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枯葉の髪飾り 2 創作 ブログトップ

枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅠ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 十月になると高校で体育祭が開かれるのでありました。尤も三年生は受験を控えているために事前の練習もほとんど行わず、本番当日に自分の割り振られた競技に出場すればよしと云うことになっておりました。学年別クラス対抗戦と云う形式でありますが、こと三年生に関してはさして対抗心も煽られることなく、怪我だけはしないように当日を遣りすごせば上出来と云った雰囲気でありましたか。
 しかし各クラスの応援席の後ろに太い竹で高い応援櫓を組むのが体育祭時の伝統でありまして、これは三年生も建築するのであります。もっともこの櫓造りは結構楽しみな作業でありますから、受験を忘れて皆喜々として近くの山から竹の切り出しや運搬、太い針金を使って建築作業の足場を組む要領で、自分達なりの高さとユニークさを誇示するような応援櫓の構築に精を出すのでありました。体育祭前日の、当日よりも余程面白いこの作業に、皆夜遅くまで受験生であることを忘れて没頭するのであります。
 拙生は競技の方は二百メートル障害物競争に出場することになったのでありました。比較的身軽であることを買われての選抜でありましたが、これは競技に勝利するための選抜と云うよりは、他の種目に比較して怪我の確率の高い競技には怪我する確率のなるべく少ない者を当てると云う、受験生であることを視野の端に入れた配慮からの選抜であったのでありましょうか。騎馬戦とか棒倒しと云った格闘の要素のある競技には柔道部やラグビー部の猛者連が選ばれ、不慮の事故が起こる確率の高い障害物競争等には、ちょこまかと身のこなしの素早い者を抜擢したのでありましょう。
 吉岡佳世はと云えば彼女は虚弱な体からどの種目も出場を免除され、運営係と云う仕事をやることになったのでありました。各競技のクラス別得点記録、順番のつく競技では一位、二位、三位者の氏名の記録と云う仕事、教育委員会や保護者会関連の来賓等を受け付けて席まで案内し茶を出したりする仕事、その他雑用係であります。各学年にそういう役目を受け持つ生徒が数名居て、総勢六、七名、本部テント脇に陣取っていて先生の指示で様々用をこなすのであります。まあ実際のところは、記録つけ以外はまことにもって大して忙しい用事はなくて、なんとなく本部横のテントの下で椅子に座って競技を見ているのがその主な仕事と云う程のものでありましょうか。各学年の体の弱い者、怪我をしていて競技に参加出来ない者にその役は割り振られるのでありました。
 競技に出場はしないのではありますが一応この運営係もちゃんと体操服に着替えて、頭には自分のクラスに割り当てられた色の鉢巻を締めているのであります。吉岡佳世もその華奢な体を白いシャツに紺色のブルマーと云う体操服姿に拵えて、髪の毛は珍しく両耳の横辺りに振り分けて束ねて額の高いところに黄色い鉢巻を巻いているのでありました。なんとなく似合っていないその出で立ちが拙生にはなんとも微笑ましく見えたのであります。横に流れた前髪が黄色い鉢巻に被さっていて、それがまあ、とても可愛くもありました。両横に振り分けた髪の形も拙生は初めて見たので一寸いつもの印象とは違っていて、何かの拍子に目があった時にどうしたものか少々どぎまぎとなんかしたのでありました。吉岡佳世もなんとなく拙生に初めて見せるそう云った自分の出で立ちが照れ臭いのか、拙生を上目で見ながらはにかんだような笑いを返すのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅡ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 拙生の出場する障害物競争は午後遅くに行われる予定でありました。それまで拙生はなにもする事がないのであります。ですから午前中はトラックを囲む生徒席で体育祭とは何の関係もないことを友人と話しこんだり、生徒席の前で俄か作りのチアリーダーをやる数人の同じクラスの女子をからかったり、後ろの櫓に登って高い位置から体育祭の様子を眺め下ろしたり、教室に引き上げて英語の参考書を開いたりして時間を潰すのでありました。校庭をうろちょろする序でに時々本部席辺に行って、記録をとるためテントの中の一番前の席で鉛筆を持って机の前に広げられた記録簿と、前で繰り広げられている競技を交互に見ている吉岡佳世の後姿を、もし拙生に気づいて彼女が振り返ったなら彼女だけに判るように密やかに手でも振ろうと思いながら、暫く見ていたりもするのでありました。
 記録係をやっている時には彼女はその仕事に如何にも真剣に取り組んでいる様子で、前を向いたまままったく脇目をしないのであります。そんなものだから彼女のいつもながらの生真面目な性格を考え、拙生はちいとばかり寂しい思いをしつつ手振りの交換を諦めて、我がクラスの生徒席の方へ引き上げるのでありました。
「また吉岡の処に行っとったとやろう、井渕は」
 トラックを挟んで本部席の対面になる生徒席にぶらぶら歩いて戻ると、友人の一人が拙生に云うのでありました。この友人は隅田と云う名の、二年生の時に同じクラスになって以来なんとなく気があうものだから、その後ずっと親しくしている男であります。
「別にそがんことじゃなか。ちっと水飲みに行っとっただけくさ」
 拙生は隅田に図星された動揺を隠すように努めてのんびりとした口調でそう云って彼の隣りの席に座ります。別に拙生と吉岡佳世がつきあっていることを隅田に報告したわけではないし、進んで公然化していたのでもなかったのであります。かと云って徹底的に秘密にしていたわけでもなかったので、多分拙生と吉岡佳世が待ち合わせて一緒に学校帰りのバスに乗るのを誰かに目撃されたこともあったでしょう。だから二人が良い仲であると知っている者には、もうはっきり知れていたのではありました。
「お前、普段は何時吉岡と逢うとるとか? 勉強でそがん時間なんか作れんやろうもん」
 生徒席の真ん中辺りに座って隅田が頭の後ろに両手を組んで、上体を後ろにやや反らして拙生に聞きます。他の我がクラスの者達は後ろの櫓に登っていたりその辺をうろうろしたり、或いは教室で参考書を開いていたりで、生徒席には隅田を含めて数人がそれぞればらばらに離れて退屈そうに座っているだけでありました。
「ま、その気になれば結構逢う時間はあるくさ」
「この時期にようそがん悠長にしとられるなあ、井渕は」
「お前んごと高望みしとらんけんね、元々オイは」
 隅田は九州有数の合格難関大学を目指しているのでありました。
「そいにしてもくさ、勉強の方に気合いの入らんやろうもん」
「要はここ一番の集中力の問題ぞ、受験なんちゅうもんは」
「ほう、集中力ねえ」
 隅田はそう云って鼻で笑うのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅢ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「知っとるべき英単語、知っとるべき数学の公式ば知っとってこその集中力やろうもん。元々知らんなら、そのここ一番の集中力も結局使えんじゃなかか。実際のところ井渕の場合、ぼんやりしとるから切羽詰まった感覚て云うとば感じきらんとやもんね、大体が」
「人ばウスノロみたいに云うな」
 と拙生は云うのでありましたが、しかし隅田の指摘は案外当たっていないこともなく、あと入試まで三ヶ月余りに迫っていたのでありますが、それにしては切迫感が今一つ希薄であると自分でも思っていたのでありました。
「で、吉岡はどうしとったとか?」
 隅田がさりげなく聞くのであります。
「本部席の横のテントで、真面目な顔して競技ば見よった」
「ほれ! やっぱい吉岡の処に行っとったとやっか、お前は」
 隅田は歯を剥き出して拙生を嘲弄するように笑うのでありました。こんなに簡単に隅田に嵌められるのでありますから、実際拙生は結構ウスノロでありますか。
「その、人の悪か摘発癖は直した方がよかぞ。そがんことけんお前は女にモテんとぞ」
「おお、痛いところば突かれたね」
 隅田はそう云って大笑するのでありました。
「ところでお前、なんの競技に出るとやったかね?」
 拙生が聞きます。
「百メートル走。もうとっくに終わったけん、後はオイはなんもすることはなか」
 隅田はそう云って横の席に置いていた英語の参考書を手に取ります。「お前と違ってここ一番の集中力で受験ば乗り切る自信のなかけん、オイはこれから勉強ばい。そこに座っとったら邪魔になるけん、お前はまた吉岡のところにでも行っとけ」
 拙生は隅田に横の席を追い出されるのでありました。どうせ勉強するならこんな騒がしい校庭よりも教室の方がよかろうと、隅田に倣って英語の熟語でも覚えようかと拙生は教室の方へ退散するため席を立つのでありました。
 途中本部席の後ろを通ると、記録つけの仕事から解放されたのか吉岡佳世がトラックに背をむけて、立ったまま水筒の水を飲んでいる姿が目に入ったのであります。彼女も拙生に気づいて水を注ぎ分けた水筒の蓋を口許から離して笑いかけるのでありました。彼女は赤い保温水筒とコップ代わりの蓋を両手にそれぞれ持ったまま拙生の方へやって来ます。
「さっきから井渕君、校庭ばうろちょろうろちょろしよったね」
 吉岡佳世は拙生の傍に来て、コップに残っていた水を飲み干してそう云います。そんなことを云うのですから、さっき拙生がテントの後ろで彼女を見ていたことに気づいていたのでありましょうか。
「午後まですることのなかし、手持ち無沙汰けんがね」
「櫓に登ったかて思ったらすぐに降りて、今度は生徒席で椅子ば寄せて寝そべったり、校舎の方に歩いていったり、隅田君と話こんだり」
 吉岡佳世はそんな拙生が可笑しいのか、云った後に口に手を当ててくすりと笑います。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅣ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「なんでそがんことば知っとるとか?」
「記録係の席からよう見えたもん」
「記録つけの仕事に没頭しとるて思うとったとに」
「ううん」
 吉岡佳世は頭を横に振ります。「井渕君ばすっと見よったと」
「ありゃ、そうとは知らんもんけん、すっかり油断ばしとった」
 まるで他所見なんかしていないように見えて、その実吉岡佳世が拙生の動きを絶え間なく追っていたと云うことに、拙生はなんとなく嬉しくなって腰の辺りがもぞもぞとするのでありました。
「テントの後ろの方で、あたしのことばずうっと見よったとも、ちゃんと知ってるとよ」
「ありゃりゃ、それも知っとるとか。なんかちょっと、決まりの悪かねえ」
 拙生は頭を掻きます。
「少し背中の緊張したもん、あたし、見られてるって思うたら。嬉しかったけど」
 吉岡佳世は持っていた水筒の蓋に水を注ぎ入れ、拙生の方へ差し出します。
