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あなたのとりこ 603 [あなたのとりこ 21 創作]

「何を頓珍漢な反省の弁なんかのたまわっているのよ。そんなんじゃなくて業績がこういう風に傾いたのは、あなたの役員としての頓馬のせいじゃないかって訊いているの。片久那さんの百分の一も役員としての自覚もないし責任も果たしていないのに、何を偉そうに一から十迄人のせいにして、そんなにのうのうとしていられるものよねえ」
「僕は僕なりに、一生懸命に取締役としての責任は果たしてきた心算だ」
「その、僕は僕なりに、と云う云い草がつまり、取締役の任務に対するインチキを、暗に認めている事になるんじゃないの。僕は僕なりにやっていればそれで済む話しじゃないでしょう、役員と云う仕事は。全く了見が幼稚と云うのか頼りないと云うのか。そんな程度でよく、常務取締役でございますなんて大きな顔してふんぞり返っていられるわね」
 那間裕子女史邪そう捲し立てて、舌打ちでこの言を締め括るのでありました。
「那間君に役員の仕事を教えて貰う必要は何もないね」
 土師尾常務は鼻を鳴らして見せるのでありましたが、那間裕子女史の剣幕に気圧されているのが、その眼鏡の奥の目玉の微動具合からありありと窺えるのでありました。
「僕な僕なりに、とか、その辺の気の利かない子供みたいな事を、何の恥じらいもなく云うものだから、その頼りなさにすっかりうんざりさせられるのよ」
「まあ、那間君、その辺で」
 社長が口を出すのでありました。しかしどことなく控え目なこの割って入り方から察すると、社長も土師尾常務の云い草に役員としての矜持とか頼り甲斐とかを全く見出す事が出来なくて、那間裕子女史の不謹慎な発言を厳しく叱責する事が出来にくかったのでありましょう。土師尾常務は社長にも愛想尽かしをされたような具合でありますか。
 社長に制止された那間裕子女史は、まあここも一応社長の顔を立てるように、口を噤むのでありました。社長まで徒に逆上させるのは得策ではないと一応弁えていると云う事でありますか。社長も土師尾常務の頓珍漢振りがここに来て判ったようでありますし。
「で、社長と土師尾常務の待遇の変更に関して、相当の流血を要求されている我々には、あくまでも内緒にすると云うお心算ですか?」
 均目さんが社長の口元を見ながら訊くのでありました。
「まあ、私としては勿論、君達に大変な事をお願いするんだから、けじめとしてそれ相応の処置をこちらとしても蒙る心算ではいるよ」
「具体的にはどんな事ですか?」
 袁満さんが身を乗り出すのでありました。
「僕の役員報酬を向う一年間半額とする心算だ」
「ほう、半額ですか。立ち入った事になりますが、それはお幾らになるんですか?」
「ええと、まあ、月額で五十万くらいになるかな」
 社長はそう云って甲斐計子女史を見るのでありました。つまり甲斐計子女史は職務上社長の報酬を知っているのでありましょうから、それを確認する心算で、或いは自分の云う数字の信憑性を甲斐計子女史に担保して貰おうと云う狙いからでありますか。思わぬところで社長に目を向けられた甲斐計子女史は狼狽を見せるのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 604 [あなたのとりこ 21 創作]

