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あなたのとりこ 600 [あなたのとりこ 20 創作]

「まあ、そんなに凄まなくても、二人の候補の名前はもう知れていますけどね」
 均目さんも負けていないところを見せるために、眼容に精一杯の迫力と大袈裟な対抗心を込めて土師尾常務を見据えるのでありました。
「先ず唐目君で、その次があたしね」
 那間裕子女史が土師尾常務を喧嘩腰の目で見据えるのでありました。
「その通り」
 土師尾常務は何故かここで力強く頷いて見せるのでありました。「その心算で僕は半ば公然と動いていたので、別に誤魔化す必要もない」
「何だか開き直っているようですね」
 均目さんが皮肉っぽく笑うのでありました。
「開き直る必要すら、別にない。こんな窮状にある会社にとって、社業に不可欠ではない人から切るのは、それは経営として当然の判断だろう」
 この言に依ると頑治さんは会社で最も無用な人物として経営側から見られていると云う事のようであります。まあ確かに、頑治さんが今遣っている業務仕事は、云わば誰でも熟せるような単純労働で、高度の習熟度も専門性も必要のないものではありますか。
「唐目君は会社に必要ではない人だと云うのね」
 那間裕子女史が歯を剥き出すのでありました。「それに唐目君の次ぎには、このあたしが社員の中での厄介者と云う事ね」
「はっきり云えば、そう云う事だ」
 土師尾常務は如何にも遣りにくそうにではあるものの、この時は那間裕子女史から視線を外さないで、目玉の微動も極力抑えながら断言するのでありました。
「唐目君の真価を、それに那間さんの真価も、常務はまるで判っていないようですね」
 袁満さんが抗弁を開始するのでありました。「唐目君は前に片久那制作部長から大いに評価されていて、恐らく片久那制作部長は唐目君を将来、制作部の中心人物に育てようと云う気でいたんだと思いますよ。だから業務仕事の合間に、と云うか業務仕事は俺や出雲君が出張に行っていない時にはこちらに割り振って、制作部の手伝いとか自分の助手みたいな仕事をさせていたんですよ。それは常務も判っていたでしょう?」
「まあ、ぼんやりとは、判っていたよ。社内の規律上、苦々しくは思っていたけど」
 土師尾常務は顔を顰めて見せるのでありました。
「その時には片久那制作部長のそう云う遣り方に何の口出しも出来なかったくせに、今になって唐目君を余計者みたいに云うのは、一体どう云う了見からですか」
「別に口出し出来なかった訳じゃなくて、時期を見てきちんと云う心算だったんだ」
「そうかしら、今頃つべこべ言い訳しているけど、要するに片久那さんが畏れ多過ぎて、萎縮してとても云い出せなかったんじゃないの?」
 那間裕子女史が可愛気の欠片もなく嘲笑うかのように鼻を鳴らすのでありました。
「無礼な!」
 土師尾常務は全くお決まりにここで逆上するのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 599 [あなたのとりこ 20 創作]

 均目さんがその言葉に拘りを見せるのでありました。
「いや、脅しと取られたら不本意だが、しかしその収支報告書の数字を見れば、私の云っている事が冗談や下らない謀ではない事はちゃんと判るだろう?」
「そう云われるとまたこの報告書が、ちゃんと信用出来るものか出来ないものかの話しに戻って仕舞いますが、ま、それは一先ず置いておくとして」
 均目さんは皮肉な笑いを片頬に浮かべるのでありました。「話しを続けると、若しも我々従業員が待遇の見直しに応じない場合は、次にどう云う手を考えている訳ですかね?」
「そうなれば、こちらとしても避けたいところだが、人員整理、しかないだろうね」
「よく云うわ!」
 那間裕子女史が吐き捨てるのでありました。「先ず唐目君、その次にあたしを土師尾さんを遣って馘首しようと策謀していたくせに、何が次の手が、人員整理、なのよ。先ず人員整理があって、それがダメなら待遇の改悪、と云う肚でいたんでしょう。順番がまるで逆じゃない。社長が態とそんな誤魔化しを今更使うのなら、誠意を疑うわ」
「そのどちらが先か後かなんかは、大した問題ではないだろう」
 また土師尾常務がしゃしゃり出てくるのでありました。
「人員整理と云う方法が先か、それとも待遇改悪と云う方法が先かでは、少しそちらの誠実さのところに違いがあるような気がしますけどねえ」
 袁満さんが首を傾げるのでありました。
「ほう、どんな違いか、説明してくれるか?」
 土師尾常務は袁満さんを睨むのでありました。
「いや、言葉では上手く説明出来ないけど。・・・」
 袁満さんは土師尾常務の迫力に圧された訳ではないでありましょうが、腕組みしながら少し俯いて語勢を後退させるのでありました。
「まあいいや」
 均目さんが社長の方を向いて仕切り直すのでありました。「どちらが先でどちらが後かは知らないけれど、結局どちらか一方ではなく人員整理して後に待遇改悪も、待遇改悪して後に人員整理もと両方込みで策謀していたんでしょうからね」
 均目さんはそう云って自得するように一つ頷いて、また続けるのでありました。「結局じゃあ、人員整理、と云うのは、具体的には一体誰を整理する心算なんですか?」
 均目さんのやけに率直な問いかけに対して、社長はおどおどと目の玉を揺動させるのでありました。社長だけではなく土師尾常務も、この人の狼狽えた時のお決まりで、そわそわと落ち着き無く眼鏡の奥の目を微動させるのでありました。
「まあ、特定して名前を上げるのは気が進まないが、・・・」
 社長がそんなたじろぎを見せると、ここは仕方が無いながら社長への忠義の見せどころと覚悟してか、土師尾常務が珍しく気丈にも目の微動を収めるのでありました。
「それは僕の方から云わせて貰う」
 この場の皆の目がそう云った土師尾常務の顔に向けられるのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 598 [あなたのとりこ 20 創作]

