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もうじやのたわむれ 10 創作 ブログトップ

もうじやのたわむれ 271 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「お孫さんは大きくていらっしゃるので?」
 拙生は閻魔大王官の顎鬚を見ながら訊ねるのでありました。
「もう家庭を持ておるのもおれば、この前大学を出て就職したヤツもおるし、この春に高校生になったのもおる。一番チビは未だ小学六年生じゃよ」
 閻魔大王官は嬉しそうな笑みを湛えて云うのでありました。「高尾山に一緒に登るのはその小学六年生とじゃな。これが優しい子でのう。この爺さんと喜んで遊んでくれるんじゃ」
「お孫さんが多いんですねえ」
「ワシの子供が男二鬼に女二鬼おってのう、もう全部、嫁を貰ったり嫁に行ったりして家を出て仕舞うたわいの。孫は今のところ六鬼おるわいの」
「一堂に会されると、それは賑やかでしょうねえ」
「うん。正月に皆打ち揃うて家に集まるんじゃが、婆さんがてんてこ舞いしておるわい」
 閻魔大王官の目尻が下がるのでありました。如何にも好々爺然とした閻魔大王官の顔を見ていると、拙生の方も何やらほのぼのとした心持ちになってくるのであります。
「閻魔大王官さんのお孫さんですから、皆さん屹度、優秀な方ばかりなのでしょうなあ。お爺ちゃんとしてもお孫さんの今後が楽しみですねえ」
 拙生は愛想を云うのでありました。
「まあ、中にはぼんくらなのもおるが、皆心根は優しいヤツばかりじゃな。いや、ワシの家の事なんぞはこの際どうでもええが、ええと、ほんじゃあお手前は、充分とは云えんじゃろうが、一応は邪馬台郡の世情視察みたいな事もしたと云うわけじゃな」
「そうですね、色々見聞させて頂きました」
「ちらと小耳に挟んだのですが、準娑婆省の連中らしきに誘拐されそうになったとか?」
 これは補佐官筆頭が訊く言葉でありました。
「ええ、そう云う事もありました。しかし丁度、合気道の達人の連れの亡者がいましたから、その亡者の活躍で事なきを得ました」
「いや全く、準娑婆省の連中にも実に困ったものですよ」
 補佐官筆頭は苦々しげに云うのでありました。「連中は遵法精神も、社会規範を堅守しようとする意識も、社会秩序への畏敬も何もない、云わば未開人みたいなものですから、平気でそう云った不埒な真似を仕出かして、それでいて恬として恥じないのです」
「しかし中にはこの前の審理の時に話しに出た大酒呑太郎さんのような、閻魔庁で補佐官をされていたエリートの方とか、相当に意識の高い方もいらっしゃるのでしょう?」
「まあそう云う方も偶にいらっしゃるでしょうが、しかし大体は、娑婆につまらないちょっかいを出して面白がっているような、碌でもない連中が殆どですよ。大酒呑太郎さんにしても私に人の悪い、いや違った、鬼の悪い悪戯なんかされて喜んでいらっしゃるのですから、とてもじゃないですが高潔な方だとは云い難いですしねえ」
「ああ、補佐官さんが俳句でおちょくられた一件ですね?」
「そうです。今思い出しただけで口惜しさがこみ上げてきますよ」
 補佐官筆頭は下唇を噛んで苦々しげな表情をするのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 272 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「まあ、あの一件は、お主が間抜けだったと云うのも一因ではあるぞい」
 閻魔大王官は補佐官筆頭の方をふり返らずに、拙生を見ながら、皮肉な笑いを髭に覆われた口の周りに薄ら湛えて云うのでありました。
「そう云われて仕舞えば、私は立つ瀬がないですが」
 補佐官筆頭は閻魔大王官の冠の乗った頭頂部に向かってボソボソと云うのでありました。
「まあ、後ろに立っておる補佐官のぼんくら加減はさて置くとして、・・・」
 閻魔大王官はそう云って、両手で頭の冠の位置を直すのでありました。「兎に角、誘拐されずに無事にこの二回目の審理を受ける事が出来て、何よりじゃったわいの」
「はあ、有難うございます」
 拙生はそう云って、取り敢えず閻魔大王官にお辞儀をして見せるのでありました。
「地獄省の住霊として生まれ変わった後なら、地獄省としても救出のための打つ手は色々あるのじゃが、亡者の儘で誘拐された場合、こちらの対策も限られておるのでのう」
「亡者の場合、対策を打つのに何か障害があるのでしょうか?」
「亡者殿の場合はのう、未だこちらの世の生命とは判断されないと云う理由から、地獄省霊保護と云う大義名分で、地獄省が省として前面に出て準娑婆省の蛮行を追及したり、断固とした措置を取る事もなかなか出来難いのじゃよ。地獄省内で誘拐とかの犯罪行為が行われたら、それは地獄省内の治安と云う見地から、その犯罪行為に対してはとことん対処出来るのじゃが、準娑婆省に既に連れて行かれて仕舞った亡者殿の身柄の返還とかは、省家的な対応とするには省際法上小難しい一面があってのう。忌々しい限りではあるがのう」
 閻魔大王官は眉根を寄せて憂い顔をするのでありました。
「その、省際法上、と云うのは娑婆で云えば、国際法上、と云う事ですね?」
「正解じゃわい」
 閻魔大王官はピースサインをするのでありましたが、それを表現する大王官の二本の指は、憂いと憤りのためか力なく項垂れているのでありました。
「実はその誘拐の件も含めて、少々お伺いしたい疑問が思い悩み期間中に出現いたしまして、若しお時間があるようなら、その点を確認したいとメモをしてきたのですが。・・・」
 拙生はポケットからゴソゴソと昨夜書いた質問メモを取り出しながら、閻魔大王官の顔を上目で覗きこむのでありました。
「おう、時間なら何も気にする事はないぞい。亡者殿の疑問とかには、何時でも出来る限り応える事になっておるからのう。閻魔庁は懇切丁寧な亡者殿対応を心がけておるし」
「ああそうですか。それはどうも。では遠慮なく幾つか質問させて貰います」
 拙生は首をヒョイと前に出して軽い謝意を表した後、質問メモに目を落とすのでありました。しかしそう云えば、拙生は娑婆では眼鏡をかけていたのでありましたが、今のこの、霊に生まれ変わるまでの仮の姿にくっついている眼球は、眼鏡もなしにメモの上の小さい拙生の金釘流の文字を明瞭に読めるのでありました。まあ、その事に今頃思い至ると云うのも、拙生も相当に呑気なものでありますか。こう云った拙生の迂闊さなんぞに限っては、この仮の姿の中にあるであろう脳も、ちゃんと娑婆の儘を引き継いでいるようであります。
(続)
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もうじやのたわむれ 273 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「さあ、何でも聞いておくれ。ワシはこう見えても、長年の鬼生経験から、こちらの世の事で知らないものは殆どないのでのう。若し知らないものがあったとしても、如何にも知ったかぶりして、尤もらしい事を咄嗟の思いつきでちゃんと喋るから何の心配もいらんぞ」
 閻魔大王官は自信有り気な顔でそんな無責任な事を云うのでありました。
「はあどうも。・・・それではええと、先程の話しと関連して、先ず、住霊は誘拐されないのか、と云う質問なのですが、今日これまでの話しから推察すると、亡者ばかりではなく霊も、亡者よりは危険が少ないながら、それでも誘拐される危険そのものはあるのですね?」
「そうじゃ。しかし先程の話しからも理解出来るじゃろうが、住霊を誘拐した場合、それは明らかに地獄省の省家主権を侵害した事になるから、最悪の場合、戦争も辞さない構えで対応する事になるのじゃ。勿論極楽省の場合でも、同様の対応をする事になるじゃろうのう。であるから、準娑婆省の連中としては地獄省や極楽省の住霊を誘拐するのは、大いに及び腰になるのじゃよ。省力が違い過ぎるから、戦争になったら準娑婆省が壊滅的な敗北を蒙るのは目に見えておるのでのう。ま、誘拐ではなく、住霊が自発的な意志で準娑婆省に亡命したりする場合は、これは今の省際法上、こちらは断固たる措置はとれんがのう」
「亡命の場合はさて置くとして、住霊も現象面としては誘拐対象となり得るけれど、国際関係、いや省際関係上、実際にはその危険度は亡者に比べて格段に低いと云う事ですかね?」
「その通りの理解で結構じゃ」
「しかし省家的意志ではなくても、準娑婆省の或る一部の私的な団体や個人が、金目当てとか愉快犯的動機で、そう云うとんでもない事を画策すると云う事はありますよね?」
 拙生は食い下がるのでありました。「準娑婆省には娑婆にちょっかいを出して喜ぶ、不届きで無粋な了見の輩が多く居るわけですから、そのちょっかいの邪指を迂闊にも地獄省や極楽省の住霊に向けるなんと云う事も、可能性としてなくはないのではありませんか?」
「まあ可能性だけを云えばそうじゃが、しかし連中は娑婆にちょっかいを出す事が面白いわけで、地獄省や極楽省にちょっかいを出してもちっとも面白くはないもののようじゃよ。ま、ワシは準娑婆省の連中の気持ちはようは判らんのじゃが、そう云うものらしいぞい」
「ふうん。そう云うものですかねえ」
「それに万が一、そう云う大胆で不埒な輩がいたとしても、戦争になって壊滅的な敗北を蒙る危険があるのじゃから、準娑婆省当局自体が放っておく筈がないじゃろうのう。省を挙げて目の色変えて、そんな横着者共は自ら屹度成敗するじゃろうて」
「成程、そう云う按配ですか。そうすると、霊として生まれ変わった後は、準娑婆省の連中に誘拐される心配は、先ずはしなくても良いと云う事ですか」
 拙生は何度か頷いて、些か愁眉を開いた表情を閻魔大王官に見せるのでありました。
「ま、そうじゃな。だから安心して生まれ変わっておくれ」
 閻魔大王官も拙生の頷きに同調して、拙生が頷き止めるまで、一緒になって微笑みながら頷き続けているのでありました。
「ええと、次の質問ですが、・・・」
 拙生は頷きながらメモの方に目を落とすのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 274 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「ほい、何でも訊きなされ」
「次はこの、亡者の仮の姿の幾つかの点についてです」
 拙生がそう云いながら顔を上げると、何故か閻魔大王官はどう云った了見かは判らないのですが、無表情に未だ頷き続けているのでありました。
「おお、何じゃな?」
「我々亡者は幽霊みたいな存在だと云うのに、どうして食事が出来るのかと云う質問です。幽霊なら普通、食事は要らないと思われるのですが?」
「まあ、食事くらいは出来んと、思い悩みの三日間が退屈じゃろうからのう」
 閻魔大王官は未だ頷き止めずに云うのでありました。
「しかし基本的には不必要で無意味な機能でしょう?」
「まあそうには違いないが、そんな愛想のない事を云わんと、あんまり小難しく考えないで、食って飲んで大いに楽しめばそれで宜しかろう」
「ええ、私も大いに飲んで食って三日間を楽しませて貰いましたが、しかし何となくちょっと、喉に刺さった儘の魚の小骨のように気になり続けていましたので」
 拙生は自分の喉仏を指差しながら云うのでありました。「私は気持ちに引っかかる事があると、何となく十全に楽しめない性質でしてね。それに、食ったらその後に排泄の要が生じる筈ですが、私は排泄と云う行為をこちらに来て以来一切しておりません。だからと云って、便秘の苦しみもありませんが、この辺の按配は如何になっているのでしょうか?」
「まあ、態々便秘の心配はせんでも構わんのじゃがのう」
「我々亡者は幽霊みたいなもので質量がないのでありますから、そう云う質量のないヤツが質量のある物を摂取すると云うのは、何やら成立不可能な事象のように思われるのです。ええと、私の云わんとしているところがお判りでしょうか?」
「ま、判りはするがのう」
 閻魔大王官は頷き止めて顎髭を手で梳くのでありました。「要するに非物質的存在が物質を摂取する、或いは接不出来ると云うのはおかしな話しじゃと、そう思うわけじゃな?」
「まあそうですね」
 拙生は一つ頷くのでありました。
「その辺の絡繰りじゃがな、・・・」
