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あなたのとりこ 703 [あなたのとりこ 24 創作]

「俺に対する当て付けとして、と云う事かい?」
「当て付けと云うよりは均目君に対する、レトリックとしての訴え、と云うのか、もっと云えば、求愛、と云うのか、まあそんな感じの。・・・」
「求愛?」
 均目さんは首を傾げるのでありました。
「那間さんなりの、均目君を標的とした愛情表現としての行為だったんじゃないかな」
「云っている事がよく判らないな」
 均目さんは腕組みして頑治さんから視線を外すのでありました。
「要はそう云う不埒な事を態とする事によって、那間さんは何となく関係がギクシャクし出した均目君に、もう一度自分の方を振り向いて貰いたかったんだと思うんだよ」
「しかし那間さんが唐目君の家に酒に酔って押しがける事を俺は知らなかったし、仄めかされてもいなかったんだから、あの那間さんの行為に俺は無関係な筈だ」
「そこが那間さんの心の動きの、ユニークなところだよ」
 頑治さんは何やら自分の云っている事が、如何にも不自然で込み入り過ぎていて、明らかに作り事めいていると、云いながら思うのでありました。つまり均目さんに対する誤魔化しでありますか。那間裕子女史の気持ちが頑治さんではなく均目さんの方をターゲットにしているのなら、数日前に頑治さんの家を再度訪ねては来ないでありましょうし。
「何だか唐目君は、那間さんから逃げる口実として、俺をここで無理矢理持ち出してきているような感じがするなあ。無茶な論の立て方は何の説得力もないぜ」
 均目さんは苦笑するのでありました。
「いやあ、那間さんの思いは、まだ均目君に向いていると思うけどなあ」
 もうこれは、頑治さんの引っ込みがつかないための苦しい戯れ言と云わざるを得ないでありましょう。それを均目さんにちゃんと見透かされているのは、もう判っているのでありましたし、これ以上、ああだこうだと下らない屁理屈を捏ね続けるのは、いやはや寧ろ屈辱的であり、見苦しいだけと云うものでありますか。

 紅茶を飲み終えた均目さんが、手持無沙汰にテーブルの上を人差し指と中指と薬指を使ってリズミカルに連打しているのでありました。
「コーヒーでもお代わりするかい?」
 頑治さんが訊くのでありました。
「いや、もう一杯飲む程時間はないだろう」
 均目さんは腕時計を見ながら云うのでありました。それから頑治さんの顔を、何事か云いた気にじっと見据えるのでありました。
「何か云いたい事があるのかな?」
 頑治さんはヒョイと眉を上げて見せるのでありました。
「片久那制作部長が、唐目君にも自分の今の仕事を手伝って貰いたいようだよ」
 均目さんは頑治さんの顔を見据えた儘でそう云うのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 702 [あなたのとりこ 24 創作]

「そんなに本格的にではないけど」
「まあ、着々と、会社を辞めた後の生計の道を実行している訳だ」
「いや、当初はそんなに賃金を貰える訳がないから、生活は今より苦しくなるかな」
「それでも、今後の方途が未だ決まっていない俺よりはマシだ」
「片久那制作部長に付いていけば、将来は取り敢えず間違いないと思うよ。あれこれ心配する事もない訳じゃないけど、今はそう考えるしかないかな」
「まあ、重畳と云うところじゃないか」
 頑治さんは湯気の向こうの均目さんの顔を薄っすら見ながら、泡立った生クリームの下に隠れているコーヒーを一口啜るのでありました。
「那間さんとはその後どうなんだい?」
 頑治さんはそれとなく訊いてみるのでありました。
「もう最近はすっかり付き合いはないよ」
 これは、那間裕子女史から聞いたのと同じような応えでしました。
「もう仲を解消した、と云う事かな?」
「はっきりとけじめを付けたような感じじゃないけど、何となく互いにもう連絡もしなくなったし、それでも別に心騒ぐ訳じゃなし、この儘フェードアウトしていく感じかな」
「フェードアウト、ねえ」
 頑治さんは何となく均目さんの言葉を繰り返すのでありました。「で、今はそのフェードアウトの途中と云う事かな?」
「いやもう殆ど、収束段階と云う事になるだろうな。お互いに、電話連絡どころか、近況伺いもしないし、それに別段寂しさも感じなくなったし」
「何だかやけにあっけない感じだな」
「今更、未練タラタラ、と云う感じで全くはないよ」
 均目さんは紅茶を飲み干すのでありました。「それより那間さんは実は唐目君に気があるんだろうな。だから俺が見限られた訳だ」
「いや、そんなんじゃないんじゃないかな」
「だってこの前、那間さんはグデングデンに酔っぱらって突然唐目君を訊ねたんだし、それは酒の勢いを借りて、唐目君に自分の思いを伝えようとした所行に他ならないし。まあ結局は唐目君が持て余して、俺が彼女を迎えに行ったんだけど。しかし、つまりは俺より唐目君の方に、那間さんの思いは移ったって事に違いないだろう」
「いやあ、そうとばかりも云えないだろう」
 頑治さんは数日前に那間裕子女史が家に来た事を思い浮かべるのでありましたが、それはここでは口にしないのでありました。
「そう考えないと事の辻褄が合わないと思うけどね」
「そうじゃなくて、実は那間さんは均目君との仲が、意に反してギクシャクしだしたのをくよくよ思い悩んでいて、それをなんとかしようとして、ああ云う傍から見れば妙な行動に打って出たんじゃないのかな。俺はそんな気がするけど」
(続)
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あなたのとりこ 701 [あなたのとりこ 24 創作]