 この会議に於いて均目さんと那間裕子女史は、連携を取って言葉を社長と土師尾常務に投げかけているようでもあると、頑治さんはうっすら思ったりしていたのでありました。と云う事は、頑治さんのアパートに泥酔した那間裕子女史が表れて、それを均目さんが介抱しながら引き取っていったあの一件後、その経緯はさっぱり判らないながらも一応目出度くも仲直りをした、と云う事になるのでありましょうか。で、ちゃんと仲直りして一件落着の後に、この全体会議に二人して臨んでいると云う事になるのでありましょうか。
 しかし今の那間裕子女史の均目さんを見る目とその恨み言から察すると、未だ二人の間の蟠りはちっとも解けてはいないようにも見えるのであります。あの一件後にこの二人はどう云う風に互いの気持ちを整理整頓したのでありましょう。ま、今の全体会議の話しの流れとは全く無関係ながら、頑治さんをそんな事を秘かに考えているのでありました。

 社長はソファーの背凭れにふんぞり返るように身をあずけて、均目さんの顔を忌々しそうな目をして睨むのでありました。
「均目君は元々、組合と我々の団体交渉と云う形ではなく、社内の全体会議と云う形に賛成だった筈じゃなかったかね?」
「まあそうでしたけど、社長が外部の経理の専門家を呼んできて、その人に我々の説得を依頼すると云うんですから、そうなると話しは違ってきますよ。我々としても一方的に社長の側に立った計理士さんに縷々説得されると云う構図は、これは如何にも拙いから、こちら側も経理の専門家を呼んできて、同等の立場で対抗するしかないじゃないですか」
「いや、どうしても経理士さんを呼ぶと云っているんじゃないよ。君達が私や土師尾君の説明ではすんなり納得出来ないと云う事らしいから、それなら、と云う事だよ。別に私や土師尾君の説明で構わないのなら、計理士さんの手を態々煩わせる必要はないよ」
 社長は別に懇意の計理士に従業員に説明と説得を依頼すると云う事に、殊更拘っていると云う事ではないのでありました。まあ、会話の流れから、そう提案をした迄で、特に予めそのように図っていたのではないのは頑治さんも得心するところでありましたか。
「じゃあ、まあ、経理士さんを呼ぶとか呼ばないとかはこの際置いて、話しを前に進めましょう。つまり社長と土師尾常務はこの会計報告を出す事に依って、その次に用意してあるであろう忌憚のない具体的な解決策を、曖昧にしないで、それにあんまり粉飾したり、脅かし効果を秘かに狙ったりしないで、率直に明快に話していただきましょうか」
 均目さんが社長の顔を見ながら仕切り直しの心算でそう云うのでありました。
「まあ、はっきり云えば、君達の待遇を見直したいと云う事だ。他の会社や他の組合との釣り合いと云う観点ではなく、我が社の身の丈と現状に合った待遇に改めないと、もうどう仕様もないところに来ていると云う危機感を、君達にもちゃんと持ってもらいたいと云う事だよ。はっきり云ってそうしないと、君たちは失業の憂き目を見る事になる」
 社長はこの科白が、均目さんに脅しの効果を狙ったけしからぬものと受け取られないように、何となく深刻らしさと懇願の調子を語句の端々に散りばめるのでありました。
「失業の憂き目、ですか?」
(続)
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あなたのとりこ 597 [あなたのとりこ 20 創作]

「専門の人、と云うのはどう云う人の事かな?」
 社長は少しの警戒心を見せるのでありました。
「お察しのお通り組合の上部団体である全総連の、経理の専門家ですよ」
「労働組合にそんな専門家がいるのかね?」
「そりゃいますよ、勿論。これ迄に色んな企業であった経営側の色んな悪巧みをあれこれ熟知していて、その対抗策をサポートしてくれたり、態と判りにくく書かれた会計資料なんかをちゃんと読み解くのを専門にする、全総連専従の職員ですよ」
 均目さんのその説明を聞いて社長は既にもう自分の邪な謀を暴かれて仕舞ったような、慎に嫌そうな表情をするのでありました。
「あくまで社内会議の体裁なんだから、社外の人が参加するのはどうかと思うけど」
「だって社長の方も、ウチの社の人ではない会計事務所の会計士さんを呼んで説明して貰おうと云うんですから、その論法は通用しませんよ」
 均目さんはそんな云い草は端から相手にしない、と云うような、社長に対するものとしては慎に不謹慎な不敵な笑みを浮かべてゆっくり首を横に振るのでありました。
「いやそれは、私や土師尾君が説明するより信憑性が増すだろうとの配慮から、敢えてそうしようかと提案した迄だよ、つまり。ま、私や土師尾君は君達にあんまり信用がなさそうだからね。勿論会計士さんの説明は必要がないなら、それでも別に構わないし」
 社長はそう云って皮肉な笑いを頬に刻むのでありました。
「じゃあ、その社長の押す会計事務所の会計士さんの説明の時に、こちらが押す全総連の人も同席する、と云うのはどうですか? その方が手っ取り早いと思いますけど」
「いや、外部の組合の人が来るのなら、会計士さんの説明の話しは無しだね」
 社長は自分の方から云い出した提案をつれなく取り下げるのでありました。
「その会計士さんでは組合運動の手練れに、太刀打ち出来そうにないからかしら」
 那間裕子女史がここで挑発的なちょっかいを出してくるのでありました。
「部外者の会計士さんを団体交渉みたいなものに、態々同席させる必要はないと云っているんだよ。会計士さんにしたって迷惑千万な事だろうし」
「でも組合の団体交渉ではなく、あくまでも全体会議の体裁だし」
 袁満さんも那間裕子女史に次いで参戦するのでありました。
「労働組合の人が同席するなら、それはもう全体会議じゃない」
「あくまでもオブザーバー参加ですよ、その会計士さんにしても同様でしょう?」
「外部の労働組合の人が参加すれば、それはもう全体会議とは云えない」
「だからあたしは、社内の全体会議と云う形じゃなくて、労働組合事案として団体交渉と云う形式の方がベターだと云っていたのよ」
 那間裕子女史がそう云って、社長の口車に乗ってこの会議を全体会議と云う形にミスリードした犯人たる均目さんをジロと睨むのでありました。均目さんはその那間裕子女史の視線に気付いたのか気付いていないのか、女史の方に目を向ける事はなく、腕組みして如何にも難しそうな顔をして口を尖らせているのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 596 [あなたのとりこ 20 創作]

