この補佐官が前に何処かの居酒屋で日本酒を一献酌み交わしながら、同好の友達と俳句の話しやらをしていたとするわいな。その折り、その友達が比較的最近の娑婆の事情に詳しい仁で、春風亭柳昇師匠とやらの件の落語を知っていて、それをこの補佐官に紹介したとするわいな。酒の席での四方山話の中の一つの話しでもあるし、明くる日になったら、この補佐官はその落語の話し等すっかり忘れて仕舞うたとするわいな。かなり暫く経って、一句捻ろうとしていたらふと、その時その友達から聞いた柳昇師匠とやらの句が、その友達に聞いたと云う事自体も失念した上で、どうした按配か頭の中に電気がついたようにポワンと浮かんだとするわいな。で、補佐官当人はそれが前に友達に聞いた、柳昇師匠とやらの落語に出てくる句であると云う認識も当然ない儘に、自分の全くの思いつきの句であると云う積りで、この巻物に書き留めておいたなんと云う理由は、どんなものかいな? これはちょいと、推理としてはまわりくどいと云うきらいはあるかも知れんがのう」
「ははあ、成程。しかしその理由で、一字一句同じに、句が捻られるものでしょうか?」
「捻られるかも知れんし、捻られないかも知れんなあ」
 閻魔大王官はそう自信なさ気に云って、顎髭を鷹揚に扱き続けるのでありました。
「補佐官さんにお聞きしますが、頭の中で、ポワンと電気がつきましたか?」
 拙生は補佐官の方に視線を向けて聞くのでありました。
「いや、電気は全くつきませんでした。なにせ私は非才なものですから、句を捻る時は何時も四苦八苦しておりまして、これは別の言葉で云い換えるならば暗中模索と云った状態なものですから、つまり要するに暗い儘と云う事になります。電気はつきません」
「ああ成程。上手い」
 拙生はそう云って小さな拍手を補佐官に送るのでありました。「嘗て友達と、娑婆の落語の話しをしたと云う記憶はおありで?」
「ありませんなあ。私は落語とか演芸には然程興味がありませんから」
「補佐官さんはこう云っておられますが?」
 これは閻魔大王官の方に顔を向けて云う拙生の科白でありました。
「おいおい、ここは四の五の云わずに、そうかも知れませんとかなんとかシレっと云っておれば、この話しはこれでお仕舞いに出来たものを。この、気の利かん馬鹿たれが」
 閻魔大王官が舌打ちをしながら後ろをふり返って、件の補佐官を睨んで、そう恨みがましく叱責するのでありました。
「ああ、申しわけありません。大王官殿のそんな了見をまるでお察し出来ませんで」
 補佐官が頭を何度も下げながら謝るのでありました。
「まったくもう、そんな鈍感でよくワシの補佐官筆頭が務まるものじゃのう」
 閻魔大王官はそう愚痴りながら、顔をゆっくり拙生の方に戻すのでありました。「さすればこう云う理由なんぞは、どうじゃろうかのう?」
 閻魔大王官は顎ひげを三回扱いて、拙生に新推理を開陳しようとするのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 124 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「いや、それはどうでしょうかねえ」
 拙生は首を傾げるのでありました。
「おいおい、未だ何も云うてはおらんぞい」
 閻魔大王官が拙生のボケに適切なツッコミを入れるのでありました。
「ああ、これは失礼を致しました」
 拙生は自分の頭を拳で軽く叩くのでありました。
「この補佐官は落語や演芸には興味がないなんぞとしらばくれておるが、実は秘かなその方面の大変な通であってじゃな、娑婆の春風亭柳昇師匠の事もその落語も、ちゃんと知っておって、どうせこちらの世では簡単にはバレまいとたかを括って、不謹慎にも軽い出来心で剽窃を働いて仕舞ったなんと云う、こんなところで手を打たんかのう。つまり要するに、盗作を仕出かしたちゅう事じゃな。この補佐官の無神経面を見ておれば、そう云う、目の粗い不貞々々しい真似を仕出かすかも知れないと、お手前も思わんじゃろうかのう?」
「ああ、成程ねえ。そう云う事ですかねえ」
 拙生は大袈裟な深刻顔で首肯するのでありました。
「あのう、お二方の会話に割りこませて頂きますが、・・・」
 補佐官筆頭が横あいから、そう口を挟むのでありました。「私は決して剽窃を働いたのではありません。第一本当に私は落語にも演芸にも興味がない堅物なのですから」
「その堅物を証明する事は出来ますか?」
 拙生は、犯人の表情の変化を見逃さない取り調べの刑事のような目線で、補佐官筆頭の顔を見据えながら聞くのでありました。
「私の同僚の誰にでも確かめて頂いて構いませんよ、私が嘗てそう云う類の話題を持ち出したり、そう云う類の話しに乗ったりした事があるかどうかを」
「いや、それで貴方がそう云う方面への興味もないし、造詣もさして深くないと云う証言が得られたとしても、それは貴方の韜晦の姿で、実はひた隠しに隠しているなんとと云う事もあり得ますからね。同僚さんの証言だけでは、俄かには信用出来ませんね」
「いやいや、なんで私がそんなまわりくどい真似をしなければならないのでしょうか?」
「いやいやいや、柳昇師匠の句を確信犯的に剽窃するためにですよ」
「いやいやいやいや、そんな事をして何の意味があると云うのでしょうか?」
「いやいやいやいやいや、・・・」
「もうええ、ちゅうねん」
 閻魔大王官が拙生と補佐官筆頭のいやいやの言葉の交換に、丁度良い呼吸でツッコミを入れてくれるのでありました。前の審問室での拙生と審問官と記録官との遣り取りと同じ、かけあい漫才みたいな遣り取りがここでまた再現された事に、拙生はえも云われぬ、して遣ったり感と云うのか、にんまり感というのか、そんな心地よい満足を覚えているのでありました。地獄省にはなかなか話しの通じる、捌けたお調子者、いや、お調子霊と云うかお調子鬼と云うか、そんな連中が揃っているようであります。堅物と自称する補佐官筆頭ですらこうでありますから、拙生が地獄省を選択した事は、全く以って正解でありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 125 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「私がこの巻物に句を書き留めるのは、単なるフワッと思いついた句を忘れないための、全く個人的な備忘録としてでありまして、もし大王官殿の今云われた理由からであるなら、ここに態々書きこむ必要はないわけじゃないですか。もう既にちゃんと知っているのですから。それに第一、私の句作は単なる趣味でありまして、ただ作ってそれで自分で満足するだけで、誰かに作った句を褒めそやされたいとか、投稿雑誌とかに発表したりする了見なんちゅうものは全くございませんです。私が私の句を今詠みあげたのは、偶々亡者様のご所望があったので、恥ずかしながらお披露目したというだけでありますよ。因って、その柳昇師匠の落語にある句を、確信犯的に剽窃する意味なんぞは何処にもございません」
 補佐官筆頭は落ち着いて云いわけをするのでありました。
「そう云われれば、お主の趣味が句作であると云うのは聞き知ってはおったが、その作った句を聞かして貰った事は、確かに今まで一度もなかったのう。今が初めてじゃ」
 閻魔大王官はそう云って、扱いた顎髭を人差し指に絡めながら頷くのでありました。
「先にも申しました通り、私なぞは駄作一本槍ですから、大体は作った句は人前には晒しません。一人で思いついて一人で推敲して、一人で悦に入っているだけでありますよ」
「成程、そうかいの」
「ご理解を得たようで、恐悦であります」
 補佐官筆頭は閻魔大王官の背中に向かってお辞儀をするのでありました。
「では、先程申したワシの推理はなしと云う事にしようかのう」
「そうなると、補佐官さんの作った句と、娑婆の上野の寄席で聴いた柳昇師匠の落語の中の句が全く同じになった理由は、これは一体全体どう云う不思議なのでしょうね?」
 拙生は質問をふり出しに戻すのでありました。
「偶然じゃろう」
 閻魔大王官はげんなりする程あっさり云うのでありました。
「いやいや、偶然にしては微に入り細に入り一致し過ぎていると思うのですが」
 拙生は尚も食い下がるのでありました。
「いやいやいや、それが偶然の恐るべきところじゃな」
「いやいやいやいや、そう云うぼんやりした理由ではなくて、もっとあっと驚くような明確な理由がありそうな気が、私はするのですが」
「いやいやいやいやいや、・・・」
「もうええ、ちゅうねん」
 補佐官筆頭がそう控えめな声でツッコんで、手にしている巻物で閻魔大王官の冠の乗った頭を軽く打つのでありました。
「あ痛あ!」
 閻魔大王官はそう云って両手で冠を押さえて、後ろをふり返るのでありました。補佐官筆頭は笑いながら、しかし丁重に閻魔大王官に向かって頭を下げるのでありました。
「結構なツッコミじゃったわい」
 閻魔大王官は満足そうな顔で云いながら、ゆっくり顔を元に戻すのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 126 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「してみると、考えられる理由は他には何かないのですかな?」
 拙生は閻魔大王官に向かって質問を繰り返すのでありました。
「そうじゃなあ、・・・」
 閻魔大王官はそう云って顎髭を拙生の方に突き出して、暫し天井を向くのでありました。「ああ、そう云えばお主、その句は何時作ったのじゃ?」
 また後ろをふり返って閻魔大王官は補佐官筆頭に聞くのでありました。
「ええと、何時でしたかなあ、・・・」
 補佐官筆頭は考えるように小首を傾げるのでありました。「手前の方に書き留めているのですから、ごく最近の事ではないとは思いますが、・・・」
 補佐官筆頭は衣の片袖の中に巻物ごともう片腕を突っこんで、腕組みをしながら頭を左右にゆっくり動かすのでありました。
「どうじゃな、思い出したかの?」
「ああ、そうだそうだ、思い出しました」
 補佐官筆頭が腕組みを解くのでありました。「この辺の一連の句は、準娑婆省に出張に行っていた時に考えついたものです。ちょいと前で、もうかれこれ二十年かそこいら経ちますかなあ。あの時の出張は確か、ここでの審理結果に亡者様の希望が反映されなかったと云う事態が発生したので、亡者様が娑婆に戻る事になって、その調整のために準娑婆省へ出張したのでした。どうして反映されなかったかと云うと、大王官殿が審理書類を、・・・」
 補佐官筆頭がそこでたじろいだ物腰を見せて云い澱むのでありました。拙生は心中で、ははんと思い当たるのでありました。それは前に審問室で審問官と補佐官から聞いた、この香露木閻魔大王官が審理の決裁書類を、亡者の希望する生まれ変わり処の箱にちゃんと入れなかったものだから、その亡者が娑婆に戻る事になったと云うあの一件であります。屹度その尻ぬぐいのために、補佐官筆頭が準娑婆省に行くはめになったのでありましょう。
「おや、お主は準娑婆省に出張に行ったりするのかえ?」
