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あなたのとりこ 705 [あなたのとりこ 24 創作]

「もう電車も終わっているのに俺のアパートに態々遣って来て、那間さんを連れ帰ったその行為から、俺は均目君と那間さんの仲が前より、より昵懇になったんじゃないかって思ったんだけど、でも結局はそうではなかったんだなあ」
 頑治さんはまた那間裕子女史の話しに戻るのでありました。「均目君に那間さんを大事に思う気持ちが未だあったからこそ、労を厭わなかったとばっかり思ったんだけど」
「そうでもないさ」
 均目さんは話題がまた戻った事に。少しげんなりしたような顔をして見せるのでありました。でありますから、何となく素っ気ない云い草なのでありました。
「あの事件の後暫くして、そんな風になったのかな。それともあの事件の前から、均目君の気持ちは那間さんから離れていたのかな?」
「まあ、前からと云う方が正解かな。ああして那間さんを迎えに行ったのは、まあ、唐目君よりも俺の方が、酒に酔った那間さんの扱いに長けている筈だと云う判断からかな」
 均目さんはやや戯れ言めかした云い草をするのでありました。
「つまり那間さんを思って、と云うより、俺を気遣って、と云う事かい?」
「まあ、習い性と云うのか、身に付いていた義務感と云うのか」
「何だいそれは?」
 頑治さんは怪訝そうな顔をして見せるのでありました。
「まあ、もう良いじゃないか」
 均目さんは面倒臭そうに云って小さな舌打ちをするのでありました。「その習い性も義務感も、すっかり俺の中から消えたんだから」
 これ以上訊いてくれるな、と云うような頑治さんの質問に対する拒否が語調に含まれているのでありました。ま、これ以上那間さんの事に付いて均目さんにあれこれ質問を重ねるのは、野暮であり不躾でもありましょうか。
「取り敢えず片久那制作部長には、唐目君は来る気がないと云って置くよ」
 均目さんはそう云って立ち上がるのでありました。要はその事が訊くのが目的で頑治さんを誘ったのでありましょうから、もう目的は達したと云うところでありましょうか。
 ラドリオの出口迄、頑治さんは均目さんと並んで歩くのでありました。
「じゃあ。いきなり誘って迷惑だったかな」
 均目さんは外に出た後で頑治さんを振り返って云うのでありました。その顔は別に済まなさがっているようでもない顔でありました。
「いや別に」
 頑治さんも無味乾燥に返すのでありました。
 一緒に帰社しないで出口の辺りで別れて、頑治さんは退職した後は、もう均目さんとは逢う機会はないのだろうと思うのでありました。これで事切れで、その別れを前以て云うために、均目さんはその日頑治さんを昼食と喫茶に訪ったと云う事になるでありましょうか。勿論、片久那制作部長に頑治さんの意を確かめて来いと云われていたのもありましょうが、それは形式上の事で、実は別れの挨拶のための食事会だったのでありますか。
(続)
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あなたのとりこ 706 [あなたのとりこ 24 創作]

 そうして恐らく、那間裕子女史にも、退職した後はもう逢う事もないでありましょう。そういう意味ではこの前の那間裕子女史の訪問も、云わばさようならの挨拶だった訳であります。そうしようと思ってした訳ではないのでありましょうが、二人共、云いように依ってはなかなかに義理堅い律義者だったと云う事も出来るでありましょうか。

