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あなたのとりこ 706 [あなたのとりこ 24 創作]

 そうして恐らく、那間裕子女史にも、退職した後はもう逢う事もないでありましょう。そういう意味ではこの前の那間裕子女史の訪問も、云わばさようならの挨拶だった訳であります。そうしようと思ってした訳ではないのでありましょうが、二人共、云いように依ってはなかなかに義理堅い律義者だったと云う事も出来るでありましょうか。

   エピローグ

 愈々明日は退職すると云う日の夜に、片久那制作部長から電話がかかってくるのでありました。何時もなら電話の呼び出し音を聞いた段階で、この電話を掛けて来た主が誰であるのか大凡の見当が付いて、その勘は大体に於いて当たっていたのでありましたが、この電話が片久那制作部長からであると云うのは全く以って見当外なのでありました。
「均目君から聞いたよ」
 名乗った後で、片久那制作部長は云うのでありました。勿論、無愛想でブツブツと呟くような、やや聞き取りにくいその音声は片久那制作部長のものであると、頑治さんは名前を聞く前に既に判ってはいたのではありました。それに、均目さんから聞いた、と云うのは頑治さんが片久那制作部長の興した会社に入る気がないと云う事でありましょう。
「ああそうですか」
 頑治さんはやや済まなさそうに応えるのでありました。
「何か、会社を辞めた後にやりたい事があるのか?」
「いや、そう云う事ではないんですが」
「俺のところに来るのがそんなに嫌と云う事かな?」
「そう云う事でも、勿論ないんですけど」
 頑治さんは何とも曖昧に受け応えるだけでありました。
「はっきり云って俺としては今の仕事を、均目君よりも唐目君と一緒にやりたいと考えているんだ。唐目君の方が編集者として将来有望だと思っているし」
「いやあ、それは俺の器量を買い被り過ぎていますよ」
 頑治さんは受話器を耳に当てた儘首を横に振るのでありました。
「俺の目は節穴じゃない」
「勿論、片久那制作部長の目を節穴だと云っているんじゃ決してないですよ」
「じゃあ、均目君に対する一種の遠慮か?」
「そう云うものでもないです」
「じゃあ、俺のところに来たくない本当の理由は何なのだろう?」
 そう問い詰められると、頑治さんは大いに困るのでありました。明快な理由なんかないと云うのが、実のところでありましたから。
「会社を辞めた後、暫く旅行にでも行こうかと考えていて。・・・」
「それはまあ優雅な事だが、しかし延々と旅行を続ける訳でもあるまい」
「それはそうですが。・・・」
(続)
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