「ここは一番、もう少し強気に出る時じゃないですかね」
 頑治さんが云うと袁満さんは、小さくではあるけれどしっかり頷いて見せるのでありました。折角好い感じになってきた甲斐計子女史との仲をこれで終了させたくないと云う袁満さんの真情が、この頷きではっきり吐露されたと云う事になるのでありましょう。
「その内また昼飯にでも誘ってみるかな。まあ、何時もは甲斐さんが先ず俺を昼飯に誘ってきて、その後でコーヒーを俺が誘っていたんだけどね」
「そんなのはどっちが先でどっちが後でも良いじゃないですか」
 袁満さんは妙なところに拘るのでありましたが、これはひょっとしたら二人の仲に於いて甲斐計子女史の方が積極的だったと云うところを、見栄から敢えて頑治さんに強調したかったのでありましょうか。ま、ここでこう云うのは無用な自尊心でありますけれど。とまれ袁満さんは甲斐計子女史との今迄の仲を、この先もずっと続けていきたいと願っているのであります。これは疑いのない明快な気持ち、と云えるでありましょう。
 袁満さんは向後の指針を得たような気になったのか、これで意気揚々と、と云うとやや大袈裟の誹りを免れないでありましょうが、それでも倉庫に現れた時よりは溌剌として上の事務所に引き上げて行くのでありました。序ながら、頑治さんと那間裕子女史の件に関しても、それ以上の質問やら追及はなくて済むのでありました。

 翌日の昼休みに頑治さんは均目さんから、珍しく昼食に誘われるのでありました。このところ均目さんとは昼食を一緒に摂る機会は失せているのでありました。それどころか、朝に慣習的な挨拶を交わす以外は一日殆ど口を利かない日もあるのでありました。
 食事は近くの中華料理屋でさっさと済ませて、その後均目さんの誘いで神保町の喫茶店ラドリオに入って午後の始業迄の時間を潰すのでありました。
「唐目君は会社を辞めた後の仕事は、もう目途を付けているのかい?」
 均目さんは珍しく紅茶を飲みながら訊くのでありました。
「いや、未だ何も。この分だと当分はその日暮らしかな」
 頑治さんは何時も通りウィンナーコーヒーを啜るのでありました。
「暫く骨休めでもする心算かい?」
「骨休めする程この会社で働いていないよ」
「それはそうだな」
 均目さんは口の端を歪めて苦笑するのでありました。
「均目君の方は片久那制作部長から、何時から仕事に来てくれとか、そう云った具体的な話しなんかはもうあったのかな?」
「うんまあ、ぼちぼちね」
 均目さんは紅茶カップの縁から唇を離すのでありました。「片久那制作部長は地下鉄の新宿三丁目駅の傍に仕事場をもう構えていて、何度かそこに行った事があるし、仕事の手伝いなんかも少しさせて貰っているよ、そんなに本格的にと云う訳ではないけど」
「へえ。もうそっちの仕事に取り掛かっているんだ」
(続)
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あなたのとりこ 700 [あなたのとりこ 24 創作]

「でも傍から見ていると、那間さんはどちらかと云うと均目君より唐目君の方に興味がありそうに見えるけどね。均目君と話している時より唐目君と話している時の方が、目が生き々々しているように見えるよ。これは甲斐さんも前にそう云っていたけどね」
「そんな事は特にないんじゃないですか。それより袁満さんは、そんな事も甲斐さんと二人で居る時に話題にしているんですね」
「まあ喫茶店でコーヒーを飲んでいる時のちょっとした話しでね。もう前の事だけど」
「で、端的に訊きますけど、袁満さんは甲斐さんの事を、歳の差はさて置くとして、どのように思っているんですかね?」
 頑治さんは自分と那間裕子女史の話題を避けようとそう話しを振るのでありました。
「どのように、とは?」
「つまり、好い仲になっても良いなとか、そう云う風に思っているんですかね?」
 そう訊かれて袁満さんは少しどぎまぎするのでありました。
「さっきも云ったように、歳の差十歳と云うのは、俄かにはさて置けない事だよ」
「そうですかね。俺はそんなに重大事だとは思いませんけどね」
「いやあ、でもあれこれ考えると、矢張りかなり大きな要素だよ」
「と云う事は、あれこれ考えた事もある、と云う事ですね?」
 そう訊かれると袁満さんは決まり悪そうに、返す言葉を失ったように口を閉ざすのでありました。しかしここでおっとり沈黙した儘でいると頑治さんの余計な勘繰りを許す事になると考えてか、急いで何か云い繕うべき言葉を探すように目玉を微揺動させるのでありました。まるで土師尾常務の気の弱さを思い起こさせるような仕草でありました。
「いやまあ、竟うっかりそう云う風に云ったけど、別に真剣にあれこれ考えたと云う事ではないよ。変な誤解は止してくれよ」
「そうですか。実は俺は、袁満さんと甲斐さんは全くお似合いのカップルだと、ずっと前から思っていましたけどねえ」
「そうかなあ」
 袁満さんは、そんな筈はないよ、と云うニュアンスを出そうとしてそんな曖昧な返事をものすのでありましたが、しかし頑治さんは袁満さんの目がやにさがっているのをしっかり確認するのでありました。内心満更でもない、と云う感じでありますか。
「甲斐さんだって未だ三十代半ば、と云うところですから女盛りですよ。そんなに袁満さんと不釣合い、と云うものでもないんじゃないですか」
「まあ確かに、二人で話していると年齢差程老けていると云う感じじゃないし、話題も俺とそんなに合わない訳でもないし。・・・」
 おやおや、風向きが微妙に変わってきましたかな。
「偶々甲斐さんの会社に居残ると云う判断と、俺達の退社と云う思惑の違いで変なしこりが出来たみたいだけど、それはちゃんと話し合えば判り合える事柄じゃないですかね。だからそれで甲斐さんとの仲を諦めて仕舞うのは、如何にも癪じゃないですか?」
「うーん、まあ、そうかなあ。・・・」
(続)
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あなたのとりこ 699 [あなたのとりこ 24 創作]