 閻魔大王官が体を後ろに捻った儘、手にしている巻物の先で補佐官筆頭の顔を指し示すのでありました。その姿勢がえらく窮屈なためか、閻魔大王官はすぐに巻物を持った手を下げて、体の捻りも少し解くのでありました。
「ええ、まあ、・・・」
「準娑婆省なんぞに、何の用事があるのかえ?」
「いや、その、大した事ではなかったのですが、まあ、些細な案件で、・・・」
 補佐官筆頭は愛想笑って、閻魔大王官に大いに気を遣う気配を見せるのでありました。
「準娑婆省なんぞに、地獄省閻魔庁の上級職員が特段用事もなかろうに」
「ええ。まあ、そんな重大な用事ではなかったのですが、まあ、その、ちょっと、・・・」
 閻魔大王官は無責任にも、自分が時折犯すところのミスの自覚がどうやら全くないようであります。補佐官筆頭の方も閻魔大王官に気兼ねして、その御機嫌を損じてはいかんと、ミスを指摘する了見は更々持ちあわさない様子であります。結構深刻且つ重大なミスであろうと思われるのでありますが、それを弾劾するのは憚られる行為なのでありましょうか。
(続)
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もうじやのたわむれ 127 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「まあ、お主の出張の目的の委細はこの際どうでもエエとするかいの」
 閻魔大王官は全く呑気に、その目的に頓着しない風情で云うのでありました。「その準娑婆省への出張は、何処に出張したのかえ?」
「ええ、準娑婆省政府肝煎りで設立された、娑婆交流協会と云うものが向こうにありまして、そこの会長さんの処へ行ったのです」
「娑婆交流協会? あんまり聞かん団体じゃのう」
「むこうの連中が娑婆にちょっかいを出して面白がる場合に、一定の規制に従って手出しさせるための監視団体であります。無闇矢鱈と色んな連中がちょっかいを出すのを整理して、娑婆の方にあんまり迷惑をかけないようにしようと云う、準娑婆省の良心的自己抑制機関ですな、云ってみれば。一応、霊間団体の体裁をとっておりますが、協会幹部の殆どは準娑婆省の行政庁官僚が兼務しておるのが現状です。娑婆にちょっかいを出す場合は、その交流協会が推薦して、準娑婆省当局が発行するちょっかい免許が必要となるのです」
「その、霊間団体、と云うのは娑婆で云えば、民間団体、ですね?」
 拙生が聞くのでありました。
「はい正解!」
 補佐官筆頭が片手に持っている巻物を宙に放り上げて、それが手に落ちてくる間に素早く、放り上げたその手でピースサインをして、次の瞬間には巻物を上手にキャッチするのでありました。なかなか器用な真似をする補佐官筆頭であります。
「その交流協会の会長さんとやらは、何と云う名前のお方かいの?」
「ええ、大岩さんと云う女性の方です」
「お岩さん?」
 これは拙生が訊いた言葉でありました。
「いや、大岩さんです。もうかなり高齢の女性なのですが、何故か妙に下ネタがお好きで、会話の端々に艶っぽいワイ談なんか挿入されましてね、なかなか捌けた魅力的なお婆さんですよ。娑婆にいらした頃は、新宿だったか池袋だったか上野だったかにお住まいになっていたと伺いました。趣味は四谷公会堂で落語を、特に怪談噺を聴く事だったそうです」
「・・・、公会堂四谷ワイ談、の、お岩さん」
 拙生は小声でそう独り言を云うのでありました。
「なんですか?」
 拙生の独り言に、補佐官筆頭が引っかかるのでありました。
「いや、何でもありません」
 拙生は頭を掻きながらもじもじと下を向くのでありました。
「その大岩さんと云う婆さんも昔、娑婆にお娑婆ら、いや、おさらばして亡者となった後、こちらへ来ずに準娑婆省に留まったクチかいの?」
「はい。そのように伺いました」
「向こうに居る鬼類ではないのじゃな?」
「いや、亡者出身の方だそうです。もうあと数年で、鬼としての籍を取得出来るそうです」
(続)
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もうじやのたわむれ 128 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「ちょっとお話しの途中で失礼致しますが」
 拙生は話の腰を折るのでありました。「今、四谷公会堂と仰いましたが、そんな施設が娑婆の新宿区四谷にありましたかね?」
「おや、ありませんでしたか?」
 補佐官筆頭が拙生にひょいと眉を上げて見せるのでありました。
「多分、なかったように思いますが」
「渋谷公会堂でしたかな、そうすると」
「渋谷公会堂では落語はやらないでしょう」
「ああ、そうですか。なにせ前の事で、その辺はあやふやにしか覚えておりません」
「いやまあ、ひょっとして何処か別の処に、四谷公会堂と云う名前の施設が在るのかも知れませんがね。例えば東京の府中市にも四谷と云う地名がありますからね」
「私は娑婆の事情には疎いもので、施設名が間違っていたらご容赦ください」
 補佐官筆頭はそう云って拙生にお辞儀するのでありました。
「いやね、態々、四谷公会堂、なんと仰ったのは、実は、東海道四谷怪談、まあ、公会堂四谷ワイ談、となりそうですが、兎に角そう云う地口をなんとか成立させるための、些か無理矢理の言葉のふり当ての意図を隠して仰ったのではないのですかね? ちょいとそう勘繰ったものですから、無粋は重々承知の上で、敢えてお聞きいたしますがね」
「何の事でしょうか?」
 補佐官筆頭は全くクールにそう云って、惚けた顔をするのでありました。
「いやまあ、何でもないと云えば、何でもありませんけど。・・・」
 拙生は呟いて補佐官筆頭から目を逸らすのでありました。
「お主がその大岩さんとやらと面接した折、他には誰ぞおらんかったかいの?」
 閻魔大王官が拙生の言葉が終わるのを待って、補佐官筆頭に訊くのでありました。
「ええと、どう云う技術部門かはもう失念して仕舞いましたが、兎に角、技官をしておられると云う亀屋東西さん、この方は娑婆では鶴屋南北と云うお名前でいらしたそうですが、その方と、後は大岩さんの秘書をしておられると云う、林家彦六さんと云う方が一緒にいらっしゃいました。それに準娑婆省の政府筋の方で、大酒吞太郎さんと云う方です」
「大酒呑太郎かいの」
 閻魔大王官がそう名前を復唱して、数度頷くのでありました。
「大王官殿はその方をご存知で?」
「おう、知っておるわい。そいつは昔、この閻魔庁でワシの同僚じゃった男じゃ」
「閻魔庁で同僚だった方?」
「そうじゃ」
「大酒呑太郎さんは、昔は地獄省にいらしたのですか?」
「そうじゃな。なかなか優秀なヤツで、ワシの出世競争の好敵手じゃったわい」
「それがなんで、現在は準娑婆省にいらっしゃるのでしょうか?」
 補佐官が後ろから身を乗り出して、閻魔大王官の横に顔を近づけるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 129 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「それがな、その名前の通りヤツは大酒呑みでな、その酒が原因で、補佐官をしておる時に忘年会かなにかの折り、省家的大失態を演じてしもうてな、閻魔庁を馘首されて、それで自棄になったようで、竟には地獄省を出奔して仕舞うたのじゃよ」
「忘年会で大失態、ですか?」
「日頃から仕事でも私生活の面でも憂さが溜まっておったのじゃろう。すっかり酩酊して、ちょっとした言葉の行き違いから、複数の閻魔大王官を纏めてぶん殴って仕舞うたのじゃ」
「そんな大それた事を仕出かしたら、それは懲戒免職にもなりますかなあ」
 補佐官筆頭が眉根を寄せるのでありました。
「まあ、極楽省に逃げる事は出来んから、そうなると後は準娑婆省しか行く処がないでのう。そいで三途の川往来の返り船で密航したのじゃ。恒常的に霊口増加の見こめない準娑婆省では、閻魔庁へ行きたくない亡者の違法滞在も、地獄省やら極楽省からの亡命も大歓迎でな、而も地獄省と準娑婆省の間には犯罪霊引き渡し条約なんぞも締結されておらんから、大酒のヤツもまんまと亡命に成功したと云うわけじゃ。それに由緒正しい地獄省閻魔庁の元職員だったと云う経歴で、準娑婆省ではえらく優遇されておるらしゅうて、なんでも向こうの政府機関の要職に就いておると、風の噂に消息を聞き及んでおったのじゃが」
「ふうん、そう云う方だったのですか、あの大酒呑太郎さんは」
 補佐官筆頭がそう云いながら、屈していた上体を起こすのでありました。「あの出張の折、その大酒さんの趣味が俳句とか俳諧だとか川柳と云うので、年齢は随分離れているのですが、私とは妙にしっくりいきましてね、色々楽しい話しなんかを聞かせて頂きました」
「ほう、あの大酒の趣味が俳句かいの」
「ええ、なかなか勉強されているようで、色々蘊蓄をお聞かせいただきましたよ」
「あの男は実用主義一点張りの無粋な男と云う印象じゃったがのう。準娑婆省に行ってから、そう云う趣味を嗜むようになったのかいのう」
「まあ、ご自作の句は謙遜からかご披露頂けませんでしたが、拝聴した俳句や俳諧批評とか芸術論的なお話しは成程と唸るような内容でした」
「大酒は妙に凝り性な面があったからのう。まあ、凝り性と云うのか偏執的と云うのか」
 閻魔大王官が拙生の頭上の天井辺に徐に視線を馳せながら、往時の大酒氏の様子を思い出すような素ぶりをするのでありました。
「今後の私にとっても、大いに参考になる俳句論でありました」
 補佐官筆頭も閻魔大王官の後ろで、天井の同じ辺りに視線を向けるのでありました。
「その大酒の俳句に関する話しは、交流協会の中で聴いたのかえ?」
「いえ、仕事が終わって、件のお四方で私のちょっとした歓迎の宴を設けてくださいましたので、その席で伺いました。娑婆交流協会の建屋近くにある繁華街の居酒屋でした」
「大酒はその宴席では暴れんじゃったかの?」
「いえ、穏やかに冗談も仰いながら、私等に差された分だけ猪口を傾けておいででした」
「アイツも歳じゃから、前みたいに浴びるようには呑まんようになったのかいのう」
 閻魔大王官はそう云って、天井から視線を水平位置に戻すのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 130 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「どちらかと云うと慎ましやかな召しあがり方でした」
「それにつけても、その俳句とか俳諧の話しじゃがな」
 閻魔大王官が再び後ろの補佐官筆頭の方に上体を捻るのでありましたが、その窮屈な姿勢に辟易してゆっくり体を元に戻しながら続けるのでありました。「ところでお主、ワシの後ろにいないで前に回って来てくれんかの。一々後ろを向くのはしんどうて叶わんでのう」
 そう請われて、補佐官筆頭が文机をぐるっと回って拙生の隣に立つのでありました。
「ここで宜しゅうございますか?」
「ほい、結構々々」