「飲む?」
 拙生はその赤い保温水筒の蓋を受け取って一口飲むのであります。
「お、冷たか。しかも麦茶」
 そう云って拙生は残りを一気に飲み干すのでありましたが、冷たいとか麦茶であるとかそう云ったことよりなにより、今吉岡佳世が口をつけて飲んでいたその同じ水筒の蓋で飲んでいることに、ちいとばかり興奮と云うのか感動と云うのか喜びを云うのか、そんなものを覚えるのでありました。
「ああ、冷とうしてうまかった」
 拙生は拙生の秘かな歓喜を隠蔽してなに食わぬ顔で、ただ冷たい麦茶が喉を流れる感覚のみに感動したような風に云うのでありました。
「もう一杯、飲む?」
「いや、もうよか」
 拙生は赤い水筒の蓋を吉岡佳世に返すのでした。彼女は拙生から蓋を受けとるとそれを水筒に被せてくるくると回します。
「こがんことしとって大丈夫とや。記録係の仕事に復帰せんでよかとか?」
 拙生が水筒の栓を仕終えた吉岡佳世に聞きます。
「あたしの番はお仕舞。もう後ろの席に座っとくだけ」
「そんじゃあ、その座っとく仕事に復帰せんでよかとか?」
「うん。テントの中に座っててもよかし、クラス席に行っとってもよかし」
 そうならと拙生は彼女を誘って教室に戻ることにしたのであります。当初は教室で隅田に倣って英熟語でも覚えるつもりでおりましたが、吉岡佳世が一緒ならそんな詰まらないことなどする気はありません。やはり拙生は隅田が指摘するように、大学入試をそう切羽詰まった問題としてまだ感じていないのでありまして、実に困った受験生ではありますか。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅤ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 教室には数人の生徒が居るのでありました。体操服姿ながら皆夫々ばらばらに自分の席に座って、教科書やら参考書を広げて勉強している風であります。話声も聞こえない静寂なその雰囲気の中に吉岡佳世と二人連れで入って行くのは、なんとなく気後れするので拙生と彼女は図書館の方へ足を向けるのでありました。我々は図書館一階のエントランスにある長椅子に並んで腰を下ろします。図書館には殆ど人影もなく、偶に参考書を持って図書閲覧室に向かう他のクラスの三年生が通るくらいでありました。ここなら彼女とのんびりお喋りに現を抜かすことが出来るのであります。
「なんかあたし、ちょっと疲れた」
 吉岡佳世が両手で持った水筒を膝の上に置いて云います。「なんとなく知らず知らず緊張して、記録係の仕事ばしてたとやろうかね」
「大丈夫か?」
 拙生が聞きます。吉岡佳世の体のことを考えると、拙生としては彼女の疲れたと云う表明をつい深刻に考えてしまうのでありました。
「うん、大丈夫。そがん大したことじゃないけん」
「今日はなんとなく暑かしね。テントの中て云うてもずっと外に居ったけんがやろうか」
「もっと暑かった夏の海は、全然大丈夫やったとにね」
「気疲れしたとやろう」
「そうね、そうかも知れん」
 吉岡佳世は水筒の蓋をくるくると回して外し、中の麦茶を注いでそれを一口飲むのでありました。その彼女の顔を覗きこむ拙生を横目で見て、吉岡佳世は水筒の蓋を口から離して云います。
「あ、そがん心配せんでいいとよ。体の調子の変になったて云うわけじゃないし。ただなんとなく疲れただけやから」
「顔色は悪うなかように思うばってん」
「うん、大丈夫。それより井渕君の出る障害物競争て、最後から三番目にあるとやろう?」
「そう。三時半頃になるやろうね。そいまでオイはずうっと暇ぞ」
「入試の勉強でもすればよかたい」
「今日はなんとなくあんまいする気の起きらん」
 吉岡佳世が自分が飲み終えた水筒の蓋を拙生の顔の前に掲げて見せます。
「麦茶、飲む?」
「いや、オイはよか、要らん」
 彼女は蓋を水筒に戻してまたくるくると回します。
「なんかここ静かね。運動場の声とかもあんまり聞こえてこんし」
 吉岡佳世が水筒の蓋に置いていた片手をそこから離して拙生の手の甲に乗せます。拙生は掌を返してその手を握ります。
「学校の中でこうして手ば繋ぐとは、なんかちょっとスリルのあるね」
 吉岡佳世が拙生の顔を見ながら云うのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅥ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「先生とか、誰かに見られるかも知れんぞ」
「あたしは別に、見られてもいいけど」
 吉岡佳世はそう大胆なことを云うのであります。
「英語の吉田とかに見られたら、なんか云われるっちゃなかろうか」
 拙生が云います。英語の吉田と云うのは、三年生の英語を担当する隣のクラスの担任で五十歳代の女の先生あります。なんに依らず口煩い先生でありました。
「ああ、吉田先生はこう云うこと厳しかかも知れんよね」
「不良扱いされて、大問題にされるぞ、間違いなく」
「あの先生、なんでも深刻にしてしまう人やしね」
「ウチのクラスの女子に見られてもお前困るとやなかか? なんやかんや陰で云われて」
「そうかも知れんけど、あたしあんまりクラスの中の女の人とつきあいのなかけん、直接には被害はなかて思うよ、きっと」
「そうやろか」
 拙生はそう心配するのでありました。しかしだからと云って握っている吉岡佳世の手は決して離さないのではありましたが。
 三十分程こうして拙生と彼女は二人で、まあ、他愛もない話に現を抜かすのでありましたが、突然二人の前に三人の男共が立つのでありました。
「おい井渕に吉岡、こがんところで二人でなんばしよるとや?」
 そんなことをニヤニヤ笑いながら云うのは隅田でありました。他の二人も同じクラスの男共で、一人は隅田同様親しくしている安田と云う男と、もう一人はこれはあまり普段打ち解けて会話等交わしたことがない大和田と云う男であります。
 安田もニヤニヤ笑って拙生と吉岡佳世を見ています。大和田は此方を見ることもなく、それに特段の表情もなく、なんとなく隅田と安田よりやや下がった辺りで、拙生と吉岡佳世には興味がなさそうに横を向いてつっ立っているのでありました。
 大和田は隅田とはウマが合うのかよく話をするようでありましたが、拙生と安田とはあまり打ち解けないのでありました。安田に云わせると「大和田は井渕とかオイとか、あんまり“お出来にならん”人間とは話をする必要を感じとらんとぞ」と云うことになるようであります。
 大和田は隅田と同じ九州有数の合格難関大学を目指しているのでありました。確かにそれで隅田とは話が合うと云うのか、共通の話題があるのでありましょう。拙生や安田のように、あわよくばどこか入れてくれる大学があれば喜んでそこへ入りこもうと企んでいる、大望のない輩とは元々違うのであります。まあ、大和田は隅田が拙生や安田とよく話をしているので、仕方なく我々の輪の中に居ると云うような形で我々と混ざっているように見えるのでありました。彼は四人で居る時はほとんど口を開かず、少し体を引いて我々の会話を興味なさそうに聞いていると云った風情だったでしょうか。しかし拙生はこの大和田と云う男には、単なる拙生の思いこみ以上ではないのでありましょうが、もっと何か気質に屈折したものがあるように感じられて、苦手なタイプの男ではありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅦ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「もう昼の弁当の時間になっとるとぞ。二人で手ば繋いでこがん処で何時まででんいちゃついとらんで、吉岡も、オイ達と一緒に教室で弁当ば食おうで」
 安田が云うのでありました。そう冷やかされて吉岡佳世は拙生と繋いでいた手を離そうとするのでありましたが、拙生がニヤニヤ笑ってなかなかその手を解放しないものだから、彼女は拙生の顔を見ながら必死で手を引こうともがきます。隅田達が前に立った時にすぐ彼女は繋いでいた手を離そうとはしたのでした。しかし拙生が平気で彼女の手を握ったままでいるものだから、拙生が親しくしている彼等の前ではそのままで大丈夫なのだろうと判断したのでありましょう、殊更手を離そうとする仕草もせずにずっと繋ぎっ放しにしていたのでありました。
「あたしも一緒に?」
 ようやく拙生の握力から解放された手を水筒の上に避難させて、吉岡佳世が安田に聞きます。
「序でくさ。大勢でわいわい云うて食うた方が弁当もうまかやっか。井渕が寂しがるけん、オイ達のディナーテーブルに吉岡も特別ご招待て云うことで」
「ディナーテーブル?」
「まあ、教室で机ば四つ寄せるだけばってんね」
 安田のそのもの云いに吉岡佳世はくすっと笑うのでありました。
「井渕と二人だけで食いたかなら、別にそれでもよかとばってんが」
 隅田が吉岡佳世をからかうように云います。吉岡佳世は拙生の顔を見るのでありました。
「当然吉岡と二人で食う方が弁当はうまかに決まっとるけど、まあ、安田の断っての希望けん、お前達も吉岡と一緒に弁当ば食う光栄に浴させてやろうかね」
 拙生は云うのでありました。
「ありゃま、それは有難かことで」
 隅田がそう云って拙生の肩に空手の突きを入れる仕草をするのでありました。隅田も安田も軽口の遣り取りや表情の端々に、拙生の横にいる吉岡佳世に妙な警戒感を抱かせないように、それに自分達が吉岡佳世に対して友好的であること、拙生と彼女とのつきあいを全く好ましく思っていることを、そこはかとなく伝えようと気を遣っている様子が窺えるのでありました。隅田も安田も結構好い奴であります。
 そんなわけで我々はうち揃って自分達の教室へと向かうのでありました。冗談を飛ばし合う拙生と隅田と安田の横を歩きながら、吉岡佳世が三人の会話に時々笑い声で交るのでありましたが、大和田は少し後ろに外れて我々の軽口の応酬には関心を示さない様子で、全くの無言でついて来るのでありました。
 教室にはクラス全員の内半分程が戻って来ていたでありましょうか。他の者は校庭やら学校内の何処かで昼食をとっているのでありましょう。体育祭の時は学校の敷地の中ならどこで昼食の弁当を広げようと自由でありました。中には学校近くのうどん屋かラーメン屋に出掛けた規則破りもきっと数人居たでありましょうが。で、教室に居る者はそれぞれ勝手に数人寄ったり、或いは一人で机に向かって弁当を広げているのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅧ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 教室で拙生と隅田と安田で机を四つ寄せて、安田の云うところのディナーテーブルを作ったのでありましたが、大和田はその塊りに参加せず、一人近くの席に座って自分の机から弁当を持って来てそれを広げるのでありました。確かに机を五つ寄せるのは半端ではありましたので、なんとなく自然に大和田が外れるのでありました。