 袁満さんはこのところ日比課長とは、何だかしっくりとはいっていないような感じであります。前はあんなに、互いに冗談半分の悪態をつき合う程の名コンビであったのでありましたけれど。まあ、労働組合が結成されて、その組合に対する二人の態度の違いが明らかになった辺りから、どことなく屈託が生まれたと云う感じでありましょうか。
 それに甲斐計子女史に対する態度も変化したような風でありますか。昼休み等、袁満さんと甲斐計子女史が連れ立って何処かで昼食を共にしたり、食事の後始業時間迄喫茶店なんかでコーヒーを飲みながらよく二人で過ごしているようでありましたが、このところそう云う付き合いもさっぱりなくなったようであります。
 袁満さんと甲斐計子女史は、ひょっとするとひょっとする仲、なのではないかと、或いはそうなるのではないかと頑治さんは考えたりしたのでありましたが、もうそのような気配は全く感じられないのでありました。寧ろ袁満さんは土師尾常務も日比課長も出掛けて仕舞って、営業部スペースに二人だけで残されるのが何だか気重のようでもあります。だからこれと云った用もないのに、袁満さんは頻繁に倉庫に遣って来るのであります。
「袁満さんは最近、甲斐さんと食事したりはしていないのですか?」
 頑治さんは如何にも軽い調子、と云った口調で訊いてみるのでありました。
「いやあ、最近は全くないな。一緒に食事するどころか、朝と帰りの挨拶や仕事に関する事以外、滅多に言葉すらも交わさないし」
「那間さんと、袁満さんと甲斐さんが時々昼休みに一緒に歩いていたりするのを見て、案外好い仲なのかも知れない、とか話していたんですけどねえ」
「甲斐さんに昼飯を奢って貰って一緒に会社に帰っていたところを、偶々唐目君と那間さんに目撃されただけだろう」
「いや、偶々ではなく、何度となく目撃しましたよ」
「ああそうだったかな」
 袁満さんは恍けて見せるのでありました。「しかし、好い仲も何も、俺と甲斐さんは十歳も歳が離れているんだから、そんな仲になる訳がないじゃないか」
「いや、その気なら十歳の歳の差なんかは、さしてどうと云う事はないでしょう」
「いやあ、十歳と云う年齢差は結構重大な要素だよ」
 そんな風に袁満さんが云うところを見ると、ひょっとしたら袁満さんは甲斐計子女史と好い仲になる可能性について、結構真剣に考えた事があるのかも知れないと頑治さんは考えるのでありました。それ故に返って事ここに到ると、何だか二人の仲が急激にギクシャクして仕舞ったのだと云う風にも推察出来なくもないでありますか。
「俺と甲斐さんより、唐目君と那間さんの仲はどんな按配なんだい?」
 袁満さんが頑治さんにそう訊き返すのでありました。
「俺と那間さんの仲、ですか?」
 今度は頑治さんが恍けて見せる番でありました。「俺と那間さんと云うより、均目君と那間さんの仲の方が深いんじゃないですかね」
 頑治さんは昨日の事を竟思い浮かべて平静ではいられないのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 698 [あなたのとりこ 24 創作]

 しかし後日、知っていたのに何故教えなかったのかと、那間裕子女史からその不実に対するお叱りを受ける事になるやも知れません。その時何となく那間裕子女史の体面を傷つけるのが憚られたためだと云い訳しても、それは返って女史のプライドをより一層傷つける事になって、到底理解しては貰えないかも知れないでありましょう。
 頑治さんはその辺の気持ちのモヤモヤが消えないのでありました。会社を辞めた後はもう那間裕子女史と逢う事もなかろうと思うのでありますが、それだけに余計、けりを付けられなかった痛恨事として、或いは那間裕子女史に対する引け目として、何時までもこのモヤモヤは頑治さんの心根の内に屹度長く残り続けるのでありましょう。

 翌日例によって那間裕子女史は朝寝坊のために、一時間程遅刻して会社に現れるのでありました。もう辞めていく女史に対して態々教誨を垂れるのも無意味と考えているのか、あの三度の飯よりガタガタと些細な事にもケチを付けるのが大好きな土師尾常務も、扉を開けて入って来た女史と目も合わせないで無関心を決め込んでいるのでありました。
「おはよう」
 那間裕子女史は先ず袁満さんに明るくそう声を掛け、次に頑治さんにも屈託なく声を掛けて、少し暗い調子で甲斐計子女史に声を掛けるのでありました。土師尾常務には彼の人の無視との釣り合いで、ここに居ない者の如く一瞥も呉れないのでありました。
 頑治さんに対する声の掛け方は何時ものようにあっけらかんとしていて、昨日二人の間であった擦った揉んだをまるで反映していない様子であったのは、まあ、那間裕子女史のプライドか或いは照れ隠しかのどちらかにしろ、一先ず頑治さんは胸のつかえがほんの少々下りたような心地でありましたか。勿論頑治さんの顔を見た途端、どうして昨日は自分を一人残して何処かへ遁走して仕舞ったのかと詰りだす程、那間裕子女史は極度の独りよがりでもなく非常識人でも多分ないのは重々判っているのではありましたが。
 まあ、那間裕子女史も努めて何時も通りに頑治さんと接しようとしているのでありましょう。昨日のゴタゴタを翌日の会社に持ちこむ必要は何もないのでありますし。
 頑治さんはその日の配送伝票が出ていないことを確認して、一階の駐車場奥の倉庫に下りて行くのでありました。取り敢えず制作部関連の仕事もその日はないようでありましたから、午前中は倉庫の整理に時間を使えそうであります。
 箒で床を掃いていると袁満さんが遣って来るのでありました。
「今日は朝から日比課長の姿がありませんでしたが、何処かに直行ですか?」
 頑治さんがそう声を掛けると袁満さんは下唇を突きだして、肩を竦めて首を左右に何度か傾げて見せるのでありました。
「知らないよ、俺は。まあ、大方得意先に直行なんだろうけど、その連絡の電話は俺は取ってはいない。土師尾常務にでも聴いて貰わないと」
 何となく素っ気ない云い方でありました。もう日比課長の事なんか、自分は知ったこっちゃないよと云うところをこう云う云い方で表しているのでありましょう。
「別に態々日比課長の動向を土師尾常務に確認する気はありませんよ」
(続)
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あなたのとりこ 697 [あなたのとりこ 24 創作]