 閻魔大王官が頷くのでありました。「その大酒との俳諧の話しの内容じゃが、どんな事を二人して話したのじゃな? ワシはあんまりそっちの方面には詳しくはないから、大まかなところだけちょこっと掻い摘んで、按配良う云うてみい」
「そうですねえ、まあ大いに為になったのは、句作についての具体的なご教示を、私が大酒さんから頂いたと云った事でしょうかねえ」
 補佐官筆頭がそう云いながら、その時の宴の様子を思い出そうとして天井を向くのでありました。その動作に閻魔大王官も釣られて上を向けば、拙生も同じように釣られて、補佐官筆頭が眺めている天井の一点に目を向けるのでありました。
「専門的なところは抜きにして、あくまで掻い摘んで頼むぞい」
 閻魔大王官は上を向いた儘、念を押すのでありました。暫くの間天井を見上げていた補佐官筆頭が徐に目線を閻魔大王官の方に戻すと、その気配を察して、閻魔大王官の拙生も顔を元の位置に戻すのでありました。丁度首がくたびれ始める頃あいでありました。
「大酒さんがお題というか、季語を幾つか挙げられまして、その季語を詠みこんだ句を私が色々考えてみるなんと云う事をやりましたね、確か」
「そのお題とは?」
 閻魔大王官が首を摩りながら訊くのでありました。
「その時に頂いたのが、先程私が披露した、狩人に追っかけられて猿滑り、と云う句の、百日紅、でしたし、福寿草、でしたし、春雨、でしたし、朝顔でしたし、初雪でした」
「その場で先程披露して貰うた句を、お主はすぐに作ったのかえ?」
「いや、ああでもないこうでもないと色々二人で推敲致しました。狩人、の句は最初は、私は、さるすべり、ウチの庭木にそれはない、としました。すると、それではその句を詠んだ主体の孤立した儘の情緒が閉鎖的完結的に、呑気に知覚表象されているに過ぎないので、古いスコラ哲学的本質存在と云う残滓の中から一歩も新しい地平に踏み出していない。全体が在ってこその個であるとか、関係的存在としてしか個は生きられないと云う我々の実在本質への洞察とか、その本質への苛立ちとかルサンチマンとか、我々が秘め持つところの一種の恐怖とかが句から漂ってこないので、その句の芸術性は低いでしょう、なんと大酒さんがなにやら小難しい事を仰い出しましてね、私はたじろぎましたよ。その大酒さんの仰る事は全くチンプンカンプンだったのですが、そこはまあ一応礼儀から、ははあ、なんとこちらも小難しそうな陰鬱な顔で、眉間に皺を寄せて無難に愛想をしていたのです」
(続)
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もうじやのたわむれ 131 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「その、さるすべりの句に関しては、話しはそれでお仕舞いになったのかえ?」
 閻魔大王官が顎髭を扱きながら訊くのでありました。
「そうですね。もう一捻り考えて、今度こちらに出張して来た時に会心の句をお披露目いたしましょう、どうせまたウチの閻魔大王官の失態、・・・いやまあ、何です、その、・・・閻魔大王官のご用事で、すぐこちらに来る要件が出来るでしょうから、なんぞと私が申し上げて、それで次のお題を大酒さんから頂いたのです」
「ん? ワシにはお主を準娑婆省に出張させる用事なんぞは何もないぞい」
「そっちに用事がなくても、どうせまた例のミスを仕出かしてくれて、こっちが尻拭いにまたすぐ出張する羽目に陥るんですから。・・・」
 補佐官筆頭が閻魔大王官にはちゃんと聞き取られないように、口を遠慮がちにモゴモゴと動かして、籠った小声でげんなりした語調でそう云うのでありました。横で聴いていた拙生には、はっきりその補佐官筆頭の言葉が聞こえるのでありました。
「なんじゃな、よう聴き取れんかったが?」
 閻魔大王官が片耳を補佐官筆頭の方に差し出すのでありました。
「いえ、何でもありません」
 補佐官筆頭は愛想笑いながら、顔の前で巻物を横にふって見せるのでありました。
「まあ、ええわい」
 閻魔大王官はそう云ってあっさり、出した片耳を引こめるのでありました。「それで、次に出たお題は何じゃったのじゃ?」
「はい、ふくじゅそう、でした」
「それで、福寿荘、お二人さんで一万円、と云う句をお作りになったのですか?」
 これは拙生が補佐官筆頭に訊いた言葉でありました。
「いえその時は、福寿の相、薄情そうで不審そう、なんと云うのを捻りました」
「なんだか意味不明のややこしい、ちっとも味わい深くもなんともない句じゃな」
「私の友達に福寿と云う姓の男がおりましてね、そいつの面相がなんか酷薄そうで陰鬱そうで、云ってみれば典型的な不審者の面でありまして、まあ、根は良いヤツなんですが、急にそいつの顔が思い浮かんだものですから、韻を踏みつつそう云う句を捻ったのです」
 補佐官筆頭が頭を掻きながら説明するのでありました。
「ふうん。まあ、良いわ。で、大酒はその句にも小難しいいちゃもんをつけたのじゃな?」
「まあ、そうです。で、これもまた捻り直しておきますとなりました」
「その後に出たお題が、朝顔、ですか?」
 拙生が訊くのでありました。
「そうです。これはですね、鉄人の、寝覚めの一声朝ガオー、なんと云うのを吐きました」
「うーむ、下らないにも程があるというものじゃ」
 閻魔大王官が鼻を鳴らすのでありました。
「大酒さんにもそう云われました。それに随分間抜けな句ですねとも」
 補佐官筆頭が呑気な顔でその時の遣り取りを披露するのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 132 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「で、その後に、初雪とか朝顔とか云うお題が出たのですね?」
 拙生が訊くのでありました。
「そうです、先ずは初雪でした」
「ちなみに最初はその季語でどのような句を詠まれたのでしょうか?」
「初雪や、方々の屋根が白くなる、と云うやつです」
 それも『雑俳』で、御隠居から、初雪や、二の字二の字の下駄の跡、とか、初雪や、犬の足跡梅の花、とか云う句を紹介されて、見た目その儘を詠めと諭された八つぁんが吐いた句でありましたかな。まあ、誰でも考えつきそうな句であります。そう云えば三代目金馬師匠の『雑俳』では、初雪や、胡瓜転んで河童の屁、なんと云う妙な句もありましたか。
「当然それも再度捻り直して、と云う事になったのでしょうね?」
「その通りです」
「こうして聴いておると、お主には俳句の才能なんと云うものは、全くと云って良い程ないようじゃな。素人のワシが聴いても、実に以って下らない句ばかりじゃ」
 閻魔大王官がそう云って、補佐官筆頭においでおいでをして、その近づけられた補佐官筆頭の頭の冠を巻物で軽く叩くのでありました。
「面目ない次第であります」
 補佐官筆頭は打たれた冠に両手を添えて、閻魔大王官にお辞儀をするのでありました。
「まあ、お主の俳句の才能は置くとして、その宴席の後、どうなったのかえ?」
「ええ、大岩さんにもう一軒行こうと誘われたのですが、俳句好きの私としましては、宴席で大酒さんから頂いたお題が気になって気になって、その後もう一捻り捻り直したくなったものですから、お誘いをお断りしてお四方と別れて一人で宿に帰ったのです。大岩さんと彦六さん、亀屋さん大酒さんはその後、居酒屋とかバーとかをもう何軒か回ってから帰られたようですが、大酒さんばかりではなく大岩さんも皆さんもお酒がお強いですわ」
「そうすると連中と別れて宿に帰ってから、お主は一人で布団に入って、ああでもないこうでもないと、ない知恵を絞っておったのじゃな?」
「そうです。その内考え疲れて、我が無才ぶりにげんなりして眠って仕舞いましたけれど」
 補佐官筆頭は冠の上から頭を掻くのでありました。
「で、結局、そのお主の件の句は何時思いついたのじゃな?」
「翌朝早くにが覚めて、何時もの習慣で布団の上で横になった儘寝屁をした時、ふと閃いたのです。それで急いで起き上がって、旅行カバンの中からこの巻物を引っ張り出して、座卓の上に置いた儘にしていた万年筆をとって、忘れない内にと書き留めたのです」
「成程ね、そう云うことじゃったかい」
 閻魔大王官は何度か頷きながら両掌は文机に置いた儘、ゆっくりと後方に身を引いて、その動きの余勢を借りながら、白い顎髭を前にいる我々に誇示するように顔を上に向けて、天井の一点を見据えるのでありました。今度は拙生と補佐官筆頭とがその閻魔大王官の目の動きに釣られて、閻魔大王官の見つめる天井のその一点に、同じように目を向けるのでありましたが、当然ながら別にそこには何もないのは判り切った事ではありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 133 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「朝起きる時に、寝屁をされるのが習慣なのですか?」
 首を元に戻して、拙生がどうでも良い事を補佐官筆頭に質問するのでありました。
「ええ。その後かけ布団をちょいと持ち上げて、布団の中に揺蕩う気配の香しさに暫し陶然として、それからよっこらしょと起き上がるのが、私の朝一番の儀式みたいなものです」
 補佐官筆頭も天井の一点から拙生の顔の方に視線を向けて云うのでありました。
「習慣と云う程ではないにしろ、どう云うものかワシも時々それをやるのじゃが。・・・そうすると、横で寝ているお主の奥方に怒られるじゃろうに」
 閻魔大王官も視線を正面に戻して、心配するのでありました。
「いや、ウチのは長年のつきあいから、その私の朝の儀式を知っておりますので、とうに起き出して寝室から退去しております」
「成程。周到な奥方の心がけじゃな。その点ウチのは早起きをせんから怒る」
「そりゃあ、お怒りにもなるでしょう」
 拙生が閻魔大王官の奥さんの肩を持つのでありました。
「うん。つまりワシを、愚妻が臭いと腐す」
 閻魔大王官が韻を踏みながら嘆くのでありました。それを聴いた補佐官筆頭が厳かにやや前に進み出て、律義そうにお辞儀をした後に、閻魔大王官の頭の冠を手に持っていた巻物で遠慮がちに叩いて、今の洒落にツッコミを入れるのでありました。
「ま、寝屁の事は良いとして」
 閻魔大王官が冠を押さえて咳払いを一つしてから続けるのでありました。「朝目覚めて、尻から屁が出たのと一緒に口から句が出たと云う事じゃが、起きしなに、お主何か夢のようなものを見んじゃったかいの、起きしなの夢は、鮮明に覚えておるものじゃが?」
「ええ、それがですね、前夜の大酒さん達との、居酒屋での宴席の夢なんぞを見たのです。大酒さんが日本酒を猪口でちびちびやりながら、私に、とっておきの句を進ぜようとか仰って、耳元で早口に幾つかの句を何度も何度も、繰り返し吐かれるのです。実はその句が、私がこの巻物に万年筆で書き留めた句と、文言がほぼ一致する句なのです。夢の中で大酒さんが吐かれた句ではありますものの、しかし夢はあくまでも私のオツムの中で生成されたものなのでありますから、夢でのシチュエーションとしては大酒さんの口を借りたにしろ、しかしそれは私のオツムの中で閃いた句であると云えるのであります、あくまでも」