「ええと、多分そのくらいになるかしらねえ。はっきりとした数字は云えないけど」
「ほう、五十万円ですか。それでもここに居る我々従業員の、春闘で改定された月額賃金と比較して、誰も足下にも及ばないくらい遥かに多額ですよね」
 均目さんが些か白けたような云い草をするのでありまいた。「ま、役員なんだからお前等社員如きの賃金と比較されるのは片腹痛い、と云うところかも知れませんけどね」
 しかし半額で五十万と云う事は全額なら百万と云う事で、その額は幾ら零細企業とは云え、社長の報酬としては少ないのではないかと頑治さんは考えるのでありました。前に何かの話しの序に小耳にしたところに依ると、全労連の他の小規模企業の、部長クラスの給与とそれはあんまり変わらない額でありますか。
 まあ、社長は経営者と云うだけで、日常業務には殆どノータッチで、贈答社の主たる仕事を何もしていないのでありますから、それくらいで妥当と云えば云えるのかも知れませんが。その辺の社長の会社に於ける立ち位地を勘案して、この額はひょっとしたら片久那制作部長辺りが決めた数字なのかも知れないと、頑治さんはふと思うのでありました。
 社長としても片久那制作部長に妙に座った目でそう云い渡されると、おいそれと逆らえないばかりか、成程その辺りが妥当な線だと云う具合に、云い包められたと云う経緯等があったのかも知れません。それでもしかし何だか間尺に合わない、と云う不平が実は社長の心根の内にあったけれど、でもそれを云う勇気はないし。・・・
「で、常務の方はどうなんですか?」
 袁満さんが口を尖らせて訊くのでありました。
「土師尾君は実質的にこの会社の管理一切を取り仕切っている訳だから、私としては報酬をカットするのは実に忍びないところではある」
 これは土師尾常務の代わりに社長が云うのでありました。
「会社の管理一切を取り仕切っている、ですか?」
 袁満さんが大袈裟に吹き出すのでありました。「常務がそんな大した事をしている訳がないじゃないですか。片久那制作部長が居た頃は殆どの管理業務を丸投げにして、単なる営業マンとしてのみの仕事をしてきた人ですよ。それも熱心な営業マンとして働いていた訳でもなく、例えば日比さんがあくせくしてようやく契約成立の段まで運んだ仕事を、横からしゃしゃり出て来て、ちゃっかり自分の業績として横取りするような事をしたり」
「そんな卑劣な事はしていないよ、心外な。何を証拠に、そんな悪意のある、口から出任せの法螺を袁満君は吹いているんだ!」
 土師尾常務は社長の手前なのか、これはきっぱり否定するのでありました。いや社長の手前と云うよりは、ひょっとしたら土師尾常務は本気の本気で、今袁満さんの云ったような事には全く覚えがないのかも知れませんし、袁満さんに身に覚えのないとんでもない濡れ衣を着せられようとしていると、本気の本気で憤怒しているのかも知れません。
「なにをそんなに狼狽えているのかしら?」
 那間裕子女史がからかうのでありました。
「狼狽えてなんかいないよ!」
(続)
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あなたのとりこ 605 [あなたのとりこ 21 創作]

 土師尾常務はここでもムキになるのでありましたが、例によって迫力不足は否めないのでありました。実際土師尾常務と那間裕子女史では、生来の気が弱いとか強いとかもありはするのでありましょうが、諸事に対する根本的な胆の据え方がまるで違うのでありましょう。二人を対比して見ていると頑治さんにはそれが良く判るのでありました。
「若しかして心の底から自分は卑劣な事はしていないし、従業員の目を気にしなくちゃいけないような疚しい行為はしていない、なんて思っているのかしら?」
 那間裕子女史は目尻に憫笑を湛えるのでありました。
「那間君は一体何を云っているんだ!」
 土師尾常務は熱り立つのでありました。「そんな事を僕がする筈がないじゃないか」
「へえ、それじゃあ幾つか、ここで具体的な話しをしましょうか?」
 那間裕子女史の目が何やら嗜虐的な光を湛え始めるのでありました。「まあ、社長の手前それを暴露されるのが怖いものだから、全く身に覚えの無い事だと、ここで大慌てで体面を繕っているんでしょうけど、内心はおどおどして心臓がはち切れそうになっているんじゃなんないかしら。だからそうやって必死の形相になっているんでしょう?」
「人を愚弄するのも程々にしておけよ!」
「愚弄しているんじゃなくて、本当の幾つかの事実を暴露して差し上げましょうかと云っているのよ。単にあたしの印象とかじゃなくて、事実を事実として」
 那間裕子女史は自信たっぷりに土師尾常務を追い詰めて見せるのでありました。
「そんなものがあるのならはっきりと云って貰おうじゃないか」
 土師尾常務は対抗上きっぱりとそう云い放つのでありましたが、那間裕子女史に対する苦手意識を差し引いても、どこか旗色が悪そうな按配でありましたか。と云う事は、土師尾常務としても全くの寝耳に水と云うよりは、ほんの小指の先程くらいは、社員に対しても、自分自身に対しても、後ろ暗い気持ちがあると云う事でありましょうか。
「こうなったら俺も云わして貰うよ」
 袁満さんが大仰に身を乗り出してきて参戦するのでありました。「これまで遠慮していたけど、こうなったら云いたかったことをここでぶちまけさせて貰う」
「まあまあ、土師尾君も那間君も、それに袁満君もちょっと落ち着いて」
 また社長が間に入って仲裁役を務めるのでありました。「そんな事を云って対立し合っていても、何の役にも立たないじゃないか」
「ええと、確かにこのようないざこざは今日の会議には無関係な事ですけど」
 ここで均目さんがおずおずと云った感じで喋り始めるのでありました。「話しを少し前に戻しますが、つまり社長のお考えとしては、会社の管理一切を、責任者として全幅の信頼を置いて任せている土師尾常務の報酬カットとか待遇の見直しに関しては、今の儘で何も変更する気がない、と云う事でよろしいのですね?」
「まあ、そう云う事をするには忍びない、と云う気持ちがあるよ」
「実態は多分ご存知無いでしょうが、そこ迄常務を信頼されていると云う事ですね?」
「まあ、そう受け取って貰っても構わないかな」
(続)
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あなたのとりこ 606 [あなたのとりこ 21 創作]