「そうして貰わなければ会社の存続が危うくなると云うのは、この報告書の数字から明白だろうね。この危機はかなり差し迫ったものと云うしかない」
 社長は眉間に皺を寄せて、さも深刻そうに囁くのでありました。
「何だか会社存続の危機を云い募る事で、要は従業員の賃金や待遇を落とそうと云う策謀と考えられなくもないわね、その芝居じみた顔や云い方を聞いていると」
 ここで那間裕子女史が喋り出すのでありました。「この会計報告書にしたって、春闘の時には出してこないで、如何にも急拵えにこの局面で出してくると云うのも、何だか社長の秘かな策略を疑わせるに十分、と云わざるを得ないのじゃないかしら」
「何て事を云うんだ那間君は!」
 ま、お決まりにここで土師尾常務が大変な剣幕で出張ってくるのでありまいた。「社長は真摯に会社の危機を訴えていると云うのに、そのふざけた云い草は何だ!」
「社長は春闘の時に散々組合に遣り込められた意趣返しに、売り上げの低迷をちゃっかり利用して、春闘での決定事項をここで反故にして遣ろうとしていると推理するのは、強ち不自然でもないし、そうやって土師尾さんが一々過敏に目くじらを立てるのも、その秘かな目論見の発覚を恐れての事だと疑う事も出来るんだけど、どうかしら?」
「何なんだその云いがかりは!」
 土師尾常務が一気にヒートアップするのでありました。「云うに事欠いて、那間君は何て下らない聞き捨てならない悪態をついているんだ!」
「まあ土師尾君、ここは冷静に」
 社長がまた掌を下にしてそれを腕ごと何度か土師尾常務の胸の前で縦に振って、宥めにかかるのでありました。「私はあくまでも道理を尽くして、率直に会社の現状を説明しているんだから、そうやって一々興奮して横から大声を出されると困るよ」
 社長にそう窘められて土師尾常務は一応は口を閉じるのでありましたが、未だ昂奮抑え難いように、肩を上下しながら荒い息遣いを見せているのでありました。
「しかし社長、そうはおっしゃいますけど、出し抜けに一方的にこんな報告書なんかをここで持ち出してきて、かくかく然々なんて一方的に云い募られても、こちらとしては成程左様でございますかと、俄かには首肯出来るものじゃない、と云うのも道理でしょう」
 均目さんが荒い息遣いの土師尾常務には態と目もくれないで、やや下から、社長一人の顔を凄みを利かせてゆっくりと睨め上げるのでありました。社長はいざ知らないけれど、頑治さんはそんな均目さんの目付きに対して然程の迫力は感じないのでありました。
「しかし、この報告書は掛け値なしの真実の報告書なんだし、この数字がどうしても信用ならないと云うのなら、近い内にこれを作成して貰った会計事務所の公認会計士さんを呼んで、説明をそちらからして貰っても構わないよ」
 社長は睨め上げる均目さんをちょっと見苦しそうな薄目をして見下ろしながら、努めて冷静な語調で返すのでありました。
「是非そうしていただきたいですね。しかし社長と会計士さんが結託して、適当に丸め込まれるのも癪だから、その時にこちらも専門の人を呼んでも構わないですよね?」
(続)
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あなたのとりこ 595 [あなたのとりこ 20 創作]

「常務のお眼鏡に叶わないと云う点は慎に申し訳無いところです」
 均目さんはちっとも申し訳無いとは思っていない顔でしれっと云うのでありました。
「そうやって態と僕の言葉を茶化そうとしているが、要するにそれは負け惜しみのひねくれた表現で、本心は敗北感と悔しさで一杯なんだろう」
 土師尾常務は自分をあくまでも侮るような態度をとる均目さんの魂胆を、さもしたり顔で分析して見せるのでありました。それに対して均目さんは思わず、と云った風にちょいと吹いて見せて、対抗上こちらも更々応えていないところを見せようとするのでありました。これは見ように依ってはなかなか面白いジャブの応酬、と云うものでありますか。
「ところで、売り上げの比較表の方はどうなっているんです?」
 土師尾常務と均目さんの鞘当て応酬合戦を仲裁する、或いははたまたこれ以上聞くに堪えないと思ったのか、日比課長がそんな言葉を差し挟むのでありました。
「そうそう、無意味で何も得るところのないつまらない意地の張り合いみたいな事はどうでも良くて、そろそろ話しを本題に移して貰えるかな、二人共」
 社長は土師尾常務と均目さんを先ず交互に見て、次に土師尾常務の方に遣った目をそこに固定するのでありました。「特に土師尾君は均目君より歳上なんだし、おまけに取締役であり上司なんだから、もう少し弁えて大人の対応をしても良いんじゃないのかな」
「・・・、判りました」
 土師尾常務はそう呟いて一応社長の訓戒を受け入れるのでありました。しかしその表情には、ここで均目さんを恐縮させる事もなしに自分の方が引き下がるのは、全く以って不本意で道理に合わないではないか、と云った不満が滲み出しているのでありました。
「確かにこの前期との売り上げ比較を見ていると、会社は相当危ないところにあるとも云えますよね。まあ、誰が悪いとか、その辺はこの際置くとしても」
 日比課長は顎を撫でつつ社長の前に置かれた紙を覗き込むのでありました。
「そう云う事だ。早急に対策を打たないとこの儘では会社解散は免れないと思うよ」
「会社が解散して明日にも失業するような事態よりは、待遇が少しくらい落ちても、何とか会社が存続する方が未だマシかな」
「私も、つまり敢えて厳しい事を云うようだけど、皆さんのためにはこの四月からの賃金や待遇をここでもう一度見直して、会社を何とか存続させる事が出来るように、方向転換する方が賢明な選択だと考える。そうは思わないかな皆さんは?」
 社長はここでゆっくりグルっと、この全体会議出席者全員の顔を値踏みするように見渡すのでありました。ようやく自分の思っていたペースに会議を誘導出来たと云う、一種確信犯的な太々しさがその目の中に仄かながらくっきり見えるのでありました。