 閻魔大王官は少し身を乗り出すのでありました。「飯がじゃな、亡者殿の口に入れられた瞬間から、もうその飯は物質ではなくなるのじゃよ」
「飯が物質ではなくなる、・・・のですか?」
「そう云う事じゃ。それじゃから幾らでも食えるし、一向に便秘にもならんのじゃ。まあ、霞を食っとるような感じじゃ。霞じゃったら消化する必要はなかろうからのう」
「まるで仙人みたいな風ですね」
 拙生はそう云って頷きはするものの、そんなレトリックで応えられても、あっさり納得は出来ないと内心では思うのでありました。暗喩的な説明を有耶無耶な儘、感覚的に納得するのではなくて、拙生はリアルなメカニズムが知りたいのであります。
(続)
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もうじやのたわむれ 275 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「亡者殿の口の中に物質を非物質に変換する唾液みたいなものが出ていてのう、それの作用で飯が、飯と云う物質、から、飯と云う非物質、に変わるのじゃよ」
「何か、判るような判らないような仕組みですね」
 拙生は首を傾げるのでありました。
「娑婆的な云い方をすると、飯が亡者殿と同じ幽霊になるようなものじゃ」
 また暗喩的な説明であります。
「我々亡者の口の中に、物質を非物質に変える唾液が出ているのですね?」
 拙生は根本的にえらく難解ではあるにしろ、しかし如何にもメカニズム的言辞らしき語句のみを取り出すのでありました。「しかし、唾液と云うのはあくまで物質ですから、幽霊のような非物質的存在である我々亡者の口の中に、そんな物質が湧き出るなんと云う事自体、何か釈然としない話しになるような気がするのですがね?」
「まあ、唾液、と云うのも比喩に過ぎんでのう。判り易く云おうとして、ワシが唾液と譬えたまでじゃ。厳密には霊や鬼における唾液みたいな働きをする非物質、と云う事になるのじゃが、それは実は唾液とは全く違う非物質でのう。唾液にはあらねど唾液に働きが近似する非物質、と云うように考えて貰いたいわけじゃ。非物質存在である亡者殿の口の中に湧き出る、非物質的唾液と云う比喩的説明で、何とか一つ、手を打って貰えんかのう」
 閻魔大王官は自分が一つ手を打って、懇願するような目をして見せるのでありました。
「私が欲しいのは比喩ではなくて、実際のメカニズムの説明なのですが、まあ、こう云う感じであれこれ言葉を交わしていると、矢鱈と話しが小難しくなるばかりですかな」
「ま、そう云うこっちゃ。ワシは閻魔大王官であって生物学者、或いは非生物学者ではないのじゃから、正確な物質の名前とか、或いは非物質の名前なんかもちゃんと入れて、そのメカニズムを上手く説明するのは、職務の領域を越えとるから手に余るわいのう。亡者殿には慎に申しわけない限りではあるが、そこいら辺を察して貰えると実に有り難いのう」
 閻魔大王官は肩を窄めて恐縮のお辞儀をするのでありました。
「ああこれは、大王官さんに頭を下げられると、こちらが畏れ入って仕舞います」
 拙生はたじろいで両手を横に何度もふるのでありました。「判りました。物質だの非物質だのと、ごちゃごちゃまわりくどい事の説明をこれ以上求めるのは止めにします。飯が亡者の口の中に入った途端、作用としての唾液のようなものが出てきて、飯と云う物質が飯と云う非物質に変換されるのだと云う点、その儘素直に受け入れるといたしましょう」
「いやいや、大度な大度、いや、態度、かたじけない」
 閻魔大王官はそう洒落を云いながら愛想笑いをするのでありました。
「そう云うわけで、飯が飯と云う物質から飯と云う非物質になるのと同じで、酒も酒と云う物質から酒と云う非物質になって仕舞うので、幾ら飲んでも酔わないのですな。しかし酒には酔わなくとも車には酔うと云うのは、これは一体どう云った按配なのでしょう?」
「それは未だ、よう解明されておらんのじゃ。そう云う事例の報告は偶に我々の方にもあがって来るのじゃが、閻魔庁の亡者生理研究者の間でもさっぱり判らん現象でのう」
 閻魔大王官はそう云った後、瞑目して口をへの字に曲げるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 276 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「一種の、娑婆時代の名残みたいなものでしょうかねえ?」
 拙生は同じように口をへの字に曲げるのでありました。
「そうじゃなあ。まあ、今後の研究の成果を待つしか、今のところないじゃろうのう。しかしお手前はその辺の研究の成果が出る頃には、もうとっくに亡者ではなく霊になっておるじゃろうから、今のお手前の疑問なんと云うものも、お手前自身が綺麗さっぱり忘れて仕舞うとるじゃろう。じゃによって、態々お手前にお知らせする事もせんけどのう」
「まあ、それはそうでしょうが」
「いやまあ尤もワシがそんな事を云うからと云って、お手前の今抱いておる疑問すっかりを、無意味な疑問じゃと退けようと云う了見は毛頭ありはせんのじゃぞい。お手前の疑問は大いに尊重して、適当にあしらうような事は屹度せんし、ワシの持っておる知識を総動員して誠心誠意応える心算でおるから、その点、誤解のないようにして貰いたいものじゃ」
「閻魔大王官さんの誠意の程は重々承知しております」
 拙生はそう云いながら生真面目な表情でお辞儀をするのでありました。
「いやまあ、誤解をされるとワシの立つ瀬がないから、一応云っておくのじゃがな」
「そうするとですね、・・・」
 拙生はメモに目を落としながら質問を進めるのでありました。「亡者が摂取する飯が口に入った途端非物質になる以上、亡者の体内で物質代謝と云う現象は起こらないのですね?」
「そうじゃ。霞を食っても屁にもならん」
「すると我々亡者がこうやって喋ったり散歩に出たり、あちらこちらと観光したりするその活動エネルギーは、一体どのように生成されるのでしょう?」
「それも諸説あるのじゃが、閻魔庁の亡者生理研究者の間では、恐らくお日様の作用によって活動エネルギーを得ているのじゃろうと云われておる」
「お日様の作用?」
「亡者殿がお日様の光を浴びる事に依って、先天的に持っている、活動素、と云う名前の緑色の色素が光のエネルギーと反応して、亡者殿の体内で活動エネルギーを生成しておると云う仕組みらしいのう。まあ、ワシにはそれ以上の詳しい説明は出来んがのう」
「まるで光合成みたいですね?」
「ま、大体それと同じ仕組みらしいぞい」
「云ってみれば我々亡者は植物に近いわけだ」
 拙生は何となくその結論に、どう云うものか少しがっかりするのでありました。
「しかしあくまで亡者殿は物質的存在ではないので、この説も根本的に胡散臭い、或いは未だ肌理が粗い、と云う研究者もおるわい」
「その、活動素、と云う色素が非物質的である事を証明しなければならないのですね?」
「そう云うこっちゃわい」
「それに大体幽霊なるものは、一般的にお日様は苦手なものでしょうからねえ」
 これは拙生の蛇足であります。
「そうじゃそうじゃ。日の出と共に早起きする幽霊なんぞ、幽霊の風上にもおけんわいの」
(続)
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もうじやのたわむれ 277 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 閻魔大王官は拙生の蛇足にツッコむどころか、それを受けての冗談を発しながら大笑するのでありました。慎にノリの良い大王官であります。
「ははあ、それで夜の一定時間を過ぎると急に万事がもの憂くなってきて、動くのも億劫になって、竟には眠って仕舞ったのですね私は?」
「昼間に吸収して蓄えておったお日様のエネルギーが、そこで切れたのじゃろうて」
「実は急にそう云う疲労感みたいなものを感じて眠って仕舞うのは、部屋の中に亡者をそうさせて仕舞う、例えば、億劫ガス、みたいなものが、屹度充満する仕かけになっているのではないかと疑っていたのです。或いはガスでなければ、億劫電磁波、みたいなものがテレビとか照明器具とか空気清浄機辺りから、亡者を目がけて照射されるのかと」
「いやいや、そんな人の悪い、いや鬼の悪い仕かけは何もないぞい」
「そいで以って夜が明けて、カーテン越しに差す朝日に依ってエネルギーがまた充填されて、そのために私は目覚めたというわけですかな」
 拙生は云いながら何度か頷くのでありました。
「ま、そう云う理屈じゃ」
 今度もまた閻魔大王官は拙生の頷きに同調して、何度も頷き続けるのでありました。
「活動素に作用するところの光のエネルギーは、お日様の光だけではなくて、照明器具とかの光ではダメなのでしょうかね?」
「どうやらそう云う人工的な、いや霊工的、或いは鬼工的な光ではいかんようじゃな。あくまでもお日様の自然光にしか反応せんらしいぞい」
 閻魔大王官は未だ頷き続けているのでありました。
「すると亡者は夜になって蓄積していた光のエネルギーが切れると、決まって活動を停止するわけですから、宿泊施設のカフェテリア黄泉路が、亡者のナイトライフのために四更まで営業していたり、或いは夜を徹してのどんちゃん騒ぎなんと云うオプションサービスが態々設定されている、なんと云うのは結局、利用不可能なのではないかと思うのですが、どうしてそう云う無意味なサービスなんぞが、宿泊施設に設けられているのでしょう?」
 拙生の質問の言葉が終わる頃、閻魔大王官はようやく頷きを止めるのでありました。
「ははあ、ひょっとしてお手前、宿泊施設が、結局享受不可能と思えるサービスなんかも色々並べて、サービスの種類とか細心さを粉飾しているとお疑いなのじゃな?」
「いやいや滅相もない。まるで娑婆の高級ホテル並みに、宿泊施設では本当に快適に過ごさせて頂きましたから、そう云う人の悪い、いや亡者の悪い勘繰りなんかは誓って持ってはおりません。只、私の呑気で素朴な疑問としてお伺いさせて貰っているだけですよ」
「呑気で素朴な疑問、ねえ。・・・」
 閻魔大王官は疑わしげな顔をして見せるのでありましたが、しかし底に悪意とか敵意はないようで、そう云って拙生のたじろぐ様子を単に面白がっているだけのようであります。
「お気を悪くさせる了見で今の質問をしたのではない事を、ご理解ください」
 拙生はオロオロと恐懼の物腰で云い添えるのでありました。
「いやいや案ずる事はないぞい。お手前に悪気のない事はちゃんと承知しておるわいの」
(続)
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もうじやのたわむれ 278 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 閻魔大王官は笑顔で手をひらひらとふって、拙生の恐縮を慰撫するのでありました。
「迂闊な質問をして、申しわけありません」
 拙生は頭を掻くのでありました。
「いやのう、宿泊施設にそう云うサービスが設定されておるのは、ちゃんと意味のある事でじゃなあ。中にはエネルギー消費効率の矢鱈に良い亡者殿もおって、そう云う亡者殿は宵っ張りが出来るもんじゃから、四更までくらいのサービスなんかも必要なのじゃよ」
「私の場合、或る時間になると急に万事が億劫になって、その儘寝てしまいました」
「ま、それが一般的なのじゃがのう」
「亡者の体内に蓄積できる光エネルギーの量は、亡者夫々で違うのでしょうか?」
「そう云う事のようじゃな。それと蓄積したエネルギーの消費効率も、夫々の仮の姿間で違いがあるようじゃ。これはどうしてそんな差が出るのか、今のところ解明出来てはおらんようじゃ。ま、現実に仮の姿にそう云う差があると云う事実のみが把握されておるわい」
「それは娑婆時代の、その個体の持っていた筋肉量とか骨量とか、或いは血液の組成とか、内蔵の強さなんかが関係しているのでしょうかね?」
「いやあ、娑婆時代のその個体の条件は一切関係ないとされておるわい。それに娑婆にいた時間の長さと云うのも、相関してはおらんと云う事じゃ。但し、亡者殿の中には娑婆時代の肉体的能力をその儘保持している例外も二三、報告されてはおるらしいがのう。ま、短い審理期間を終えるまでの仮の姿じゃし、一般的には娑婆の姿形に似せてはあるが、単にそれだけの事で、向うにいた頃の体の特性は引きずる必要は、特にはなかろうと云う事のようじゃな。娑婆時代の姿形にさっぱり似ておらん亡者殿も、相当数おるようじゃしな」