「ふうん、成程ね」
 閻魔大王官が顎髭を扱くのでありました。「お主多分、大酒のヤツに弄ばれたのじゃ」
「弄ばれた?」
 補佐官筆頭が目をみはるのでありました。
「そうじゃ。お主の夢は実は夢ではなくてじゃな、現実の事じゃ。大酒が秘かに、寝ているお主に近づいて、お主がその巻物に書き留めたのと同じ句を、何遍も何遍も繰り返しお主の耳元で囁いて、お主の頭の中に刷りこんだのじゃ。屹度そうに違いないわい」
「つまり大酒さんが、私が寝ている間に、宿の部屋に忍びこんでいらしたと云うのですか?」
 補佐官筆頭の声が驚嘆の余り裏返るのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 134 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「ま、暗喩風に云えばそうじゃ」
「暗喩風に云えば、ですか?」
 補佐官筆頭は閻魔大王官の云い草が、上手く理解出来ないと云う顔をして見せるのでありました。「しかし大酒さんはあくまでも夢に出てはいらっしゃいましたが、それは実際に私の宿の部屋にご本人が入っていらっしゃる、と云う事とは違うのではないでしょうか?」
「如何にも大酒自身の生身の体は、お主の宿の部屋には入ってはこんかったかも知れんが、しかし大酒の悪意と云うのか悪気と云うのか、兎に角そう云うものがお主の部屋に忍びこんで来たのじゃよ。で、寝ているお主の耳元で件の句を繰り返し囁いた。そうして件の句をお主のオツムに刷りこんだ。だからお主は大酒の出てくる宴会の夢を見たのじゃろうて。ほれ、テレビをつけっ放しにして転寝をしていると、時々テレビで云っている科白とかその場面とかが、その儘夢になったりする事があるじゃろう。つまりそれと同じ事じゃな」
「そんな事が出来るのですか?」
 これは拙生が訊くのでありました。
「娑婆に様々な手練手管でちょっかいを出して、怪奇現象なんぞを起こして面白がっている準娑婆省の連中にとっては、そんな事は朝飯前じゃろうて」
「だから、私は大酒さんに弄ばれたとおっしゃったのですね?」
 補佐官筆頭が瞠目した儘訊くのでありました。
「如何にもそうじゃ」
 閻魔大王官は確信ありげに一つ頷くのでありました。
「しかしそんな無粋で下らない悪戯をして、大酒さんは何か利益があるのでしょうか?」
「利益なんぞはないじゃろう。しかし面白がる事は出来るな。既に娑婆に存在する句を、お主がさも自分が考えついたように勘違いして、悦に入るのを面白がるわけじゃ」
「そうやって私をおちょくるような真似をして、何か面白いですかね?」
 補佐官筆頭が怒ったような語調で云うのでありました。
「そう云う霊の悪い真似をして面白がるのが、準娑婆省の連中のどう仕様もない性じゃ」
「霊の悪い真似、と云うのは、娑婆で云えば、人の悪い真似、ですね?」
 拙生が訊くのでありました。
「正解じゃ!」
 閻魔大王官は邪悪そうな笑いをつくってピースサインをするのでありました。
「大酒さんは娑婆の落語にそのような句があることを、既にご存じだったのですね?」
 補佐官筆頭がやや語調を和らげて訊くのでありました。
「そりゃ知っておるじゃろう。準娑婆省は今現在の娑婆を相手に様々な悪戯をしておるのじゃから、ワシ等よりは娑婆の事情には余程精しいじゃろうよ。大酒は俳句とか俳諧が趣味ならば、娑婆のそのような句なんぞも、ちゃんと勉強しておるに違いなかろうて」
「要するに私は、大酒さんにまんまと陥れられたのですね」
「お主の少し間抜けた面を見ていたら、なんかおちょくってやりたくなったのじゃろうて。如何にもおちょくり甲斐のあるヤツが丁度地獄省から遣って来た、というんでな」
(続)
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もうじやのたわむれ 135 [もうじやのたわむれ 5 創作]

 閻魔大王官にそう云われて補佐官筆頭は顔を顰めて見せるのでありました。
「してみると、確かに私は大酒さんにまんまと弄ばれたと云う事になりますか」
 補佐官筆頭は顰め面の儘首を何度か横にふるのでありました。「私にそんな下らないちょっかいを出して面白がるとは、大酒さんと云う方は随分と根性曲がりですね。昔こちらにいらした時から、そんな風な方だったのでしょうかね?」
「いやあ、もう随分若い時の事になるが、ワシは大酒にそんな印象は持ってはおらなんだなあ。どちらかと云うと一本気で、律義な性格じゃったと思うておったぞい。プライドは妙に高かったけれどな。それに短気じゃった。それからくどいと云うのか、物事に執拗に拘るところはあったかのう。まあしかしその短気からか、ちょっとした事で自制心を忘れて仕舞うて、将来の夢も希望も放り投げて、地獄省を出奔しなければならんようになったのじゃから、そこでアイツは歪に根性もねじ曲がる程の挫折感を経験したのじゃろうて。そいで以って準娑婆省に行って、あそこの低劣なヤツ等に混ざってデカダンな生活を送る内に、その根性曲がりにいよいよ磨きをかけて、竟には根っから準娑婆省のヤツになり果てて仕舞うたのじゃろう。考えてみれば、それは哀れと云うも甚だ疎かなる事じゃのう」
 閻魔大王官が補佐官筆頭と同じような顰め面をして、しかし眉宇にそこはかとない哀愁を湛えて、これも同じように首を数度横にふるのでありました。
「まあ、ある意味で悲しい物語ですかなあ、それは」
 補佐官筆頭が少しばかり眉間の険しげな皺を緩めて云うのでありました。
「ちょっと口を挟みますが、大酒さんと云う方の意志と云うのか念というのか、兎に角そう云うものが、いやそう云うものだけが大酒さんの体から離れて、補佐官さんの泊まっている宿の部屋にこっそり遣って来て、補佐官さんの耳元で件の句を囁くと云うのは、娑婆の感覚で云うとすれば幽霊が、いや、大酒さんは未だ亡くなってはおられないから生き霊と云うのが良いかと思いますが、その生き魑魅が枕辺に立って悪さをするのですから、娑婆の日本の東北地方に伝わる、座敷童みたいなものを想像すれば良いのでしょうかね?」
 拙生は遠慮がちに閻魔大王官に訊くのでありました。
「まあ、そんな風景を想像すればよかろうのう」
「では姿は見えないのですかね?」
「まあ、意志とか念とかは物質ではないから見えんじゃろうのう」
「ゆらっと辺りの空気がそよぐ気配とか、何処となく生温かい風が吹いてくるような気配、なんと云うものはあるのでしょうかね?」
「それはその意志とか念とかのある種の愛想の表現として、ひょっとしてあるかも知れんがのう。しかし、その姿は決して見えんのじゃ」
「私の場合、まあ、酒も入っておりましたし句を考え疲れて寝て仕舞いましたから、現には、気配なんぞは何も感じませんでしたなあ。ただ大酒さんと居酒屋で飲んでいる夢の中で、目の前の大酒さんが私に進ぜると云われた句を、徳利を上げ下げしたり猪口を傾けたりしながら、やけにしめやかな声で吐かれる声が聞こえていただけでしたかなあ」
 補佐官筆頭がその夢の様子を紹介するのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 136 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「声はすれども姿は見えず、みたいなものですね?」
 拙生が訊くのでありました。
「ま、そうですね」
 補佐官筆頭が肯うのでありました。
「声はすれども姿は見えず、ほんにお前は屁のような、ですね?」
「そうじゃ、それ故に句が屁と一緒に出たのじゃ」
 これは閻魔大王官が云うのでありました。
「あ、成程、そうでしたか」
 拙生は感心するのでありました。
「準娑婆省での暮らしも長く、それに準娑婆省の政府機関に所属する大酒にとっては、そんな怪奇な悪戯をする事なんぞは、屁の河童、と云うものじゃろうからな屹度」
「成程、そこでもまた屁が出るのですね」
 拙生はこれまた大いに感心するのでありました。「とまれ、そう云う事情で、娑婆の『雑俳』と云う落語に出てくる句を、すっかり自作の句として補佐官さんがその巻物に書き留められたと云うわけですね、その大酒さんと云う方の悪戯に因って」
「そう云う事じゃろう」
 閻魔大王官は顎髭を悠然と扱きながら、自説に大いに納得したように何度か頷くのでありました。その閻魔大王官の頷きに補佐官筆頭も呼応して、巻物で自分の頭の冠を軽く叩きながら一緒に、これも何度も頷いているのでありました。
「今度準娑婆省に出張する事があって、大酒さんに逢う機会があったら、なんでそう云う、私を嘲弄するような下らない悪戯をしたのか、屹度詰問しなければ」
 補佐官筆頭は冠を叩くのを止めてそう云って下唇を噛むのでありました。
「まあ、お主が繰り言を吐いたところで、準娑婆省の悪しき風習に染まって仕舞ったであろう大酒は、ニタニタ笑って冗談みたいな、いい加減な返答をするだけじゃろうがな。ま、要するにそんな悪戯を仕かけて面白がるのが、準娑婆省の連中の無上の快楽であり、あ奴らの長崎、いや違った、性、じゃと云う事じゃわい。お主が真顔でいきり立てば立つ程、あ奴らの喜びが増すだけと云う按配じゃ。まともに相手になる程こちらが損をする事になるのじゃから、こちらも逆に鷹揚に構えて、度量の如何にも大きいところを見せておく方が損も少ないわい。いやところで、ワシの、佐賀、と、性、をかけたシャレは判ったじゃろかいの? 些かさらっと云って仕舞うたので、聴き逃されたとしたらがっかりじゃのう」
 閻魔大王官が心配するのでありました。
「いや大丈夫です。ちゃんと判っておりました。だた、未だお話しの途中でしたので、すぐさまのツッコミは差し控えていたのです」
 補佐官筆頭がそう云って閻魔大王官を安心させるのでありました。
「おうそうかいの。もしお主が無愛想に聴き逃しておったとしたら、ワシとしてはこんなに寂しい事もないわいの。まあ、実に下らない、その辺にゴロゴロ転がっておるようなシャレで、実に申しわけなくもあるのじゃが、そこは一応、年寄りの顔を立ててもらわんと」
(続)
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もうじやのたわむれ 137 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「大丈夫です。心得ております」
 補佐官筆頭はそう云ってやや前に進み出て、手にしている巻物で閻魔大王官の冠をちょいと叩いて、ちゃんと遅ればせのツッコミをするのでありました。補佐官筆頭が叩き易いように、閻魔大王官も無意識に頭をそちらに近づけるのでありました。
「いやいや、お気遣い痛み入る」
「ところで、・・・」
 拙生が遠慮がちに訊くのでありました。「ところで、準娑婆省の悪戯を抑止する術のようなものは、地獄省側には何もないのですか?」
「今のところ何もないのう」