 この場に居る全員が一様に深刻そうな面持ちで、口をへの字に結んで俯いたり天井の一点を見つめたりしながら、身動きを忘れて重苦しい沈黙を保っているのでありました。
「待遇を今年の春闘前に戻す、と云う事ですかね?」
 袁満さんが警戒心を露わにしながら先ず言葉を発するのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 594 [あなたのとりこ 20 創作]

「ああ、成程ね」
 社長はソファーの背凭れに沈めた体をその儘に、先程の土師尾常務と同質の薄ら笑いを浮かべて、何事か納得するように首を縦に数度動かすのでありました。「まあ今の、日本全国のローカル駅案内、みたいな陳腐な企画なら僕も没にするだろうね」
 社長にそう云われて均目さんは少しムッとした顔をして見せるのでありましたが、特に何も云い返すような仕草はしないのでありました。それは要するに、自分でもその企画のつまらなさを重々判っているからでありましょうか。
 土師尾常務にやいのやいのと催促されてものぐさと苦し紛れから、均目さんはそんなやっつけ仕事的な陳腐極まりない企画をうっかり提案したのかも知れないと頑治さんは考えるのでありました。本人も屹度提案したその場で自分の怠惰を悔いたに違いないでありましょう。結局社長にも今、その辺りを図星されたと云う次第でありますか。
「矢張り均目君は、クリエーターとしては片久那君に到底及ばないと云うところかな」
 土師尾常務がそう云って侮るように口の端を笑いに歪めるのでありました。
「ま、常務が指導力とか部下を心服させる上司としての器量とかに於いて、片久那制作部長の足下にも及ばないのと似たり寄ったりで、自分でも慎に面目無い次第ですかね」
 均目さんも大いに負けていないところを見せるべく、こちらも口の端に薄ら笑いを浮かべて土師尾常務に尚更無礼を働いて見せるのでありました。
「何だその云い草は!」
 土師尾常務が均目さんの思惑通りすぐに頭から湯気を出すのでありました。
「そう云う科白にしても、片久那制作部長に比べると全く迫力に欠けますよね」
 均目さんは怯まないところを見せるべく、冷静な口調で返すのでありました。
「まあまあ、二人共」
 社長が掌を下にしてそれを腕ごと何度か縦に振って宥めに掛かるのでありました。
「ああ、また話しを脱線させるように仕向けて仕舞って、社長には申し訳ありません」
 均目さんが今度は社長に向かって何とも生真面目な形相をしながら、頭を過剰なくらい低く下げて謝って見せるのでありました。それに対して社長はさも不快そうに眉根を寄せて、頷かないで均目さんに寧ろ鋭角な視線を投げるのでありました。
「まあ、均目君も制作部の責任者になって未だ間がないから、いきなり片久那君と同じレベルの仕事は無理と云うものだろう」
 社長はその口振りから判断するとしたら、仲裁なのか均目さんへの労わりなのか、それとも侮りなのか良く判らないような事を口にして薄く笑って見せるのでありました。
「しかし片久那君の場合は僕と一緒にこの会社を率いるようになった時にはもう、一端の仕事はしていた筈だし、均目君はその頃の片久那君と同じくらいのキャリアになっている筈だ。それなのに片久那君に遠く及ばないと云うのは、偏に均目君の怠慢か無能のなせるところと云う事になるんじゃないのか。その辺は均目君自身はどう考えているんだ?」
 土師尾常務は社長の、ひょっとしたら仲裁なの労わりなのかを全く無視するように、あくまで均目さんを追い詰めてやろうと云う心算のようでありました。
(続)
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あなたのとりこ 593 [あなたのとりこ 20 創作]

「実際の営業回りしてみての実感も、まあ確かに前に比べて良くはないですね」
「それは僕も最近頓に感じている」
 ここで待っていましたとばかりに、土師尾常務が日比課長の言に乗っかってしゃしゃり出てくるのでありました。「特に利益率の高い自社製品の評判が芳しくない。昔から一定の人気のあった定番商品すら、ここのところ全く見積もり対象として挙がってこないし、魅力的な新開発商品も片久那君が辞めてからは何も出来ていない」
 土師尾常務はそう云いながら均目さんの方に目を向けるのでありました。
「新開発商品の方はどうなっているのかね?」
 社長も均目さんの方に顔を向けるのでありました。
「常務の方に全く提案していない訳、ではありませんが、・・・」
 均目さんがどこか居心地悪そうに身じろぎするのでありました。