 まあこう云っては何ですが、那間裕子女史が部屋の電灯をちゃんと消してから帰って行った、と云うその律義さなんと云うのは、女史にはあんまり似つかわしくはないようにも思えるのであります。しかし電灯を消す生真面目さがあるとするなら、無施錠で部屋を去る不用心をも憚るでありましょう。と云う事は、消灯してはいるけど部屋に居る、と云う事も考えられなくもない訳であります。さて、そうならどうしたものでありましょう。
 頑治さんはドア口で部屋の中の様子を窺うのでありました。何となく人の気配はないような感じでありますか。しかしうっかりドアを開けて那間裕子女史が中に居たら、これはもう、これ迄の時間潰しが骨折り損と云う事になって仕舞うのであります。そればかりではなく那間裕子女史に、酔い潰れた人間を何故一人残して出て行ったのかと大袈裟に騒がれたりして、益々の窮地に追い込まれるかも知れないのであります。
 さあて、これは実に悩ましい事態であります。頑治さんはこの土壇場で、ドアノブを回す勇気がなかなか湧いてこないのでありました。
 しかし夜中にこうして外で部屋の中の様子を窺っているのを誰かに見られたら、不本意ながらあらぬ疑いを招くやもしれません。警察に通報されでもしたら、こりゃまた面倒であります。頑治さんは竟に意を決して、無施錠のドアノブをグイと回すのでありました。それから上がり込んで部屋の電灯を灯すと、中には誰も居ないのでありました。
 頑治さんは安堵の溜息を吐くのでありました。那間裕子女史は目論見通り、どうやら終電前に自分の家に帰って行ったようでありました。この辺りの那間裕子女史の様子てえものは、屹度本棚の上のネコのぬいぐるみがしっかり見ていた事ありましょう。
 まあこれで何となく無事に事が終わったと云うところでありますが、頑治さんはどこかモヤモヤが心根の内に残るのでありました。それは那間裕子女史のプライドを結果として傷つけた事になったと云う悔悟ではなくて、均目さんの向後の仕事に付いて頑治さんが何も知らないと、しらばくれて仕舞ったと云う点でありました。
 均目さんと片久那制作部長は、何も知らない那間裕子女史の想像が一定程度的を射ていた通り、片久那制作部長の始めた仕事を均目さんが手伝うと云う風に確約を取り交わしていたのでありましたし、それを頑治さんは均目さんから既に聞いていたのでありました。またそれは、先ず片久那制作部長から頑治さんに打診があった事なのでありました。
 頑治さんはその誘いを断ったのでありましたし、均目さんはそれをおいそれと引き受けたのでありました。また頑治さんはその後でひょっとしたら那間裕子女史にも誘いが行くのかも知れないと、何となく流れから考えていたのでありましたがそれはどうやらないようでありました。要は、片久那制作部長は那間裕子女史を選ばなかった訳であります。
 均目さんは選ばれたと云うのに、自分は片久那制作部長に選ばれなかったと云う点で、ひょっとしたら那間裕子女史はメンツを傷つけられたと感じるかも知れないと、頑治さんは慮ったのでありました。なかなかにプライドの高い那間裕子女史の気質を考えて、それで正直にこれを話す事が出来なかったのでありました。
 まあ、頑治さんの考え過ぎなのかも知れません。しかしこの辺に用心深いのは、強ち間違っているとも云えないようにも思うのであります。
(続)
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あなたのとりこ 696 [あなたのとりこ 24 創作]

 若し那間裕子女史が何処までも頑治さんのアパートに居座るとしたなら、頑治さんは今夜帰るべき家を失う事になる訳であります。しかしまあ、時候は真冬の寒風吹き荒ぶ頃でもなし、一夜くらい外で過ごしても別に過酷な事でもないというものであります。
 頑治さんは決して潔くはないそんな決定をすると、そおっと立ち上がって玄関先に向かうのでありました。部屋の電灯は点けっ放しにしておいても構わないし、鍵は掛けるとしても内側からそれは解除できるから、那間裕子女史は帰る事は出来る筈であります。女史が帰った後暫くの無施錠の不用心は仕方のないところでありますけれど。
 ドアノブの回る音を極力たてぬように扉をゆっくり押し開けて、また閉まる時の音も注意深く無音に済ませて、頑治さんは誰憚る事のない自分の家であるにも関わらず、妙にビクビクしながら部屋の外に出るのでありました。無事に外に出ると溜息を吐くのでありましたが、ここで何故か急に腹がかなりへっている事に思い至るのでありました。那間裕子女史を放ったらかしにして、自分一人だけ食事を摂るのも何やら気が引けない事もないのでありましたが、まあ、相手は昏睡しているのだから仕方がない事でありますか。
 頑治さんは地下鉄の本郷三丁目駅近くの、夕美さんが上京してきた折等、時々一緒に食事に入った事のある中華料理屋に向かうのでありました。
 ところで若し夕美さんが東京に来ている時に、那間裕子女史が今日みたいな感じで頑治さんの家を訊ねて来ていたとすれば、何だか非常にややこしい事に相成った事でありましょう。しかし今日の場合、来た時には未だ那間裕子女史は酔い潰れてはいなかったから、ひょっとしたらすったもんだはあったにせよ、結局は何とか円く片が付いたかも知れませんが、前の時のようにすっかり酔い潰れて前後不覚で玄関先に倒れていたとしたら、これはもう、考えただけでげんなりする程厄介な事件になった事でありましょうか。
 てな事を考えながら炒飯とラーメンを食い終って、頑治さんは腕時計を見るのでありました。終電には未だ時間があるのでありました。
 もう少し帰るのを遅らせる必要があると考えて、頑治さんは本郷三丁目駅近くの喫茶店で時間を潰すのでありました。そこは夜中の二時迄遣っている店で、飲んだ帰りのサラリーマンらしき客が二組程、離れた席に座って、緩んだ姿勢でコーヒーを啜りながら、テニスのテレビゲームを夢中でやっているのでありました。何やらあんまり好ましい雰囲気ではないのでありましたが、まあしかし、ここは仕方がないところでありますか。
 喫茶店を出たのは夜中の一時を過ぎた頃で、もう正気に戻ったなら、那間裕子女史は確実に帰った頃でありましょうか。外からアパートの自分の部屋を窺うと、点けっ放しにして出て来た電灯は消えているのでありました。
 と云う事は那間裕子女史は頑治さんが出て来る時の儘で、ずうっと寝ていると云う事ではないのでありましょう。ずうっと寝ているとすれば、電灯は点けられている儘である筈でありますから。頑治さんは思わず指を鳴らすのでありました。
 しかし単に電灯を消して、部屋の中でぼんやり座っている可能性もあると云えばあるのであります。しかししかし、電灯を態々消して座っている謂れはないでありましょう。これは矢張りもう帰ったと云う事でありましょう。そう願うばかりであります。
(続)
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あなたのとりこ 695 [あなたのとりこ 24 創作]