   エピローグ

 愈々明日は退職すると云う日の夜に、片久那制作部長から電話がかかってくるのでありました。何時もなら電話の呼び出し音を聞いた段階で、この電話を掛けて来た主が誰であるのか大凡の見当が付いて、その勘は大体に於いて当たっていたのでありましたが、この電話が片久那制作部長からであると云うのは全く以って見当外なのでありました。
「均目君から聞いたよ」
 名乗った後で、片久那制作部長は云うのでありました。勿論、無愛想でブツブツと呟くような、やや聞き取りにくいその音声は片久那制作部長のものであると、頑治さんは名前を聞く前に既に判ってはいたのではありました。それに、均目さんから聞いた、と云うのは頑治さんが片久那制作部長の興した会社に入る気がないと云う事でありましょう。
「ああそうですか」
 頑治さんはやや済まなさそうに応えるのでありました。
「何か、会社を辞めた後にやりたい事があるのか?」
「いや、そう云う事ではないんですが」
「俺のところに来るのがそんなに嫌と云う事かな?」
「そう云う事でも、勿論ないんですけど」
 頑治さんは何とも曖昧に受け応えるだけでありました。
「はっきり云って俺としては今の仕事を、均目君よりも唐目君と一緒にやりたいと考えているんだ。唐目君の方が編集者として将来有望だと思っているし」
「いやあ、それは俺の器量を買い被り過ぎていますよ」
 頑治さんは受話器を耳に当てた儘首を横に振るのでありました。
「俺の目は節穴じゃない」
「勿論、片久那制作部長の目を節穴だと云っているんじゃ決してないですよ」
「じゃあ、均目君に対する一種の遠慮か?」
「そう云うものでもないです」
「じゃあ、俺のところに来たくない本当の理由は何なのだろう?」
 そう問い詰められると、頑治さんは大いに困るのでありました。明快な理由なんかないと云うのが、実のところでありましたから。
「会社を辞めた後、暫く旅行にでも行こうかと考えていて。・・・」
「それはまあ優雅な事だが、しかし延々と旅行を続ける訳でもあるまい」
「それはそうですが。・・・」
(続)
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あなたのとりこ 707 [あなたのとりこ 24 創作]

「旅行から帰ってきたら、その時から来てくれればいいんだが」
「いやあ、延々と旅行を続ける訳じゃないけど、しかしいつ帰るかは判りませんから」
「本当に、何時からだってこっちは構わないんだよ」
 片久那制作部長はなかなか執拗なのでありました。
「何と云うのか、未だ次の仕事の事を考える気持ちの切り替えが出来なくて」
「ある程度ならこちらも待つ心算はあるが」
「それは逆に自分の方が心苦しいしですよ」
 ここで片久那制作部長は次の言葉を継がないのでありました。頑治さんの煮え切らなさに遂に愛想を尽かしたか、あれこれ言を構えてうんと云わない頑治さんに、全く脈がないとはっきり見極めたと云う感じでありますか。そう思って頑治さんは安堵するのでありましたが、片久那制作部長を怒らせたのなら、これは申し訳ないところでありますが。
「まあ、唐目君に来る気がないと云うのはしっかり判ったよ」
 片久那制作部長は特に怒っている風でもなく、かと云って極端にがっかりしたと云う風でもないような、素っ気ない云い草をするのでありました。
「折角誘っていただいているのに、申し訳ないですけど」
「いや、まあ、判った。それじゃあこれで」
 片久那制作部長は無愛想に電話を切るのでありました。この無愛想なんと云うものは、まあ、態々誘ってやっていると云うのに頑治さんが鈍い反応しか示さない、或いは故意に鈍くしか対応しようとしない煮え切らなさに憤慨したのでありましょう。自分のワンプッシュどころか、異例のツープッシュに対しても頑治さんがあくまでもつれない態度であるのは、嘗て目をかけて遣った自分の厚意を軽んじられた気がするでありましょうし。
 頑治さんは何となく片久那制作部長に済まないような思いもあるのでありました。折角あれこれ気にかけてくれたし、制作の仕事も丁寧に教えてくれて、信頼して任せてもくれたのでありましたが、それに報いる事が出来ないのは心苦しい限りであります。
 何より、片久那制作部長は贈答社と云う会社の中に於いては随一に頼りになる人でありましたし、その人が興した会社に厄介になる方がこの先また面倒な職探しなんかするよりも、仕事を得ると云う点に於いて余程確実であり楽ちんではありましょう。それに一応は気心の知れた均目さんとも同僚となって一緒に働けるのでもありますし。
 しかし何となく片久那制作部長とこの先ずうっと関係を持つと云う事に、ある種のしんどさをも感じるのであります。それはこれ々々こう云う訳でしんどい、と云う確たる理由があるのではないけれど、何と云うのか、まあ、相性と云うのか、自分とは異人種であると云う感覚と云うのか、好悪の傾向が多分全く違う人だと云うのか、まあ、抽象的且つあやふやながら、そう云う風に云うしかないところでありましょうか。
 均目さんとも、何となくこの辺りで一先ず縁切りにした方が無難なような気がするのであります。勿論那間裕子女史との一件もありますが、それよりこの先片久那制作部長の下で同じ仕事をしていたら、屹度その内に妙な事から反目し合うようになって仕舞って、険悪な仲になって、結局はどちらかが去る事になるような予感がするのであります。
(続)
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あなたのとりこ 708 [あなたのとりこ 24 創作]