 土師尾常務が均目さんの言を聞いて、小さく鼻を鳴らすのでありました。その後勿体ぶった身ごなしでソファーの背凭れから身を起こすのでありました。
「新商品と云っても、均目君の持って来る案は従来品の焼き直しとか、微調整品とか、その程度のものが殆どでちっとも斬新なところがないからなあ」
 土師尾常務はそう云いながら、如何にも高飛車な態度で均目さんを小馬鹿にするような薄ら笑いを浮かべるのでありました。
「いやいや、新案の企画もちゃんと出していますよ」
 均目さんは不本意そうに口を尖らせるのでありました。
「まあ、新案と云っても恐ろしく金のかかりそうな企画とか、随分長い時間を掛けないと商品にならないような企画は確かに出てはいるけどね」
「例えばどんなものかな、その均目君の出す企画とやらは?」
 社長が均目さんをソファーの背凭れに身を埋めた儘で見るのでありました。
「竟この前に出してきた企画が、それも僕が散々催促してようやく出してきたのが、日本全国のローカル駅を厳選して三百程紹介するB五判の八十頁程の小冊子、とか云うものだったけど、そんなものは如何にも陳腐でどこにでもありそうな企画で、営業サイドの意見としては、ウチの販促品のラインアップ中の有力商品になるとは到底思えないけどね」
「しかし本の中の案内図は今ある一枚ものの百万分の一の全国地図を流用出来るし、図版は在京の各県の観光物産課から借りて来れば良いし、記事も関東周辺の幾つかの駅は現地取材するにしても、殆どは観光パンフレットや既存の旅行案内本や鉄道企画本なんかを参考にして書けば良いし、そんなに大金を掛けないで出来る商品だとおもいますがねえ」
「で、経費と製作期間はどんなものなんだい?」
 社長があんまり乗り気でないような素振りで訊ねるのでありました。
「その辺の細かな経費計算とか製作時間の割り振りなんかをする前に、土師尾常務に端から相手にされなくて即刻没にされました」
 均目さんは未練たっぷりと云った風情で土師尾常務に目を向けるのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 592 [あなたのとりこ 20 創作]

 今迄見縊っていた袁満さんのこのただならぬ剣幕に、土師尾常務は思わず怯んで仕舞うのでありました。この辺りは、体裁は大いに気にしていながら結局のところ全く腹の座ったところのない小心の輩は、こうしてすぐに馬脚を現すと云うものでありますか。
「人が我慢して黙っていればそれを良い事に調子に乗りやがって、そうやって小馬鹿にするようなものの云い方は好い加減にして貰いたいものだよなあ」
 袁満さんがそう捲し立てる間、土師尾常務は口を半開きにして怯みのために瞬きも忘れて、喧嘩腰の袁満さんに目を釘付けているだけでありました。まあ、袁満さんのこの日頃からは到底考えられないような変貌ぶりに驚いたのは、土師尾常務だけではなく頑治さんを始めとするこの場に居るほぼ総ての者共、とも云えるでありましょうか。
 袁満さんのこの短い反撃の言葉が終わると呆気に取られた土師尾常務も他の者共も、当面発するべき言葉を見付けられないのでありました。重苦しいような遣る瀬無いような、はたまた尻がモゾモゾするような沈黙が応接スペース中に重く泥むのでありました。
 その重苦しさてえものが袁満さん自身も大いに意外であったようでありました。袁満さんは何となくばつが悪そうにこそこそと、あっけらかんとは到底云えない身ごなしで着席するのでありました。土師尾常務の口は未だ半開きの儘でありました。
「袁満君を馬鹿にする心算で云ったんではなく、売り言葉に買い言葉で、土師尾君も竟心にもない不穏当な言葉を遣って仕舞ったんだと思うよ」
 社長が袁満さんを宥め且つ、場を取り持つように云うのでありました。
「最初に無神経な言葉を売ったのは袁満君じゃなくて土師尾さんの方だけどね」
 那間裕子女史が皮肉な笑い顔をして社長の言葉を訂正して見せるのでありました。
「まあ、あんまり罵り合いみたいなことはしないで、お互いに冷静に話しをしようと云う事だよ、私が云わんとしているのは」
「罵り合いをしているんじゃなくて、土師尾さんが先ず日比さんを、それからまるで事の序と云った風に次に袁満君を一方的に罵っているだけじゃないかしら」
「そんな心算は無いよ!」
 ようやく半開きの口を閉じ得た土師尾常務が、眼鏡の奥の目を何度も瞬かせながら身を乗り出そうとするのでありました。その言葉を制するように社長が掌を下にした自らの左手を大仰な仕草で、土師尾常務の顔の前で何度か上下に振って見せるのでありました。
「まあまあ、兎も角そのくらいにして」
 社長は土師尾常務と那間裕子女史、それに袁満さんを窘めるように見遣った後で徐に重苦しい口調で続けるのでありました。「今ここで土師尾君と日比君の営業成績の比較をしたいのでもなく、袁満君の仕事態度や、仕事の進捗状況に対してどうこう云いたいのでもない。それより話しを会計報告書の方に戻すと、一昨年より去年、去年より今年と、売り上げがかなり下降しているし、特に今年は去年に比べて急激な程の落ち込みと云える」
「まあ、この数字を信用すれば、確かに」
 日比課長がそう云いながら数度頷くのでありました。
「そうだろう。日比君も判るだろう、ウチの会社が今どんな状況にあるのか」
(続)
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あなたのとりこ 591 [あなたのとりこ 20 創作]