 頑治さんは頭を掻くのでありました。それを見た那間裕子女史はまた舌打ちして、一升瓶を取り上げて自分のコップに自らなみなみと酒を注ぐのでありました。こうなったら飲むしか他に遣るべき何事もないと云うところでありますか。
「そんなにハイピッチで飲むと体に悪いですよ」
「つべこべ云わないの」
 頑治さんの心配顔を横眼に、那間裕子女史はまたそれを一気飲みで喉に流し込むのでありました。もうこれは自棄酒の類いとも云うものであります。
 こうなってはもう、傍でなんと諌めても聞き入れる筈はないでありましょう。頑治さんは嫌な予感に苛まれながら那間裕子女史の飲む姿を見据えているのでありました。

 那間裕子女史の体がぐらりと揺れるのでありました。女史の目が半眼になっているからその目玉の状態は確とは判らないのでありましたが、屹度何物もフォーカスしてはいないのでありましょう。止まろうとする独楽が揺れながら回るように体が揺れていて、それは屹度酔いのために目が回っているのを反映しているのでありましょうか。
 那間裕子女史の体軸の揺れが重心軸の補正域外にはみ出した後、女史は頑治さんの肩に崩れかかるのでありました。それは気を失ったような倒れ掛かり方でありました。
「大丈夫ですか?」
 これで大丈夫な訳がないと判っていながらも、頑治さんは自分の肩の上の那間裕子女史の頬に訊くのでありました。勿論返答はないのでありました。これではこの前、酔い潰れてこのアパートに遣って来て、玄関先で倒れていた時の焼き直しであります。
 頑治さんはその儘無体に肩をどけて、那間裕子女史の頭を畳の上に落とすのも気が引けるものだから、左手で女史の頭を支えてそろりと肩を抜くと、女史をゆっくり畳の上に仰向けに寝かせるのでありました。女史は前後不覚と云う感じで、体の力が抜けているものだから、無事に横たわらせる迄が一苦労なのでありました。
 さてどうするかと、頑治さんは那間裕子女史の寝顔を見下ろしながら考えるのでありました。未だ電車の動いている内に寝覚めてくれれば良いものだけど、若し終電を過ぎても寝た儘だとすれば、これはまた厄介な事であります。今次は、均目さんとの経緯を聞かされた以上、均目さんに救援を求める事も出来そうにないでありましょうから。
 しかしそれにしても那間裕子女史は先回と合わせて二回も、曲がりなりにも男児たる頑治さんの家に遣って来て、その前でこうも簡単に酔いつぶれて仕舞うと云うのは、如何にも不用心な人であります。若し頑治さんに悪心があるなら、この油断は格好の餌食にされると云う事ではありませんか。まあ、酔いつぶれる前に那間裕子女史は頑治さんに迫って来たのではありますから、寧ろこれは意中の事だと云えなくもないかも知れませんが。
 兎に角何れにしても、頑治さんは困るのでありました。この窮地を脱するためには、無責任且つ不人情ながら、三十六計しかないようであります。そうするとその内に酔いも去って覚醒した那間裕子女史は、頑治さんがこのアパートに居ない事に気が付いて、途方に暮れてすごすごと自分の家に帰って行くしかないと云う寸法であります。
(続)
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あなたのとりこ 694 [あなたのとりこ 24 創作]