 まあ、そう云う人間関係にとことん付き合うと云う手もあるのでありましょうが、そちらに掛かり切りとなると一方のもっと大切な人である夕美さんとの仲が、今より一層希薄になりはしないかと云う危惧があるのでありました。これは頑治さんとしたら間尺に合わないところでありますし、贈答社を辞める事を丁度良い契機として、この辺りで夕美さんとの関係の再構築の方に専心したいと云う志望が胸の内に濃く在るのでありました。でありますからここは一番、多少の好奇心の疼きをさて置く決心と相なったのであります。

 片久那制作部長の電話を切ったあとで、立て続けに珍しく甲斐計子女史から電話が入るのでありました。甲斐計子女史から電話を貰うのは多分初めての事でありましょう。この電話に関しても、頑治さんはかけてきた人の目星が全くつかなかったのでありました。
「夜遅い時間にご免ね」
 甲斐計子女史は先ずそう謝るのでありました。
「いやまあ、未だそんなに遅くもないですから」
「少し時間、大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
 頑治さんは甲斐計子女史に矢張り迷惑だったのだと思われないように、努めて快活に返事するのでありました。本当に、別に迷惑でもなかったのでありますから。
「袁満君の事なんだけど、・・・」
 甲斐計子女史は云いにくそうに切り出すのでありました。「実は二三日前に、会社帰りに袁満君から、少しの時間一緒にコーヒーでも飲まないかって誘われたのよ」
「ふうん、そうですか」
 頑治さんはどことなく無関心そうにさらっと返すのでありました。しかし実は、ほう、袁満さんときたら早速甲斐計子女史にアタックしたのかと、指を鳴らしたいような心境でありました。袁満さんもここはなかなか本気のようであります。
「別に断る理由も無いから、御茶ノ水駅の近くの喫茶店に二人で入ったのよ」
「まあ甲斐さんは袁満さんと昼休みなんかによく二人で、食事の後に、午後の始業時間迄会社の近くの喫茶店なんかでお茶していましたからねえ」
「日比さんから誘われたら、すぐさまピシャリと断ったんだけどね」
 そう云えば甲斐計子女史は前に日比課長に会社帰りに待ち伏せされて、しつこく食事とかお茶とか、場合によっては酒なんかに誘われていたようでありました。女史の言に依れば、何だか日比課長の目が妙にいやらしそうで気持ち悪くて、悉くそれは断り続けていたようでありましたが、しかし付き纏いがあんまり執拗なので、一度頑治さんは女史に神保町の駅まで一緒に付いてきてくれないかと頼まれた事もあったのでありましたか。
「で、袁満さんと喫茶店に行って、どうしたのですか?」
「こういう場合の何時ものように、どうと云う事もない話題で暫く喋っていたんだけど、何だか袁満君の様子が、何時もと違って妙にそわそわしているのよ」
 袁満さんの如何にも固くなっていたその時の様子が目に浮かぶようであります。
(続)
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あなたのとりこ 709 [あなたのとりこ 24 創作]