 食事の最中も拙生と隅田と安田は辺り憚ることなく、大声で下らない冗談で大笑いをしておりました。吉岡佳世はその笑いの中に楽しそうに混ざってはいるのですが、やはり疲れているためか自ら進んでやり取りの言葉を上せる風ではありませんでした。途中彼女が普段このクラスで一番よく会話を交わしているらしい島田と云う女子が、我々のディナーテーブルの傍にやって来て吉岡佳世の肩を指でちょんと叩いて彼女を振り向かせます。
「佳世、よかねえ、男に囲まれて。あたしもここに混ざろうかね」
 島田が吉岡佳世に話し掛けます。恐らく島田は別にこの席に本気で混ざりたいわけではなく、単に吉岡佳世への軽いお愛想のつもりでそんなことを云ったのでありましょうが、吉岡佳世は島田の言葉を真に受けて拙生の方に自分の椅子をずらして、一人が座れる空間を作ろうとするのでありました。
「吉岡は特別ぞ。お前はダメ、入れてやらん。普段から横着っか女はここには座れんと」
 安田が島田に云います。
「判っとるさ。あたしもこがん、むさ苦しか男の中に混ざって食事ばする気なんかなかし」
 島田は安田に向かって顔を顰めて舌を出して見せてから、少し腰を屈めて吉岡佳世にだけ話をするのでありました。「体育祭の終ってからフォークダンスのあるけど、その前に五組の田代君なんかのバンドが、余興でちょっと演奏ばさすとさ。そのステージば運動場の真ん中に造るとやけど、その飾りつけ、佳世も手伝ってくれん?」
 五組の田代と云うのは学年一の色男の呼び声が高く、同じ五組の仲間の男四人と女一人でロックバンドを組んでいるのでありました。
「へえ、そがん余興のあるとか? ちいとも知らんかった」
 隅田が箸の動きを止めてそう云います。
「島田は一年生の頃から田代のファンけんが、ここで一生懸命働いて自分ば売りこもうて思うとるとやろう。健気なもんぞまったく」
 安田がそう云ってからかうように島田を指差します。
「やぐらし。別にそがん心算じゃなか。あんた達はどがん見てもロックて云う顔しとらんけん、田代君の曲の凄さなんか元から判らんと。三枚目がごちゃごちゃ云うな」
 島田はそう云って安田を叩く仕草をするのでありました。
「三年生は体育祭の後はフォークダンスも参加せんで、すぐ帰ってよかことになっとるやろう。三枚目であろうがなかろうが、三年生が今の時期、受験ば控えてロックもフォークダンスもあるもんか」
 安田が叩き返す真似をしながら島田に云います。
「一年の頃から思うとったけど、生まれながらにイカさん男ばいね、安田は」
 島田はそう云って安田を見下ろしながら憫笑を浴びせるのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩⅩⅩⅨ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「どがん、佳世?」
 島田はもう一度腰を屈めて吉岡佳世に聞くのでありました。
「大丈夫。判った。手伝うよあたし」
 吉岡佳世が島田にそう返事します。
「有難う。そしたら体育祭が終わったら、運動場のステージの所に来とってね」
 島田はそう云って腰を伸ばし、安田の方へ目を向けてなにか云いたそうな素振りを見せるのでしたが、別に憎まれ口を上乗せすることもなくそのまま立ち去るのでありました。
「まったく、入学した頃から変わらんばってん、可愛気の欠片もなかヤツぞ、島田は」
 安田がそう云って舌打ちをします。安田と島田は一年生の時からずっと同じクラスだったのでありました。
「しかし、そがん風に水と油のようにとしとるけど、案外て云うか往々にして、そう云う同士はお互いに安からず思うとるとかも知れんぞ、本人たちも普段は気づいとらんし、思いも寄らんことかも知れんばってん」
 隅田が云うのでありました。
「やめろ。そがんことなんか絶対、なか。選りに選って島田とは、絶対になか」
 安田が強調します。
「いやいや、そうやってムキになるところば見せられると、益々オイの見立てに狂いのなか証拠のごたる気のしてくるばい」
 隅田が笑いながら自説に自信たっぷりと云った風に頷くのでありました。安田は口を尖らせて隅田を睨みます。吉岡佳世がくすっと笑うのでありました。
「こら、吉岡、笑うな」
 安田がそう云うと吉岡佳世はもう一度、今度は口に手を当てて笑うのでありました。
「おい安田、それ以上なんだかんだと抗弁したら、益々墓穴ば掘ることになるけんね」
 拙生が云いますが、拙生の顔に隅田と同じ種類の笑いが浮かんでいるのを見咎めて、安田は一層口を尖らすのでありました。
 昼食の時間が過ぎて、そろそろ運動場に集まって午後の競技を始めるぞと校内放送があったので、我々は弁当を片づけて寄せていた机を元に戻し、校庭の方へ向うのでありました。なんとなく拙生は吉岡佳世が隅田や安田と一緒だったこともあるのでしょうが、いつもより口数が少なくて表情も冴えないことが少し気になっていたのでありました。普段から彼女はそんなにお喋りの方でもなく表情が豊かな方でもないのでありますが、それにしても時々その横顔を窺うと、無表情でいる時がより多かったような気がするのでありました。単なる無表情であるのなら別に拙生は危惧はしなかったでありましょう。しかしなんとなくその彼女のその無表情は、実は身体の大儀さを表明するある種の表情であったような気がしていたのでありました。先程二人で居た時に疲れたと珍しく自分から彼女が口にしたことが、どこか拙生の気持の内壁に実はずっと引っかかっていたのであります。
「大丈夫か、なんとなく体のきつかとやなかか?」
 拙生は運動場へ向いながらそう彼女に聞くのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩL [枯葉の髪飾り 2 創作]

 吉岡佳世は拙生を見て首を横に振るのでありました。
「ううん、別になんともなかよ」
「いつもより元気のなかごと見えるばってん」
「そんなことないって。結構元気よ」
 彼女は笑いながら両手で力瘤を作る仕草をして見せます。彼女が右手に持っていた水筒の赤いビニールの肩掛け紐が、彼女が腕を上げようとした時に動きを妨げるようにその腕に絡みつくのでありました。
 一応校庭に学年別にクラス毎に整列して午後の競技の再開を校長が宣して、生徒はその後トラックを取り巻く各々のクラス席に散るのでありました。吉岡佳世は拙生と別れて本部席の方へ向かうのでありましたが、彼女の体に変調があったのではないかと心配しているせいか、拙生にはその後ろ姿はいかにも頼りなく儚げに見えるのでありました。しかし病気との長いつきあいから彼女が一番自分の体のことを判っているはずでありますし、その本人が大丈夫と云っているのであります。疲れたような風情はあるもののああやってまた本部席に戻って雑用係の仕事に復帰するつもりなのですから、まあ、大丈夫なのだろうと拙生はそう考えて不安をなんとか宥めようとするのでありました。
 午後の競技が始まったと云っても拙生の出番はまだまだ先でありますから、拙生は午前中と同じように校庭をうろついたり隅田や安田とふざけあったり、時々吉岡佳世の姿を見るために記録係のテントの方へ足を向けたりしているのでありました。吉岡佳世はテントの中で午後はこれと云った仕事がないためか、手持ち無沙汰そうに後ろの方の席に座ってなんとなく競技を見ているのでありました。彼女はクラス席に居ても構わないのですからそちらに誘ってもよかったのでありますが、クラス席は日差しを遮るものもなくて彼女の体には辛かろうと拙生は慮るのでありました。
 拙生の姿を見つけると吉岡佳世はテントから出てきます。彼女を日向に居させるのを憚って、それにいちいちテントから出てくるのも面倒であろうから、拙生はなるべく記録係のテントにも行かないようにしようかと思うのでありましたが、しかしどうにも気になるので、結構頻繁に足を向けてしまうのでありました。
 さていよいよ、拙生の出番たる障害物競争であります。拙生は頑張ってトップで記録係テントの前を疾走して、吉岡佳世にいいところを見せんかなと張り切るのでありました。ひょっとしたら体の思わぬ不調から萎えているかも知れない彼女の気分を、少しは引き立て得るかと秘かに目論んでもいたのであります。多少の自信は元々あったのではありますが、はたして拙生は先ず梯子潜りでトップに躍り出て、各障害を無難に乗り切って先頭で記録係のテントの前を通過するのでありました。
 通過する一瞬、彼女の姿を求めて横目でテントの中を窺ったのでありますが、先程まで確かに居たはずの彼女の姿を見つけることが出来なかったのでありました。彼女の姿がないと思った瞬間、走りながら拙生の危惧が一気に膨張します。あまりに短い時間であったから見逸れたのかも知れませんが、ひょっとして彼女に異変が起こったのではなかろうかと心中戦慄きながら、拙生は不安一杯の顔をしてゴールを駆け抜けたのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅠ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 一位から三位まで、数字を大書した旗をもってゴールした選手を記録席まで先導する係の生徒が居るのでありますが、拙生は旗の先導を無視して記録係のテントへ、吉岡佳世がその中に居てくれることを願って心急きながら向かうのでありました。全力疾走中に一秒とかほとんどその程度の時間でしかテントの中を覗けなったのであるし、しかもそちらに顔を向けて見たのでもなく横目で窺っただけでもあることから、きっと見逸れただけなのです。吉岡佳世はテントの中にちゃんと居て、笑いながら拙生を秘かな目の挨拶で迎えてくれるに違いないと、拙生は自分に言い聞かせながら小走りするのでありました。
 しかし矢張り、吉岡佳世の姿はテントの中になかったのでありました。最前列の机で記録をつけている女生徒に吉岡佳世はどうしたのだと、拙生は着順と三年生の二組の者である旨報告した後にそれとなく聞くのでありました。
「なんか具合の悪うならしたけん、保健室に行かしたです」
 下級生であろうその女生徒は拙生にそう云うのでありました。その言葉を聞いて最初に拙生の頭の中に立ち上ったのは悔悟でありました。先程図書館のベンチで彼女が疲れた様子を見せた時に、もう少し強くその表情に気持ちを働かすべきだったと悔いたのであります。いやもっと云うと、拙生はその時確かに心配にはなったのではありますが、その自分の中に生じた不安をしっかり掴もうとせずに、運動場の喧騒を離れて彼女と二人だけで居る嬉しさにかまけて、気遣いの握力をだらりと緩めてしまっていたのでありました。そのために実際大したことではなかろう等と、たかを括ったような視力の甘さが生じたのであります。それに、今のこの甘やかな最中にそうあって欲しくはないなと云う、甘やかでなくなってしまうことを忌避したい身勝手で浅はかな未練によって、その場凌ぎに彼女の体に起こった異変に対して拙生は結果として見ない振りを決めこんだのであります。
 拙生は保健室の方へ急ぐのでありました。保健室へ向う廊下で、先に教室で昼食をとっている時吉岡佳世に、体育祭終了後に行われることになっている同級生のロックバンドのステージ造りの手伝いを要請しに来た、島田と云う同じクラスの女子生徒が保健室の方から此方に歩いて来るのを見つけるのでありました。島田は拙生の姿を認めると駆け寄って来ます。
「佳世が大変なことになっとるよ」