 社長がそのように土師尾常務を庇うのは、まさか本当に土師尾常務に全幅の信頼を置いているため、と云うのではないのではないかと頑治さんは考えるのでありました。もしかして社長がいくら盆暗な目をしていたとしても、土師尾常務と云う人がそれ程信頼を置ける人かどうかは、接していれば疑わしいと少しくらいは判るでありましょう。頑治さんは今迄接してみて、社長はそれ程に頓馬ではないとは思われるのであります。
 であるとしたら、社長は土師尾常務をすっかり信用しているところを従業員に見せる事に依って、何がしかの効果を狙っていると云う事でありましょうか。しかし何の効果を狙っているのかは、今のところ頑治さんにはさっぱり判らないのでありました。土師尾常務への揺るぎない信頼は寧ろ従業員の不信感を誘発、増幅しかねないのでありますから、これはもう逆に、効果も何も狙い難いと云うものではないでありましょうか。
「社長は何を根拠としてそのように土師尾常務を信頼されているのでしょうかね?」
 均目さんが首を傾げて訊くのでありました。均目さんとしても今の頑治さんの疑問と同じ疑問を抱いたのでありましょう。
「それは今迄、土師尾君が我が社の実務のトップとして、会社を引っ張って来た実績があるためだ、と云うしかない」
 社長はしれっとそう云うのでありましたが、そのしれっとした云い様がいかにも何か屈託あり気で、何やら思惑があってそう云っているようにも見えるのでありました。
「実務のトップ、ですって?」
 那間裕子女史が哄笑するのでありました。「本気で社長がそう思っているのなら、それは頓珍漢も窮まったと云うところかしら」
 勿論この那間裕子女史の無遠慮な言葉に社長は嫌な顔をするのでありました。しかし今迄散々那間裕子女史の無礼に対する土師尾常務の逆上を宥めて来た手前、ここで自分が興奮して大声を出す訳にはいかないからか、そのような醜態を見せるのはグッと堪えるのでありました。何に依らずエエ格好しいの面目躍如というところでありますか。

 急に土師尾常務が喋り出すのでありました。
「僕は我慢するとしても、社長に対してその云い草は失礼じゃないのか、那間君」
 ここは自分を高く買ってくれている社長に対する忠義の見せどころであります。
「ちっとも我慢なんかしていなかったじゃないの」
 那間裕子女史はここでも哄笑するのでありました。「ちょっと挑発されるとすぐに頭から湯気を出して、まんまとこっちの思い通りの反応を見せていたくせに」
「社長に対して全く弁えがないと云っているんだ、僕は」
「まあまあ、ここでそんなに社長に自分を売り出さなくてもいいじゃないですか。社長も常務の忠誠心は重々笑止、いや、承知されているようですから」
 均目さんがからかい半分、いや、からかい八分の口調で云うのでありました。それに那間裕子女史と袁満さんが同調して笑い声を立てるのでありました、頑治さんと日比課長、それに甲斐計子女史は何とか漏れ出ようとする笑いを我慢するのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 607 [あなたのとりこ 21 創作]

