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あなたのとりこ 652 [あなたのとりこ 22 創作]

 頑治さんは少し笑うのでありました。「それにどだい、俺は暫くの間だとしても労働争議なんかで、気の毒さを売り物にしながら飯を食う気は更々ないし、そんなのは全くイカさないと思っているし、まっぴらご免蒙るよ」
 そう云いながらも、寸でのところで労働争議になりかけたのを自分は別に強硬に忌避しようともしなかったのでありましたか。寧ろ袁満さんや他の組合員に対して、そちらの流れに乗るのが自然なような発言をしたんじゃなかったかしらと考えるのでありました。
 どちらが本気だったかと云えば、それはまっぴらご免の方でありますか。まあ、行きがかり上、労働争議も辞さないと云う姿勢を示したのであります。しかし心根の底の方で、屹度そんな事にはならないだろうと云う読みも確かにあったのでありました。
 日々無難で平穏が何よりを身上とする袁満さんや、全総連の後ろに控えている政治政党がむやみに嫌いな均目さん。それに労働運動なんて本来毛先程も似つかわしくない那間裕子女史。社長や土師尾常務の無体に対抗するために便宜的に組合に入ってけれど、こちらも那間裕子女史同様如何にも組合活動が似合わないし、何に付け事が大仰になるのは叶わないと思っている甲斐計子女史。それにちゃらんぽらんの自分でありますから、これはもう、労働争議を引き受けるべき人材とは全く以って云えないでありましょう。
「まあ、それじゃあ、また就職活動をすることになるのね、頑ちゃんは?」
 夕美さんが訊くのでありました。
「そう云う事になるかな」
「大儀ね、それは」
「いやそうでもないよ。慣れているから」
 頑治さんは然程うんざりだと云った調子ではなく返すのでありました。しかしまあ、こうやってやっと見つけた定職を不本意ながら放り投げる事態に立ち至ったのは、夕美さんに対して申し訳ないような心持ちにもなるのでありました。夕美さんは頑治さんがアルバイトではなくちゃんとした正社員として就職した事を、大いに喜んでくれていたのでありましたから。その夕美さんの喜びをこうして裏切るのは何とも面目ない事であります。

 夕美さんはここで少し話しの舳先を曲げるのでありました。
「そう云う事なら、夏休みはどうなるのかしら?」
「明日会社に辞表を出すんだから、当然俺の夏休みはないよ」
「そうじゃなくて、夏休みになったら頑ちゃんはこっちに帰って来るって云っていたでしょう。それで頑ちゃんが帰る時に今度はあたしが夏休みを取って、一緒に東京に行くってそんな計画をしていたじゃない。それはどうなるのかしら?」
「勿論計画通りだよ。夏休みどころか、俺は会社を辞めてこれからずうっと休みと云う事になる。そっちに帰る時間は十二分にあると云う事だし」
「ああそう。それなら良いんだけど、失業者になるんだから旅費とか大丈夫?」
「まあ、何とかなるだろう」
 そう云いながら頑治さんは銀行の預金通帳を頭に思い浮かべるのでありました。
(続)
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U3

少し早いですが、良いお年を!
by U3 (2021-12-26 11:16) 

汎武

お世話になりました。
どうぞ良い年末年始を。
by 汎武 (2021-12-26 23:26) 

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