 島田は少し声を荒げて拙生に先ずそう告げるのでありました。その声の荒さに拙生はなにやら咎められているような気がするのでありました。
「なんとなく記録係の所ば通ったら、佳世が俯いて後ろの方の椅子に座っとると。変に思って声ば掛けたら、顔色の真っ蒼しとったとさ。そいで急いで保健室に連れて行ったと」
 島田がそう続けます。拙生はその島田の言葉に思わず顔を顰めるのでありました。
「そいで、吉岡は今どがんしとるとか?」
「本人は大丈夫て云うとやけど、元々体の丈夫やなかとけんが、取り敢えず病院に連れて行った方がよかて保健の先生が云わすし、担任の坂下先生に連絡して、先生の車で市民病院に向かったと」
 拙生はその島田の言葉に一層顔を顰めるのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅡ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「井渕君なんばしよったと。しょっちゅう佳世と一緒に居って、気づかんやったとね、佳世の具合の悪そうな様子に」
 島田が拙生の怠慢を詰るように云うのでありました。その言葉が鋭く拙生に突き刺さってくるのであります。その詰問口調は少し酷ではなかろうかと、拙生は咄嗟に抗弁しようと彼女を睨みつけるのでありました。しかし抗弁しようとすること自体が、吉岡佳世の体の具合を真摯に気遣わなかったせいで、彼女の異変に対して何らかの手立てを最初に施すその機会を逸した、拙生の後ろめたさの陰翳に他ならないのでありましょう。拙生はそのまま島田に背を向けて廊下を引き返し、階段を二段跳びに駆けあがって教室に戻ると、自分の席の椅子に掛けていたバッグから通学バスの定期券を取り出して、ジャージのズボンの尻ポケットに捩じこんですぐにまた教室を跳び出すのでありました。
 校舎を出るとまだ競技が行われている校庭を横目に全力で校門まで走って、学校から最寄りのバス停へと向かいます。こう云う時に限ってバスはなかなか来ないのでありますが、拙生は苛々しながら腕時計と道の彼方を交互に睨んでバスの到着を待つのでありました。それにようやく来たバスに跳び乗ったのはいいのですが、いつもよりも多くの赤信号に引っかかってバスがなかなか道を進まないことに拙生はやきもきするのでありました。
 市民病院は平日であるにも関わらず多くの人でごった返しているのでありました。拙生は一階の受付を無視して、おそらく吉岡佳世はそこに運びこまれているであろう循環器科の診察室の方へと足早に向かいます。病院の中に籠っている消毒薬の匂いが、焦って歩を運ぶ拙生の汗ばんだ顔に無遠慮に纏わりついてくるのでありました。
 循環器科の診療室の前の長椅子に担任の坂下先生が一人座っているのでありました。
坂下先生は横に立った拙生を見上げて腕組みした手を解きます。
「井渕、なんしに来たとか、お前が?」
 そう聞かれて拙生は自分がここへ来た経緯をどう説明したらいいのか判らずに、ただ先生に挨拶の礼をするだけでありました。
「吉岡はどがんしとるとですか?」
 拙生が聞きます。
「まだ診療中」
 坂下先生はそう云って少し端に腰を移動します。「兎に角、まあ、座れ」
 拙生は先生の言葉に従って横に腰を下ろすのでありました。
「大分悪かとですか、具合は?」
「判らん。中に入ってそろそろ三十分くらいになる」
「ああ、そうですか」
 その診療時間三十分と云う時間の経過がどう云う意味を持つのか、深刻なのかそれともそうでもないのか、拙生にはよく判らないのでありました。
「お前、誰かに許可ば貰うて、此処に来たとか?」
 坂下先生が拙生に尋ねます。そう聞かれても、当然のことながら拙生は妥当な返答の言葉を持ちあわせていないのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅢ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「いや、勝手に来たとです。済んません」
 拙生はそう云って頭を下げるのでありました。
「そがん勝手に学校ば抜け出したら駄目やろうもん。体育祭も授業の一環ぞ」
「はい、判っとります。済んません」
「お前は何時から吉岡の保護者になったとか?」
「いや、そがん者にはなっとらんです」
「そんなら授業ば抜け出してまで、なんでお前が此処に来る必要のあるとか?」
 坂下先生が故意に抑揚を抑えたような口調で云います。
「心配で、堪らんやったけん・・・」
 拙生としてはそう云うしかなかったのでありました。
「ああそうか。心配で堪らんやったか。成程ね」
 坂下先生はそう云って、急に打ち解けたように笑い出すのでありました。「井渕が吉岡と付きおうとるとは、噂で知っとったし、吉岡のお母さんからもこの前聞いとった。お前がなにかにつけようしてくれるて、お母さんも喜んどらしたぞ。それに特段そのせいでお前の成績が落ちるわけでもなかったけん、ま、担任としては結構なことと思うとった。お前は元々そがん良か成績でもなかったけど」
 拙生は学校を勝手に抜け出したことをここで厳しく問い質されるものと思ったし、それに対して先生を納得させるだけの何の有効な理由も用意してはいなかったので、その坂下先生の反応は意外でありました。呆気に取られたような表情をしているはずの拙生を見ながら、坂下先生はニヤっと笑ってから目を離し、そのまま前の診療室の扉の方を向いてまた腕組みをするのでありました。
 しばらくすると診療室の扉が開いて、吉岡佳世が体操服姿のまま、彼女のお母さんにつき添われて出て来るのでありました。拙生と坂下先生は同時に長椅子から立ち上がります。
「ああ、井渕君」
 彼女のお母さんが拙生の姿を認めて声をかけます。拙生はお母さんに一礼して吉岡佳世の方を見るのでありました。吉岡佳世は先ず拙生がここに居ることに驚きの表情をして、次に照れ臭そうに拙生に笑いかけ、照れ隠しの積もりか茶目っ気たっぷりに腰の辺りで小さく手を振るのでありました。
「どがんやったですか?」
 坂下先生が彼女のお母さんにそう聞きます。
「はい、お陰さんで、そがん大したことじゃなかようです。疲れから、ちょっと具合の悪うなったとやろうて云うことのごたるです。心電図とかもそがん変じゃなかようですし」
「ああ、そうですか。差し当たり安心しました。一日中戸外に居るとは無理やったとでしょうかね。私ももう少し気ば遣えばよかったです。済みません」
 坂下先生が彼女のお母さんに云います。
「いえいえ、偶々具合の悪うなっただけで、本来は大丈夫とでしょうけど」
 恐縮そうにお母さんは坂下先生に何度か深々と頭を下げるのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅣ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「井渕君まで来てもろうて、申しわけなかったね」
 吉岡佳世のお母さんは拙生の方を見て云います。
「ああ、いや、どうも・・・」
 拙生はそう口籠って頭を下げながら坂下先生を横目で窺うのでありました。坂下先生はそんな拙生を見てニヤニヤと笑います。
「さて、これからどがんされるですか?」
 坂下先生が吉岡佳世のお母さんに聞きます。
「はい、家に帰ってよかて云われましたけん、このまま連れ帰って休ませようて思います」
「判りました。そんなら我々も学校に戻ります」
「井渕君ご免ね、びっくりさせて」
 吉岡佳世が拙生に云うのであります。拙生は至らなかったところを謝るのは寧ろ此方の方だと思って、恐縮から僅かに目を逸らすのでありました。
「学校に置いてきた吉岡君のバッグは、後でこの井渕にでも届けさせますかな」
 坂下先生が云います。
「それでは井渕君が大変けん、後であたしの方で学校に取りに伺いますよ」
 吉岡佳世のお母さんが顔の前で掌をひらひら横に動かしながら云います。
「いや、大丈夫です。もしそれでよかなら、オイ、いや僕が帰りに届けますけん。」
 どうせ帰りに吉岡佳世の家に寄って彼女の様子を確かめるつもりでいたので、拙生はそう請け負うのでありました。せめてそれくらいはさせて貰わないと、拙生の吉岡佳世に対する申しわけなさが万分の一も解消しませんし。
「井渕君、これ学校に返しておいて貰ってよか?」
 吉岡佳世はそう云いながら、左の手首に巻いていた黄色い鉢巻を外して拙生に渡します。拙生は頷いて彼女から鉢巻を受け取ると、ジャージの尻ポケットにねじ込むのでありました。そこには拙生の鉢巻が元々押しこまれていたのでありますが、彼女の鉢巻と拙生のそれとが拙生の尻ポケットで手を繋ぐのでありました。
 吉岡佳世と彼女のお母さんが病院の玄関先でタクシーに乗って帰って行ったのを見送った後、坂下先生が拙生に云います。
「車ば回すけん、ちょっとここで待っとけ。一緒に乗せて行くけん」
「いや、申しわけなかけんが、オイはバスで戻ります」
「そがん面倒臭かことはせんでよか。どうせ序でけんがね。それにバスで学校まで戻りよったら時間のかかる」
「はあ。まあ、そんなら、済んませんが」
 坂下先生はその前に一旦学校へ電話してから車を回すのでしばらくここで立って待っていろと拙生に云い置いて、また病院のロビーへと戻って行くのでありました。拙生はなんとなく、無断で学校を抜け出した罰として立たされているような気分になるのでありました。しかしともかく、吉岡佳世の体の具合も大事にならずに済んだと云うことに、拙生としては大いに胸を撫でおろすのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅤ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 坂下先生の車の助手席に座って拙生が急に眠気に襲われたのは、病院で見た吉岡佳世の容態が、初めに考えた程無残でなかったことで一挙に気持の箍が緩んだためでありましょう。拙生の眠気を振い落すように坂下先生は車を急発進させるのであります。先生の運転は結構荒っぽくて、普段は故意に声の抑揚を抑えたようなそのリゴリスト然とした話し振りや仕草からは、意外な感があるのでありました。もっともその坂下先生の日頃の振舞いは教師であるが故の韜晦であって、ひょっとしたら本来はもっとくだけた人なのかも知れません。だから拙生の規矩を逸した行動に対しても、そんなに目くじら立てて手厳しい諫言をその口から発しなかったとも思えるのであります。
「お前、時には意外と大胆なこともするとやねえ。ちょっと驚いたぞ」
 坂下先生が運転しながら拙生に云うのでありました。
「びっくりして、前後の判らんようになったとです」
「前後の判らんようになったとしてもぞ、その後学校ば飛び出して病院まで来るとか云う行動については、もっと別の資質に関わる問題じゃなかろうか」
「済んません」
 拙生は頭を掻くのであります。
「まあよか。お前の意外な一面ば見せてもろうた気のするけん、オイとしては面白かった」
 坂下先生はそう云って笑うのでありました。「しかし規則違反ば犯した点は、担任としてこのまま見過ごすわけにはいかん」
「はい。判っとります」
「お前は、入試は世界史で受験するとやったろう、確か?」