「ああそうなのですか?」
「まあ、向うに居た時間がごく短い亡者殿もおるし、そうなると赤ちゃんとか、場合に依っては胎児の姿で審理に臨むなんと云うのも、色々と按配が悪い事もあるわいの」
「そりゃまあ、そうですね」
 拙生は頷くのでありました。
「ええと、ところで元々は何の質問じゃったかのう?」
 閻魔大王官がふと、思念が少し混乱したと云う様な顔をするのでありました。
「カフェテリア黄泉路が四更まで営業しているのは何故か、と云う質問とかです」
「ああそうじゃったそうじゃった。で、そう云うわけで四更まで営業する意味はちゃんとあるのじゃよ。それに夜を徹しての、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎのオプションものう」
「もう少し亡者の仮の姿についての質問ですが、・・・」
 拙生はそう云いながらメモを見るのでありました。「こちらに来て三途の川を渡る準娑婆省の港湾施設に行く途中の道筋で、何となくフワッと仮の姿になっている自分に不意に気づいて、その時は仮の姿であるとは思わないのですが、まあ兎に角、どうしてか娑婆時代の体裁の儘で、これもどうしてか判らないながら、これから向かうべき場所なんかもちゃんと知っていて、そいで以って豪華客船で三途の川を渡って、その後閻魔庁に着いたら審問官と記録官の審問を受けて、その後で閻魔大王官さんの一回目の審理を受けたわけです」
(続)
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もうじやのたわむれ 279 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「ま、改めて経過をなぞれば、その通りじゃわいの」
 閻魔大王官は拙生の言葉に生真面目な表情で頷くのでありました。
「それから思い悩みの三日間、まあ私の場合は呑気な、散歩と観光と寄席見物の三日間を経て、その後にこうして二回目の審理となって、それで生まれ変わり地が決定して、その後は目出度くこちらの世の霊に生まれ変わると云うのですが、・・・そうするとこの亡者の仮の姿の耐用時間と云うのは、ほぼ四日間と云う勘定になると考えて良いのでしょうかね?」
「ああ、仮の姿の耐用時間と云うごくあっさりとした質問かいの。いやな、お手前が態々改めて丁寧に経過をなぞるものじゃから、もっと別の深刻で切迫した質問かと思うたわい」
 閻魔大王官は拍子抜けしたような顔になるのでありました。
「ああいや、単に耐用時間を知りたかっただけです。云い様がまわりくどかったですかな」
 拙生は頭を掻きながら恐縮のお辞儀をするのでありました。
「別にそんなに気後れする事はないわいの。亡者殿の仮の姿の耐用時間はほぼ一週間と云ったところかいのう。審理がきっちり四日間で片づかん場合も稀にあるでのう。その辺を考慮して、少し長めになっておるのじゃよ。ま、これも亡者殿で個体差は多少あるがのう」
「成程、そうですか。ところで今、その辺の余裕を考慮して、なんと仰いましたが、それはいったい誰が、考慮、するのでしょうか?」
「誰が、と云われても困るが、・・・」
 閻魔大王官は髭に覆われた口を少し尖らすのでありました。
「亡者の仮の姿の耐用時間を、ほぼ一週間と決めた方がいらっしゃるわけでしょうかね?」
「いや別に、誰と云って居らんわいの。勿論閻魔庁で決められる事でもないしのう」
「こう云う質問をするのはですね、つまり我々亡者の仮の姿の耐用時間をほぼ一週間にしようとかですね、いやそう云った小さな事だけではなくて、もっと大きな、こちらの世をこう云う風に在らしめている、霊でもない鬼でもない、もっと大きな絶対存在の意志みたいなものがひょっとしたらあるのか、と云う点をお訊きしたかったのです。まあ娑婆の議論風に云うと、神様みたいな存在がいるのかいないのか、という事になると思うのですが」
「いやあ、それはそう云う存在を説く一部の宗教なんかもこちらにもあるのじゃが、それが全てこちらの世的に是認されておる説とは、全くのところなってはおらんわいのう。寧ろ妥当で自然な進化、と云う文脈で語られる説の方が大方の納得を得ておるかうのう」
「この亡者の仮の姿の耐用時間にしても、長い進化の歴史の中でそう云う風に自ずと定まった、と云う事になるのでしょうかね?」
「そうじゃな」
「観念論の入る余地はないと?」
「いや、全くないと云うと語弊があるわいの。何をどう考えようと、またどう発言しようと、公共の利益に反しない限りに於いて地獄省では基本的に自由なのじゃから、観念論でも唯物論でも進化論でも、エプロンでもアイロンでも、バイロンでもロートレアモンでも、ナイロンでもビニロンでも、オーデコロンでもエステティックサロンでも、デカメロンでも夕張メロンでも、兎に角何でも、如何なる事も考えたり発言したりして構わんからのう」
(続)
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もうじやのたわむれ 280 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「でも大方の支持を得ているのは、妥当で自然な進化論、であると?」
「ま、そういうこっちゃわい」
 閻魔大王官は片方の手に持っている巻物で、もう片方の掌をゆっくり軽く何度か叩きながら云うのでありました。
「つまり、悠久とも思える長い時間の流れの中で、今日に於いて結果として決定されたところの、ほぼ一週間と云う亡者の仮の姿の耐用時間、と考えるのが一番自然なのですね?」
「そうじゃわいのそうじゃわいのそうじゃわいのそうじゃわいの」
 閻魔大王官の巻物で掌を叩くリズムが四分の四拍子になるのでありました。
「そうするとこの先、その一週間が例えば二週間に変化、まあ、云い様によっては進化する事も、長い々々時間の推移の果てにあり得るのですかね?」
「そうじゃな。変化する可能性はあるわいの。しかし長くなるよりは、閻魔庁の処理の迅速化に段々適応していって、どちらかと云うと短くなっていくのじゃろうて。それに思い悩みの三日間もそれ以上長くなっても、まあ、どちらかと云うと無意味じゃろうからのう」
「そう云われればそうですね。私なんかもちっとも思い悩まないで、結局三日間遊び回っていたようなものでしたからね。この辺りは将来、短く変化しても大した影響は何もなさそうですね。自然な効率から云って、成程短く変化する可能性の方が大きいわけだ」
「そうじゃろそうじゃろそうじゃろ」
 閻魔大王官の掌を叩くリズムが四分の三拍子に変化するのでありました。
「そうすると例えば、準娑婆省に拉致されるとかの拠無い理由で、生まれ変わりが妨害された場合とか、非常に横着な亡者とか無精な亡者とか、途轍もなく天邪鬼な亡者が、生まれ変わりを拒否したりした場合、その亡者は一体どうなって仕舞うのでしょうか?」
「耐用時間が切れて仕舞ったのに、生まれ変わり地が決定されなかった場合の事かえ?」
「まあそうです」
「自分の意志でも責任でもなく、やむを得ない理由、或いは事由に因って生まれ変わりが出来なかった場合は、仮の姿を喪失した後でも、どんなに時間がかかろうとも閻魔庁が責任を持って、その亡者殿が屹度生まれ変われるように努力する事になるのう」
「準娑婆省に拉致された亡者とかは救出されるのでしょうか?」
「絶対に救出するべく、準娑婆省に対して出来る限りの強硬な、場合に依っては合法ぎりぎりの胡散臭い手段を用いたり、或いはまた、ちょろっとした利をちらつかせたりなんぞして、閻魔庁の講じ得る、あらゆる手練手管を以って救出を試みる事になるわい。まあ、あくまでもその亡者殿が、生まれ変わりたいと云う了見を保持し続けている限りはのう」
 閻魔大王官は毅然とした意志を表すために、巻物でやや強く自らの掌を一つ打ってパチンと云う小気味良い音を響かせてから、その後その打撃が少し強過ぎて痛かったらしく、顔を顰めて掌を大袈裟に何度かふった後、袖の中にゴソゴソと引っこめるのでありました。
「生まれ変わりを不謹慎にも亡者自身が拒否した場合は、どうなるのですか?」
「そりゃ放っておくわい」
 閻魔大王官はあっさりそう云って、瞑目した儘何度か頷くのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 281 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「放っておく、のですか?」
 拙生は少し驚いたような表情をして、閻魔大王間の言葉をなぞるのでありました。
「そうじゃ。そうなるとこちらとしても打つ手なしじゃからのう」
「放っておかれた亡者は、一体全体どうなるのですか?」
「当面、知ったこっちゃないわい」
 閻魔大王官はすげなく云い放つのでありました。「まあ、そう云う不貞の亡者の行き着く先は準娑婆省と決まっておるのじゃが、準娑婆省では仮の姿も喪失して、その結果大体は道端の石ころとなり果てて、体の自由もなく喜怒哀楽や意志を伝達する術もなく、将来の夢や希望からも見放されて、目もなく鼻もなく耳もなく、美味いものを食う口もなく、真っ暗闇と無臭無音の中で、飢餓と完全不自由に苦悶しながら、準娑婆省の連中に蹴飛ばされたりして、永遠に石ころとして無意味に準娑婆省に存在し続ける事になるのじゃよ」
「ふうん、そうですか。当然そうなるとこちらの世の次の素界にも行けなくなるのですね?」
「そうじゃ。路傍の石ころとして、こちらの世に留まり続けると云う按配じゃ。その石ころも、雨風によってその内に破砕されて仕舞うわいの。破砕される時には途轍もない痛みが伴うと云う事じゃ。そうして破砕された後は一粒の砂となって土中に紛れて仕舞うわいの。その砂も永遠に砂であり続ける事は出来んじゃろうから、また痛い思いをして何かに変わって仕舞うのじゃ。しかし真っ暗闇と無臭無音の環境は何時まで経ってもその儘じゃ」
 閻魔大王官はさも恐ろし気な口調でそう云うのでありました。
「考えように依っては、石ころから色々なものに変化しながらではあるにしろ、しかしこちらの世で永遠の生を手に入れる事になる、とも云えるわけですよね、それは?」
「そう云う石ころみたいな存在で良いのなら、そうとも云えるがのう」
 閻魔大王官は大袈裟に顔を顰めるのでありました。
「ええとところで、そうするとつまり、約一週間のこの今の仮の姿の後は、我々亡者は皆石ころになるのですかね?」
「ま、それは最終的に準娑婆省に流れ着いた不貞の亡者がそうなると云う話しじゃ。普通の順当に生まれ変わる亡者殿は、この審理を終えた後、生まれ変わり準備室、と云う名前のついた部屋に行って、魂魄、と呼ばれる気体になって生まれ変わりを待つ事になるわいの。因みに云うが、仮の姿から魂魄になる時には、痛みなんぞは全然感じないで済むわいの。それどころか寧ろ何となく、ある種のエロチックな気持ち良さなんぞが伴うわいの」
「エロチックな気持ちよさ、ですか?」
「ま、それはその時のお楽しみ、と云う事で気体、いや、期待しておいで」
 閻魔大王官はそう云う洒落も抜かりなく云いつつ、何やら意味ありげなウインクなんぞを拙生に送って見せるのでありました。その後で拳にした手を口に添えて咳払いを一つした後、閻魔大王官は石ころになって仕舞う不貞の亡者の話しを続けるのでありました。
「ところで準娑婆省の石ころとか砂粒になった亡者は殆どの場合、真っ暗闇と無臭無音の環境の中で永遠に陰鬱に生き続ける事に心底げんなりして、次第に強烈な後悔と反省の心根が芽生えてきてじゃの、真人間、いや真亡者の了見を段々取り戻すのじゃよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 282 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 閻魔大王官は袖の中に入れていた手を出して文机の上に載せるのでありました。「そうするとその石ころや砂粒の中に、念、と云う名前で呼ばれる放射性物質が次第に生成されてくるのじゃよ。見た目は何の変哲もない石ころや砂粒であってもじゃな、その放射性物質を測定出来る機器を使えば、単なる路傍の石ころや砂粒か、それとも、深い反省と後悔の心根の芽生えた亡者の現し身たる石ころや砂粒かが、ちゃんと判別出来ると云うわけじゃ」