「要するに何か甲斐さんに、大事な事を云いたいような雰囲気ですかね?」
「そうね、まあ、そんな感じ」
「で、何やらの大事な話しが、実際にあったんですか?」
 こここそ、肝心なところであります。
「うん、それがね、・・・」
 甲斐計子女史は少し云い淀むのでありました。頑治さんとしては大凡察しは付くのでありましたが、心急くのを抑えて甲斐計子女史が喋り出すのを待つのでありました。ほんの少し沈黙した後に、甲斐計子女史は続けるのでありました。
「うん、それがね、先ずあたしに、誰か付き合っている特定の人がいるのか、とか聞いてくるのよ。そんなの、いる訳がないじゃない。若しいるのなら、この歳まで一人でブラブラしている筈がないじゃないの、ねえ、そうでしょう?」
「はあ、まあ、良く判りませんけど」
 そう訊かれても、それはそうですねと明快に云うのも何やら憚られるようで、頑治さんは有耶無耶にこう応えるのでありました。
「第一、態々改めて確かめなくても、普段の会話の気配からも、そんな人なんかいない事は良く判っている筈じゃないの」
「まあ、慎重派の袁満さんとしては、一応確かめてみたんじゃないですか」
「そうかも知れないけど、ちょっと会話として間抜けじゃない」
「まあ確かに、野暮ですかね、見ように依っては」
 甲斐計子女史ご指摘の如く、その質問は無粋でちょっとピントを外した質問だと云う感じがしない事もないですが、袁満さんらしいと云えばその通りでありますけれど。
「で、そんな事なんか袁満君に云う必要があるの、なんて少し怒ったように云ったら、袁満君はおどおどして、いや別に云いたくないのなら云わなくても構わないとか、口に含んだコーヒーを吹き出しそうにしながら、慌てて手を横に振って謝るのよ」
 甲斐計子女史のその時の描写は、そんな袁満さんに嫌気を催して云っていると云う感じではなくて、どちらかと云うと好意を感じさせるような云い草でありましたか。
「で、甲斐さんは明言しなかったのですか?」
「まあ、そんな人なんかいないって、結局ちゃんと応えたけど」
「成程。で、その疑問が解消した袁満さんは、その後どうしたんですか?」
「だったらちょっと真面目に、俺と付き合ってみてくれないかって、もじもじしながら目も合わせないで、如何にも云いにくそうに下を向いた儘で云うのよ」
「ふうん、成程」
 頑治さんは、でかした、と袁満さんに心の中で喝采を送るのでありました。「で、甲斐さんとしてはそれに何と応えたのですか?」
「どう応えたものか判らなかったから、ちょっと黙ったの」
 これを拒否だと袁満さんが早とちりしない事を祈るのみであります。
「それでお仕舞い、と云う事ではなかったんでしょう?」
(続)
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あなたのとりこ 710 [あなたのとりこ 24 創作]

「結局、返事は少しの間待ってくれって云ったのよ」
「じゃあ、明快な返答はしないで、その日は喫茶店を出て別れたんですかね?」
「まあ、そう云う事」
「それで今日迄あれこれ考えてもはっきり結論が出ないから、頼りにはなりそうにないけど一応袁満さんと親しい俺に相談しようとして電話をした、と云う事ですかね?」
「頼りにならないなら、突然こんな電話なんかしたりしないわ」
「俺なんかより均目君辺りの方が気の利いたアドバイスが出来るんじゃないですかね」
「均目君に相談する気は起きないわ」
 甲斐計子女史はきっぱりと云うのでありました。「均目君は実は人が悪そうだから、こんな相談事をすると、屹度面白がるだけだろうし、肚の中であたしの事を笑うだろうし、それは心外だから真面目な相談の電話なんかするもんですか」
「それじゃあ同性の那間さんとかはどうでしょうかね?」
「那間さんに、そんなに親しい感じは元々持っていなかったし、それに那間さんに相談するのは何となく癪だし、こっちも秘かにあたしの事を笑うような気がするし」
「ふうん、そうですかねえ」
「どうやら唐目君に相談したのもあたしの間違いだったようね」
 甲斐計子女史は頑治さんが、自分より均目さんや那間裕子女史の方が相談相手として相応しいのではないかと云った事で、相談されるのを億劫がっているのだと感じたようで、こうして電話した事を後悔するような云い草をするのでありました。
「いや、俺で良ければ勿論相談に乗ります」
 頑治さんは努めて真剣に、且つ不躾にならないように気を遣いながら、相談に乗る事に吝かでないところを伝えるのでありました。
「本当は迷惑なんじゃないの?」
「で、お聞きしますが、甲斐さんは袁満さんと付き合うに於いて、一体何が第一番目の障害だと考えているのですか?」
 頑治さんは仕切り直すように、甲斐計子女史に問うのでありました。
「それはつまり、・・・あたしと袁満君の、歳の差よ」
 甲斐計子女史は片久那制作部長や土師尾常務と同い年で、頑治さんとは十歳の年齢差があるのでありました。と云う事は袁満さんとは九歳差と云う事になるのであります。
「ええと、確か袁満さんとは九歳違いと云う事になるんですよね?」
「そうなるわね」
 甲斐計子女史は何となく体裁悪そうな云い草をするのでありました。
「九歳差と云うのは、別にそんなに重大な障害だとは俺は思いませんけどね」
「そうかしら。・・・」
「そうですよ。それくらい歳の離れた仲は世の中には一杯あるんじゃないですかね」
「あたしはあんまり聞いた事がないわ」
「そんな事はありませんよ」
(続)
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あなたのとりこ 711 [あなたのとりこ 24 創作]