「まあ、社長に対するあたし達の無礼をここでいきなり大声で云い立てて見せる事で、一気にこちらの態度や物腰の不手際のみを必要以上に強調して、ここから先の議論を自分達有利に持って行こうとしているのかも知れないけど、それは返って社長の、穏便に話し合いを進めていこうとしている意に反しているんじゃないかしら?」
 那間裕子女史もからかい口調で均目さんの後に続くのでありました。「尤もこれは、議論のいっぱしの策士だと、あたしが土師尾さんを買い被っているだけで、本当はそんな策略もテクニックも全くない単なる頓珍漢なのかも知れないけどね」
 ここでも袁満さんが同調の笑い声を立てるのでありました。頑治さんと日比課長、それに甲斐計子女史は、竟漏れそうになる笑いをここでも再度堪えるのでありました。
 その笑わない三人組に目を付けたのか土師尾常務が、先ずこの三人組の中の日比課長に険しい目を据えるのでありました。
「日比君も、こんな均目君や那間君や袁満君と同じ意見なのか?」
 急に自分に土師尾常務の矛先が向いたものだから、日比課長はあたふたするのでありました。それからこそこそと横目で社長の顔色を窺いもするのでありました。
「いやまあ、すんなり同調する心算ではないですが、袁満君等の云っている事も一理ありはするかなあ、とはちょっと思いますがね」
 日比課長は旗幟を鮮明にするような云い草は避けるのでありました。
「つまり僕がこの会社に何一つ貢献していない、駄目役員だとは思わないんだな?」
「駄目な役員とは全く思いませんよ、勿論。ただ、社員とのコミュニケーションが得意じゃないせいか、専横だと見られるきらいはありますかねえ」
「確かに君達の何に依らずもたもたしている仕事振りなんかは、見ていて非常に腹立たしく感じる事がある。だから竟、厳しい対応になる点は認めないでもない。僕個人としては宗教者として、未だ至らない部分があると反省するところだが」
 土師尾常務は日比課長の言に、険しい顔をした儘頷き返すのでありました。
「良く云うわ。片久那さんがそう云うのだったら納得もするけど、土師尾さんがそんな科白を吐くのは、如何にも烏滸がましいと云うものじゃないかしら」
 那間裕子女史がまたここでも哄笑するのでありました。「第一、宗教者として至らない部分がある、とか一見殊勝らしいところを醸し出そうとする肚が、全く以って卑しい性根の証明と云うものよ。土師尾さんが立派な宗教者だとここに居る誰が思っていると云うの。そんな事をのうのうと本気で考えているようなら、それは自己省察の足りないお目出度いにも程がある頓馬、と云われても仕方がないんじゃないかしら」
 この那間裕子女史の言には例に依って均目さん袁満さんが同調の笑いをするのでありましたが、日比課長もごく控え目ながらその笑いの組に加わるのでありました。
「甲斐君もそう思っているのか?」
 土師尾常務は、今度は甲斐計子女史に憮然たる顔を向けるのでありました。
「まあ、そうね」
 甲斐計子女史はやや遅れて、この笑いの組に参加するのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 608 [あなたのとりこ 21 創作]