 しかし、それくらいで許してくれる那間裕子女史ではないのでありました。女史は離れた掌を懲りずにまた頑治さんの右手の甲に左掌を重ねて、今度は容易に振り解かれないように頑治さんの手を、力を入れてグイと握り締めるのでありました。
「いやあ、もう、こう云うのは、まごまごして仕舞いますねえ」
 頑治さんは態とお道化たように云うのでありました。しかし変な風に険悪な雰囲気になる事を恐れて、無理に那間裕子女史の手を振り解く事は避けるのでありました。
 那間裕子女史は頑治さんの右手を持った儘、先程頑治さんになみなみと日本酒を注がれたコップを右手で持ち上げるのでありました。中の酒がほんの少し縁から零れてコップを持つ那間裕子女史の指を濡らすのでありました。
「もうこうなったら、覚悟を決めるのね」
 那間裕子女史はそう宣した後、ほぼ一息でコップを空けるのでありました。
「いやあ、そう云われても、何と云うのか、・・・」
 頑治さんは怖じたように硬い表情で那間裕子女史を見るのでありました。頑治さんの優柔不断に那間裕子女史は舌打ちをして、決然と頑治さんの右手を引き寄せると、挑むように自分の左胸に押し付けるのでありました。意外にふくよかな柔らかい感触に頑治さんは一瞬息を飲むのでありました。この那間裕子女史のむやみな大胆さなんと云うものは、屹度今立て続けにコップ二杯をがぶ飲みしたところの酒の為せる業なのでありましょう。
 いや! そんな事をここで悠長に考えている場合ではないと、頑治さんは慌てて那間裕子女史の胸の上にある己が右手を強引に自分の胸元に引っ込めるのでありました。それでも那間裕子女史の左手は、頑治さんの右手の甲から離れないのでありました。
 那間裕子女史は意地になって、またもや頑治さんの右手を自分の胸の上に乗せようと引っ張るのでありました。それは案外強い力なのでありましたが、しかし頑治さんは自分の胸元から自分の手を動かさないのでありました。
 その後何度か小さな振幅で押し引きがあって、那間裕子女史は到底頑治さんの力には叶わないと諦めて、頑治さんの手からぞんざいに自分の左手を離すのでありました。
「全く、愛想もクソもないんだから」
 那間裕子女史はその後つんけんした語調で云うのでありました。
「いやあ、愛想とか無愛想とか、そう云う事では、ないんですけど、・・・」
「唐目君は案外意気地なしなのね」
「ええもう、こう見えて至って気の小さい男でして、・・・」
 頑治さんがそう云うと那間裕子女史は暫く頑治さんの顔をまじまじと見て、それから徐に溜息を吐いて苦笑いを浮かべるのでありました。
「判ったわ。つまり彼女さんの方に忠義を立てている訳ね」
「と、云いますか、まあ、つまり、そんなような、そんなようでないような。・・・」
「立派な心掛けだと褒めてあげるわ」
 那間裕子女史はすっかり白けたような云い草をするのでありました。
「どうも、面目ありません」
(続)
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あなたのとりこ 693 [あなたのとりこ 24 創作]

 それはそうでありますか。那間裕子女史も均目さんもそんなに鈍感な性質ではないし、お互いの心持ちに察しがついたならば、後は出来るだけ穏やかに背を向ければそれで済む事でありますか。確かにその方が如何にも自然かも知れないでありましょうか。
「まあ、妙なけじめ意識はこの際不要ですかね。俺の性分としては何だか曖昧に事が終わるのは、どうしてもどこか落ち着かない気がして仕舞いますけどね」
「終わったとお互いが感じれば、それが決着よ。事後処理なんかは何もなしよ」
 那間裕子女史はそう云ってコップの中の日本酒を干すのでありました。
「なんだか妙にさばさばし過ぎているような気がしないでもないですけど」
「唐目君は律義な性格なのね、屹度。それとも実はウェットな人なのかしらね」
「ウェットと云うのはつまり、めそめそしていると云う事ですかね?」
 頑治さんは那間裕子女史のコップに一升瓶を傾けて酒を注ぎ足すのでありました。
「めそめそと云うのじゃなくて、実は感情が後を引くタイプと云うのか」
「感情が後を引く、という表現が今一つ俺には判りにくいのですが、まあ要するに、未練がましいヤツだと云う事ですかね」
「白黒をはっきりさせないと気が済まないとか、綺麗さっぱり物事に終止符を打たないと落ち着かないとか云うのは、実は最後の最後迄物事をはっきりさせたくないとか、完全に終わりだと云う認識を持ちたくないとか云う気持ちの裏腹な現れなんじゃないかしらね。何だか自分でも云っている事がよく判らなくなってきたけど」
 那間裕子女史はコップの酒を一気に半分程口の中に流し込むのでありました。
「難しい事になってきましたね」
 頑治さんは腕組みして首を傾げて見せるのでありました。
「もうこの話しは止しましょう」
 那間裕子女史はコップに残っている酒をまたほぼ一口で飲み干すのでありました。随分早いペース、と云うよりは無茶な飲み方と云うべきでありましょうか。
「まあ、俺もこの手の話しは苦手だから、止す事に一票、ですねえ」
「ところでさあ、・・・」
 那間裕子女史はそう云って頑治さんに視線を向けるのでありました。何やら目が妙に座っているように見えるのは、コップの中身を二口で空けた酔いが急に回ったためでありましょうか。頑治さんはその眼容に気圧されたようにおどおどしながら、また那間裕子女史の空いたコップに酒を急いでなみなみと注ぎ足すのでありました。
「ところで、・・・そう云う訳で、あたしは今フリーと云う事よ」
 那間裕子女史は一升瓶の口際を持った頑治さんの右手の甲に、自分の左掌を重ねるのでありました。「云っている事、判るわよね?」
 那間裕子女史の掌が妙に熱いのは、屹度酔っているために違いないと頑治さんはどぎまぎしながら考えるのでありました。それで一升瓶を畳に置く動作に紛らわせて、那間裕子女史の掌をやんわりと自分の手の甲から、不自然にならないように振り解くのでありました。なかなか上手にそれはやれたと頑治さんは秘かに満足するのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 692 [あなたのとりこ 24 創作]