「ふうん。或る意味、幽玄な現象だと云えなくもないですかねえ」
 拙生は真顔をして腕組みするのでありました。
「閻魔庁には隠密裏に準娑婆省まで行って、その放射性物質測定機器を駆使して、嘗ては不貞の亡者であったけれども、一定レベル以上の念の測定数値を示すようになった石ころや砂粒は、漏れなく回収してくると云う仕事をする部局があってのう」
「閻魔庁の仕事も、本当に色々多岐に渡るのですねえ」
 拙生は腕組みした儘感心するのでありました。
「そいで以ってそう云う亡者に対しては遅ればせながらも、ちゃんと生まれ変われるように救済措置を施すのじゃよ。況や、自分の意志でも責任でもなく、拉致とかのやむを得ない事由に因って生まれ変わりが出来なかった不幸な亡者で、慎に不本意ながらも準娑婆省で不貞の亡者と同じように、石ころや砂粒になって仕舞うた亡者は云うまでもないわいの」
「娑婆の、仏教で云う阿弥陀様の衆生救済みたいな感じですかね?」
「ま、阿弥陀様と云うと、何やら極楽省の絶対支配者の名前みたいじゃがのう」
 閻魔大王官はそう云って載せていた手で文机を軽く打つのでありました。
「それから、我々亡者は審理後か、或いは一週間の仮の姿の耐用時間後には、魂魄、と云う気体になると仰いましたが、気体となって生まれ変わりまで待機するのですか?」
「そうじゃ。生まれ変わり準備室でのう」
「すぐに順番がきて生まれ変われるのでしょうか?」
「いや、すぐにと云う事はないのう。暫くは魂魄の儘部屋に留まる事になろうのう」
「気体となって仕舞ったら、手足も鼻も耳も口もないでしょうから、飯も食えないし寄席にも街に散歩にも行けないのでしょうね。すると魂魄の期間中は手持無沙汰でしょうね?」
「いやいや退屈とかはせんじゃろうのう。なにせ魂魄となった後は、意識が朦朧として仕舞うのでのう。つまり浅く眠った状態と考えれば良いかのう」
「ああそうですか。それで正気づいたら生まれ変わっていたと云う按配で?」
「ま、煎じつめて云えばそうじゃ。朦朧としている間に閻魔庁の記憶も消去されるのじゃ」
 閻魔大王官は文机に上に置いていた手をまた袖の中に仕舞うのでありました。
「ちょっと具体的な生まれ変わりの経緯と云うのか、生まれ変わりのメカニズムの事をお聞きしても構わないでしょうか?」
「なんじゃい?」
 閻魔大王官は拙生の方に少し身を乗り出すのでありました。
「魂魄となって浅く眠った状態の我々亡者は、どうやって生まれ変わる生身の霊になるのでしょうかね? 魂魄が飛んで行って、生まれたての赤ちゃんに乗り移るのでしょうか?」
(続)
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もうじやのたわむれ 283 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「まあそんな感じじゃが、生まれ変わりネットという、閻魔庁独自のシステムに繋がった生まれ変わり準備室のパソコン上で、順番がきたら、その魂魄となった亡者殿のID番号が通知音と同時に点滅表示されてのう。そうすると担当官が予め登録されていた亡者殿の生まれ変わり希望地と、点滅表示しているID番号の後ろ示された地方や郡が合致するかどうかを確認してじゃな、ポインターをそのID上に置いてクリックするのじゃ。するとパソコンからそのID番号の亡者殿だけ反応する赤外線が照射されてのう、亡者殿の魂魄に、行け、と云う指令が伝わるのじゃよ。するとその亡者殿の魂魄が反応して、薄紫色の光を放ちながら、該当地方や郡の該当お父ちゃん予定の霊か鬼の処に飛んで行くのじゃよ」
「お父ちゃん予定の霊か鬼の処に、ですか?」
「そうじゃ。お父ちゃん予定の霊か鬼の処へじゃ」
「生まれた赤ちゃんの処ではなくて?」
 拙生は口を尖らせて、上手く理解が出来ないと云う様な表情をするのでありました。
「魂魄は飛んで行って生まれた赤ちゃんに入りこむのではなくてじゃな、もっとずうっと大本のところに入りこむのじゃよ」
「大本のところと云うと?」
「お父ちゃんの金玉じゃ」
「金玉に、ですか。ううむ。・・・」
 この「ううむ」は拙生の唸り声であります。
「しかもそのお父ちゃん予定の霊か鬼は、まあ、ちょいと際どい話しになるが、或る女性の霊か鬼と何やらややこしい行為をしている最中のヤツと云う按配じゃ。そいで以ってその金玉の中の、今にも放出されそうな最先頭にいる一個の精子に咄嗟に取りつくのじゃ」
「それは何とも、機微に富んだ玄妙な仕組みと云うのか、くだくだしい仕組みと云うのか、せわしない仕組みと云うのか。不必要に小難しい仕組みと云うのか。・・・」
「タイミング勝負じゃ。手際の良さが要求されるから魂魄もうかうかしてはおれんのじゃ」
 閻魔大王官は巻物で掌を打ってパチンと云う音をさせるのでありました。
「心してかからねばなりませんなあ、そう云う事なら」
「緊張の一瞬じゃ。しかしその代わりに、その精子に取りついた瞬間も仮の姿から魂魄になる時と同様、ある種のエロチックな気持ち良さが伴うらしいぞい」
「ああそうですか」
「魂魄の取りついた精子は、七十二時間以上活発に動き回る事が出来るし、一分間に十ミリ以上も移動する事も出来るし、酸にも強くなるのじゃ。まあ、馬力がつくと云うのか意欲的になると云うのか、兎に角、他の精子に対して格段に優位な能力を持つ事になるわい」
「それでその精子が、優先的に卵子と融合出来る事になると云うわけですかね?」
「ま、そうじゃ」
 閻魔大王官は巻物を持った手で、大袈裟な仕草で力瘤を作って見せるのでありました。
「しかしそれで、絶対上手く受精するわけでもないと思うのですが。まあつまり、相手のある事ですし、お父ちゃんの方が急に放出不可能になる事態だってあるかも知れませんし」
(続)
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もうじやのたわむれ 284 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「急に放出不可能になる事態とは、例えばどんな事態じゃな?」
 閻魔大王官が逆に拙生に訊ねるのでありました。
「まあそれは色々な事態が考えられます。しかし話しが不謹慎になる恐れがあるので、具体的な微に入り細に入りの説明や描写は避けたいと思いますが」
 拙生はそう云いながらおどおどと閻魔大王官から目を離すのでありました。
「ああそうかいの。それにつけても、まあ、ご心配召されるな」
閻魔大王官はニヤニヤ笑いながら、巻物を顔の前で左右に何度かふるのでありました。「若し何らかの理由で上首尾といかんかったとしても、その魂魄はまた閻魔庁の生まれ変わり準備室に飛んで戻って来るだけの話しじゃ。そいで以って次の指令に備えるのじゃ。それに、戻って来た魂魄は、生まれ変わりの順番を一番後に回されると云う事はなくてじゃな、優先的に指令を受けられるようになっておるでのう。その辺は融通が利くわいの」
「ああそうですか。何度でもチャレンジ出来るわけですね?」
「はいな。そう云うこっちゃわい」
 閻魔大王官は巻物を文机の上に置いて、両手でピースサインをするのでありました。
「そんなこんなで総てが上首尾となれば、それで以って我々亡者は、こちらの世の新たな霊として、生まれ変わりがほぼ約束されるのですね?」
「はいな。そう云うこっちゃわい」
 閻魔大王官は同じ言葉を繰り返して、愛嬌にピースサインを作った儘にしていた両手の指を、何度かピコピコと折り曲げたり伸ばしたりするのでありました。
「後もう一つ程質問があるのですが」
 拙生はメモを見ながら声の調子を変えるのでありました。
「ほい、何じゃな?」
「こちらの世の地名の事なんですが、こちらには娑婆と同じ地名とこちらの世独自の地名が併存しているようですが、何か明確なわけとか由縁でもあるのでしょうか?」
「ああ、地名の事かいの。いやそれは、特にはっきりとした理由も由来もないわいの。大体地名なんと云うものは、これこれこう云うわけでこの地名に決定します、なんと云うはっきりした理由でついたところは意外に少なかろうしのう。何と云うのか、誰云うともなく地形的な特徴やら、そこに元々在った特別な事物に因んだ名前辺りがつくのが自然じゃろうが、こちらの世も大凡はそんなところじゃわいの。娑婆でもそう云うものじゃろう?」
「私はその辺りは詳しくはないのですが、まあ、そんな感じでしょうかねえ」
「時に、政治家とか誰ぞを顕彰するとか云う無粋な了見で、霊の名前が地名として採用されたりする場合も過去にあったが、そう云う如何にも作為的な命名は、後であっさり変更されたりして、長く親しまれる地名とはならんわい。この辺も多分娑婆と同じじゃろうて」
「ああそうですか」
「娑婆の地名がその儘ついた処は、時の地方知事や郡長の思いつきでそうなった処もあれば、住霊投票によって決まった処もあれば、何となく娑婆と同じ名前にしておいた方が色々面白いとか云う横着な理由に因るのじゃろうが、これも云ってみれば作為的な命名じゃな」
(続)
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もうじやのたわむれ 285 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「娑婆と同じ名前にしておいた方が色々面白いとか云う横着な理由、なんと今云われましたが、それは何が横着で、それに、誰がどのように面白いわけでしょうか?」
 拙生はちょっとその辺に、ふと拘るのでありました。
「いやまあ、何が横着かとか、誰がどのように面白いのか、とか訊かれたら、ワシとしてはここでは曖昧にしか応えられんのじゃが、・・・」
 閻魔大王官は口籠るのでありました。「ま、その辺はこの際どうでもエエわいの」
「葛飾柴又、みたいに娑婆とすっかり同じになったり、お茶の水、が、お茶のお湯、と云う風に少し変化したり、こちらの世だけにしかない地名がついたりするのは、ちゃんとした法則があるのではなくて、全く恣意的な理由からと云う事ですね?」
「そうじゃな。ま、趣味の領域、とでも云うべきかのう」
「成程ね、判りました」
 拙生はそう云いながらメモを上着のポケットに仕舞うのでありました。
「質問はそれくらいかのう?」
「ええと、未だ幾つかあったような気がしますが、・・・」
 拙生は腕組みをして天井を向いて、考えこむ仕草をするのでありました。
「遠慮のう訊いておくれよ。後で、あれを訊いておけば良かった、なんと生まれ変わり準備室で悔やんでもつまらんからのう」
「ああそうだそうだ、これを質問しておきたかったんだ」
 拙生は自得の頷きをするのでありました。「例えば娑婆で男だった亡者は、こちらの世でも男に生まれ変わるのでしょうかね?」
 拙生は腕組みを解いて訊ねるのでありました。
「いや、そうとは限らんのう。前の説明でお手前ももう判っておろうが、娑婆の一切がこちらでは一旦ご破産になるのじゃから、性別なんと云うのも例外ではないわいの」
「ああそうですか。判りました」
 拙生はあっさり納得するのでありました。
「他には何かあるかいの?」
「ええと、それから、・・・」
 拙生はまた腕組みをして首を傾げるのでありました。
「或る種のサービス精神から態々無理矢理に、あれこれ質問を捻り出さんでも構わんぞい」
「いや、そんな了見ではなくて、確か未だ二三、質問があった筈ですが。・・・」
 拙生は首を傾げた儘口を尖らすのでありました。「ええと、ああ、思い出しました。こちらの世と娑婆とでは時間の流れに差があるのでしょうか?」
「時間の流れとは?」
「いやね、宿泊施設で夜酒を飲みながら寛いでいる時に、娑婆に未だいる筈のカカアが突然私の頭の中に現れましてね、カカアが云うには、向うでは未だ私の葬儀の真っ最中なんだそうですよ。私は閻魔大王官さんの審理に臨んでいるのですから、もう三十五日が経ったとばかり思っていたのですが、向うでは未だ二日間しか経っていないらしいのです」
(続)
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もうじやのたわむれ 286 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「ああ、そう云う事かいの」