「はい。英語と国語と世界史です」
 坂下先生は社会科の世界史と倫理社会の担当教師でありました。
「そんなら罰として、明日は体育祭の片づけで授業のなかけん、明後日の放課後まででよか、中国の歴代王朝名と成立年、そいから王朝ば開いたヤツの名前ば全部暗記してこい」
「えー、全部ですか」
「そう。殷から中華人民共和国まで全部。ま、中華民国と人民共和国は王朝とは違うけど」
「うわあ、えらかことになった」
 拙生は声を張りあげるのでありました。
「今の時期、もうとっくにそんくらい云えんばダメとぞ。明後日の放課後、ちゃんと職員室に来いよ。そこでテストするけんね。よかか?」
「はあ。判ったです」
 拙生はげんなりするのでありました。
 学校に戻るともう件のロックコンサートが運動場で繰り広げられているのでありました。
どこから持って来たのか、それとも学校に元々あったのか、ステージを照らす照明まで用意されているのでありました。夕闇迫る中にステージがほんのり明るく浮かび上がっています。拙生は坂下先生の指示でそのまま教室へ戻り、職員室へ寄った先生が来るのを待つのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅥ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 教室に入ると隅田と安田、それに大和田がそこに居るのでありました。拙生の姿を認めると隅田が拙生に手を挙げながら近寄って来ます。
「井渕、お前、吉岡の運ばれた病院まで行ったとてねえ」
 隅田が云います。「そいでどがんやったとか、吉岡の様子は?」
「まあ、そがん大変な事態じゃなかった」
 拙生はそう云って安田の座っている席の前の机に腰掛けるのでありました。安田の横の席に大和田が座っています。隅田は拙生の横の机に腰を落とします。運動場で行われているロック演奏の音が、かすかに教室まで聞こえてくるのでありました。
「体育祭の終わってから教室に戻ったぎんた、教頭の山口が来て、吉岡の具合の悪うなったけん、坂下が病院まで送って行って、なんか知らんばってん、井渕も一緒に病院について行ったて聞いてぞ、どがんなっとるとかて思うて心配しとったとぞ」
 安田が云います。
「いや、オイは一緒について行ったとじゃなか。後からバスで行ったと」
「なんでお前まで病院に行くとか?」
 今度は隅田が聞きます。
「なんでて云われても、なんばってん・・・」
「お前、勝手に行ったとか?」
 拙生は頷くのでありました。
「坂下に散々怒られたやろうもん」
 安田が拙生の顔を覗きこむように見ながら云うのでありました。
「怒られた、ことになるやろうな、あれは」
「怒られんやったとか?」
 安田は机の上に乗せていた両腕を挙げて頭の後ろに組みながら聞きます。
「明後日までに罰で、中国の歴代王朝名とその王朝ば開いたヤツの名前と、成立年ば全部暗記してこいて宿題ば出されてしもうた」
「なんや、それは」
「なんやて云われても、オイも困るとけど。まあ、お小言程度は食らったばってん、結構さらっとしとったぞ坂下は」
 拙生は安田にそう云うのでありました。
「へえ、あの坂下が、さらっとしとったか」
 隅田が意外そうに云います。
 我々だけが残っている教室の扉が急に開いて、そこへ島田が入ってくるのでありました。島田の方へ我々の視線が集中します。
「あんた達、まだ教室に残っとったと?」
 島田はそう云いながら自分の机の方へ向うのでありました。安田が彼女に云います。
「お前はなんしに来たとか? 五組の田代なんかのロックの演奏ば、口ばポカンて空けて馬鹿面して、うっとり聞きよるてばっかい思うとったのに」
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅦ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「坂下先生にちょっと教室に行っとけて云われたけん、せっかく田代君の演奏の途中やったとに、態々こうして戻って来たとたい」
 島田が田代の悪態に対して少し声を荒げて返すのでありました。
 暫くして坂下先生が教室に入ってくるのでありました。坂下先生は拙生と島田の他に隅田と安田と大和田が居るのが少し意外なように、我々をゆっくり見渡すのでありました。
「なんか関係なか奴まで居るごたるばってん、まあ、よか」
 坂下先生はそう云って我々の方へ来て、それから少し離れた所に居た島田の方を向いて手招きをするのでありました。島田もこちらへやって来ます。
「吉岡のことばってん、そがん大事にならんで済んだ。病院から出る時はいつものごと元気にしとったし。大事ばとって今は病院から直接家に帰って休んどる。一応島田にもその後の経緯ば報告しとこうて思うて、ここに呼んだと」
 坂下先生は島田の方を向いてそう云います。島田は坂下先生の報告に神妙な顔つきで一つ頷くのでありました。坂下先生は拙生の他にもう知っている者もあるかも知れんがと前置きし、吉岡佳世が生れつき心臓が弱いこととか、彼女が学校を休みがちであるのはそのためであるだとか、卒業のことを鑑みれば吉岡佳世の出席日数が微妙な線にあることだとか、彼女について我々に少し詳しく話をするのでありました。
「今日この教室に居って今の話ば聞いたとが縁て思うて、あと卒業までそがん長い時間はなかけど、なにかと吉岡のことば気に掛けてやってくれ、お前達は」
 我々は先程の島田のように坂下先生の言葉に神妙に何度も頷くのでありました。その光景に、差し出がましいことではありますが拙生は吉岡佳世になり代わって、ここに居る他の連中に感謝したい気持で一杯になるのでありました。
 拙生は吉岡佳世から預かった鉢巻を拙生のものと一緒に教室の用具入れのロッカーに戻し、吉岡佳世の机から彼女のバッグをとって拙生のと一緒に肩に掛けるのでありました。
「そいぎんた井渕、吉岡の荷物はお前が帰りに届けてくれよ」
 坂下先生が拙生に云います。体育祭の日は生徒は家から体操服で学校へ来ているのでありますから、弁当と参考書の入ったバッグだけが当日の荷物でありました。
「井渕はこいから吉岡の所に寄るとか?」
 安田がそう聞きます。
「そう。荷物ば届けに行く」
「そんならオイもついて行こうかね。お見舞いがてら」
「そうね、そんならオイも一緒に行こうかね」
 隅田が云います。
「お前達大勢で、ざわざわと吉岡の家に押し掛けるなよ」
 坂下先生が云うのでありました。「今日に関しては、お見舞いて云うごと大げさなことは必要なか。それよりとっとと帰って家で勉強ばせんか。この後のフォークダンスばする積もりで残っとったとじゃなかやろうな、お前等。そがんことじゃつまらんばい。よかか、お前達は受験生ぞ」
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅧ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 坂下先生は皆で吉岡佳世の家に押しかけようと云う我々を窘めるのでありました。
「ああ、それもそうやね」
 安田が納得します。
「そう云えば安田、お前も入試は世界史で受けるとやったね」
 坂下先生が思い出したように安田に云います。「井渕にも云うたとやけど、お前も井渕と一緒に明後日までに殷からずうっと中国の歴代王朝名と成立年、それに王朝ば開いた最初の人間の名前ば全部覚えてこい」
「わちゃあ、なんでオイまでそがんとば覚えてこんばならんとですか。井渕は罰けん仕方なかかも知れんばってんが」
「ま、ことの序でくさ」
 坂下先生はそう云って笑うのでありました。
「オイはなあんも関係なかとに。酷かばい、それは」
「つくづく、間の悪か人間ばいね、安田は」
 安田が口を尖らすのを島田が大笑しながらからかうのでありました。
「隅田とか大和田とか、この馬鹿ちんの島田には、なんか宿題は出さんとですか。オイだけて云うとは不公平じゃなかですか」
「オイも大和田も受験は日本史やん」
 隅田が云います。
「あたしは社会科は地理けん」
 島田が云います。
「とんだとばっちりば被ることも、偶にはあるくさ、長い人生には。そう云う理不尽さに対して、耐性とか受け止める器量ば創るとも勉強の内ぞ」
 坂下先生が安田をからかう、いや諭すのでありました。
 と云うわけで吉岡佳世の家には荷物を届ける拙生と、同じ女子の誼で島田が立ち寄ることとして、他の三人は後日見舞いに行くと云うことになったのでありました。島田はすでにブルマーの上にジャージのズボンを穿いているので、そのまま自分のバッグを肩に掛けると拙生等と一緒に教室を出るのでありました。
「そいじゃあ井渕と島田、宜しく頼むな。他の者は今日は遠慮しとけよ」
 別れ際に坂下先生から靴脱ぎ場の辺りでそう念を押されて我々は校舎を後にし、ロックバンドの演奏が佳境を迎えている気配の運動場を尻目に、五人打ち揃って校門を出るのでありました。島田はその演奏の音量に多少後ろ髪を引かれるようで、其方に我々よりも少し長く目を向けながら歩くのでありました。
「おい島田、田代の演奏ばしっかり最後まで堪能出来んで、残念やったねえ」
 安田はそんなことを云って口元に薄ら笑いを浮かべながら島田を揶揄します。
「やぐらし! 田代君の演奏よりクラスメートの佳世のことの方が大事に決まっとるやろう。安田の馬鹿ちんじゃあるまいし、あたしはそんぐらいのことはちゃんと弁えとると。なんばつまらんいちゃもんばつけるとかね、このぼんくら兄さんは」
(続)
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枯葉の髪飾りⅩLⅨ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「ああ、そうや・・・」
 島田の凛然とした正論に安田はなんとなくたじろぐ様子でありました。どう見ても島田の方が安田よりも一枚上手のようであります。
「吉岡がそがん病気やったとは、オイは今までちっとも知らんやったね」
 珍しく大和田の声がするのでありました。それは拙生と島田と安田より少し遅れて、隅田と並んでバス停までの道を歩きながら話をする彼の声でありました。なんとなく拙生はその大和田の話し声に耳を引っ張られるのでありました。
「元々が、他人になんか興味ば示さんけんがくさ、お前は」
 これは隅田の声です。大和田はそれを褒め言葉とでも思ったのか、得意げに続けます。
「確かに興味はなかけどね、そがんとには。ばってん吉岡が学校ば休みがちやったのは少し妙とは、ちらっと思うたこともありはしたけどな」
「ほう、お前もそがんことが気になることもあるとか」
「まあ殆ど、どうでもよかことではあるけど」
 拙生としては聞く気はないのですが漏れて聞こえてくる、隅田と小声で話をする大和田のその声色が妙に気に障るのでありました。拙生が大和田の声に気を取られている間、拙生を残して前の方に出た安田と島田が、なにやら言い争ってでもいるのかも知れませんが、しかし飽かず熱心に言葉を投げ交わしながら二人並んで歩いているのでありました。
「しかし井渕が吉岡とつきおうとるて云うとも、今日初めて知ったぞ」
 また大和田の声が聞こえだします。