閻魔大王官があっさりと応えるのでありました。「準娑婆省の地獄省に対する悪戯なんと云うものは、まあ、出張してきた少しポオッとした補佐官をからかう程度で、こちらの省益を損なうとか云うような深刻な被害は、今のところ何も発生してはおらんのでのう。それに一々目くじらを立てるのも大人気ないし、逆に地獄省の度量を見透かされるじゃろうから、ま、放置しておると云うのが現状じゃ。内心は苦々しくは思っておるのじゃがのう」
「地獄省の方はそれで良いとしても、娑婆の方では準娑婆省のそんな悪戯は、実に困った事ですよねえ。まあ今更、私が娑婆を心配しても仕様がないでしょうが」
「まあ、一応過去に懸案になった事もあるのじゃよ。あまりに準娑婆省の娑婆に対する無責任な悪戯が度を超すと、何に依らず按配が悪かろうと云ってのう。関係ないのに、地獄が悪く云われる場合もあろうと、大袈裟に憂慮を表明する省会議員もいたりしてのう」
「その、省会議員、は娑婆で云うと、国会議員、ですね?」
「正解じゃ!」
 閻魔大王官は憂色を湛えた儘でピースサインをするのでありました。
「善い事は総て極楽、悪い事は何でも地獄のせいだと、娑婆の方では考えるかも知れんから、これは準娑婆省だけの問題ではないと云う論法でした、その省会議員の先生は」
 これは補佐官筆頭が紹介する言葉でありました。
「確かに準娑婆省なんと云うのがこちらにあると云う事は、娑婆では知られていませんからね。まあ、娑婆では地獄が悪い事を画策している処だとは思わないでしょうが、しかし悪い事をしている自分を懲らしめようと、或いは、後で閻魔様に怖い目に遭うぞと啓示を与えようとして、そう云う怪奇現象で警告しているとは考えるかも知れませんね。それは結局、地獄の方の意図でそう云う怪奇現象が起こると考える可能性はあると云う事ですか」
「そうでしょう? そうするとまた娑婆で地獄のイメージが歪められて仕舞います」
 補佐官筆頭が件の省会議員になり代わって心配するのでありました。
「でも、実際こちらに来てみればそうではない事がちゃんと判るのですから、そんなに気に病む事はないのじゃないですか?」
「ま、そうですが、しかし我々としてはなんとなく立つ瀬がないような、遣る瀬ないような気がするわけですよ、実際」
「ま、そのお気持は判りますが」
(続)
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もうじやのたわむれ 138 [もうじやのたわむれ 5 創作]

 拙生は補佐官筆頭の危惧を一応理解するのでありました。
「準娑婆省の事は、今後色々対応を考えなければならんじゃろうなあ、地獄省としても」
 そう云った後、閻魔大王官が声の調子をガラッと変えるのでありました。「いやところで、どうしてこんな話しになったのじゃったかな?」
「私の巻物に私の駄句が書いてあったためですかな」
 補佐官筆頭がそう云いながら、一方の手に持った俳句の覚えが書いてある巻物で、もう一方の手の掌を悠長に数度小さく打つのでありました。
「そもそも私が突然、お二方が手にされているその巻物は一体何なのかと、それまでの話しとは全く関係のない事をお訊ねしたのが発端でした」
 拙生は恐縮の色あいを語調にこめるのでありました。
「ああ、そうじゃったな。そいでこんな物は飾りじゃとワシが云うて、ワシの巻物に、ウチの婆さんに電話で頼まれた買い物のメモが書いてあるのをお手前に披露して、それからこの補佐官の巻物には何が書いてあるのかと云う事に話しが移って、それでそこに書いてある俳句の話しになって。・・・しかしそのお手前の質問の前に、ワシ等は一体何の話しをしておったのじゃったかいな? どうも最近ワシはもの忘れがひどうていかんわい」
「邪馬台郡の話しでした。この亡者様の生まれ変わり希望地の事で、娑婆の日本に近い環境の処はないかとお尋ねがあって、それで邪馬台郡があると、そう云う話しの流れで」
 補佐官筆頭が応えるのでありました。
「おう、思い出した、思い出した。そうじゃ、そうじゃ。」
 閻魔大王官がそう云って、嬉しそうに文机を巻物で一つ打つのでありました。「で、お手前、生まれ変わりの地は邪馬台郡に決まりかいの?」
「そうですね、しかし出来ましたら、もう少し邪馬台郡のお話しを色々伺いたいのですが」
「どんな事をじゃい?」
「まあ、邪馬台郡の文化と云うのか、風俗であるとか、風習であるとか、住んでいる人の、いや、霊の気風であるとかとか、代表的な街の様子であるとか、その他諸々と」
「あのう、・・・」
 補佐官筆頭が話しに割って入るのでありました。「あのう、話の途中で失礼いたしますが、私はもう大王官殿の後ろの、何時もの立ち位置に戻ってよろしいでしょうか?」
「おう、云うのを忘れておった。迂闊じゃったわい。さっさと戻って構わんぞ」
 閻魔大王官が頷くのでありました。補佐官筆頭は閻魔大王官に慇懃な物腰で一礼して、横の拙生にも律義なお辞儀をして、序でに愛想の笑いもして、閻魔大王官の後ろの元居た立ち位置に、大時代的な衣装の裾を引き摺りながらゆっくりと戻るのでありました。
「一応私としましては、邪馬台郡がどのくらい娑婆の日本に近いのか、確認をしておきたいと思いましてね。閻魔大王官さんに、この上面倒をかけるようで恐縮なのですが」
「いやいや、そんな事は恐縮せんでも宜しいが、しかし、ワシが言葉でまわりくどく説明するよりも、どうじゃな、そのお手前の目で、邪馬台郡をちょっくら見てみては如何かな?」
 閻魔大王官がそう提案するのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 139 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「そんな事が出来るのですか?」
「ほいな。亡者は正式に自分の希望生まれ変わり地をワシに申告する前に、充分思い悩む時間が要るじゃろうと配慮されていてな、三日間、閻魔庁の宿泊施設のゲストルームで、自由な時間を過ごしても良い事になっておる。そこで窓の外の景色なんぞを眺めながら、何処にしようかしらと色々思い悩むわけじゃよ。勿論、部屋に閉じ籠もっておるだけじゃのうて、外出も自由じゃ。ちなみに云うておくが、ゲストルームの宿泊料は無料じゃよ」
「ああそうですか。街に出る事も出来るので?」
「そう云うこっちゃ。外をうろつくのも可能じゃ、だからその際、まあ、この閻魔庁の近くに限定されるが、お手前自身で、邪馬台郡の現実の様子を見る事が出来るわけじゃ」
「ほう、それは好都合ですね」
 拙生は少し瞠目して口の端に笑いを作るのでありました。「ゲストルーム宿泊中は、まったくフリータイムという事で宜しいのですか?」
「そうじゃ。さっさと希望生まれ変わり地を決めておいて、三日間リラックスした旅行気分で、呑気に街の中や郊外の景勝地を散策する亡者も結構おるわいの」
「しかし街中の散歩とか景勝地の散策とは云っても、私は今殆ど一文無しで、今の所持金は確か、三途の河の渡し賃として棺桶に入れて貰った五円だけなのですから、移動する交通費もありませんし、何処か邪馬台郡の有名な寺社とか博物館を見学するとしても、その拝観料も入館料も払えません。それどころか、これでは三日間の食事も儘なりませんけれど、その辺はどうなるのでしょうかね。結局、部屋に籠り切りで過ごすしかないですかね」
 拙生は、今度は力なく笑って見せるのでありました。
「いやいや、全く案ずる事はないぞい。基本的には今のお手前は食事の必要はないのじゃ。そのお手前の体はあくまで、新しくこちらに生まれるまでの便宜的な仮の姿であって、ちゃんとした霊体ではないのじゃからな。生命維持のための食事等は摂らんで構わんのじゃ。まあ一応個体として識別出来なければ我々も困るし、お手前自身も自分の胴体や手足がちゃんと見えとらんと、なんとなく落ち着かないじゃろうしのう。そう云うところで、仮のものとしてお手前の娑婆時代の姿が一時的に、もわっと復元されておるわけじゃよ」
「もわっと、ですか。・・・」
「そうじゃ。もわっと、じゃ。だから街の中に出ても、一般の霊達にはお手前の姿は見えんのじゃ。見えんのじゃから、バスや電車に乗るのも好き勝手じゃ。何の遠慮も要らん」
「透明人間みたいなものですかね、娑婆の感じで云うと」
「ま、そんなもんじゃな」
「しかし無賃乗車とか云うと、なんか後ろめたい気がしますね」
 拙生はなんとなく気後れして、そう云って笑って見せるのでありました。
「いやいや、そんな事はありゃあせんぞ。亡者に保証された権利じゃ。邪馬台郡の条例にもちゃんと謳われておる。大威張りで無賃乗車して構わんぞい」
「しかし混んだ電車とかは避けた方が宜しいですかね?」
「いやいや、構わん。お手前の体は或る意味で質量がないのじゃから、場所も取らん」
(続)
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もうじやのたわむれ 140 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「質量もないので?」
「そうじゃ、あくまでお手前はもわっとした曖昧模糊たる存在なわけじゃ、今のところ」
「透明人間どころか、幽霊みたいな感じですかな、そうすると」
「そっちの方が近いな、娑婆の方の感覚では」
 娑婆ではなくて、娑婆で云うあの世の方に出現するところの幽霊、と云うのは何やらややこしい幽霊であると、拙生は少し考えこむのでありました。
「どうしたな、なんぞ心配事でも急に思い出したのかえ?」
 拙生が少しの間黙ったので閻魔大王官が心配してそう訊くのでありました。
「いや、そうではありませんが、・・・まあ兎に角、私は幽霊みたいなものとして、その三日間を過ごせば良いのですね?」
「そう云うこっちゃわい」
「なんか、こちらの世に生まれ変わるよりも、その幽霊みたいな感じでずっといた方が、色々面白かったり得をしたりするような気がしますね」
 拙生はそんな不謹慎な事を云ってみるのでありました。
「それは出来んのじゃ。それでは準娑婆省の連中と同じ根性になって仕舞う。それにそう云う了見を認めるならば、閻魔庁の仕事が全く無意味になって仕舞うでのう。気持ちは判らんでもないが、しかしお手前の意向は、気の毒じゃが尊重するわけにはいかんぞい」
 閻魔大王官が眉根を寄せて少し厳しい顔をして見せるのでありました。
「いやいや、それはそうでしょう。こちらにはこちらの譲れない仕来たりがおありでしょうから、それをないがしろにする気持ちなど、私には微塵もありません。単なる冗談としてお聞き流しいただければと思います。どうも無神経な事を云って済みませんでした」
 拙生は深くお辞儀をして謝るのでありました。
「ああそうかい。ところで、さっき食事も必要ないとは云うたが、しかし若し食事をしてみたいのなら、何でも食う事は出来るぞい。ちゃんと味とか匂いも感じる事が出来るようになっとるからな、お手前のその仮の姿は。幾ら仮の姿とは云え、そのくらいの楽しみがのうては如何にも味気ないじゃろうからのう、その三日間が。一応申し添えておくがのう」
「ああそうですか、食事の楽しみはあるのですね」
「三日間は、申し出てくれれば、こちらの名物料理なんぞを部屋まで運んで進ぜるぞい」