 閻魔大王官は頷くのでありました。
「向うの世を引き払ってどのくらいの時間を経て、三途の川を渡る豪華客船に乗る行列に並んだのか、迂闊にもその辺の時間感覚は茫洋としておりますが、まあしかし、三十五日とは云わないまでも、私がこちらの世に来てから、思い悩みの三日間と云う名目の、遊びの時間も含めて、少なくとも四日以上は経過していると云う勘定になると思うのですが?」
「その前に伺うが、娑婆時代の奥方がお手前の頭の中に現れたとな?」
「ええ。そいで以って愛想の一つだに云わないで、寧ろ色々、娑婆の時と同じげんなりするような小言やら繰り言やらをべらべら並べて、それから忙しそうに帰って行きましたよ」
「ほう、そうかいの。普通は娑婆に居る人間は、例え亡者殿の頭の中にであろうとも、こちらに来る事は絶対出来んと云われておるのじゃがのう」
 閻魔大王官は不思議そうな顔色でそう云いながら、巻物でゆっくり何度も、もう一方の自分の掌を軽く叩いて見せるのでありました。
「ああそうなのですか? しかし現にカカアはやって来ましたよ」
「いやあ、考えられん事じゃな、それは」
「するとあれは、夢だったのでしょうかね?」
 拙生も自分の掌を叩く巻物が欲しくなるのでありました。「まあ確かに、ベッドに入って酒をちびちびやりながら、どうでも良い事をあれこれぼんやり考えたりしていたのでしたが、その内に何時の間にかエネルギーが切れて、寝入って仕舞ったのかも知れませんが」
「いや、そうであったとしても、亡者殿は夢は見んのじゃよ、基本的には」
「ああそうなのですか?」
 拙生は少し驚くのでありました。
「亡者殿の仮の姿を卒業して魂魄となった後では、意識朦朧とした状態で浅く眠ったような風になるから、その折は夢を見ると云う事例も稀に報告されておるようじゃが、亡者殿が夢を見たと云う話しは、ワシは今まで聞いた事がないのう」
「それじゃあ、あの、カカアが私の頭の中に現れた、と云う現象は何なのでしょうかね?」
「いや、俄かには判らんわいの。車酔いと同じで、ひょっとしたら亡者殿によっては夢を見る事があるのかも知れんのう。今後の研究課題と云う事になるのじゃが、お手前のその話は一応、上に報告しておかねばならんのう。そうすると生まれ変わり準備室に行く前に、仮の姿が消滅して仕舞わん内に、ご苦労な事じゃが、別室で閻魔庁の亡者生理研究所の研究員の、聞きとり調査を受けて貰う事になるかも知れんがのう。まあ、お手間は取らさんよ。幾ら時間がかかったとしても、お手前の仮の姿が消滅して仕舞うまでの短い時間じゃ」
 閻魔大王官の言葉を聞きながら、拙生は面倒な事になったなと思うのでありました。うっかり妙な事を訊いたがために、煩わしい仕儀を招いて仕舞ったようであります。億劫がりの拙生が娑婆時代にも好きでそうしていたように、無駄に無精に手持無沙汰を楽しみながら余った時間を遣り過ごして、ある種のエロチックな気持ち良さなんぞを味わった上で、早々に魂魄となって薄ぼんやりしてしまおおうかなと考えていたのでありますが。・・・
(続)
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もうじやのたわむれ 287 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「まあ、亡者生理の研究に些かなりとも私が役に立つと云うのであれば、それは喜んで聞きとり調査でも焼き鳥調査でも何でも受ける用意はありますがね」
「焼き鳥調査、なんと云う一杯飲み屋の売れ筋商品調査みたいな調査はないがのう」
 閻魔大王官は拙生の駄洒落に真面目な顔でそう返すのでありました。
「ところで、娑婆とこちらの世の時間の流れの差についてですが、・・・」
 拙生は質問の本筋に話しを戻すのでありました。「こちらの世は向うに比べて、時間が二倍の速度とかで流れているのでしょうか?」
「まあそうらしいのう。これはワシが直に体験とか検証した事ではないのじゃが、そう云う風になっておるらしいのう。具体的に二倍とか三倍とか、速度比較はよう知らんのじゃが、しかしこちらの方が向うよりせかせかと、時間が経過しておる事は確かのようじゃよ」
「平均寿命の差なんかを鑑みると、こちらは十倍くらい早く流れているのでしょうかね?」
「いや、そんなに早くはないらしいぞい。しかしこの時間差につけこんで、準娑婆省の連中なんぞは娑婆に色んな悪さを仕かけたりするようじゃのう。ヤツ等の常套手段じゃよ」
「確かに時間差を利用出来れば、ちょっかいを出すのに好都合かも知れませんね」
「ま、兎に角、時間の流れに関してはそう云う風になっとるようじゃ」
「判りました。そう云う風になっとるわけですね」
 拙生は閻魔大王官の口調を真似るのでありました。
「うん、そう云う風になっとる」
 閻魔大王官は別に拙生が口調を真似た事には何も頓着せずに、また同じ言葉を繰り返してニタニタと笑っているのでありました。
「それと、これはあんまり拘る必要はない事なのかも知れませんが、先程、宿泊施設でチェックアウトする前に、フロントの脇のデスクに居るコンシェルジュに、三日間色々お世話になりましたと挨拶した折、私が言葉のはずみからその後に、また機会があったら宜しくお願いしますと云おうとして、いや、再びお世話になる事はないかと笑ったら、まあ、万々が一、何か考えもつかない事情でまたお世話させて頂く事もないこともないかも知れませんが、普通はこれにてもうお目にかかる事はないでしょう、なんと返されましてね」
「ほう、そうかいの」
「で、ちょっと気になって、その、万々が一の事情と云うのはどう云う事かと訊ねると、コンシェルジュにはそれは冗談ですよと笑って躱されたと云う按配で」
「ほう、ほう、ほう」
「まあ、そのあしらい方が気になったものの、私はそれ以上食い下がらなかったのですが、万々が一、再び私があの宿泊施設に泊まる事なんて、起こり得ないですよねえ?」
「それは当然ないわいの。お手前はこの審理の後は生まれ変わり準備室に行って、そこで魂魄になって仕舞うのじゃからのう」
 閻魔大王官は巻物を車のワイパーのように横にふるのでありました。しかし後ろに立っている補佐官筆頭が、微かに身じろぎした気配を感じたので、そちらに目線を移すと、補佐官筆頭は瞑目して眉間に皺を寄せて、首を横にふっているのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 288 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 拙生の視線に気づいた補佐官筆頭は拙生の顔を見て慌てて愛想笑って、今の所作を拙生に見られて仕舞った事に、思わずたじろぎの気色を見せるのでありました。閻魔大王官はこの先再び、拙生が宿泊施設でコンシェルジュに世話になる事なんぞ当然ないと、あっさり否定するのではありますが、その閻魔大王官のあっけらかんとした様子とは裏腹の、閻魔大王官も知らない別の事態が、実は裏にある事を疑わせる補佐官筆頭の所作であります。
 しかし補佐官筆頭に、今妙な所作をしましたねとつめ寄るのも、どこか悪いような空気を感じたものだから、拙生は口籠って訊きそびれているのでありました。
「ところでさっきの、この亡者殿の娑婆に居る奥方がこちらに現れた件じゃが、・・・」
 閻魔大王官はそう云いながら後ろの補佐官筆頭の方をふり返るのでありました。
「はい、亡者生理研究所の方に早速報告に走ります」
 補佐官筆頭は閻魔大王官に皆まで云わせず、先回りに気を利かせるのでありました。
「ほいな。そうしておくれ」
 閻魔大王官は補佐官筆頭の対応に満足気に頷いて、徐に体を元に戻すのでありました。
 補佐官筆頭は向かって右端に立っている、一番若手の補佐官に目配せを送るのでありました。するとその若手の補佐官は畏まって頷いて、きびきびとした動作で後方に下がって、そちらにあるスタッフ専用であろうドアを開けて、審理室から出て行くのでありました。
「亡者生理研究所は閻魔庁の建物の中にあるのですか?」
 拙生は補佐官筆頭の方を見ながら、少し声を張って訊くのでありました。
「ええそうです。研究所自体は第三セクターなのですが、閻魔庁の建物の中にあります」
 補佐官筆頭が同じ程度に声を大きくして返すのでありました。
「先程云うたように、この審理の後、お手前には応接室の方にご足労願う事になるのじゃが、そこに聴きとりする研究者を予め待機させておくのじゃよ」
 これは閻魔大王官の言葉であります。
「私は研究者と差しで、色々訊かれたりするのですかね?」
「いや多分、研究者は二鬼来ると思うぞい」
「何か、警察署で取り調べを受けるみたいな感じでしょうかね?」
「いやいやとんでもない。研究者は決して高飛車な対応なんぞはせんぞい。あくまで低姿勢で遠慮深く、余計な手間を取らせて申しわけない、と云った風情でお手前に対するわい」
「お手数をおかけしますのも偏に私共の都合ですから、どうぞ亡者様におかれましてはリラックスして、大威張りで対応してくださって結構ですよ。応接室では食べ物や飲み物のサービスもさせて頂きますし、他にも何かご希望があれば、出来る限りあれこれ奉仕させて頂きますよ。勿論お疲れになるといけませんから、適当な休息も入れます。まあ、亡者様は基本的にはお疲れにならない体ですが、そのくらい気を遣わせて頂くという事です」
 補佐官筆頭が巻物を懐に仕舞って、揉み手をしながら愛嬌をふり撒くのでありました。
「ああそうですか。どうせ魂魄になるまでは暇ですから、キツイ取り調べみたいな感じじゃないのなら、私としても別に億劫でも不服でもありません。むしろ亡者生理の解明、或いは向うの世とこちらの世の更なる良好な関係のために、意欲的に協力させて貰いますよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 289 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 拙生は補佐官筆頭に許諾の笑みを返すのでありました。
「さて、それでぼちぼち、お手前の質問も尽きたかのう?」
 閻魔大王官が拙生の顔を覗きこみながら訊くのでありました。
「そうですねえ、未だ何かあったかも知れませんが、めぼしい質問はそのくらいでしょうかねえ。尤も、私は粗忽者ですから魂魄になる寸前に、何か急に思い出すかも知れませんが、ま、しかし、私の質問なんてえものは、大体からして重大なものは一つもありませんから、例え急に思い出したとしても、そんなに口惜しがる事もないと思いますよ。娑婆時代から私は、あっさりしてはいけない場合でも、至ってあっさりしておりましたからねえ」
「ああそうかいの、はいはい」
 閻魔大王官が如何にもぞんざいにそんな相の手をいれるのは、文机の上に載っている幾枚かの書類の中から、拙生の生まれ変わり地決定の裁決書類を見つけ出そうとしているためでありました。老眼が進んでいるためか閻魔大王官は書類を一々手に取っては、それを自分の目から少し遠ざけながら、白髭の隙間から覗く下唇をグッと前に突き出して、眉間に皺を寄せて凝視しては脇に置く、なんと云う動作を何度か繰り返すのでありました。
「おお、あったあった。これじゃこれじゃ」
 閻魔大王官はようやく見つけ出した裁決書類を掲げて、ニンマリと笑いながら人差し指で軽く弾いて見せるのでありました。「肝心なものはいつも最後に現れよるわい」
「いよいよ、生まれ変わり地の決定版を、これから申告するのですね?」
 拙生は空気を察して自分から云うのでありました。
「はいな。そう云うこっちゃわい」
 閻魔大王官は徐に毛筆を取り上げて、文机の傍らに載っている硯の墨受けに筆先を浸しながら、真正面から拙生を見るのでありました。それから無表情に、何も云わないでその儘の体勢でこちらを窺っているのは、拙生が生まれ変わり地を申告すれば間髪を容れずに、それを裁決用紙に書き記すための用意のようであります。
「それでは僭越ながら、私の希望生まれ変わり地をこれから申告させていただきます」
 拙生はそう云ってお辞儀の後に咳払いを一つして、格式ばって姿勢を正すのでありました。「ええと、地獄省の邪馬台郡、なんと云う処で一つ宜しくお願いします」
「はいな。そうじゃろうとは思うておったがのう。ええと、・・・邪馬台郡、・・・ね」