「もうクラスでは有名な話ぞ、それは」
 隅田がそう云うのを聞きつつ、拙生はやはり拙生と吉岡佳世の仲はクラス中に知れ渡っていたのであったかと、そう改めて確認するのでありました。それはそうかも知れません。進んで公然化もしない代わりに敢えてひた隠しに隠す工作も気遣いも、別にしてはいなかったのでありますから。坂下先生にも知れていたわけですし。
「しかしまあ、井渕も大変やねえ」
 大和田が声は潜めてはいるものの頓狂な口調で云います。「吉岡が、そがん重か病気て云うとも気の滅入る話ぞ。元々知った上で、井渕はつきあい初めたとやろうか?」
「さあ、知らん」
 隅田の、大和田の声が前を歩く拙生に聞こえはせぬかと気を揉んでいる様子が、その彼の短い返答から窺えるのであります。
「なんか井渕は、とんだ欠陥品ば掴んでしもうたことになるかね」
 その大和田の言葉に拙生の頭髪がいきなり逆立つのでありました。急激に沸点を越えた拙生の怒気は前に運ぶ拙生の足の動きを止めます。大和田の方へ振り向いた拙生は彼の前まで数歩戻ると同時に、肩に掛けていたバッグを下に落とすと、後ろに腕を引く動作ももどかしく、その顔面に向かって渾身の力と速さで拳を突き出したのでありました。
 手首に不快な重さを感じるのでありました。中指の付け根に鋭い痛みが瞬間走ります。大和田が両手で顔を押えて後ろに仰け反る様子が、拙生の目の端に見えるのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りL [枯葉の髪飾り 2 創作]

 仰向けに倒れた大和田に追い打ちをかけるように、彼が肩に下げていたバッグがその顔を覆った両手の上にどさりと落ちるのでありました。両手はそのままに、大和田は横向きに体を転がして蹲るように両足を縮めます。
 突然の出来事に隅田が身動き出来ない様子で、顔を引き攣らせて拙生を見ています。拙生はその隅田の顔を睨むのでありましたが、しかし隅田に対しては何の害意も持ちあわせてはいないのでありました。
 ふいに拙生は後ろから乱暴に羽交い絞めにされます。それは後方の異変に気づいて安田が飛んで来て拙生をそうしたのでありました。
「やめろ、井渕!」
 安田が拙生の耳元で叫びます。「どうしたとか、急に?」
 その安田の声に隅田が動転した気を立て直したようで、倒れている大和田を助け起こそうとします。大和田はすぐには起きることが出来ない様子でありました。しかし隅田がなんとか立ち上がらせて、数言興奮した声で話しかけると、大和田は片手は口元を覆ったままもう片方の手でバッグを拾いあげ、怯えたような横目で拙生を見るのでありました。夜目にも判る、口元を覆う手の指の間から滴る血は恐らく口からの血ではなくて鼻血だろうと、そんなどっちでも構わないようなことを拙生は混乱した頭で考えるのでありました。大和田は倒れる時足を痛めたのか、片方の足を引き摺るように動かしながら、隅田の指示で我々から逃げるようにバス停の方へ向って去るのでありました。
「どがんしたとか、井渕?」
 隅田が落ち着きを取り戻した声で安田と同じことを云うのでありました。
「欠陥品、て聞こえたけんがね」
 拙生もやや冷静になっていてそう説明するのでありました。
「ああ、そうか」
 隅田が拙生の気持ちを察するように何度か頷きます。「大和田はああ云うヤツけんが、別に悪意で云うたとじゃなかやろう。ただ無神経で口の利き方ば知らんだけぞ」
「悪意か無神経かは、お前にも判らんやろうもん。それに実際どっちでもよか、それは。どっちにしてもあの言葉は許せん」
「まあ、そうかも知れんばってん・・・」
「安田、もうその手ば離せ。何もせんから」
 拙生はまだ拙生を羽交い絞めにしている安田に云うのでありました。安田が恐る恐るその手の力を緩めるのでありました。
 吉岡佳世が欠陥品のわけがないと拙生は疼く中指を見ながら思うのでありました。吉岡佳世を侮蔑するいかなる言葉も拙生は許しませんし、吉岡佳世はむしろ拙生にとっては完璧な人間以外ではないのだと、拙生は頭の中で何度も繰り返すのでありました。しかしそう何度も繰り返さなければならないと云うことが、実は拙生の中にも彼女のことを、認めたくはないのですが、恰も不備な存在と思いなす機微が潜んでいたのかも知れません。だから大和田の言葉にあんなに過敏に反応してしまったのでありましょう。
(続)
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枯葉の髪飾りLⅠ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 島田が此方へやって来ます。
「あんた達、なんばしよるとね」
 その彼女の言葉は拙生だけではなく、拙生の蛮行を止めに入った隅田と安田もひっくるめて非難するような口調でありました。
「済まん、島田、驚かせてしもうて」
 拙生はそう云って島田を見るのでありました。
「いきなり殴りつけたとね、大和田君ば?」
「うん。つい、かっとしてね」
「ま、大和田の方に非があるとばってんがね」
 隅田が拙生に対する島田の詰責の視線を少し和らげようとしてくれます。
「そいでも、いきなり殴るのは酷かとやなか?」
「ああ、判っとる。オイが悪かったと」
 拙生は項垂れて自分の足下に視線を落とします。耐えがたい疲労感が拙生の全身に隈なく充満しているのでありました。大和田の残していった「欠陥品」と云う言葉がこの時にはもう、大和田を殴りつけた根拠としてではなく、拙生自身を責めるための言葉に変容していたのであります。夕闇と重苦しい沈黙の中で、四人は暫く黙ったまま立ち尽くすのでありました。
「兎に角、早う佳世の家に行かんと、遅うなるし」
 島田がそう云うのを切っ掛けに、四人はまたバス停までの道を歩き出すのでありました。誰も一言も言葉を発しないのでありました。そう云う気まずい雰囲気を招来させてしまった責は総て拙生にあるのであります。
「皆、悪かったな。不愉快な気分にさせてしもうて」
 だから拙生は取り敢えずそう謝るのでありました。なんとかこの重く泥んだ沈黙を破って、誰かが拙生の言葉に応答してくれるのを願ってのことでありました。
「しかし大和田には呆れるぞ」
 隅田が云うのでありました。「井渕の気持ちはよう判る。オイが井渕やったとしても、やっぱい殴ったかも知れん、大和田ば」
「大和田が欠陥品て云うたとか、吉岡のことば?」
 安田がそう訊きます。安田は先ず拙生に質そうとしたのですがすぐに躊躇って、隅田の方に視線を移しながら語尾を収めるのでありました。
「うん。無神経けんがね、大和田は」
 隅田が応えます。「オイとの話の中で云うたとやけど、まさか井渕に聞こえるとは思わんやったとやろう。しかしオイもムカっとしたぞ、聞いた瞬間」
「配慮とか、なあんもせんヤツけんね。大和田も相当馬鹿ちんばい。島田の馬鹿ちんは罪のなか馬鹿ちんやけど、大和田のは始末の悪か」
「なんであたしが、此処で出てると」
 島田が口を尖らせて、安田に引きあいに出されたことを抗議するのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りLⅡ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「いや、馬鹿ちんにも色々あるて云うことくさ」
 安田が島田の方を見ないで、薄ら笑いを頬に浮かべて云います。
「冗談じゃなか。第一あたしは馬鹿ちんじゃなかけんね。自分のことは棚に上げて、単純で能天気で鈍感で、そいに早とちりで口足らずで、見るからに軽薄そうでお調子者の安田の馬鹿ちんに、そがんこと云われとうはなか。」
「随分とまあ並べてくれたけど、そう云うオイの馬鹿ちんも罪のなか部類ぞ」
「そうでもなか。安田の馬鹿ちんの言葉はいちいち気に障るけん、少なくともあたしに対しては、罪はあるとけんね。根拠も洞察力もなかくせして、なんば都合のよかことばっかい云いよっとかね、この大馬鹿ちんは」
「お前等、馬鹿ちん同士で、なんの云いあいばしよるとか」
 隅田が島田と安田の攻防に割って入るのでありました。
「あたしは馬鹿ちんじゃなかと」
 島田が隅田に食って掛かります。
「まあまあ、そがんプンプンするな」
 隅田は両手を前に出して島田を押し返すような仕草をします。
「安田の馬鹿ちんと、あたしば一緒にせんでもらいたかよね」
「オイも島田の馬鹿ちんとは、一緒にされとうはなか」
 安田も云うのでありました。
「お、馬鹿ちん同士、ここは意見の一致しとる。馬鹿ちんの共同戦線でオイば攻めるな」
「まったく、失礼かヤツの多かね、ウチのクラスの男共は。あたしは安田の馬鹿ちんなんか徹底的に軽蔑しとるとけんね。それを共同戦線とか云われるだけで腹の立つ」
「オイから云わせれば、馬鹿ちん同士、実はそれ程仲の悪かわけじゃなかて思えるとけど」
「まあだそがんことば云うかね。あたしは馬鹿ちんじゃなかて云いよるやろう。安田の正真正銘の馬鹿ちんと一緒に並べんでもらえる」
 島田は大層な剣幕で云いつのります。
「オイも島田と一緒くたにされると、プライドの傷つくぞ」
 安田が云います。島田はその安田に向かって歯を剥き出して、まるで虎かライオンが敵を威嚇するような表情をして見せるのでありました。
 この、妙ちきりんな方向へ会話が進んだことよって、バス停に向かって歩を進める我々の頭から、大和田の影や拙生の蛮行の痕跡はなんとなく掃われてまっているのでありました。巧まずして、いやひょっとしたら安田が巧んでそれに隅田と島田が敏感に乗って、三人で重苦しい雰囲気を払底しようとしてくれたのかも知れません。重苦しさを招来させてしまった当事者の拙生は、この三人に申しわけない気持ちで一杯になるのでありました。
 しかし拙生だけは秘かにまだ胃の底に鉛が張りついているような気分でありました。大和田の残していった「欠陥品」と云う言葉が、どうしても拙生の頭から離れてはくれないのでありました。今頃になって拙生は懲りもぜず、こんな言葉を吐いた大和田を自衛の意味でも、もっと苛烈に殴っておくべきだったかなと妙な後悔をしているのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りLⅢ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 玄関に現れた拙生と島田を吉岡佳世と彼女のお母さんは恐縮そうに迎え入れ、吉岡佳世が拙生から自分のバッグを受け取り、遅い時間に態々寄ってくれて有難うとか、余計な手間をかけて申しわけなかったとか、二人交互に我々に恐縮の意を何度も伝えるのでありました。拙生と島田は玄関先で吉岡佳世の荷物だけ置いて、容態を聞いたらすぐに帰るつもりであったのですが、お茶だけでも飲んでからと云う吉岡佳世のお母さんの勧めに甘えて家に上がりこむのでありました。
 居間のテーブルの上にはノートと参考書が広げてあります。
「大事ばとって寝とるてばっかい思うとったとに、勉強なんかしとったとね佳世は?」
 居間に通されると島田は入口の引き戸の傍らに座りながら云うのでありました。拙生は島田がそこに座ったものだから、なんとなく自分だけテーブルの前まで行って座るわけにもいかず、島田の横に畏まって正座するのでありました。