「そう簡単に均目君との関係を終わらせて良いのですか?」
 頑治さんも缶ビールを飲み終えるのでありました。それからそう云いながら立ち上がって、未だ飲み足りていないであろう那間裕子女史のために、炊事場からコップを二つ持ってきて自分と女史の前に置いて、本棚脇から日本酒の一升瓶を徐に取り出して、夫々のコップになみなみと冷や酒を注ぎ入れるのでありました。
「徳利も猪口もウチにはないので、冷やで勘弁してください」
 頑治さんはそう云って掌を上に向けて差し出して、好ければどうぞ飲んでくれと云う仕草をやや慇懃にするのでありました。
「うん、有難う」
 那間裕子女史は零さないように気を付けながらコップを取り上げて、一口飲むのでありました。「考えてみれば、実はとっくに均目君とは終わっていたような気がするわ」
 那間裕子女史は取り上げる時よりはぞんざいにコップを下に置くのでありました。
「とっくに終わっていた、のですか?」
 頑治さんは女史の言葉を繰り返して見せるのでありました。
「そうね。この人とはこの先長く一緒にいる事は出来ないと、随分前からそう思っていたのよ、あたしは。まあ、惰性とほんの少しの未練から、付き合い続けてはいたけど」
「随分前、と云うのは何時頃ですかね?」
「そうね、唐目君が会社に入って来た頃かしらね」
 那間裕子女史はそう云ってから頑治さんを上目で見るのでありました。頑治さんはその言葉にどう反応して良いのか判らず、おどおどと視線を逸らすのでありました。
「随分と長い、惰性とほんの少しの未練、ですね。・・・いや、そんなに長くもないか」
 頑治さんは少しおどけたような物腰で受け応えるのでありました。
「長いか長くないかは判らないけど、潔いと云える時間は疾うに過ぎているかしらね。まあつまり、唐目君が会社に入って来たのが転機ね」
 これにも頑治さんはどんな言葉を返して良いのやら判りかねて、自分のコップを取り上げて中の酒をやや多めに、しかし噎せない程度に口の中に流し込むのでありました。何やら那間裕子女史は均目さんとの別れに、何かと頑治さんを絡めようとしているように思えるのでありましたが、これは頑治さんの邪推、あるいは思い過ごしでありましょうか。
「あくまでも転機で、原因だとは云っていないからね、念のため云っておくけど」
 頑治さんが何だか困っているような妙な表情をしているのを認めて、那間裕子女史はそう後に続けるのでありました。頑治さんは自分の好い気な勘違いを指摘されたような心持ちになって、何となくもじもじとして仕舞うのでありました。
「均目さんとその事について、ちゃんと話し合ってはいないのですかね?」
「別に話し合う必要はないんじゃないかしら。これ々々こう云う訳だから別れましょうなんて、態々そう宣言して終わる必要もないんじゃないの、こう云う事は」
「まあそうですけど、何となくけじめを付けると云うところで。・・・」
「お互いの気持ちが離れた事は、態々云わなくてもお互いに判るでしょう」
(続)
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あなたのとりこ 691 [あなたのとりこ 24 創作]

「いやあ、特には何もありませんよ」
「そこで、均目君よ」
 那間裕子女史は人差し指を一本立てて見せるのでありました。「何だか均目君は片久那さんと連絡を取り合っていて、今度のあたし達四人の退職とか組合解散なんかにも、均目君を通して片久那さんの思惑が反映されているような気がしているのよ、あたしには」
「ああそうですか」
 頑治さんはどこか鈍そうなもの云いをするのでありました。しかしこの鈍感な反応なんと云うものは、実は頑治さんの偽装と云うべきものなのであるました。腹の中では那間裕子女史は流石に鋭いと、少しばかり舌を巻いているのでありました。
「本来の均目君は結構な悲観論者で、大凡の事に対してネガティブ思考の人の筈なんだけど、今回の会社を辞めると云う事でも均目君はそんなに焦ってはいない風なのよ。何だか妙にのんびりとしているように見えて、ちっとも何時もの均目君らしくないのよね」
 ここで那間裕子女史は自得するように一つ頷くのでありました。「それは多分、もう次の仕事が決まっているからだと思うの。で、その次の仕事と云うのはつまり、片久那さんと何やら繋がりのある仕事なんじゃないかなとあたしは思うのよ」
「何かそれっぽい情報とかあるんですか?」
「そうじゃなくて、これは全くの、あたしの勘なんだけどね」
 那間裕子女史は頑治さんを上目で見るのでありました。
「均目君に直接確認してみる、と云うのはないのですかね?」
「あの日以来均目君とは没交渉、と云うか、会話すらも殆どないし」
「互いの家に行き来する回数とかが減ったんですかね?」
「行き来はないわ。と云うか電話もしないし、かかっても来ないし」
「絶交状態、と云う「感じですかね?」
「まあ、会社の中ではあれこれ喋るけどね」
 二人の仲もすっかり解消でありますか。均目さんにとっては那間裕子女史が頑治さんの家に酔い潰れながらも意志に依って行って仕舞った、と云う事実が、何やら女子への思いを急激に薄くした原因なのでありましょうか。那間裕子女史にしても、前から均目さんに対してどこか冷めていて、だから頑治さんの方に気紛れに目移りしたと云う事なのでありましょうか。まあ、これはあくまで頑治さんの推察以上ではないのでありますが。
「ま、均目君との事は終わったようなものね」
 那間裕子女史はグイと缶ビールを空けるのでありました。

 均目さんは那間裕子女史が酔い潰れて頑治さんのアパートに来て、それを厄介を厭わず自ら連れ帰った後は、女史にそんな真似をさせた事に対する後悔と云うべきか反省と云うべきか、そう云う心根から殊勝に女史に対してつれない態度を改めるようになるだろうと頑治さんは考えたのでありましたが、どうやらそうではないのでありました。那間裕子女史に依れば、均目さんと女史との関係は終わったようなものだと云うのであります。
(続)
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あなたのとりこ 690 [あなたのとりこ 23 創作]