 閻魔大王官はそう云いつつ筆先を裁決用紙に置くのでありましたが、別に、邪馬台郡、と記識するのではなくて、用紙に予め印刷してある生まれ変わり地名を丸で囲むだけなのでありました。それだけなら別に大袈裟に毛筆を使わずとも、ボールペンで充分だろうと思うのでありましたが、そこは閻魔庁と云う役所の伝統的な風習か何かで、毛筆を使うべしとしてあるのであろうと、閻魔大王官の筆先の動きを見ながら推察するのでありました。
「丸をつけるだけなのに態々筆を使う事もなかろうと、そう思うておられるようじゃな?」
 閻魔大王官が拙生の眼差しの色を察知して、上目遣いしながら云うのでありました。
「いや、別に」
「なあに、こうして仰々しく体裁ぶる方が、無粋なようでも亡者殿には喜ばれるのじゃよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 290 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「ああそうですか」
 拙生は無表情にそう云いながら頷くのでありました。
「お手前は結構クールなようじゃが、亡者殿の中にはここがこちらの世に生まれ変わる切所であるとか云う、何かこう、張りつめた気分になっておる御仁もおってのう」
 閻魔大王官はそう云いつつ苦笑うのでありました。「あんまりあっさりと、こちらがボールペンか何かで事務仕事みたいに無精に丸をつけたりすると、拍子抜けして仕舞うらしいのじゃよ。或るタイプの亡者殿なんぞは、そんなに軽々しく自分のこちらの世での生まれ変わり地決定を扱ってくれるなと、突然怒り出す場合もあって、まあそれで一応、無意味なようでもこうして筆で仰々しく丸をつけておるのじゃ。ワシ等のこの如何にも儀式張った服装にしてもじゃな、一部の亡者殿の気分を無用に害して怒らせないようにとの、云ってみれば転ばぬ先の杖的な、厳粛で重々しい雰囲気作り、と云った意味あいもあるわいの」
「色んな亡者がいて、閻魔大王官さんと云うお仕事もなかなか大変ですねえ」
 拙生は同情して見せるのでありました。
「いやそう云っていただくと、実に有難い限りですわい」
 閻魔大王官は筆を置くと、丸印しをつけた裁決用紙の確認を求めるためか、拙生の方にそれを静かに押し遣るのでありました。「これで間違いないかのう?」
 拙生は目を落として、邪馬台郡、と印刷してある文字を、お世辞にもあんまり端正とは云えない墨丸で、不細工に囲んである裁決用紙に目を近づけるのでありました。
「・・・ええと、はい。確かに」
「間違いないならこれを、地獄行き、極楽行き、その他地域行き、再審理の四つの箱の中の、地獄行きの箱にワシがこれから入れるから、ちゃんとその目で確認しておくれ」
「はい判りました」
 拙生は大袈裟に何度か瞬きして目の翳みを除去する仕草をしてから、目玉を剥いて顔をやや前に突き出して、閻魔大王官が摘みあげた裁決用紙を凝視するのでありました。
「ほんじゃあ、入れまするぞい」
 閻魔大王官はクレーンみたいに腕を動かして、地獄行きと書いてある箱の上に紙を移動させると、徐にじゃんけんのパーをするように五指を開くのでありました。紙はハラリと一回翻って箱の中に落ちるのでありましたが、綺麗に重ねたのではないから、縁が箱から少しはみ出すのでありました。拙生は入ったのを見届けて拍手するのでありました。
「これで私の生まれ変わり地決定の事務処理は、目出度く完了したと云う按配ですね?」
「はいな。どうもご苦労さんでありましたなあ」
 閻魔大王官がそう云って拙生に拍手を返すと、後ろに立っている補佐の五官も、いや、娑婆に居るカカアが拙生の頭の中に現れたと云う、夢だったのか何だったのかかよく判らない現象の件で、先程亡者生理研究所の方に報告に走った若手の一鬼を除く四官も、目出度い目出度い、なんぞと互いに云い交わしながら一斉に拍手をするのでありました。拙生も何となく同調して拍手をまた再開して、審理室に居る全員が笑顔で掌を打ち鳴らしているのでありますから、これは実に以って目出度い仕儀と云うべきものでありましょうかな。
(続)
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もうじやのたわむれ 291 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 暫くして、全員の拍手が何となく収束するのでありました。盛んな拍手をしたせいか、閻魔大王官の道服の袖先が、大王官の両掌に絡んでいるのでありました。それをふり解こうと、閻魔大王官は両手を上に挙げて袖を手繰るのでありました。
 実に以って拍子の悪い事に、両手を上に挙げている時に、閻魔大王官はふと顰め面をするのでありましたが、これは屹度、急に嚏を催したために違いありません。拙生の予想の通り、閻魔大王官は大口を開けて顎を突き出して顔を上に向けると、次の瞬間、勢い良くお辞儀をするように上体を屈めて、ヒャックション! と大音声でやらかすのでありました。同時に大袈裟な座礼の仕草宜しく、勢い口で両手を同時にふり下ろすのでありました。
 閻魔大王官の袖が一瞬遅れて、ヒラリと文机の上に落ちるのでありました。拙生は唾がかかるのを恐れて、両手で遠慮気味に顔を庇って、咄嗟に後方に身を引くのでありました。
 片袖が裁決箱の上にかかるのでありました。これまた実に拍子の悪い事に、閻魔大王官は嚏をしたと同時に、鼻水を垂らすのでありました。
 その鼻水を大きな吸引音を響かせて啜り上げながら、閻魔大王官は裁決箱の上にかかった方の袖先で、鼻頭と鼻の下を何度も、如何にも無意識に、と云った感じでせわしなく擦るのでありました。閻魔大王官の鼻の下の白髭が、袖との強い摩擦のために少し纏まりを乱し、鼻頭は赤味を帯びて艶やかに光っているのでありました。
 ところで、拙生の生まれ変わり地決定の裁決書類は、箱から角が少しはみ出しているのでありましたが、その裁決書類が閻魔大王官の袖の左右の動きに連れて、徐々に外に引き摺り出されてくるのでありました。そうして結局、書類は文机の上に摺り落ちて仕舞うのでありました。拙生は思わず目を見開くのでありました。と云う事はつまり、・・・
 勿論、呑気にも閻魔大王官はその事にまるで気がついていないようでありました。それに丁度死角になっていたためでありましょう、後ろの補佐官達も書類が箱から落ちた事に全く気づかない様子であります。拙生一人、秘かに動悸を高鳴らせているのでありました。
 鼻水が付着したためか、閻魔大王官は鼻頭と鼻の下を擦った袖を縦に二三度ふるのでありました。その時に文机の上に落ちた裁決書類は、閻魔大王官の膝の上へと更に落ちるのでありました。その後恐らく書類は、絹製と思しき光沢を湛えた滑らかな表面の、閻魔大王官のゆったりとした道服の膝からも滑り落ちて、文机に隠れた大王官の足下にまで滑落したでありましょう。もう誰の目にも映らない処に、書類はかき消えたのであります。
 たじろぎのために、拙生の動悸が益々激しくなるのでありました。この動悸を打つという現象も、亡者の仮の姿の不可思議の一つでありましょうが、しかしもう、その不可思議を閻魔大王官に訊ねようと云う気も、拙生はすっかり失せて仕舞うのでありました。
 拙生は書類が落ちましたよと、閻魔大王官に伝えようとして口を開くのでありましたが、その言葉を口腔の外に押し出すのを、拙生の喉仏が急に躊躇うのでありました。いやこれは、迂闊にここであっさりと伝えないで、この後の成り行きに任せる方が、確実に好都合な事が起こるかも知れないと云う横着心が、ふと頭の隅に兆したためでありました。
「どうかされたかの?」
 拙生が口を開けた儘動きを失くしたのを見咎めて、閻魔大王官が聞くのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 292 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「いや、何でもありません」
 拙生はおどおどと閻魔大王官から視線を外すのでありました。
「さてと、まあこれでお手前の生まれ変わりの手続きは滞りなく完了したわけじゃが、ま、さっきの、お手前の娑婆に居る奥方が頭の中に現れたと云う、夢か現かよう判らん現象の聴きとり調査があるで、お手前はこれから亡者生理研究者の控えておる応接室に行って貰うのじゃが、それはこの補佐官が案内するので、その指示に従って貰えば良いわいな」
 閻魔大王官は拙生に満面の笑顔を向けた儘で、片手を挙げて後ろの補佐官筆頭を親指で差し示しながら云うのでありました。
「はい。どうもお手数をおかけしました。色々お示し頂いたご厚情を感謝いたします」
 拙生は一応、そんな愛想を云うのでありました。
「いや何、それがワシの仕事じゃからのう」
 閻魔大王官は先程の嚏の時に乱れた鼻の下の白髭を、指で整えながら云うのでありました。それから両手を文机について立ち上がる仕草をするのでありました。
「大王官さんもどちらかへ行かれるので?」
「ワシはちょっとこれから小便じゃ」
 閻魔大王官は立ち上がって道服の裾の乱れを直すのでありました。「老人、いや、老鬼になると小便が近うなって、しかも我慢もなかなか利かなくなってのう。次の亡者殿の審理中に中座するのも体裁が良くない故、今の内に済ましておこうかと思ったわけじゃよ。ま、お手前に関しては、後はこちらの世に生まれ変わって後の幸福な霊生を祈るのみじゃよ」
「はい、有難うございます」
 拙生は感謝の言葉を発するのに気後れを覚えつつも、一応お辞儀をするのでありました。
「ほんじゃあ、後は宜しく頼むぞい」
 これは補佐官筆頭にかける言葉でありました。
「はい、承りました」
 補佐官筆頭は脇にどいて、閻魔大王官の通るスペースを空けて一礼するのでありました。他の補佐官もそれに倣って一斉に頭を下げるのでありました。閻魔大王官は補佐官全員のお辞儀に片手で答礼して見せつつ、悠々と後ろの扉から審理室を出るのでありました。
 補佐官筆頭は閻魔大王官が部屋を出たのを見送って、徐に背を伸ばそうとするのでありましたが、その時、文机の下に落ちている一片の紙切れが目に止まったようで、眉根をヒョイと挙げてやや首を傾げて、文机の下に注意を向けるのでありました。それから腰を屈めてその紙切れを拾い上げるのでありました。
「あちゃー、あのうっかり迂闊之助の爺さん、またやりおったわい!」
 補佐官筆頭は語尾を閻魔大王官に似せて、少し声を張って云うのでありました。他の補佐官達が、補佐官筆頭の大袈裟なげんなり顔に同時に視線を向けるのでありました。それから補佐官筆頭の持っている紙切れを順番に覗きこんで、「ひょえー!」と悲鳴のような声を、大仰に両手を挙げて、これも覗きこんだ順番に発するのでありました。
「ええと、あのう、亡者様、慎に申しわけない限りですが、・・・」
(続)
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もうじやのたわむれ 293 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 補佐官筆頭が拙生を怖じ々々と見ながら云うのでありました。「私共の不手際で、とんでもない事態が出来して仕舞いました」
「ええと、そのとんでもない事態とは、先程、裁決書類が裁決箱から落ちた事ですね」
 拙生は口の端に少し笑いを湛えて、落ち着いて返すのでありました。
「ご存知だったのですか?」
「ええ。閻魔大王官さんが大きな嚏をされた折に、嚏と伴に出てきた鼻水を道服の袖先で一生懸命に拭っておられましたが、その袖が裁決箱の上にかかっていて、それでその袖の動きに連れて、私の裁決書類が箱から摺り落ちたのですよ」
 拙生は口の端の笑いをその儘留めて云うのでありました。「書類が落ちた事を閻魔大王官さんに知らせようと思ったのですが、何となく云いそびれて仕舞ったのです。裁決書類には大王官さん以外は誰も触ってはいけないし、閻魔大王官さんの不始末には、誰も何も云ってはいけないと前に伺っておりましたから、云うべきではないのかなとも思いましてね」
「いや、私共は何も云ってはいけませんが、亡者様は仰っていただいて構わないのですよ」
「ああそうですか。そう云う事とは露知らず、これは全く迂闊でありました」
 拙生は頭を掻くのでありました。「しかしまあ、今更もう後の祭りです」