「もうなんともなかもん、体の方は。テレビも今の時間面白か番組もやっとらんし、なんとなく気が向いたから勉強しとったと」
「へえ、偉かねえ」
 島田が云います。
「受験生けんが寸暇を惜しんで勉強するとは、当たり前のことくさ、ねえ」
 拙生は吉岡佳世の代弁をするのでありました。
「そがん皆みたいに、時間を惜しんで勉強に精ば出してるんじゃなかとよ、実際は。第一あたしは、学校の普通の勉強も遅れとるとやから。まあ、真似ごとみたいな感じ、あたしの受験勉強は」
「卒業も危なかとやしね、この子は」
 吉岡佳世のお母さんが客用の湯飲み茶碗を台所から持って来て、それをテーブルに置きながら云うのでありました。「ほら、そがん隅っこに座っとらんで、テーブルの方に来て座って。佳世、テーブルの上ば片づけんね」
 吉岡佳世はお母さんにそう云われて、ああそうだと云う表情をして急いで広げていた参考書とノートと筆箱を重ねて、テーブルの下に隠すように仕舞うのでありました。最初に拙生がこの家に来た時彼女のお兄さんが座っていた席に吉岡佳世がついて、拙生はこの前と同じ所に、拙生の隣りのこの前吉岡佳世が居た席に島田が座ります。
「あんた達、晩御飯はまあだ食べとらんとやろう?」
 吉岡佳世のお母さんが、急須から四つの湯飲み茶碗に順番に少量ずつ何度も茶を注ぎ入れながら聞くのでありました。
「ええ、まだ学校の帰りですけんが」
 拙生が応えます。
「よかったらウチで食べて行かんね?」
「いやあ、それじゃあ申しわけなかけん遠慮しときますです」
 拙生は島田と顔を見あわせてからそう断るのでありました。「バッグば届ける序でに佳世さんの様子ば、もうちっとよう見ようて思うて上がりこんだだけですけんが」
(続)
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枯葉の髪飾りLⅣ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「家の方にも、夕食は要らんとか連絡もしとらんし。第一急で、そがん、あたし達のご飯の用意までしとらっさんとでしょうから」
 島田が拙生の言葉につけ足します。
「ウチは大丈夫とよ。ご飯はいっぱい炊いとるとけんが」
 吉岡佳世のお母さんは尚も勧めてくれるのですが、しかしここは遠慮しとこうと拙生と島田は丁重にそのお母さんの申し出を断るのでありました。吉岡佳世は面白そうにお母さんと拙生等のやり取りを見ているのでありました。
「どうせ、お父さんの帰って来らしたら用意せんといかんのやから、別に大丈夫とやけどねえ」
「お母さん、そがん無理強いしたらだめよ。」
 吉岡佳世がお母さんを諌めます。
「別に、無理強いしとるわけじゃなかとけどさ」
 吉岡佳世のお母さんはそう云いつつ、残念そうではありましたが取敢えずお茶の接待だけでなんとか引き下がってくれそうでありました。
「どがん、体は。もう本当に変な調子じゃなかと?」
 島田が吉岡佳世にそう聞きます。
「うん、大丈夫。もう全然なんともないの。前にも時々こんなことのあったし、ちょっと休めば、すぐに快復すると」
 吉岡佳世がニコニコしながらそう云って何度か頷いて見せます。
「テントの中で見かけた時は、びっくりしたよあたし。顔色の真っ蒼しとったけん」
「うん。あん時が一番辛かったて云えばそうかな」
「今思えばその前から、なんか調子の悪そうやったもんね」
 拙生は図書館のベンチで彼女と並んで腰掛けていた時の光景を思い出しながら、そう云うのでありました。「やたら水筒のお茶ばっかい飲みよったし」
「うん、なんか変に喉の渇いとったの、あの時は」
「あん時にオイがちゃんと察してやればよかったとぞね、今思うと」
「ううん、井渕君のせいじゃなかし」
 拙生は面目なさになんとなく項垂れるのでありましたが、すぐに顔を上げてあっと声をあげるのでありました。
「なん、どうしたと?」
 吉岡佳世が驚いてそう聞きます。隣の島田も拙生の顔を覗きこみます。
「いや、水筒。テントに置きっぱなしにしとったとじゃなかか?」
「ああ、そう云えば、椅子に掛けたままやったかも知れん」
 吉岡佳世が云います。
「島田は知らんやろう?」
 拙生は島田の方に顔を向けます。
「うん、知らん。水筒のことなんか思いもせんやった」
(続)
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枯葉の髪飾りLⅤ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 吉岡佳世の持っていたその赤い蓋と、同じ色の肩紐のついた水筒は彼女の顔立ちの華やかさに比べていかにも幼げで、拙生はその対比をとても気に入っていたのでありました。この儘あの水筒が彼女の傍からなくなってしまうのは、拙生としては如何にも惜しい気がするのでありました。
「明日探して、絶対見つけて持って来るけん、オイが」
「でも、テントば片づける時に取り紛れてしまって、もう見つからんかも知れんよ」
 吉岡佳世が云うのでありました。
「いや、テントとかの解体は明日の撤収の時するはずけん、まだ中に在るて思うぞ」
「誰かの忘れ物て思うて、学校に保管してあるかも知れんし」
 島田が云います。
「うん。兎に角オイが絶対探し出して持って来る」
「井渕君、やけにその水筒に拘るね。なんかその水筒に謂れでもあると?」
 島田がそう聞きます。
「いや、別に謂れなんかなあんもなか。今日初めて見たとやもん」
「思い出の品かなんかて感じのするね、まるで。そいで必死に探そうとしとるみたいな」
「いや、そがんとやなか。ばってんなんかこのまま、あの水筒のなくなってしまうぎんた、まあ、なんて云うたらよかとか、その、吉岡の、なんとなく可哀相かごたる気のするけん」
「ふうん、そうね」
 島田は拙生の説明に納得がいかない風に云うのでありました。しかし考えてみれば拙生自身が、その水筒がそんなに吉岡佳世にとって大事なものであるのかどうか、よくは知らないのでありました。なんとなくもやもやと、しかし強く、その水筒の喪失に切なさを感じる拙生の気持が、拙生自身にもうまく説明がつかないのであります。単に吉岡佳世とその水筒の取りあわせが、拙生の目に好ましく映ると云うことだけでもないし。まあ、それも確かにありはするのですが、しかしそれが唯一の理由でもないようで。・・・
「有難う、井渕君」
 吉岡佳世がそう云ってくれたもので、拙生はどうしたものか不意に感動のようなものを覚えて嬉しくなって、彼女の言葉に意を強くするのでありました。
「まあ、出てこんやったとしても、気にせんでよかとよ、井渕君」
 吉岡佳世のお母さんが笑いながら云います。
「いや、絶対見つけてきます」
 拙生はお母さんにそう返しながら、こんなにきっぱり宣言するのもお母さんには妙に映るかしらんと考えて、なんとなくその自分の口調の強さを打ち消すようににんまりと笑うのでありました。
「さてと、そろそろお暇せんと」
 島田がほんのちょっと会話が途切れた後に云うのでありました。
「あらあ、お茶しか出さんで」
 吉岡佳世のお母さんがさも恐縮そうに島田の言葉を引き取るのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りLⅥ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 吉岡佳世とお母さんはまた二人で玄関まで我々を送りに来てくれるのでありました。
「今日は本当に済まんかったね、お陰で助かったよ。有難う」
 吉岡佳世のお母さんが靴を履いている拙生と島田に云うのでありました。その時玄関の呼び出しのチャイムが鳴ってすぐに扉が外から開かれます。靴を履き終えた拙生と島田が振り返るとスーツにネクタイ姿の初老の男の人が立っています。男の人はまさに玄関を入ろうとして、我々の姿に驚いたように運ぼうとした一歩を止めるのでありました。
「ああ、お父さん」
 吉岡佳世がその男の人に声をかけます。「お帰り。学校の友達で井渕君と島田さん」
 彼女は彼女のお父さんの目の前に居る二人がクラスメートであることを告げます。拙生と島田は同時に頭を下げるのでありました。
「ああ、どうも」
 吉岡佳世のお父さんがそう云って我々に笑いかけます。
「ほら、電話で話したやろうが、佳世が学校から病院に連れて行ってもらったて。その時学校から一緒について来て貰うた井渕君と、それから佳世が具合の悪うなったとば、真っ先に先生に知らせてくれた島田さん」
 吉岡佳世のお母さんが続けます。「佳世が学校に残してきた荷物ば届けてくれたと」
「ああ、それは態々済まんかったねえ」
 吉岡佳世のお父さんはそう云って我々に頭を下げるのでありました。お父さんは拙生をその大きな眼で見るのでありました。拙生は思わず緊張してもう一度頭を下げます。
「初めまして、井渕です」
 拙生の後を追ってすぐに島田も自分の名を名乗ります。お母さんの紹介は適切ではなくて、お母さんの云い方では拙生がまるで坂下先生と一緒に病院につき添って行ったように聞こえるであろうけど、実際は後から勝手に行ったのだとそう補足せねばと思うのでありましたが、すぐにそんな事情説明は不要かと考え直すのでありました。
「君が井渕君か。色々佳世がお世話になっとるようで」
 吉岡佳世のお父さんはそう云いながら拙生に話しかけるのでありました。
「いえ、そんな大して」
 拙生は云います。なんとなく緊張し続けているのであります。しかしお父さんの顔の表情と口調から、拙生に対して好意的でなくはない様子がほんのり確認出来た気がしたので、秘かに小さな安堵のため息をひとまず胃の中でつくのでありました。
「もう帰るの?」
 お父さんが聞きます。
「はい。もう遅かけん」
 拙生が応えます。
「ああそう。今度またゆっくり、私が居る時に遊びにおいで。島田さんも是非また遊びに来てやってね、佳世の友達はいつでも大歓迎するから」
 吉岡佳世のお父さんの言葉に隣りで島田が頭をぴょこんと下げるのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りLⅦ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「佳世のお父さんて佐世保の人?」
 吉岡佳世の家を出てバス停まで並んで歩く拙生に島田が聞くのでありました。
「いや、確か岡山の人とか聞いた」
「へえ岡山ね。そいで言葉の佐世保弁じゃなかような感じのしたとかね」
「岡山の学校ば出てから、SSKに就職さしたとて。初めは東京の本社で勤務しとらしたとやけど、こっちの工場に転勤で来らしたとらしか」
 拙生は以前吉岡佳世や彼女のお母さんから仕入れたお父さんの情報を島田に話すのでありました。SSKとは佐世保の基幹産業たる造船を主業にする会社の通称であります。今は佐世保重工業と云うのでありますが、以前の社名を佐世保船舶工業と云ってその頭文字をとってSSKと呼びならわされている会社でありました。
「お母さんは佐世保の人のごたるけど」
「うん、こっちで結婚さしたとて」
「井渕君はお父さんに逢うとは、今日が初めてね?」
「そう、初めて顔ば見た」
「もう何回も佳世の家には遊びに行っとるとやろうに?」