「それもありますけど、他にもあれこれと・・・」
「ほう、何も報告は受けていないけど、他にもあるのかい?」
 土師尾常務は端から信用なんぞしていないと云った風に、眼鏡の奥の目に侮りの笑いを浮かべて口の端を歪めて見せるのでありました。
「まあ、未だ報告する迄煮詰まっていないですけれど。・・・」
 日比課長は弱々しく且つ多少の悔しさを滲ませて語尾を収めるのでありました。
「実現する可能性は限りなく小さいと云う事だろう、要するに」
 土師尾常務は聞えよがしに鼻を鳴らすのでありました。
「そんな事を云うなら、常務のその大口の見積もりとやらにしたって、未だちゃんと本決まりしたと云う訳じゃないんじゃないですか?」
 袁満さんが日比課長に助け舟を出そうとしてか口を挟むのでありました。
「それはそうだが、日比君の話しとは元々確度が違う」
 土師尾常務は如何にも心外、と云った風に眉根を寄せて口をへの字に曲げて、袁満さんを不愉快そうに睨むのでありました。「そんな事を云うのなら、袁満君の地方出張営業を現地の代理店に任せると云う仕事は、ちゃんと捗っているんだろうな?」
「鋭意努力していますよ」
 袁満さんは無愛想に云って土師尾常務の顔から目を逸らすのでありました。
「前から袁満君が担当していた旅館とかお土産屋とかには、最近でもちょくちょく商品を送ってはいるようだけど、それも前と比べれば随分分量は落ち込んでいるし、出雲君が担当していたところなんかはさっぱり売り上げが上がっていないし、それどころか取引自体が全くなくなっているところもあるようだが、それはどうしてなんだ?」
「それはちゃんとこちらが出向いて、直接得意先と遣り取りしている頃のきめ細かさが無いから、売り上げはどうしても落ちて行きますよ」
「いや、袁満君の遣り方が的を射ていないんじゃないのか?」
「こっちだって一生懸命やっていますよ」
 袁満さんは声を荒げるのでありました。
「出雲さんが辞めた後に人員補填もしないで、袁満さんの出張に対しても好い顔をしなくなって、経費をケチって営業の遣り方をきっぱり変えろと指示してみたり、地方出張営業がじり貧になるのは、土師尾常務も始めから織り込み済みだったんでしょう?」
 ここで土師尾常務のあまりに一方的な云い草に遂に癇癪を起したようで、那間裕子女史が露骨に敵意を剥き出してしゃしゃり出てくるのでありました。
「のほほんと観光旅行気分で出張営業に行っても、会社にとって何のメリットもない」
「のほほんと観光気分で出張に行っていたと思っていたんですか、今迄!」
 袁満さんは激昂して思わずと云った感じで立ち上がるのでありました。立ち上がった袁満さんはこれ以上出来ないと云ったくらい目を剥きだして、今迄頑治さんが見た事がない程の、これぞまさに典型的、と云った具合の鬼の形相で土師尾常務を睨み下ろすのでありました。両の拳が、込められた力に依ってわなわなと震えているのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 590 [あなたのとりこ 20 創作]

「こんな紙一枚を急に出してきて、それであたし達を丸め込もうとしても、それは余りに虫の好い算段と云うものじゃないかしら」
 那間裕子女史は土師尾常務を睨み付けるのでありました。土師尾常務は苦手意識から竟その眼光に少しの怯みを見せるのでありましたが、ここで怖じている訳にはいかないと自分を励まして、那間裕子女史と同じ程度に目を怒らせるのでありました。しかしおどおどするのを恐れてか言葉は何も発しないのでありました。
「この会計報告を、那間君は信用出来ないとでも云うのかね?」
 社長も那間裕子女史のこの発言を実に不謹慎で忌々しいものだと感じたようで、眉根を寄せて細めた瞼の奥の眼容を如何にも鋭くして女史を睨むのでありました。まあ、気の強い那間裕子女史にその程度の怒りの表出が通用する筈もなく、女史の社長を見る目に可愛気の宿る余地は全く以ってないと云うものでありましたが。
「この紙に書いてある数字の根拠なり信憑性を示しもしないで、頭ごなしに信用しろと云われても、それは無理に決まっているじゃないですか」
 那間裕子女史は全く無愛想な口調で云ってそっぽを向くのでありました。
「那間君は製作の方しか知らないから、その程度の認識しかないのも無理もないかも知れないが、営業の日比君なら、この数字の信憑性はちゃんと理解出来るよなあ?」
 社長は日比課長の顔を見るのでありました。
「ええ、まあ、・・・」
 いきなりここで名指しさた日比課長は、目を上下左右に揺動させながら如何にも曖昧に応えるのでありました。
「日頃から営業回りをしているんだから、ここのところの売り上げ不振の実情なんかは、身を以って思い知っているだろう?」
「確かに前程の売り上げは、ずっとないように感じますけどねえ」
 日墓課長の応答に土師尾常務が聞えよがしに鼻を鳴らして見せるのでありました。
「日比君の営業成績が、このところさっぱり芳しくないのはちゃんと自覚している筈だろう。それなのにそんなあやふやな応えしかしないのはどうしてなんだろう?」
「それは確かにここ最近捗々しい数字が稼げていないのは認めますよ。でもそんな事を云うなら、常務だって大した数字は出せていないんじゃないですか?」
 日比課長は不愉快そうに返すのでありましたが、土師尾常務の指摘に多少ばつが悪いところもあるせいかそっぽを向いた儘でありました。
「それは僕だってなかなか思うような数字があげられない。でも大口の見積もりを幾つか請われていて、今はそれの回答待ちと云ったところだ。尤も自社製品ではなく他社製品での見積もりだから、利益はそんなに上げられないが」
「見積もりなら、私だって何社かに出してありますよ」
 日比課長は口を尖らせて土師尾常務を反抗的な目で見るのでありましたが、すぐに視線を逸らせて仕舞うのは那間裕子女史に対する土師尾常務と同じ心根からでありますか。
「あの、この前報告を受けた少部数の実用書の名入れとかの事かい?」
(続)
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あなたのとりこ 589 [あなたのとりこ 20 創作]

 社長はそう云って袁満さんをじっと見つめるのでありました。袁満さんが手に取った紙の上辺の一角が細かく震えているのは、自分を見る社長の視線に袁満さんが緊張を覚えたからでありましょう。成程社長の眼光には、どうだこれを見ても未だ四の五のお気楽な御託を並べられるのか、と云った威迫が濃く込められているのでありました。