「街中での外食はだめでしょうね、住霊には私の姿が見えないのだから、店に入る事は出来ても、きっと愛想の水も運んで来て貰えないでしょうから」
「まあ、そうじゃな。一般霊の利用する一般霊の営む店での外食は都合が悪いわいのう」
「当然景勝地なんかで、お土産を買うのも出来ませんよね。ま、そうは云っても私は一文なしなので、実際は何も買えませんがね」
「しかしそう云う観光地とか街中の、ある種のお土産屋とか食堂は利用する事が出来るようになっておるのじゃよ。看板に小さく<亡様歓迎>と書いてある店なら、亡者も心安く利用出来るのじゃ。そう云う店は閻魔庁を退職した元職員なんかが常駐しておる店でな、お手前等の姿もそんな店員にはちゃんと見えるのじゃよ。勿論、お代の心配は要らんよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 141 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「ただで飲み食いして、買い物も出来るのですか?」
「そうじゃな。帰りに支払伝票にサインしておいて貰えば、後でその店の主人が閻魔庁に代金を取りに来るような仕組みになっておる」
「なんか至れり尽くせりですね」
「せっかくこちらの世に来て貰ったのじゃからな。閻魔庁のほんのおもてなしじゃよ」
 閻魔大王官はそう云って、顎髭を扱いてハハハと笑うのでありました。
「それでは、私としましてはその三日後にまたここへ参って、その時に正式に私の意向を閻魔大王官さんに伝えればよいのですね?」
「そうじゃわいの」
「ではお勧めもありますので、私はその三日間、旅行者の気分で閻魔庁近辺をブラブラ散歩しながら、邪馬台郡がどのような処かをちらほら見学させて貰いますよ」
「おう、そうしなされ、そうしなされ」
 閻魔大王官は顎髭を指に巻きつけて弄びながら云うのでありました。
「何やらその、幽霊のようなものとして邪馬台郡を自由に散歩出来る事が、今から楽しみになってきました。それに話しは違いますが、さっき地蔵局のお役人さんと話している時にちょっと考えていたのですが、私の今のこの体てえものがどう云う具合になっているのかも、おぼろげには判りましたからね。まあ、判ったとは云うものの、バイオロジー的なものとして存在しているのではなくて、識別上の便宜として今のこの体があると云う点を、透明人間とか幽霊と云うレトリックによって感覚的に理解しただけなのですが、兎に角、そんなある意味で好都合な体を手に入れた事も、なんとなく愉快な心持ちがしてきました」
 拙生は呑気にそう云うのでありました。
「さて、お手前がそう云う心持ちになったところで、審理は一応これにてお開きと云う事にしようかのう。それで宜しいかいの?」
「ええ結構です。もう地獄省の邪馬台郡に生まれ変わるつもりに大方なっておりますから、審理自体はこれでお仕舞いでも何の異存もありません」
「ああそうかえ。ま、三日間を、大いに楽しんでおくれ。しかし一応注意しておくが、幾らお手前の姿が一般の住霊には見えんからと云って、つまらん悪さをしたり悪戯をしかけたりして、後で邪馬台郡の中に妙な噂なんぞが広まるような事はせんでおいて貰いたいものじゃ。浮かれて羽目を外して、準娑婆省の連中のような了見を起こして貰っては、ワシとしては大いに困るぞい。お手前の姿がちゃんと見える元閻魔庁の職員も世間には居ると云う事も、一応心の片隅に留めておいて貰いたいものじゃわい。まあ、お手前の事じゃから間違いはなかろうとは思うのじゃが、お手前の品性に照らして、宜しゅうやっておくれ」
「心得ました。ご心配なく」
 拙生はそう愛想よく即座に請けあうのでありましたが、あんまり即座過ぎて、如何にも軽々しい返答に聞こえて仕舞わなかったか、少し心配になるのでありました。
「ほんじゃあ、ゲストルームの方に案内いたそうかいな」
 閻魔大王官はそう云って、後ろの補佐官筆頭の方に体を捩るのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 142 [もうじやのたわむれ 5 創作]

 補佐官筆頭が、ふり返った閻魔大王官が何か言葉を発する前に、確たる頷きをして見せるのでありました。万事了解、と云う事でありましょう。閻魔大王官はその補佐官筆頭の頷きに満足気にゆったりと頷き返して、徐に体を元に戻すのでありました。
「では私の方でご案内いたしますから」
 補佐官筆頭が閻魔大王官の頭越しに拙生に云うのでありました。
「お願い致します」
 拙生は立ち上がってお辞儀をするのでありました。
 補佐官筆頭がまた拙生の横に来てから、拙生を後ろの出入口の方に誘うように掌を上に向けてそちらに腕をの伸ばすのでありました。拙生は香露木閻魔大王官にもお辞儀をして、補佐官筆頭の促す儘に体を後方に回すのでありました。
「ではどうぞ」
「楽しい三日間をお過ごしください」
「また三日後に」
「お会いできるのを」
 これは残る四官が云うかけあい科白でありましたが、その後四官は大きな声を揃えて一同で続けるのでありました。「楽しみにしております!」
 拙生はもう一度、閻魔大王官と後ろに居並ぶ四官の方をふり向いて、親愛の笑いを頬に浮べて深く頭を下げるのでありました。
「どうもお世話になりました」
 拙生がそう云うと閻魔大王官も四官も、拍手をするのでありました。ここでは拍手は必要なかろうと思うのでありましたが、ま、一種の景気づけであろうと判断して、拙生は調子に乗って、無意味を承知で両手を上げてその拍手に応えるのでありました。
 補佐官筆頭と一緒に審理室を出ると、もと来た二段折り観音開きの扉の方向ではなく、ずらっと並ぶ審理室のドアを横目に、もっともっと奥の方へと拙生は案内されるのでありました。床はやや赤みがかったカーペットが敷き詰められていて、塵の一つ埃の一塊りも落ちてはいないのでありました。一方の壁に白い審理室のドアが整然と並び、広い間隔を取ってその反対側は、前に空色の長椅子が横に長く並ぶ、何処にも染みも汚れも浮いてはいない薄クリーム色の壁で、それと、程良い明るさを供給すべく、天井照明の遥か向こうまで連なる高い天井に囲われたところのこの空間は、色気や愛想は一切ないにしろ、しかし如何にも清潔な広い回廊と云った趣きであります。壁際に並んだ空色の長椅子には、恐らく審理室に呼ばれるのを待っているのであろう、拙生と同じような亡者連中が、寛いだ風ではあるものの行儀よく、手持無沙汰に無表情に黙って座っているのでありました。
 この広い廊下のような空間を抜けると、ホテルのロビーを思わせる大広間に出るのでありました。広間の中心には噴水が設えられていて、高い天井に向かって高低様々噴き上がる太い或いは細い水の曲線が、照明に煌めいて優雅に空間を彩っているのでありました。拙生はふと、昔娑婆の新宿の地下街にあったと思うのでありますが、名前はもう忘れたマンモス喫茶を思い出すのでありました。ここのはそれよりもかなり上品な感じであります。
(続)
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もうじやのたわむれ 143 [もうじやのたわむれ 5 創作]

 噴水の周りにはいかにも座り心地のよさそうな褐色のシックなソファーが、ゆったりと間隔を取って噴水を取り囲むように並び、そこには恐らく三日間の、地獄に行くか極楽に行くか思い悩む時間を過ごしているのであろう亡者達がてんでに座って、新聞を見開いている者あり、居眠りをしている者あり、噴水を見上げながらコーヒーを飲んでいる者あり、他の亡者と談笑している者ありと、皆思い思いに思い悩んでいるようでありました。広間の壁際にはホテルのフロントのようなものもあり、その横には大きなデスクがあって、コンシェルジュのようなスーツ姿の霊が座ってもいるのでありました。なかなか優雅な都市型ホテルのような光景であります。結構大勢の亡者や霊がこの空間を行き交っているのでありましたが、空間が広いために立てこんでいる感じはしないのでありました。
「では私の方でチェック・インの手続きをして参ります」
 補佐官筆頭が拙生に云うのでありました。「大して時間はかかりませんが、手続きが終わるまで、あの噴水の処のソファーでちょっと待っていてください」
 補佐官筆頭はそう告げると、拙生を残して壁際のフロントの方へ向かうのでありました。補佐官筆頭の道服に冠姿は、この都市型ホテルのような空間には如何にもそぐわないのでありました。何やら宴会場の控室から出てきた余興の芸人のような風情であります。
 拙生は噴水の方へ歩いていって空いているソファーに腰を下ろして、噴水の水音に耳を澄ますのでありました。こうして近くで聞くと、噴水はなかなか剛毅な水音をたてているのでありました。その音に因って、周りの喧騒はすっかり消されるのでありました。
 成程ここは地獄へ行くか極楽へ行くかをじっくり考えるには、好適な場所かも知れません。まあ、大方の亡者は自分の部屋で静かに思い悩むのでありましょうが、しかし静か過ぎる部屋でぽつねんとあれこれ悩むよりは、こう云った自分以外の亡者やら、ここで働く霊やらが行き交うロビーみたいな場所で思案をめぐらす方が、一人でいるよりは案外まっとうな結論が得られるかも知れません。地獄に行くか極楽に行くかは、こちらの世でこの後の八百年程を生きる身にとっては、全く以って重要な選択なのでありますから、判断を過たないようにしなければなりません。ま、拙生はもう結論を得ているのでありますが。
 そう云えば娑婆で学生時代に、先に話した新宿にあった名前も忘れた喫茶店で、噴水の水音を片耳に聞きながら、その日は手近な新宿末広亭の夜席に行くか、それとも面倒でも上野の鈴本まで足を伸ばして、小三治師匠の尊顔を拝するかを大いに思い悩んだ時の事を思い出すのでありました。あれは確か四年生の十月頃で、世間の大学四年生の間では就職活動真っ盛りと云った時期でありましたが、拙生てえものはそちらで様々思い悩むなんと云う事は一切しないで、温くなったコーヒーを啜りつつ煙草を銜えて、擦ると色とりどりの小さな火花がパチパチと爆ぜるマッチの炎に見蕩れたりしながら、陰鬱な顔で全くお気楽にその件のみを思い悩んでいたのでありました。面目ない懐かしい思い出であります。
「いやどうも、お待たせいたしました」
 背後から補佐官筆頭の声が聞こえるのでありました。拙生はふり返ってソファーから立ち上がろうとするのでありました。補佐官筆頭は拙生に座った儘でいてくれと手で指示して、自分の方から横に来て拙生の横に腰を下ろすのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 144 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「なかなかシックな感じのロビーでしょう?」
 補佐官筆頭が拙生に訊くのでありました。