 頑治さんは断言するのでありました。「それは全く大した問題ではないですね」
「でもあたしは何だか、妙に不自然な気がして仕方がないんだけど」
 甲斐計子女史は弱気な事を云うのでありましたが、頑治さんに大した問題ではないと断じられて、電話の向こうで少しはホッとしたような気配も窺わせるのでありました。
「しかしこうして相談を持ち掛けてくるところを見ると、甲斐さんとしては歳の差が問題じゃないとなれば、袁満さんと付き合う気持ちは充分あると云う事ですよね?」
「そうね、まあ、袁満君はのんびり屋で何だか頼りないところもあるけど、・・・」
「頼りないところもあるけど、でも、だからと云って嫌いではないと?」
「人の好さと愛嬌は認めるわ。男としての色気はあんまり感じないけど、・・・」
「色気は感じないけど、でも、だからと云って嫌いではないと?」
「まあ、嫌いだって事はないわね、それは多分。・・・」
 何だか歯切れは悪いものの、これは満更でもないと云う告白でありますか。
「袁満さんも甲斐さんとの歳の差の事は、充分考えたと思いますよ」
「それはそうよね。当たり前よね」
「しかし充分考えた上で、それでも付き合ってくれと云ったんですから、それは袁満さんの真意だし真心だし、袁満さんを嫌いじゃないとなれば、甲斐さんがその真心に報いてあげるのはごく自然な経緯、と云う事になるんじゃないですかね」
「そうかしら、ねえ。・・・」
「若しかしたら、袁満さんじゃもの足りないですかね?」
「うーん、そう感じるところもあったけど、組合の委員長として頑張っていたし、社長や土師尾さんに対してもそんなにもの怖じしないで、一生懸命に反論したりしているところを見たら、まあ、意外と男気はあるし、頼りになるかなとは思ったわ」
 これはなかなか好印象であります。
「じゃあ、袁満さんの申し出を受けるのに、何も支障はないじゃないですか」
「そう云う事になるけど、でも、ねえ。・・・」
「ここは勇気を出して、承諾の返事をするべきだと思いますが」
「でも袁満君は本当にあたしなんかで良いのかしら」
「甲斐さんが魅力的だからこそ、交際の申し込みをしたに決まっているじゃないですか。袁満さんに何か別の変な思惑でもあると考えるとしたら、それは気の毒ですよ」
「勿論袁満君に限って、そんなものはないと思うけど」
「じゃあ、承諾するのに問題はないということですよね」
「そうねえ。・・・」
 甲斐計子女史はここに及んで未だ及び腰を見せるのでありました。しかし頑治さんは自分の説得が、ほぼ成功しているだろうと云う確信を持つのでありました。
「まあ、今後の幸運を心から祈っています」
 甲斐計子女史との電話を終えてから、頑治さんはどこかしら仄々とした心地になるのでありました。一種の解放感と云っても良いでありましょうか。
(続)
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あなたのとりこ 712 [あなたのとりこ 24 創作]

 頑治さんの贈答社での社員生活は終わりを迎えるのでありましたし、そこに於ける種々の人間関係も恐らくは同時に悉く終焉するのでありましょうが、袁満さんと甲斐計子女史の新たな関係が恐らくこれから始まるのであります。これは喜ぶべき事でありますし、向後も末永く、且つ目出度く続く事を祈るのみであります。
 終わりの最中にあってもそこから新たな始まりが生まれると云うのは、大袈裟に云えば連綿と続く人たるものの理でありますか。いやはや自分は、柄にもない言葉をよくもまあ遣うものだと、頑治さんはここで一人自嘲の笑いをするのでありました。