 袁満さんはつるっと紙面に目を通した後、まるでこの持て余すべき社長の強い視線ごとすっかり預けて仕舞うように、それを均目さんに渡すのでありました。均目さんも袁満さんよりは少し長めに目を通して、今度はそれを日比課長に回すのでありました。
 日比課長の次は那間裕子女史に、その後は甲斐計子女史と一渡り従業員が回覧した最後に、頑治さんがそれを手にするのでありました。その間社長は、書類を手にした者に順次むやみに挑むような視線を送り、無言の威圧を与え続けようとするのでありました。
 この書類てえものは、この全体会議が開かれる前月迄の三年間の月毎の売り上げ比較表なのでありました。それにその三年間の自社製品と他社製品の売り上げ比率の比較表も付してあるのでありました。売り上げ比較の後に、敢えてのように付されたこの自社製品と他社製品の比率比較は、つまり利益率の低い他社製品の比率が次第に多くなっているところを開示する事に依って、売り上げと同時に利益も急激に薄くなっている辺りを見せようと云う魂胆からであろうと、頑治さんは先ずここでは推察してみるのでありました。
「それが偽らざる会社の惨状と云う事ですよ」
 社長はこれでまんまと社員の意気地を挫き得たと云った風に、見様に依ってはさも得意気に胸を反らすのでありました。頑治さんは、偽らざる会社の惨状、への深刻な危惧よりも社員を今見せたペーパー一枚で決定的な迄にとことん遣り込めた心算になって得意になっている社長の無邪気を、まあ、半分程の軽蔑を以って秘かに笑うのでありました。
「要するに、これ程のっぴきならないところに会社の現状はあるんだから、ガタガタ待遇とかに文句をつけないで、この際、先の団交で妥結した諸事も綺麗さっぱり御破算にして、不利益や各人への差別的待遇も甘んじて蒙れ、と云う事をおっしゃりたいのですね」
 均目さんが、こんな紙一枚なんぞで以ってへこんでなんかいられるかと云うところを見せようとして、不遜な笑いを湛えた目を社長向けるのでありました。
「こんな数字の羅列は、作ろうと思えば幾らでも作れるだろうし」
 那間裕子女史も均目さんに倣って口の端に笑いを湛えるのでありました。この辺の息の合ったコンビネーションなんと云うのは、ひょっとしたら先の頑治さんを巻き込んでのゴタゴタをその後二人で何とか乗り越えた、と云う事の左証であろうかと頑治さんは全く関係の無い事を不意にぼんやり考えて仕舞うのでありました。
「何だその云い草は!」
 ここで土師尾常務がしゃしゃり出るのでありました。「折角社長が君達に会社の現状を理解して貰おうと誠実に思って、無理にも会計事務所に頼んでこの書類を作って貰ったと云うのに、その労を嘲笑うとはどういう了見なんだ君達は!」
 これはもう大変な剣幕であります。
(続)
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あなたのとりこ 588 [あなたのとりこ 20 創作]

「均目君はどうしてそう、僕を小馬鹿にするような云い草をするんだ?」
 土師尾常務は例によって今度は、均目さんの自分に対する不謹慎な態度にイチャモンを付け始めるのでありました。
「強いご要望であるなら、今日の議題は脇に置いてその話しに移っても構いませんが、そうなるとまた、誰彼の態度が気に入らないだとか、自分が蔑ろにされているのはけしからぬ事だとかの、全く以って下らない云い合いをこれから展開する事になりますが、どうやら常務は大切な議題よりも、そう云う罵り合いみたいな展開をお望みのようですね」
 均目さんは茶化すような笑いを未だ湛えた儘でありました。
「まあ土師尾君、そう云う不毛な云い合いは止して、会社存続が深刻な危機にある事を社員の皆さんに理解して貰う方を先にした方が良いだろう」
 土師尾常務のあまりの頓珍漢振りにほとほと呆れてか、社長がソファーの背凭れから少し身を起こしながら口を挟むのでありました。「那間君にもその危機感をちゃんと共有して貰いたいから、土師尾君は反省を促そうとして敢えて遅刻の件を持ち出した訳だ、云い方が悪くて上手く伝わらなかったかもしれないが。その辺は均目君も売り言葉に買い言葉みたいな反応をしないで、少しは弁えてくれても良いんじゃないか?」
「社長はそうおっしゃいますけど、那間さんとしても充分反省はしているんだけど、常務に頭ごなしに罵るような語調で噛み付いてこられれば、それは反発して竟々無礼なものの云い方をして仕舞うのは、これはもう仕方が無いじゃないですか」
「それは確かに目上の者としての在り方には問題があるかも知れない」
 社長は分別有り気に頷いて見せるのでありました。自分だけ格好を付けようとしてか、そんな事を云う社長に土師尾常務が驚いて、体ごと横に座る社長に向き直るのでありました。土壇場でちゃっかり梯子を外されて仕舞ったような具合でありますか。
 しかしところで、均目さんは土師尾常務の何時も通りの、ちょいと挑発されると肝心のところをすっかり脇に置いて、まんまとその相手の言に乗っかって仕舞う迂闊さに、実は上手に付け込もうとしているようにも頑治さんには見受けられるのでありました。要は均目さんの方が土師尾常務の短気と単細胞を利用して、この全体会議での話題を本来の議題からするりと遠ざかるように仕向けるよう秘かに画策しているようにも思えるのであります。まあ、何のためにそうしているのかは未だ確とは判らないのでありますけれど。
「ここら辺で話しを本題に戻そう」
 社長は仕切り直すのでありました。「前の会議の時にも、その前からも繰り返し云っているように、会社の存続そのものが危機的な状況にある事を社員の皆さんも判って貰うために、本当は無闇に出したくはないのだけれど、こういう資料を見て欲しいんだがね」
 社長はそう云って持参したファイルケースから一枚のA4用紙を一枚取り出して、均目さんか袁満さんか少し迷った上で、先ずは袁満さんの前に置くのでありました。
「何ですかこれは」
 袁満さんは徐に紙を取り上げて目を近付けるのでありました。
「正式の決算書類ではないけど、会計事務所で作って貰った会計報告だよ」
(続)
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あなたのとりこ 587 [あなたのとりこ 20 創作]