「そうですね、娑婆の新宿にこんな感じの喫茶店がありましたよ。まあ、こんなに広くはなかったですが、噴水が真ん中に造ってあって、ソファーの配置の仕方も、照明もこんな感じでしたかな。それはもう遠い昔の記憶でして、なんか懐かしい感じがしておりますよ」
「ここは亡者様専用の宿泊施設となっておるのです」
「ホテルみたいなものですね」
「そうです。しかも無料の」
 補佐官筆頭はそう云って、拙生に鎖で小さな鍵がつけてあるアクリル製の細長い四角柱の、紫色のキーホルダーを渡してくれるのでありました。「これが貴方様の部屋のキーになります。このフロアからエレベーターで三十三階まで上がって頂いて、キーホルダーに書いてある三三三三号室と云う部屋になります。三途の川の眺めのなかなか良い部屋ですよ」
「ああそうですか」
 拙生はキーを受け取って、部屋番号を確認するのでありました。「しかし私なんぞは所持金が五円で、着替えや貴重品なんかの入った旅行カバンも何も持っていないのですから、部屋に鍵なんかかけなくても大丈夫でしょうがね」
「まあ、他の亡者様もそうなんですが、このキーは観光旅行先のホテルに宿泊すると云う感じの、一種の雰囲気作りですな。それにここには地獄省に住む一般の霊なんかも仕事で出入り出来ますので、亡者様の安全を考慮して、万々が一に備えてと云う事ですわ」
「一般の霊には私達の姿は見えないのでは?」
「その通りですが、しかしだからと云って部屋に勝手に入られるのも困るでしょうからね。一般の霊は上階の客室に行く事は出来ない規則になっておりますが、まあ、妙な了見の不心得者がいないとも限りませんので、一応部屋の出入りにはこのキーを使用するのです」
「ふうん、成程ね」
 拙生は四角柱のキーホルダーを握って、その先に取りつけてあるキーを無意味にぐるぐるとゆっくり回転させるのでありました。
「それからこれはこの宿泊施設の案内です」
 補佐官筆頭はそう云って、B五判程の大きさの、数ページを中綴じした薄いパンフレットを渡してくれるのでありました。「この施設全体の見取り図もありますし、レストランとかバーとか居酒屋とか、コーヒーショップやらお土産屋さんなんかの所在が描いてあります。一応最初に、各階の非常口なんかもしっかり確認しておく事をお勧めいたします」
「このフロアが三階になっていて、四階以上が客室で、二階と一階にレストランとかバーとか喫茶店とか、お土産屋さんとかのショップが入っているのですね」
 拙生はパンフレットを見ながら訊くのでありました。
「そうです、ショッピングフロアーとなります。勿論亡者様は何れも無料でご利用頂けますし、そこの店員は全員閻魔庁職員ですので、亡者様の姿はちゃんと判ります。偶に一般の霊の納入業者なんかが出入りいたしますが、まあ、お気になさらないでください」
(続)
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もうじやのたわむれ 145 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「判りました」
 拙生は未だパンフレットを見ながら頷くのでありました。
「それからこちらは、この閻魔庁近辺の見所なんかが描いてある観光案内の絵地図です」
 補佐官筆頭が今度は、これもB五判の大きさに折り畳まれたリーフレットを差し出すのでありましたが、タイトルに『閻魔庁周辺散策ガイドマップ』とあります。「気晴らしに散歩に出る時なんかに使ってください。尤も、貴方様は邪馬台郡の実状を見聞なさるために外に出られるのでしょうから、気晴らしと云うのではなく現地調査となりますかな」
「道に迷ったら、この地図を見ながらここへ帰ってきますよ。これは助かります」
 拙生はそう愛想を云うのでありました。
「それからええと、・・・」
 補佐官筆頭は道服の懐に手を入れて何かを探すのでありました。「おお、あったあった。肝心のこれをお渡ししておかなければならないのでした」
 補佐官筆頭が取りだしたのは一枚の紙切れでありました。
「なんですか、それは?」
「三日後にキーをフロントにお返しになる時に、一緒にこの紙を出してください。香露木閻魔大王官の最終審理を受けて頂く時の受付票となります。この紙をフロントに出したら、そのままもと来た処に戻って頂いて、先程と同じ三十五番審理室の前の長椅子に座って、お名前を呼ばれるのをお待ちください。そう長くはお待たせいたしませんから」
「私が地獄省の何処に住むのか、最終的な審理をして頂くのですね?」
「そうです。ま、審理と云っても、ご希望地をお聞きしてそれを確定するために、大王官が区分けの箱に、貴方様の目の前でお名前の書いてある書類をその区分け箱に入れるだけの、至って呑気な作業ですがね。ま、一応そう云う形式を踏む事になっておりますもので」
「了解いたしました」
「もしこの三日間をお過ごしになるに於いて、不便とか、待遇や部屋の不満をお感じになったり、何か問題が発生したならば、フロントに何なりとお申しつけください。それから現地調査に外出される時は、フロント横に控えているコンシェルジュに一応ご相談頂ければ、様々便宜をお図りする事も出来ると思いますので、こちらも遠慮なくご利用ください」
「すっかり娑婆のホテルのサービスみたいですね。至れり尽くせりで恐縮です」
 拙生は補佐官筆頭に礼をするのでありました。
「いえいえ、とんでもない」
 補佐官筆頭が両手と首を横に何度もふるのでありました。「それでは、快適で有意義な三日間をお過ごしになられる事をお祈りいたします。私はこれで失礼いたしますから」
 補佐官筆頭がソファーから立ち上がったので拙生も一緒に立って、お互いにお辞儀を交わすのでありました。その後補佐官筆頭は審理室の方に向かって、拙生に背を向けて歩き遠ざかるのでありました。拙生は暫くその後ろ姿を見送っていたのでありますが、補佐官筆頭はホールを去る直前にふり返って、拙生にまた律義にお辞儀をするのでありました。拙生がそれに答礼するのを見届けて、補佐官筆頭はゆるりと姿を消すのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 146 [もうじやのたわむれ 5 創作]

 さて取り敢えず部屋の方を見てみるかと、拙生がエレベーターのある方に歩き出そうとすると、すぐ横のソファーに座っていた男に声をかけられるのでありました。
「あのう、補佐官と先程お話しになっていた新宿の噴水のある喫茶店ですが、それはカトレアと云う名前のマンモス喫茶ではありませんでしたかな?」
 男はソファーに座った儘拙生を見上げているのでありました。
「いやあ、カトレアには噴水はなかったと思いますが」
 拙生はそう返すのでありました。
「ああそうでしたかな。なんせもう随分前の事で、私の記憶もあやふやになっていますから。しかし、カトレアではなかったにしろ、その新宿の地下の噴水のある喫茶店は、私も覚えておりますよ。当時は別に用もないのに、色んな喫茶店にまめに通ったものでした」
 男はそう云って懐かしげな眼差しをするのでありました。見た目から判断すると、この男と拙生はどうやら同世代のようであります。
「当時は新宿とかお茶ノ水とか神保町にマンモス喫茶が何軒もありましたねえ」
 拙生はそう云って、ソファーにもう一度腰を下ろすのでありました。男は立ち上がると拙生の座っている傍に来て、さっきまで補佐官筆頭が座っていた拙生の横に腰かけるのでありました。どうやら拙生同様、閻魔大王官の審理を受けている亡者のようであります。
「あなたもこれから、思い悩みの三日間をお過ごしになるのですか?」
 男が訊くのでありました。
「ええそうです。まあ尤も私はもう生まれ変わる処はほぼ決めているので、そんなに思い悩む必要はないから、気楽に呑気に旅行気分で三日間を過ごすつもりですけどね」
「もう、生まれ変わる処を決めていらっしゃるのですか?」
「そうですね、ほぼ」
「立ち入った事をお訊ねしますが、何処を選ばれたのでしょうかね?」
「地獄省の邪馬台郡で、まあ、この閻魔庁のある処ですよ」
「地獄省? ああそうですか」
 男はそう云って拙生から目を逸らすのでありましたが、その顔には多分無意識にでありましょうが、明らかな落胆の表情が浮かぶのでありました。
「貴方は未だお決めになってはいないので?」
「ええそうなんです。思い悩みの真っ最中なのです。もう今日が二日目で、あと一日しか思い悩む時間はないのですが、地獄にするか極楽にするか決められないでいるのです」
 男は悩まし気に首を微かに横にふるのでありました。「未だ娑婆っ気の抜けない今の身にあっては、矢張りどうしても極楽往生に未練がありましてね。こちらの世の実際の地獄と極楽が娑婆で聴いていたものとは全く違うと云う事も判ったし、極楽省のやたらと高慢ちきな官吏から聞いた極楽省の事情より、地獄省の方がお気楽に過ごせそうには思うのですが、しかし極楽への未練がどうしても断ちきれないでいるのです。困りました。・・・」
「ああそうですか。なんとなく少し判るような気もしますが」
「貴方は極楽への未練は全然ないのですか?」
(続)
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もうじやのたわむれ 147 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「そうですね、ま、ありません」
「地獄に行く事に抵抗はありませんか?」
「抵抗も、ないですね」
「ほう、そうですか」
 男は感心するような表情をして、顔を拙生からやや離すのでありました。
「だってそうでしょう。地獄も極楽も娑婆で聴いていたものとは全く違うのですもの。それにもう私は娑婆からお娑婆ら、いや違った、おさらばした身ですから、こちらの事情に則して頭を切り替えないと。後で悔やんでも本の黙阿弥ですからね」
 拙生はなるだけ軽い調子でそう云うのでありました。
「云われる事はご尤もですが、そう簡単に頭が切り替わりますか?」
「まあ、娑婆にいる時もあんまり地獄だ極楽だには関心がありませんでしたから、そんなに難しく考えずに済んだのですかな、私としては。それにこちらに生まれて仕舞えば、結局何処だろうとそこが生まれ故郷になるのですから、生まれ変わり地の好き嫌いとか満足とか後悔なんと云うのは、今のこの亡者の境遇で考えているのと、生まれ変わった後ではまた大いに違ってくるでしょうからね。まあ、要するに出たとこ勝負、と云う事ですわ」
「出たとこ勝負、ですか。・・・」
 男は拙生の呑気であっさりとした云い様に、なんとなく得心がいかないような顔をしているのでありました。多分、根が生真面目な男なのでありましょう。
「どうです、私はこれから街の方に出て、ちょいとした旅行気分でこの近辺を散歩しようかと思っているのですが、宜しかったら気晴らしにご一緒しませんか?」
 拙生はそう誘ってみるのでありました。一人で見知らぬこちらの世の巷間をぶらつくのも、なんとはなしに心細かったものだからそんな提案をしたのであります。
「そうですねえ、・・・」