 愈々退職の日でありますが、その日迄にするべき残務処理はほぼ済ませていたから、終業時間を迎えたらすぐに件の四人は会社を後にするのでありました。別に会社主催で慰労会とかサヨナラ会を催してくれる予定もなかったのでありましたし、土師尾常務はこの日も午後から外回りに出ていて、終業時間になっても一向に帰って来る気配がないところを見ると、直帰するとの電話をもう間もなくかけてくるのでありましょう。
 日比課長は退職する四人とけじめの挨拶を交わそうと終業時間前に帰社しているのでありました。甲斐計子女史は別れを残念がってか、四人に近所の花屋で買ったと思しきちょっとした惜別の贈り物なんぞをくれるのでありました。四人は恐縮の態で、日比課長からの別れの言葉と甲斐計子女史からの小さな花束を受け取るのでありました。
「それにしても薄情なものだな」
 日比課長が舌打ちするのでありました。「ご大層な店じゃなくても、近くの居酒屋でも構わないから、ご苦労さんの宴席を会社で持ってくれてもよさそうなものだけどな」
「いやあ、社長や土師尾常務と一緒じゃ酒も不味くなるから別に良いよ」
 袁満さんが片手を横に振って見せるのでありました。
「それにしても、今迄会社を盛り立ててくれた社員に無礼じゃないか」
「会社を盛り立ててくれたなんて、あの二人が思っている訳がない」
 袁満さんは鼻を鳴らすのでありました。
「それならこれから、この六人でどこかに飲みに行くか」
 日比課長が提案するのでありました。
「それは良いわね」
 那間裕子女史が早速賛意を示すのでありました。「唐目君も袁満君も、それに均目君も、別に異存はないわよね?」
「俺は大丈夫ですよ」
 最初に、唐目君も、と云われた手前、と云う事もないのでありますが、頑治さんが最初に返事をするのでありました。
「俺はちょっと、これから用があるから遠慮するよ」
 袁満さんがここで同調を躊躇うのでありました。
「何だい、まさかデートがあるとか云わないだろう?」
 日比課長がからかうような調子で訊くのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 713 [あなたのとりこ 24 創作]

「まあ兎に角、ちょっと、今日は拙いんだよ」
 袁満さんは日比課長の、デートがあるかどうか、という問いに対しては言を曖昧にしながら、都合が悪いとのみ云い張るのでありました。
「俺も実はこれから用事があるんだ」
 均目さんも恐縮の態で酒宴の参加を断るのでありました。
「何だ、均目君もダメなのかい?」
「ええ、申し訳ありませんが」
「あたしも遠慮しておくわ」
 甲斐計子女史も拒否の意を表するのでありました。酒宴の後で日比課長に、この後二人だけで何処かで飲もうとかと誘われるのを、大いに警戒しているのだろうかと頑治さんは推測するのでありました。しかし皆で一緒に飲むのならそんな心配もなかろうし、また若し誘われたとしても、頑治さんに護衛を頼めば良い事であります。まあ、そうなったら今度は頑治さんにではなく、袁満さんに頼むのが筋と云うものでありましょうけれど。
 と、ここで頑治さんははたと気付くのでありました。袁満さんと甲斐計子女史は、これから二人で食事に行く約束をしているのかも知れないのであります。つまり、デートであります。だからこの二人は日比課長の提案に乗ろうとしないのであります。と云う事は、日比課長の冗談口調のからかいは、実は正鵠を射ていたことになる訳であります。まあ、これはあくまでも頑治さんのふと閃いた思い付きでしかないのでありますが。
「じゃあ俺の提案に乗るのは那間さんと唐目君の二人だけか」
 日比課長はがっかりしたように云うのでありました。
「そう云う事なら、あたしも遠慮しておこうかな」
 那間裕子女史がどこか白けたような云い草をするのでありました。酒宴となれば場合に依らずすぐにおいそれと乗って来る筈の那間裕子女史が躊躇するのは、これは慎に異例であると頑治さんは意外に思うのでありました。まあ、相手が日比課長と、この前気まずい思いをさせられた頑治さんとあっては、意気も消沈と云ったところでありましょうか。
「と云う事は、唐目君だけか」
 日比課長は嘆息するのでありました。
「それじゃあまあ、折角の日比課長の提案ですが、酒宴はまた後の、皆が好都合な時に改めて、と云う事にして、今日は止めておきましょうかね」
 頑治さんは申し訳なさそうに日比課長に頭を下げるのでありました。
「その方が無難ね」
 那間裕子女史もすぐに頑治さんに同意するのでありました。
「じゃあまあ、皆の都合が悪いと云うのなら仕方がないけど」
 日比課長が如何にも残念そうにここで提案を引っ込めるのでありました。まあ、頑治さんと二人だけで飲むのは、日比課長としてもそれ程楽しくもないでありましょうし。
「均目君はこれから何の用事があるの?」
 那間裕子女史が均目さんの方を見るのでありました。
(続)
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