「では要するに、常務としては那間さんに何を要求したいのですか?」
 ここで均目さんが口を挟むのでありました。土師尾常務はすぐに袁満さんから喧嘩腰の目を均目さんの顔の方に移すのでありました。
「この際はっきり云わせて貰うけど、これ迄の仕事に対する態度から判断して、就業規則を順守しようと云う意志なんかとことん持ち合わせていないようだし、実際の行動も不実極まりないのだから、相応のペナルティーを受け入れて貰うしかないと考えている」
 土師尾常務は如何にも陰鬱な語調で重々しく云うのでありましたが、那間裕子女史の方には視線を向けないのでありました。これはうっかり女史の方を見て仕舞って、実際の地位は自分の方が上である筈なのに、また不本意にも位負けみたいな醜態を晒してしまうのを恐れたためでありましょう。これもまあ、なかなかの弱気振りではありますか。
「相応のペナルティー、と云うのはつまりどういうものですか?」
 均目さんが土師尾常務の弱気を見透かしたように口の端に憫笑を湛えて、少しばかり身を乗り出しながら訊くのでありました。
「賃金の減額とか、当分の間出社停止とか、その辺は色々考えられる」
「賃金の減額は受け入れられませんよ」
 袁満さんが横からすぐに発言するのでありました。「組合として、賃金に対する勝手な操作は断じて受け入れられませんからね」
「それじゃあ訊くけど、那間君の社員としての弁えの無さとか不良態度に対して、組合として何の問題も無いとでも考えているのか?」
 そう詰め寄られて袁満さんはすぐに反駁する機を逸するのでありました。袁満さんとしても那間裕子女史の長年の度重なる遅刻には、心の内ではうんざりしていたのでありましょう。しかしここで土師尾常務に調子付かれてはまんまと向うの思う壺だと焦って、何とか反論の言葉を大至急探すのでありましたがもたもた感は拭えないのでありました。
「組合として何の問題も無い、とは云っていませんよ」
 袁満さんの当惑をカバーしようとして均目さんが云うのでありました。「しかし黙って会社の云いなりに、那間さんに対する懲罰を受け入れる気もありませんけどね」
「それはどういう事だ、均目君?」
「懲罰を理由に、組合員の一人に対する賃金面での不利益を認める事はしないと云う事ですよ。それはようやくかち取った賃金体系の崩壊につながりますからね」
「それは組合の勝手な云い分だ。人事考課は会社の専権事項だろう?」
「著しく不当なら、組合としても容喙せざるを得ないじゃないですか」
「どうせ何でもかんでも不当だと云い募る心算なんだろう?」
 土師尾常務は見透かしたような笑いを片頬に浮かべるのでありました。
「そうでもないですけど、まあ大方は、そうなるでしょうね」
 均目さんも大いに負けてはいないところを示すため、土師尾常務の片頬の笑いを茶化すように笑って見せるのでありました。当然ながらそれが全く気に入らないようで、土師尾常務の顔に険しさがみるみる表れるのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 586 [あなたのとりこ 20 創作]

「この前問題になった那間君の件だけど、今日は本人も居る事だし、云うべき事をちゃんと僕の方から云わせて貰おうと思う」
 土師尾常務は如何にも深刻ぶって重々しく口を開くのでありました。「那間君はどうして毎朝、前に居た片久那君からも屡注意を受けながら、今も相変わらず遅刻を繰り返しているんだ? どうしても朝定時に会社に出て来られない事情でもあるのか?」
 面と向かってそう訊かれても、何と応えて良いのかまごまごするしかないでありましょうが、その当惑を隠して、那間裕子女史は土師尾常務から目を背けて、取りように依っては嘗めたような笑いを片頬に浮かべて返事するのでありました。
「朝は苦手なんですよ」
「苦手だったら遅刻しても構わないと云う訳か?」
「別にそうは云っていませんけど」
 那間裕子女史は呟くように云うのでありましたが、どこか太々しそうでありました。
「そう云っているじゃないか!」
 土師尾常務は女史のこの、自分に対する畏怖の欠片も感じられない云い草に喧嘩腰になるのでありました。小馬鹿にされていると感じたのでありましょうが、まあ、那間裕子女史としても小馬鹿にしているのでありましょう。しかしそこは本心をグッと抑えて体裁だけでも地位の上下に対する弁えは示しておいた方がよかろうと云うものであります。
「遅刻するのはあたしの落度だってことは承知しています。どうも済みません。今後は気を付けて始業時間に間に合うように出社しますよ」
 那間裕子女史は浅く頭を下げて見せるのでありましたが、この態度てえものも、畏れ入っていると云うよりはどこかふざけていると云った感じでありましたか。まあ、咎められて素直に畏れ入るよりは寧ろ、ムラムラと対抗心の方を掻き立てられて仕舞うと云う女史のある種仕方のない性格からだと云うところでもありましょうか。
「そんな事を云うくせに、実は全然反省してなんかいないようだな」
 土師尾常務は那間裕子女史を睨み付けるのでありましたが、睨まれた那間裕子女史は全く以って怯む様子もなく、寧ろ自分以上の敵意満々の視線を投げ返してくるのはちょっと読み違えたと云った按配だったようで、土師尾常務の方がうっかり先に視線を外して仕舞うのでありました。ここら辺りが土師尾常務の生来の弱気の表れでありましょうか。
「那間さんは自分の落度を認めて、今後は態度を改めると殊勝に云っているんですから、今日のところはその件はもう良いじゃないですか」
 袁満さんが土師尾常務の弱気を見透かしてか、間に入ろうとするのでありました。
「入社以来今日まで続いてきた遅刻が、そう簡単に改まるとは思えないね」
 土師尾常務は袁満さんを睨むのでありました。強気に於いて那間裕子女史には叶わないけれど袁満さんには些かも負けないと思っているのでありましょう。それに確かに、その日の朝も那間裕子女史は遅刻をしていたのでありました。この辺りが那間裕子女史の隙でありましょうが、逆に土師尾常務なんぞには隙を見せようがどうしようが別に無頓着と云うのなら、これはもう土師尾常務にしたら立場も体面もないと云うものであります。
(続)
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