 男が拙生の誘いに逡巡の色を見せるのは、明日までに生まれ変わり地を決めなければならない身の上が、これからそんな呑気な事をして、残り少ない考える時間を浪費して良いものかと考えるからでありましょうか。男は腕組みをして暫く瞑目するのでありました。
「いやまあ、残すところ丸一日で、どこに生まれるか決断しなければならないのでしょうから、そんな悠長な事をしている場合じゃないですかな、貴方の現在のご心境としては」
 拙生は一応、男の心情を思い遣る言葉を口に上せるのでありました。
「まあそうなんですが、しかしこれまで散々、部屋やこの噴水の前で考えていたにも関わらず、無意味に時間を潰すだけで、さっぱり埒が明きませんでしたからねえ。・・・」
 男は腕組みを解くのでありました。「ちょっと気分を変えてみるのも良いかも知れませんね。ようがす。若しお邪魔でなかったら遠慮なくご一緒させていただきましょうかな」
「おお、それはこちらも助かります。見知らぬ土地を一人歩きするのも、なんとなく頼りなかったものですから、ご同道頂けるならばこれはもう心強い限りですわ」
「いやいや、私は至って頼り甲斐のない男で娑婆でも通っていましたから、返って貴方の散歩の足手纏いになるのじゃないかと危惧しますが」
(続)
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もうじやのたわむれ 148 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「何を仰いますやら。実に心丈夫ですよ。ではどうでしょう、これから私はちょっと自分の部屋の方を見てきますから、今から二十分後にここで待ちあわせと云う事では?」
 拙生はフロントの上にある大きな壁時計を見ながら提案するのでありました。
「はい、ようがす。お待ちしております」
 男は笑顔で頷くのでありました。
「ではそう云う事で、後程」
 拙生はソファーから立ち上がるのでありました。
 男を噴水のロビーのソファーに残して、拙生はエレベーターホールと書いてある、高い天井からぶら下がった矢印つきの案内板に従って、フロント横の一角に向かうのでありました。拙生が前を通り過ぎる時に、フロントのカウンターの中で立ち働いている宿泊施設のスタッフと思しき小奇麗な身なり数名の男女が、銘々拙生に丁寧で落ち着いた目礼をよこすのでありました。娑婆の格式あるホテル並みに躾けの行き届いた宿泊施設であります。
 エレベーターは五基づつが広いホールを挟んで、向かいあって十基もあるのでありました。その内の一基の横の、上向きの印のボタンを適当に押して待つ事数秒、エレベーター到着のチンと云う音が聞こえて、扉上の赤い指示灯が点滅するのでありました。
 拙生は三十三階まで上がってエレベーターを降りると、ホールの壁に嵌めてある部屋案内のプレートを見て、あてがわれた三三三三号室への順路をしっかり確認すると、フカフカの赤い絨毯の敷かれた広い長い直線の廊下を部屋まで進むのでありました。客室の扉の並ぶ廊下は至って静かで、部屋に到着するまで誰とも往きあわないのでありました。
 鍵を回して部屋に入って照明のスイッチを入れると、短い廊下に先ずクローゼットがあって、そのまた先横にあるドアを押し開けると洗面所とトイレ、奥にはバスが設えられているのでありました。部屋は十畳程の洋室で、入ってすぐの処に小さな冷蔵庫とミニバーがあって、右手の壁際にセミダブルベッド、左手に木製のシックな衣装箪笥と大きな鏡の取りつけてある化粧台、最奥の窓前には二人がけの白い布張りのソファーが置いてあるのでありました。最奥は壁一面がそっくり窓になっていて、臙脂色のカーテンを引き開けると先程補佐官筆頭が云っていた、三途の川の絶景が広く遠くまで見渡せるのでありました。
 照明は床置き式で、明る過ぎもせず暗ら過ぎもせず、落ち着いた雰囲気であります。ま、リゾートホテルの中程度の客室と云った体裁でありましょうか。ここで亡者はこちらの世での生まれ変わり地をリラックスしながら、あれこれ思い悩むと云う按配であります。
 おっと、下に街歩きブラブラ散歩の同行者を待たせているのでありましたから、ゆっくりこの部屋に落ち着いてもいられないのでありました。拙生は化粧台の上に置いた鍵をまた取ると、やや急ぎ足に部屋を出て施錠して、来た順路を引き返すのでありました。
 階下の噴水のあるロビーに戻ると、先程と同じソファーに男は行儀よく座って、拙生が現れるのを待っているのでありました。
「どうもお待たせいたしました」
 拙生は背後から声をかけながら、ふり返った男に片手を上げて見せるのでありました。男も座った儘後ろに体を捩じって、拙生に手を上げて大袈裟に愛想をするのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 149 [もうじやのたわむれ 5 創作]

「では街中の散歩に出かけましょうかな」
 男の横に立って拙生がソファーに座る気配を見せずに云うと、男は頷いてすぐに立ち上がるのでありました。立ち上がってみると男は意外に背が高いのでありました。拙生の頭頂よりは五センチ程上に男の頭頂があるのであります。少し痩せ気味で顔も小さく手足が短いので、座っていた時にはその身長を想像出来なかったのでありましょうか。
「この宿泊施設から外に出るなんと云う事は思いもしなかったし、端から出来ると考えてもいなかったので、いざこれから外出するとなると、なんかワクワクしてきましたよ」
 男は少々大袈裟と思えるような、さも嬉しそうな表情をして見せるのでありました。
「一応娑婆のホテルみたいな施設のようですから、外出時には部屋の鍵はフロントに預けておくべきなのでしょうね?」
 拙生が男に聞くのでありました。
「ああそうでしょうね屹度」
 男が頷いたので拙生はフロントの方に向かうのでありました。男は拙生の少し後ろを同じ歩幅でついてくるのでありました。
フロントカウンターの中の、黒いスーツ姿の、顔に愛嬌のある若い女のスタッフが拙生等が近づくのを認めて、僅かにお辞儀をした後に直立して待ち受けるのでありました。
「ちょっと外出してこようと思うのですが、鍵を預けておくべきかと思って」
 拙生はカウンターの中の女に向かって云うのでありました。
「恐縮でございます。お預かりいたします」
 スタッフの女はそう愛想良く云って、腰を屈めて鍵を受け取るために両手を重ねて前に差しだすのでありました。拙生は女の掌の上に部屋の鍵を載せるのでありました。
「私のもお願いします」
 拙生の横に立った男が自分の部屋の鍵を差しだすのでありました。
「畏まりました。お預かりいたします」
 女は同じように腰を屈めるのでありました。預った鍵を後ろにある大きな鍵棚に収めると、女はすぐに我々の前に戻って、部屋番号の書いてある丸くて小さなプラスチック片を夫々渡してくれるのでありました。三三三三と線彫してあるプラスチック片を確認して、拙生はそれを上着の内ポケットに仕舞うのでありました。男も拙生に倣うのでありました。
「この近辺の散歩をしたいのですが、どこかお勧めの見所なんというのはありますかね?」
 拙生はフロントカウンターの中の女に問うのでありました。
「全くの観光なのでしょうか、それとも世情視察みたいなご目的なのでしょうか?」
「ま、どちらかと云うと後者でしょうかな」
「でしたらこのカウンター横にコンシェルジュがおりますから、世情視察と仰っていただければ、そのご目的に沿ったルート等を懇切丁寧にご案内いたしますが」
 女はコンシェルジュがいる方を掌で指し示すのでありました。
「あ、そうですか。ではちょっと相談させてい貰いましょうかな」
 拙生が云うと、女は深々と拙生等に律義に一礼するのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 150 [もうじやのたわむれ 5 創作]

 コンシェルジュは椅子から立ち上がって拙生と男を迎えるのでありました。拙生等よりは若そうな風貌の男でボタンダウンの白いシャツに赤い地に紺と白の細い斜め縞の入ったネクタイと、三つボタンの段返り中一つがけに紺のブレサーを着ているのでありました。ブレザーの胸には真ん中に『閻』と書いてあるエンブレムがついているのでありました。
「これから街を散歩してこようと思うのですが、こちらの地理には全く不案内なもので、少々散歩コースのアドバイスを頂けたらと思いましてね」
 拙生はデスクの前にある椅子に腰かけながら云うのでありました。拙生の横の椅子に連れの男がやや遅れて着席するのを待ってから、昔のアイビー風ファッションのコンシェルジュはネクタイの位置を気にしながら自分も腰を下ろすのでありました。
「どのような目的での散歩でいらっしゃいますか?」
「ちょろっと世情視察と云うか、まあ、そう云った感じです」
「生まれ変わり地を決定されるに際して、その前にちょいとばかりこちらの世の空気を吸ってみようか、なんと云う事でしょうかね?」
「半分は気儘に知らない街を旅行する気分ですが、ま、後の半分がそう云った魂胆です」
「ああそうですか。それでは繁華街とかオフィス街とか霊のよく行く公園とか、それに典型的なこの辺の霊が住む住宅地とか、そんな処のブラブラ歩きをご希望で?」
「そうですね。世情視察の方ではそんな処と、後は旅行気分の方で、ちょっとした名所旧跡なんぞがあれば、そこも訪ねてみたいものですな」
「判りました。半日コースで、効率的にそう云った処を周れるルートを考えてみましょう」
 コンシェルジュはデスクの下から地図を取り出すのでありました。それは補佐官筆頭から貰った『閻魔庁周辺散策ガイドマップ』と云う絵地図と同じものでありました。
「ああ、それなら私も持っていますよ」
 拙生はポケットから絵地図ガイドを取り出すのでありました。
「ああそうですか。ではその地図の上で検討いたしましょう」
 コンシェルジュは自分が出した方の地図をデスクの下に仕舞って、拙生が持っていた方を受け取ると、天地を拙生等の目線にあわせてデスクの上に広げるのでありました。A半裁程度の大きさの、方位や距離、それに道路などの形状が引き写しに描写された正縮尺の地図ではなくて、よく娑婆の観光地のお土産屋さんなんかで売っている、カラフルなイラストが多用された、デフォルメや歪みを厭わない観光案内地図であります。二人連れの帽子を被った若い女の子が旅行カバンをぶら下げて、満面の笑顔で、まるで踊っているように歩行している絵なんぞも、タイトルの下辺りに目立つように描いてあるのでありました。
 良い歳をした大の男が二人して、この絵地図を頼りにあちらこちらと歩きまわる図なんと云うのは、何やら胡散臭い感じがするんじゃないかしらと、拙生は少々気後れなんぞがするのでありましたが、しかし住霊には拙生等の姿は見えないのだから、そんな体裁を気にする必要もないかとも考えるのでありました。旅の恥はかき棄て、とも云いますし。
「地図上に描きこみをしても宜しいでしょうか?」
 コンシェルジュはそう云って、上着の内ポケットから万年筆を取り出すのでありました。
(続)
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