「そうばってん、オイが行った時は何時でん、お父さんは仕事で出かけとらすし。日曜日とかも仕事に行かすようで、かなり忙しからしかぞ」
 拙生は今日ふいに吉岡佳世のお父さんと顔をあわせるとは思ってもみなかったのでありました。当然拙生の氏素性はお父さんの耳に入っているはずであり、吉岡佳世が拙生とつきあっていることもお父さんは承知のはずであります。拙生としてはお父さんに会うのは何故か怖いような気がしていたもので、何時か会う機会もあるだろうけれど出来れば先延ばしに伸ばしておきたいと思っていたのでありました。
 しかしまあ意外に優しい言葉なんかをかけてもらえたので拙生は安堵しましたし、少しだけ拍子抜けなどするのでありました。吉岡佳世やお母さんからお父さんも拙生と彼女のつきあいに好意的であるとは聞いていたのでありますが、顔を向きあわせるまでは判ったものではなかったのであります。お父さんと逢う機会があれば油断なく対しようと覚悟していたのでありましたが、不意に逢ってみれば何程のことはなく、これが吉岡佳世の家に行ったその日の最大の収穫のように思えてくるのでありました。
 島田とバスに乗りこんで拙生の家の最寄りの停留所に着くと、じゃあなあと云って拙生は先にバスを降りるのでありました。島田の家はそこからまだ四つ五つ先の停留所の辺りでありました。
 家まで辿り着く間拙生は吉岡佳世の水筒のことを思い浮かべながら歩くのでありました。明日早々に登校して、まずは片づけが始まる前の運動場のテントの中を覘いてみる積りであります。恐らく屹度水筒はそこにあるのではなかろうかと期待するのであります。後ろの方のなんとなく整然とは並んでいない椅子の一つに、赤い水筒が寂しげにぶら下がっている光景が見えるようでありました。まあ、そこになかったとしても絶対見つかると云う確信があったのです。それは別に何の根拠もないことではありましたが。
(続)
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枯葉の髪飾りLⅧ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 帰宅後拙生は夕食を済ませて風呂にも入り、云い訳程度に参考書を広げて受験勉強をしてから寝床に入るのでありました。しかし何故かなかなか眠りに落ちることが出来ずに、目を閉じたまま何度も寝返りを打つのでありました。色々あった一日で結構気疲れしてはいたのでありますが、しかしこんな時は却って寝つけないもののようでありました。
 枕の中から不意に、大和田の口元に手を当てた像が拙生の頭の中に侵入してきます。大和田の口に添えた指の間から血が滴っていて、その拙生を見る目に仇敵に対する怯えたような色が宿っています。単なる想念の中だけのことなのに、拙生は大和田を逆に威嚇するように見据えるため、目を見開いてその目に対抗しようとするのでありました。勿論見開いた拙生の目には現実には闇の中にほんのり浮かぶ、天井に吊るされた蛍光灯の影しか見えないのでありました。
 大和田への怒りが次第に膨張してきて頭の中を暴れ回ります。一頻り大和田をその後も無残に殴打したり蹴ったりする場面を想像しながら、拙生はこみ上げた怒りを宥めようとします。しかし不意に大和田の目に宿った色が実は恐怖のためではなくて、拙生を憫笑する色だと気づくのであります。吉岡佳世を「欠陥品」と云いなした彼を殴打する拙生の中にも、実は彼女をそのように見るほんのささやかな、彼女に対する侮りが潜んでいるに違いないと見抜いたための、大和田の憐みの笑いのように思えてくるのであります。拙生が固く封印していた思いを大和田が単に代弁したに過ぎないのに、なにを偉そうにそうやって自分を殴るのかとそう彼の目が訴えているのでありあます。
 全く違うと、拙生は頭の中で必死になって大和田の目に向かって叫びます。彼女は単に心臓に病を得ていると云うだけで、それが彼女の人間としての決定的な不備だとは断じて云えないはずであります。手術によってそれは充分恢復可能な、今現在の一時的な不具合でしかないのであります。それよりなにより彼女の素直さ、様々な表情の中にほの見えるその感受性の豊かさ、しかし決してその感受性に引き回されたりしない自己制御力の強さ、人への思いやり、拙生への愛情、可愛らしさ、美しい髪、長い睫毛、なにをとっても間違いなく、吉岡佳世はこの世の女性の中で最上級の完璧に近い存在であると拙生は思うであります。心臓の病があろうとなかろうと、そんなことは問題ですらないのです。
 ああ、そう云えば彼女の手術はうまくいくのかしらと、今度はそんな思念が枕から頭の中に沁みこんで来ます。充分に準備して最良のタイミングでその手術は行われるのであろうから、どだい拙生が気を揉んでも始まらないのでありましょう。しかしやはり彼女の体を切り開くと云う、不可避ではあるものの、ある種の暴力に対して彼女はちゃんと耐えられるのだろうかと云う不安は、どうしても拭い去れないのであります。幾ら彼女のためとは云え、あんな華奢な彼女の体に刃物を刺すなんて。
 それからふいに彼女が学校に置いていった赤い蓋と赤い肩紐の水筒が、頭の中に浮かんできます。そうだ、なによりも明日の第一の問題はその水筒の件だ。明日ちゃんとその水筒を拙生は見つけることが出来るのかしら。見つけられればその後の総てが上手く運び、見つけられなければそれを切っ掛けにその後の総ての出来事が良くない方向に進むのではないかしら。いやまさかそんな吉凶占いのようなものでもあるまいが。・・・
(続)
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枯葉の髪飾りLⅨ [枯葉の髪飾り 2 創作]

 吉岡佳世の水筒は拙生の予想通り記録係テントの中に残されていたのでありました。拙生は寝不足の目を擦りつつ、いつもより早めに登校して教室に入る前に運動場へ向ったのでありました。晴天で朝日が射しているにも関わらず体育祭から一夜明けた運動場は、薄い靄がかかったように総ての動きあるものから見放された静寂の中でまだ眠っているようでありました。
 テントの端の椅子の背もたれに水筒は掛かっているのでありました。それはすぐに見つけることが出来たのであります。水筒の赤い蓋と赤い肩紐がいかにも自分を見つけてくれるのを待っていたかのように、拙生の目に飛びこんできたのでありました。拙生は水筒を取り上げるとそれを肩に掛けて、安堵の吐息を一つしてにんまりと笑って教室へ向かったのでありました。
 教室に入って来て、拙生の椅子の背もたれに赤い水筒が掛かっているのを目敏く見つけた島田が、自分の席に行く前に拙生のところへやって来て声をかけるのでありました。
「ああ、水筒、もう見つけたと。何処にあったと?」
「思うた通り、テントの中にあった」
 拙生は横に立つ島田を見上げながら云うのでありました。
「そんならよかったね。大して手間もかからんで」
「案外簡単に見つかってよかったばい」
 拙生は島田に笑いかけるのでありました。
「おう、昨日はどがんやったか、吉岡の様子は?」
 島田の横に、登校してきた隅田がやって来て拙生にそう聞くのでありました。
「うん、別に寝こんでもおらんで、普通にしとったぞ、ねえ」
 拙生は同意を求めるように島田に視線を移しながら云うのでありました。島田が一度頷きます。
「今日は学校に来るとか、吉岡は?」
「いや、大事ばとって休むて云いよった。どうせ今日は体育祭の後片づけだけで、授業もなんもなかけんがね」
「ああ、そうや」
 少し遅れて安田が教室に入って来ます。安田も早速拙生の机の傍に来て隅田と同じことを拙生に聞くのでありました。拙生もまた先程隅田に話した同じことを繰り返します。
「この赤か水筒はなんか?」
 拙生の座っている椅子の背もたれに掛けられた水筒を見つけた安田が聞きます。
「ああ、こいは吉岡が昨日学校に置いていった水筒くさ」
「なあんや、昨日バッグと一緒に持って行かんやったとか?」
「後で気づいたとくさ、この水筒のことは」
「あ、ひょっとしたら今日も吉岡の家に行く口実のために、態と昨日持って行かんやったとやなかろうね、井渕は」
 安田が拙生を指さしてニヤニヤと笑うのでありました。
(続)
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枯葉の髪飾りLⅩ [枯葉の髪飾り 2 創作]

「そがんわけじゃなかし、この水筒に関係なく」
 拙生は安田に云います。「元からオイは今日も、吉岡の家に見舞いに行く積りでおった」
「ああ、そうや、ふうん」
 安田は顎を撫でながら、拙生への冷やかしが空振りしたことに拍子抜けしたような表情をしながら頷くのでありました。
 坂下先生が教室に入ってきて朝のホームルームが始まります。
「今日は昨日の片づけの終わったら、三年生は勝手に帰ってよかことになっとるけん、終業のホームルームはせんからな」
 坂下先生が生徒に云います。「だからて云うて途中で帰ってしまうなよ。ちゃんと片づけ終わったらクラス委員はオイに報告しに来い。点検してそれから解散にするけんね。そいまでは全員教室で待機しとること。櫓ば解体したら材料の竹は纏めて校門の脇に積んどけ。後で北川建設の人が取りに来らすけんね。」
 北川建設と云うのは学校の近くにある建設会社で、毎年体育祭の後に出た櫓のための竹を引き取ってくれている会社でありました。
 坂下先生はクラス名簿を開いて、その後クラス全体を見渡しながら続けます。
「今日は特に態々出席はとらんけど、休みは吉岡と大和田だけかね。他に欠席の者はおらんか? 休みの者は手ば挙げろ」
 これは坂下先生の軽口でありましょうが、二、三笑い声は上がったものの特に大受けはしないのでありました。大和田が休みと聞いて、拙生の斜め前の席に座っている安田が拙生の方を振り返るのでありました。隅田の方を窺うと隅田も横目で拙生を見ます。
「大和田はなんでも転んで怪我ばして、顔の腫れて熱のあるけん休むて今朝学校に電話のあったとばってんが」
 坂下先生はそう云いながら拙生と安田と隅田、それに島田の方に順番に目を遣るのでありました。「別に帰り際に見た時は、なんともなかったごたったばってんね」
 坂下先生は拙生等に質問しているのか、それとも独り言を云っているのか判然としない云い方をするのでありました。
「隅田、お前学校ば出た後、大和田になんかあったか知っとるか?」
 ほんのちょっと間をとって坂下先生は聞くのでありましたが、これははっきりとした隅田への質問であります。
「いや、学校ば出た後はすぐに別れたけん」
「ああ、そうか」
 坂下先生は隅田の言葉を聞いた後に拙生と安田と島田をまたもや順番に見ます。「まあ、よか。兎に角そう云うことで、全員これからすぐに片づけにかかれ。くれぐれも怪我ばせんように気をつけて作業ばせろよ」
 転んで怪我をしたと欠席理由を述べたと云うことでありますから、どうやら大和田は昨日のことを大袈裟に騒ぎ立てる積もりはないようであります。そう判断して拙生は大和田の件に関しては秘かに胸を撫でおろすのでありました。
(続)
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