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もうじやのたわむれ 143 [もうじやのたわむれ 5 創作]

 噴水の周りにはいかにも座り心地のよさそうな褐色のシックなソファーが、ゆったりと間隔を取って噴水を取り囲むように並び、そこには恐らく三日間の、地獄に行くか極楽に行くか思い悩む時間を過ごしているのであろう亡者達がてんでに座って、新聞を見開いている者あり、居眠りをしている者あり、噴水を見上げながらコーヒーを飲んでいる者あり、他の亡者と談笑している者ありと、皆思い思いに思い悩んでいるようでありました。広間の壁際にはホテルのフロントのようなものもあり、その横には大きなデスクがあって、コンシェルジュのようなスーツ姿の霊が座ってもいるのでありました。なかなか優雅な都市型ホテルのような光景であります。結構大勢の亡者や霊がこの空間を行き交っているのでありましたが、空間が広いために立てこんでいる感じはしないのでありました。
「では私の方でチェック・インの手続きをして参ります」
 補佐官筆頭が拙生に云うのでありました。「大して時間はかかりませんが、手続きが終わるまで、あの噴水の処のソファーでちょっと待っていてください」
 補佐官筆頭はそう告げると、拙生を残して壁際のフロントの方へ向かうのでありました。補佐官筆頭の道服に冠姿は、この都市型ホテルのような空間には如何にもそぐわないのでありました。何やら宴会場の控室から出てきた余興の芸人のような風情であります。
 拙生は噴水の方へ歩いていって空いているソファーに腰を下ろして、噴水の水音に耳を澄ますのでありました。こうして近くで聞くと、噴水はなかなか剛毅な水音をたてているのでありました。その音に因って、周りの喧騒はすっかり消されるのでありました。
 成程ここは地獄へ行くか極楽へ行くかをじっくり考えるには、好適な場所かも知れません。まあ、大方の亡者は自分の部屋で静かに思い悩むのでありましょうが、しかし静か過ぎる部屋でぽつねんとあれこれ悩むよりは、こう云った自分以外の亡者やら、ここで働く霊やらが行き交うロビーみたいな場所で思案をめぐらす方が、一人でいるよりは案外まっとうな結論が得られるかも知れません。地獄に行くか極楽に行くかは、こちらの世でこの後の八百年程を生きる身にとっては、全く以って重要な選択なのでありますから、判断を過たないようにしなければなりません。ま、拙生はもう結論を得ているのでありますが。
 そう云えば娑婆で学生時代に、先に話した新宿にあった名前も忘れた喫茶店で、噴水の水音を片耳に聞きながら、その日は手近な新宿末広亭の夜席に行くか、それとも面倒でも上野の鈴本まで足を伸ばして、小三治師匠の尊顔を拝するかを大いに思い悩んだ時の事を思い出すのでありました。あれは確か四年生の十月頃で、世間の大学四年生の間では就職活動真っ盛りと云った時期でありましたが、拙生てえものはそちらで様々思い悩むなんと云う事は一切しないで、温くなったコーヒーを啜りつつ煙草を銜えて、擦ると色とりどりの小さな火花がパチパチと爆ぜるマッチの炎に見蕩れたりしながら、陰鬱な顔で全くお気楽にその件のみを思い悩んでいたのでありました。面目ない懐かしい思い出であります。
「いやどうも、お待たせいたしました」
 背後から補佐官筆頭の声が聞こえるのでありました。拙生はふり返ってソファーから立ち上がろうとするのでありました。補佐官筆頭は拙生に座った儘でいてくれと手で指示して、自分の方から横に来て拙生の横に腰を下ろすのでありました。
(続)
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