 頑治さんは怯んで少し後退りするのでありました。それを見て那間裕子女史はカラカラと愉快そうに笑うのでありました。
「随分嫌われたものね」
「別に、そんな心算ではないのですが。・・・」
「冗談よ。そんな気は、今日はないから安心して良いわ」
 那間裕子女史は頑治さんの臆病を笑う心算か、鼻を鳴らすのでありました。「唐目君には相思相愛の彼女さんが居るようだし、あたしの出る幕はどうやらなさそうだしね」
「あのネコも彼女さんとの間での、いわく付きのものなんでしょう?」
 那間裕子女史は本棚のネコのぬいぐるみを指差すのでありました。
「まあ、そんなような、そんなんでないような。・・・」
「何を曖昧な事云って誤魔化そうとしているのよ。でもそれはそれで別に良いわ。とことん拘る程の関心はもうないから」
 那間裕子女史は興味無さそうにネコのぬいぐるみから視線を外すのでありました。「ところで片久那さんのその後に関しては、唐目君は何も聞いていないの?」
 女史は話頭を曲げるのでありました。
「片久那制作部長の事、ですか?」
 均目さんとの絡みがあるから、ここで那間裕子女史が片久那制作部長の名前を出した事に、頑治さんはどぎまぎするのでありました。別に頑治さんがどぎまぎする必要はないのでありましょうが、均目さんが片久那制作部長の興す会社に誘われている、と云う事をここで、実は、と云う感じで自分の口から那間裕子女史にバラすのは、何やら潔くない告げ口のような気がしたものだから、竟々云い淀んだのでありました。先程も均目さんの次の就職の話しで、何となく確たることは知らないような口振りをした手前もありますし。
「唐目君が会社に入るのより随分前だけど、酒の席か何かで、もし今の仕事を辞めたとしたら、新宿のゴールデン街だったかで小さな飲み屋でも遣りたい、なんてことを聞いた事があったから、ひょっとしたらそう云う仕事を始めたのかしら、とか思ったのよ」
「片久那制作部長は酒が好きだったし強かったし、それに日本中の地酒のことを良くご存知でしたから、或いはどこかで飲み屋でも始めたのかも知れませんね」
 頑治さんはそう調子を合わせるのでありました。
「まあ、片久那さんの事だから抜け目なく、と云うか手抜かりなく確実に、ちゃんと次の仕事を見付けるか、或いは自分で興しているんでしょうけどね」
「ご家族もおありになるし、そこは着実なんじゃないですかね。色々各方面に学生時代からのお知り合いもいらっしゃるようだし、その辺りからの援助もあるだろうし」
「そうよね、あたしが心配する事じゃないわね。ま、そんなに心配もしていないけど」
「片久那制作部長の事に関しては、俺なんかに訊くより那間さんの方が、その後に連絡なんかもあるだろうから詳しいと思っていましたけどねえ」
「連絡なんて何もないわ、片久那さんが会社から居なくなって以来。寧ろ唐目君の事がお気に入りのようだったから、唐目君には何か連絡があったのかと思っていたわ」
(続)
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あなたのとりこ 689 [あなたのとりこ 23 創作]

「あんまり上手くいっていたとは云えないわね」
 那間裕子女史は含羞の笑いを消すのでありました。「要するに断わりもなくあたしが唐目君の家に押しかけた、と云うのが気に入らないようよ。ま、当然だけど」
「俺もそこのところは未だに解せないところではあるのですが」
 頑治さんはそう云って遠慮がちに那間裕子女史の顔を見るのでありました。すると女史はその頑治さんのその視線に対抗するように、頑治さんよりも強い視線で見返すのでありました。頑治さんは何となくたじろぐのでありました。

 那間裕子女史は頑治さんのおどおどする様子を見透かすように、視線に尚一層の力を籠めるのでありました。まるで恨みを込めて睨むような目付きであります。
「あの時は前後不覚に酔っぱらっていたけど、でもね、ちゃんとそれなりにある種の計略みたいなものも、一応は持っていたのよ。ま、酔い潰れる前迄、だけどね」
「ある種の計略、と云うのは一体何ですかね?」
「あの時間に訪ねれば、まさか追い返されはしないだろうなって云う読みよ」
 それは確かに、終電後でもあるから追い返しはしなかったのでありました。
「追い返されないなら、好都合な一夜の宿代わりにはなると踏んだんですかね」
 那間裕子女史は鼻を鳴らして口の端を歪めて一笑するのでありました。
「単に家に帰る電車がなくなって仕舞ったから、唐目君のアパートをホテル代わりに使おうと思った、なんてそんな興醒めな理由なんかじゃないわ」
 那間裕子女史は少し怒ったような云い草をするのでありました。しかしその云い草の割には、その両目に何やら妙に色めいた潤んだ光沢が宿っているのでありました。ここでまた頑治さんはあたふたして仕舞うのでありました。
「まあ、酔い潰れて仕舞ったから、その計略も結局おじゃんになっちゃったけどね」
 那間裕子女史は哄笑するのでありました。「それに予想もしなかった事だけど、均目君を呼び出したりとかされたからね」
 那間裕子女史はここで缶ビールをグビと飲むのでありました。「まさか唐目君があの局面で、均目君を呼ぶとは思ってもいなかったわ。そんな当意即妙な逃げ方もあったかと、後で感心もしたわ。ま、憎らしさが八分で感心が二分、と云うところだけど」
「ひょっとして褒められているんですかね?」
 頑治さんは頭を掻くのでありました。
「何を無邪気に喜んでいるのよ。当然褒めている訳じゃないわよ」
 那間裕子女史は怒って見せるのでありましたが、そんなに激しく怒っていると云う風ではないのでありました。寧ろこれは拗ねていると云った感じでありますか。
「だから今日は、均目君の事を訊きにきたと云うのは単なる口実で、実はあの時の恨みを晴らしにきた、と云うのが本当の目的よ」
 那間裕子女史はそう云って意味有り気に笑うのでありました。
「いやあ、それは、・・・」
(続)
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