「あのう、こう申しては何ですが、今の口ぶりから察すると、亡者様はこの事態をあんまり深刻にお考えになっていらっしゃらないようですが、これは結構大変な事なのですよ」
「そうでしょうね、私はこれで、こちらの世に生まれ変われないかも知れないのですからね。上手くすると、いや、下手をすると、娑婆へ逆戻りしなければならないのでしょう?」
 拙生は全くたじろがない様子で、どちらかと云うと呑気そうに云うのでありました。
「そう云う事態になる可能性、大です。・・・」
 補佐官筆頭は眉根を寄せて、苛々顔で肯うのでありました。
「まあそうなっても、私としてはどちらかと云うと結構と云えば結構なのですがね」
「娑婆へ逆戻りする事が結構なのですか?」
「ええまあ。なにせ私は慌ただしく娑婆にお娑婆ら、いや違ったおさらばしてきたので、向うの世に思い残すことが多々、実はありましてですねえ」
「うーむ、それはそうでしょうが、・・・」
 補佐官筆頭は腕組みして陰鬱な顔を拙生に見せるのでありました。「しかしこうなった以上、ここで狼狽えてばかりもいられませんから、善後策を講じなければなりません」
「補佐官さんはまた、準娑婆省に出張旅行ですかね?」
 拙生はニコニコしながら先回りに云うのでありました。
「そうなります。しかし困ったな。明日はウチの三男坊の大学入試の結果発表で、息子の代わりに私が車で、発表を見に行く事になっていたと云うのに。全くうっかり迂闊の助爺さんのおかげで、また女房に叱られて仕舞いますわ。考えたら今朝の寝起きの夢見が悪かったんですよね。道ですぐ前にいたご老人、いや、老霊が転んで仕舞いましてね。それを傍から見ていた通行人、いや通行霊や鬼やらの目には、私が後ろから押し倒したように見えたらしくて、大勢に取り囲まれて、散々怒鳴られたり小突かれたりした夢だったんです」
(続)
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もうじやのたわむれ 294 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 補佐官筆頭はそんな繰り言をゴニョゴニョと述べるのでありました。
「ああそうですか。それはお気の毒ですね。でしたら出張旅行は明後日からと云う事にしては如何でしょう? そうすれば奥方様のお小言を聞かなくても済みますから」
 余計な提案かとは思うのでありましたが、拙生はそう云ってみるのでありました。
「そうもいきません。亡者様が仮の姿でいられる時間に限りがありますので、貴方様の仰る明後日その日までに、何とか片をつけなくてはなりませんから」
「ああそうですか。それは何とも拍子の悪い事ですなあ」
 拙生はあくまで呑気に、他人事のような顔をして頷くのでありました。
「いやここで、あれこれ愚痴を並べていても仕方がありません」
 補佐官筆頭はそう云うと一鬼の補佐官に、応接室に待たせてある、亡者生理研究所の研究者への聞きとり調査キャンセルの伝令を指示たり、別の補佐官には三途の川渡河船の往復チケットを手配するよう指示したり、上司に内線電話で緊急事態発生の連絡を入れたり、序でに別の外線電話で自分の家に、明日の息子さんの大学入試の結果発表を見に行けなくなった事情を告げたりと、慌ただしく立ち働くのでありました。自分の家への電話では、電話機に向かって何度もお辞儀をしているのでありましたが、これは受話器の向こうにいる奥さんに、只管謝っているためでありましょう。その様子を見ていると、拙生は娑婆時代の自分を思い出して、何となく身につまされて、無表情ではいられないのでありました。
 しかし前にも同じような事態を経験しているせいか、補佐官筆頭の要領を得たきびきびとした対処には、どことなく安定感が感じられて、結構手慣れた風情なんぞも感得出来るのでありました。香露木閻魔大王官の補佐官となって仕舞った彼の鬼には、他の補佐官では経験出来ない、様々な応変の事務処理能力が屹度養成されるでありましょう。それが彼の鬼の抜群のキャリアとなって、将来の出世に大いに寄与すればと、拙生はニヤニヤ笑いを浮かべて補佐官筆頭の慌ただしい動きを目で追いながら、切に祈るのみでありました。
「ちょっと、主席事務官室に行って打ちあわせをしてきます」
 補佐官筆頭が拙生に告げるのでありました。
「主席事務官と云うと、閻魔庁のトップの方でしょうか?」
「ま、そうです」
「その方が閻魔庁では一番偉い方なのですかね?」
「事務方のトップです」
「閻魔大王官とどちらが偉いのでしょう?」
「閻魔大王官は云わば権威としての閻魔庁の象徴でありまして、職務ライン上では主席事務官がトップとなります。その上に閻魔庁長官と云う大臣がおりますが、こちらは政治家さんで、ずうっと大臣を務めるわけではありませんし、要は上がって来た事案書類に決裁印を押すだけの仕事ですから、ま、色々差し障りがあるかも知れませんが、事務方トップの首席事務官が事実上のボスとお考えになって結構です。閻魔大王官は云ってみれば大臣と同格となるわけです。ま、実務としては審理の主催者であると云うだけです。それにその審理も御案内のように、亡者様のご希望を追認すると云うだけの至って気楽な仕事です」
(続)
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もうじやのたわむれ 295 [もうじやのたわむれ 10 創作]

 補佐官筆頭は気が急いているにも関わらす、詳しく拙生の質問に応えるのでありました。
「ふうん。で、その事務方トップにこの事態を報告して、指示を仰ぐわけですね?」
「そうです。ま、役所ですから緊急の出張だとしても、色々な提出書類や上への報告が要るのです。ですから私はこれから大回転で色々動き回る必要があるのです」
「ご苦労をお察しします。ところで補佐官筆頭と云う役職は閻魔庁ではどのくらいの地位になるのでしょうか? 前に審問官さんや記録官さんから、閻魔庁に入って補佐官筆頭で退職するのが、一番の出世コースだと伺った記憶があるのですが。それに閻魔大王官もその補佐官筆頭を終えた方が選抜されてなるのだとも聞いたように思うのですが」
「補佐官筆頭と云う役職は、ま、実質、主席事務官の次席となりますかな」
 補佐官筆頭はちょっと誇らしげに、またちょっと照れ臭そうに云うのでありました。
「主席事務官になるのはなかなか難しいのですかね?」
「そうですね。学閥とか政治力とか生まれの良さとか、色々億劫になるような要件がありまして、ま、一般的には別格の地位で、普通の職員は端から望まないでおくポストですね」
「生まれの良さ、ですか。何か極楽省の住霊の話しみたいですね?」
「まあ、生まれの良さと云っても、鬼になって自分が何代目になるか、と云う事でして、閻魔庁だけの旧弊と云えなくもない事柄です。一般の社会とか、他の行政庁では殆ど重きをなす要件ではありませんね、それは。ま、鬼の中の鬼、が主席事務官になるのです」
「ははあ、鬼の中の鬼、ですか。成程」
 拙生は感心して見せるのでありました。
「ええと、私はもう、主席事務官のところへ行っても宜しいでしょうかね?」
 補佐官筆頭が焦った顔で、遠慮しながら拙生に訊くのでありました。
「ああ、これはとんだ足止めを食わして仕舞いました。申しわけありません」
 拙生は愛想笑いながら頭を掻くのでありました。
「では、急ぎますので」
 補佐官筆頭は拙生にお辞儀をして、もう一鬼残った補佐官と伴に、気忙しげに後ろのドアの方に体を向けるのでありました。
「ああ、今頭を掻いていて思い出しましたが、宿泊施設で夜にボールペンで頭を掻いていたら頭皮がヒリヒリとしたのですが、亡者の仮の姿にも擦過傷が出来たりするのでしょうかね? 触ってみると別に血も出ていないし、痛みの部位を特定も出来なかったのですが」
 拙生の不意の質問に補佐官筆頭はもう一度拙生の方をふり向くのでありました。その顔には些かげんなりした色が付着しているのでありました。
「それはですね、・・・」
 余程人の良い、いや、鬼の良い律義な性格なのでありましょう、補佐官筆頭は体ごと拙生の方に向き直って、説明を始めるのでありました。その様子を見て、今更どの面下げてと云われそうでありますが、拙生は気の毒になるのでありました。
「ああいや、お急ぎのようですから、この質問は無視してください」
 拙生はお辞儀して両手を頭の前で横にふって、恐縮の物腰をして見せるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 296 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「ああそうですか。まあ、緊急の折、そう云って頂くと助かります」
 補佐官筆頭はそそくさと一礼して、これ以上拙生に質問を重ねられては叶わんと云う横顔をちらと見せて、もう一鬼の補佐官の袖を引きながら、逃げるように審理室を出て行くのでありました。拙生が頭皮のヒリヒリ感を感じた、なんと云うのは、まあこの際、如何にもどうでも良い質問でありましたから、拙生は別に気を悪くもしないのでありました。
 拙生は審理室に一人、いや一亡者、取り残されるのでありました。さて、拙生自身はここでどうしたら良いのでありましょうや。要は何もせずに、黙って事の成り行きを待っていればそれで良いのでありましょうが、しかし自分の不始末のせいではないにしろ、当事者である事は間違いないのであります。補佐官筆頭や他の補佐官達は拙生のために、右往左往しているのであります。それなのに自分だけ手持無沙汰に、火鉢の中の埋み火のように、ここにこうしてのんびり座っていると云うのも、何となく気が引けるものであります。
 でありますからここは一応、拙生は我が行く末を嘆く事にするのでありました。嗚呼、拙生のこちらの世での生まれ変わりは、一体どうなるのでありましょうや。・・・
 そう嘆息してみても、さっぱり切迫感がないのでありました。寧ろ何やら好都合に事が進行しているような気がして、思わず口の端に薄ら笑いが浮かんで仕舞うのであります。
 前に審問官とか記録官から聞いた話しとか、補佐官筆頭が以前準娑婆省に出張した経緯の話しなんぞから推察すると、拙生はどうやらこの後、娑婆の方に逆戻りする事になるようであります。娑婆を不意に立退いてきた拙生としては、実のところ娑婆には未だ未練たっぷりでありますから、この儘すんなりとこちらの世に生まれ変わるよりは、もう一度娑婆に逆戻る方が、どちらかと云うと願ったり叶ったりと云うものであります。ですからこの降って湧いたような好展開に、内心、北叟笑まずにはいられないと云うものであります。
 拙生はもうすっかり、娑婆に逆戻る気になっているのでありました。そうなると、ボールペンで頭を掻いたら頭皮がヒリヒリした、とか云う質問なんかは、全く無意味に思えてくるのでありました。と云うか、亡者の仮に関する質問も、こちらの世の地名の事も、宿泊施設のサービスへの疑問なんかも、全く以ってどうでも良くなるのでありました。
 しかし首席事務官と協議した補佐官筆頭が、前例とは違って、拙生が娑婆に戻る事なくこちらにちゃんと生まれ変わるための、何やらあっと驚くような秘策を考えついて戻って来たりしたら、この娑婆へ逆戻ると云う目論見は後破算となって仕舞います。それは実に困る事であります。まあ、そんな秘策があるのなら、今までの話しの中で何となく仄めかされていても良い筈でありますが、これまでの会話中にそう云う手触りは全く感じられなかったのでありますから、ここは一番安心していても構わないでありましょう。それに補佐官筆頭の口ぶりも処置も、拙生が娑婆へ逆戻る事を前提としているようでありましたし。
 こんな事をウダウダ考えていると、閻魔大王官が小便から戻って来るのでありました。
「おや、お手前だけかえ?」
 閻魔大王官は拙生が一人で、いや一亡者で椅子に座った儘でいる事に、気楽そうな声で不思議がって見せるのでありました。
「ああ、これはこれは、お帰りなさい。随分ごゆっくりでしたね」
(続)
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もうじやのたわむれ 297 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「補佐官共は何処にいったんじゃい?」
 閻魔大王官は審理室の中を見回しながら訊くのでありました。
「いやあ、実は閻魔大王官さんが小便に行かれた後、緊急事態が発生いたしまして、それで善後策を講じるために、今大車輪で飛びまわっておられる最中ですよ」
 拙生は無表情に、呑気そうな口調で云うのでありました。
「何じゃえ、その緊急事態とは?」
「ええまあ、兎に角、緊急事態、でして、緊急事態以外ではないのですなあ」
 拙生は閻魔大王官の権威を憚って、全く有耶無耶な云い方をするのでありました。
「何じゃな? よう判らんような口ぶりじゃが」
 補佐官筆頭が閻魔大王官の権威に対して、閻魔庁の鬼達は恐懼しなければならないけれど、亡者はその限りではないと云っていた事を思い出して、拙生は一応、今後の閻魔大王官のためにも、その後の事態の始終をさらっと話しておいても構わないかと考えるのでありました。どうせ拙生はこの後娑婆に逆戻る事になるのでしょうから、後の事は忖度しなくても構わないと云うものであります。諫言と云うせめてもの置き土産、或いはもう少し正確な云い方をすれば、最後の最後っ屁、をかまして、颯爽と娑婆の方へ引きとると云うのも、他の亡者が滅多に為し得ない、なかなかに乙な仕業と云うものではありませんか。
「実はですね」
 拙生は目の色にやや深刻さを加えて、閻魔大王官を遠慮がちに見るのでありました。「私はこちらの世に生まれ変われなくなって、娑婆に戻る事になったのです」
「ん、どう云う事かえ?」
 閻魔大王官の拙生を窺う目がたじろぎの色を添えるのでありました。
「私の生まれ変わり地の裁決書類を、閻魔大王官さんは四つの箱の中の、地獄行きと書いてある裁決箱にお入れになりましたけれど、・・・」
「うんうん、それはお手前も確認したであろうよ」
「ええ。それが箱に入るのは私もちゃんと目視しました。しかしその後大王官さんも一緒に、皆さんで拍手をしてくれましたが、その時大王官さんは大きな嚏をされましたよね」
「おう、そうじゃったかいのう」
「そうじゃったのです」
 閻魔大王官は自分の嚏については無自覚のようでありました。何かの折によく無神経に嚏をするものだから、どこで嚏をしたのか特に印象として残っていないのでありしょうか。
「そう云えば、したような、しなかったような。・・・」
「いや、されたのです。その時鼻水が出て、それを袖口でお拭きになったのですが、その仕草の折、袖が決裁箱に引っかかっておりまして、鼻の下を擦る腕の動きに連れてその袖も当然動いて、その作用で箱の中の私の裁決書類が文机の上に落ちたのです」
「あら、そうじゃったのかえ? 迂闊にも、ちいとも知らなんだ」
「そうじゃったのです。それで裁決書類は結局、文机からも落ちて見えなくなって仕舞ったのです。按配の悪い事に、その事に私の他にはどなたも気づかれなかったのです」
(続)
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もうじやのたわむれ 298 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「ふうん。本当に、そうじゃったのかえ?」
「本当に、そうじゃったのです」
 拙生は確信に満ちた頷きをしながら、閻魔大王官の口真似をするのでありました。
「それは大変な事じゃのう」
 閻魔大王官はちっとも大変そうでない口ぶりで云うのでありました。「それで、お手前は娑婆に逆戻る事になったと云う事かいな。しかしそんな程度の事なら、ワシがその裁決書類をもう一度箱に入れ直せば済むだけの事じゃわいの」
 閻魔大王官はそう云いながら拙生の方に手を出すのでありました。「どうれ、入れ直して進ぜるから、書類をワシにお渡しくだされや」
「いや、書類は補佐官さんが上司の首席事務官と事後の処理を打ちあわせすると云って、その儘手に持って出て行かれました」
「何じゃ、全く拍子の悪いヤツじゃのう」
 閻魔大王官は自分を棚に上げて補佐官筆頭を腐すのでありました。
「実は私はその顛末をすっかり目撃していたのですが、閻魔庁における閻魔大王官さんの格式を憚って、その時には何も云えなかったのです。閻魔大王官さんの権威は何人も、いや違った、何亡者も何鬼も犯す事が出来ないし、大王官さんのされる事に対しては何亡者も何鬼も、決して一言の注進も呈してはならないと云う鉄の規則がると、前に審問官さんとか記録官さんから伺っておりましたから、私も大いに畏れて遠慮したと云うわけです」
 拙生は真面目な顔つきで、云うべきではない注進を、敢えて云っている無礼を詫びるように、深々とお辞儀をして見せるのでありました。
「そんな規則があるとは、ワシは今までちいとも知らんかったわい。しかしそう云う規則があるにしては、補佐官共はあんまりワシに心服しておるようには思えんがのう」
「ええと、実際に聞いた云い方では、閻魔大王官の裁決した審理結果書類は、閻魔大王官さん以外の鬼とかが触ることが出来ないと云う規則がある、と云う風でしたかな」
「ああ、決裁書類にはワシ以外は誰も触れられないと云う規則は、ワシも知っておるわいの。それは大事な亡者殿の生まれ変わりに、不正な操作が入る毛程の隙間もなくするための規則じゃわいの。しかしワシを敬え、なんと云う規則は、ワシは今以って聞いた事がないぞい。尤も、若しそんな規則が本当にあるのなら、ワシとしては大歓迎じゃがのう」
 閻魔大王官はそう云ってワハハと笑うのでありました。「しかしそうであっても、それは閻魔庁職員の内規と云う事で、亡者殿は別にそれに縛られんのじゃろうがのう」
「それは補佐官さんから先程伺いました。しかし当然亡者も、その鉄の規則を順守すべきであろうと端から思っておりましたので、何も云わずにいたのです」
「ああそうかいの。まあしかし何れにしても、ワシの不手際でそうなったと判った限りは、補佐官が戻ってきたら裁決書類をもう一度、箱に入れ直して進ぜるわいの」
「いや、それは別に、敢えてして頂かなくとも結構なような、結構でないような、・・・」
 拙生は閻魔大王官の厚意に対する気後れを、濁した語尾に表すのでありました。
「おや、これは異な事を宣うわいのう」
(続)
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もうじやのたわむれ 299 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「私としては、この儘成り行きに任せたいような、任せたくないような。・・・」
「つまり、どっちじゃい?」
「ま、任せたい方に一票、と云った心持ちですかなあ」
 拙生は指を一本立てて見せるのでありました。
「ふうん。そうすると実は、娑婆に逆戻りたいと云う了見でおるのじゃな?」
「ええ、まあ、どちらかと云うとそんなような。・・・」
 拙生は立てていた指を仕舞って、何となく有耶無耶な頷き方をするのでありました。
「しかしそれは亡者殿の本分を全うする、と云う考えからは外れるわいのう」
「そうですね。向うの世とこちらの世の密接な連関性、或いは、節理を軽んじていると云われれば、確かに私には返す言葉もありません」
 拙生はうなだれて身を縮めるのでありました。
「いやまあ、別にそんなに、悄気んでも構わんのじゃが」
 閻魔大王官は拙生を気遣うのでありました。
「実はこんな事をほざくと、閻魔大王官さんに烈火のごとく怒られるかと思っていましたが、それ程お怒りにはなっていらっしゃらないようで?」
「まあ、怒っても仕方あるまいしのう」
「仕方がない、のですか?」
「ワシの不始末から生じた事態のようじゃから、元々ワシに責任がある事になるしのう」
 閻魔大王官は口を尖らせて白い顎鬚を扱くのでありました。「亡者殿はもうすっかり娑婆に逆戻る心算になっておられるようじゃし、そのように取り計らうべく補佐官も動いているようなら、ま、そう云う事で構わんかも知れんのう」
「私が娑婆に逆戻る事をお許しになるので?」
「許すも許さんも、ワシの間抜けな仕業が生じさせたご迷惑となると、逆にワシの方が謝らんければならんくらいじゃよ。どうも済みません」
 閻魔大王官はそう云って、昔娑婆の浅草演芸ホールの正月興行で観た、落語家の先代林家三平師匠みたいに、額に手を遣るのでありました。
「いやいや、とんでもない。私としては願ったり叶ったりと云った按配ですから」
 拙生は両手を横にせわしなくふって見せるのでありました。
「まあ、向うの世に戻っても、体大事にしてください」
 これも先代林家三平師匠の口調とそっくりなのでありました。
 そうこうしている内に、補佐官筆頭が審理室に戻って来るのでありました。補佐官筆頭は閻魔大王官がいるのをちらと横目で見て、一瞬、思いっきりうんざりしたような表情をした後、今度はすぐに拙生に愛想の良い笑顔を向けるのでありました。
「亡者様、慎にご苦労ではありますが、これからすぐに準娑婆省の方へ行って頂きます」
「ああそうですか」
 拙生は喜悦の笑いに思わず弛みそうになる頬にグイと力を入れて、なるべく無感動そうな抑揚のない語調で云うのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 300 [もうじやのたわむれ 10 創作]

「何やらワシの迂闊さから、不測の事態が出来したようじゃな」
 閻魔大王官が補佐官筆頭に声をかけるのでありました。
「ええまあ。・・・」
 補佐官筆頭は閻魔大王官の権威の手前、どうこの事態を知らせて良いのか困った、と云う様な困惑の表情を作って見せるのでありました。
「何でもこの亡者殿に聞いた話しに依ると、ワシの不手際で書類が箱から落ちて仕舞うて、亡者殿に娑婆の方に戻って貰う事になったとか」
「ええまあ。それをお聞き及びでしたら、つまり、そのようになったわけで。・・・」
「そんならそうと、遠慮せずにさっきワシに云えば良かったものを」
「いや、それは余りに畏れ多い事で、そんな勇気は私にはとてもありませんですから。・・・」
 補佐官筆頭は眉間に気後れの縦皺を刻んで俯くのでありました。
「何じゃったら、ワシがこれからもう一度、書類を箱に入れ直そうかえ?」
 この閻魔大王官の言葉に補佐官筆頭は一瞬表情を失って、大王官を点と化した目で眺めるのでありました。一方拙生の方はと云うと、唖然として大きく口をおっ広げて、閻魔大王官の目を睨むのでありました。先程は拙生が娑婆へ逆戻る事を是認するような口ぶりであったのに、この期に及んで、舌の根も乾かない内に、補佐官筆頭にあっさりそんな提案をするのは、背信と云うものではありませんか。拙生は大いに内心焦るのでありました。
「そうして頂けるのなら、それに越した事は、ありませんが。・・・」
 補佐官筆頭は喜色と憂色を、未だ夫々の色が仄かに識別出来る程度に混ぜあわせたと云うような、妙に複雑な表情になるのでありました。補佐官筆頭の思いとしては、今までてんやわんやで事後処理に奔走して、ようやく何とか算段をつけたと云うのに、それがすっかり無駄になる事への虚脱感を覚える一方で、若しもそうしてくれるのなら、億劫でげんなりするようなこの先に待つ仕事からは免れると云う点で、歓迎すべき提案ではあると云うところなのでありましょう。ま、そう云う気持ちは判るような気がするのであります。
「どうれ、裁決書類をワシに渡しておくれ」
 閻魔大王官は補佐官筆頭の方に手を差し出すのでありました。補佐官筆頭は何となく躊躇いがちな動作ながら、書類を閻魔大王官の手に渡すのでありました。
「それではこの書類をば、・・・」
 閻魔大王官は先程と同じように腕をクレーンのように動かして、地獄行きと書いてある箱の上に書類を翳すのでありました。それからじゃんけんのパーをするように五指を開くのは前と同じでありましたが、書類が箱に落ちる前に、大口を開いて実にタイミング良く大袈裟な嚏をするのでありました。すると未だ空中にある書類は、まるで驚いて身を捩ってその嚏を避けるように横に舞い、拙生の方に飛んできて床に落ちるのでありました。
 補佐官筆頭が驚嘆の悲鳴を上げるのでありました。
「な、な、何を、なさるので!」
 閻魔大王官は、目玉をひん剥いて大口を開けた補佐官筆頭の顔を見上げながら、テーハハハハーと、義太夫語りのような大笑をして見せるのでありました。
(続)
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