「ああそうかね」
 あっさり甲斐計子女史に肯定されて仕舞ったので、土師尾常務は険しい眼容で甲斐計子女史を一睨みして不快感を示しながらも、次の句の接ぎ穂を失って、意ならずも何となく曖昧に語尾を収めざるを得ないのでありました。それを見て頑治さんは表面上無表情を貫きながらも、心の内で笑いの組に加わるのでありました。
「唐目君はどう思っているんだ、僕の事を」
 最後の砦、と云う訳ではないでありましょうが、土師尾常務はどこか縋るような色をその険しい眼光の中に仄見せるのでありました。
「那間さんや均目君と殆ど同じ考えです」
 頑治さんも甲斐計子女史に倣ってさっぱりといた物腰で云うのでありました。それを聞いた土師尾常務は口を尖らせて眼中の棘を一層逆立てるのでありました。日比課長は曖昧な態度ながらも、まあ、土師尾常務は完璧なる嫌われ者と云う感じでありますか。しかしこう迄従業員に良く思われていないのがはっきりした以上、返す言葉ももうないようであります。良く思えと従業員に命ずる頓馬を仕出かす訳にもいかないでありますし。
「何だか土師尾君は皆から総好かんを食らっているようだな」
 社長は隣に座っている土師尾常務の顔を向けながらしみじみ云うのでありました。
「不徳の致すところです」
 土師尾常務はしおらしそうに云うのでありましたが、勿論本気で恐縮しているわけではないのでありました。いつか必ず全員に手酷い仕返しをしてこの恥辱を雪いでやると云った怨念を、その顔から隠そうとしないのでありました。
「ところで、こう云った不毛な誹謗中傷の消耗戦を延々と繰り返していても、会議としては全く無意味だと思いますので、この辺で一旦締め括りませんか?」
 頑治さんが唐突にそう云い出すのでありました。
「それもそうだな」
 社長がその頑治さんの提案に早速同調するのでありました。社長としてももう好い加減こんな不毛な話し合いの様相に疲れたのでありましょう。
「でもこの儘終わる訳にはいきませんよ。こんな状態で終わったなら、誰も明日から仕事をする気にはなりませんよ」
 均目さんが社長を睨みながら反対するのでありました。
「でも一端時間を置いて、少し頭を冷やしてからこの後の話しを進めないと、纏まる話しも纏まらないんじゃないのかな」
 頑治さんは均目さんに向かって云うのでありました。
「頭を冷やしてみたところで、結局また今の話し合いと同じところに戻って、誹謗中傷合戦に終始して、何処かに纏まるような話しは出来ないと思うけどなあ」
「でも、もう土師尾さんの御託をくどくどと聞きたくもないから、今日の内に覚悟して行き着くところ迄議論する方が結局纏まるんじゃないかしら」
 那間裕子女史も頑治さんの言に異を唱えるのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 609 [あなたのとりこ 21 創作]

「議論、と呼べるようなものなら、そうかも知れませんが」
 頑治さんはそう云って不同意であるところを尖らせた唇で表わすのでありました。
「私も唐目君の意見に賛成です」
 日比課長が云うのでありました。先程土師尾常務に無理矢理意見開帳を迫られて、それを機に少し舌の動きが活性したのでありましょうか。
「この儘誹謗中傷合戦をしていても、得るところは何も無さそうだしねえ」
 しみじみ云う社長の額には疲労の色が浮いているのでありました。
「いや、もうこの会議で何らかの決着を付けて仕舞わないと、こうして集まった意味が無いじゃないですか。あれこれ云い合いしている中で、ようやく社長には我々が常務をどういう風に見ているのか、少しは判っていただけたようですし、その上で社長から常務の待遇をどうするのか、或る程度はっきりした回答を得なくては引くに引けませんからね」
 あくまで均目さんは議論の継続を主張するのでありました。
「そうよ、社長の土師尾さんに対する考えがちゃんと聞けないなら、あたし達のこれから先の態度も決められないわ」
 那間裕子女史もあくまでも議論継続派であります。
「うーん、困ったなあ」
 社長は腕組みして瞑目するのでありました。

 暫くして俄かに均目さんが喋り出すのでありました。社長はその声に促されるように閉じていた目を開くのでありました。
「社長は常務の待遇は絶対落としたくないのですね?」
 この問いに社長は深刻そうな顔で頷くのでありました。
「まあ、これ迄会社を引っ張ってきて貰った功績は、評価しなければならないからね」
「これ迄片久那さんにおんぶに抱っこで何一つ自分で決められなかったんだし、その所為で従業員からとことん見縊られているし、反感ばかり買っているんだから評価に値しない人だ、と云うあたし達の意見には耳を貸そうとしないんですね、社長は」
 那間裕子女史は皮肉な笑いを社長に向けるのでありました。
「まあ、君達の間での土師尾君のむやみに悪い評判は傾聴しておきますよ、一応」
「常務の評価は、一先ず置くとして」
 均目さんが那間裕子女史の顔を鬱陶しそうに見ながら先を続けるのでありました。「社長が常務の待遇はその儘にしたい以上、要はその分我々の待遇を改悪したいし、そうでなければ誰かを辞めさせたい、まあ、その両方を目論んでいるのかも知れませんが、兎も角、そう云う風に考えていると云う事で、整理させて貰って構わないですね?」
 そう訊かれて社長は無言で下唇を突きだして見せるのでありました。明快に諾とは云い辛いところなので、そう云うあやふやな所作をしたのでありましょう。
「社長は情義の方だから、はっきりはおっしゃり辛いだろうから僕が代わって云うが、本心に於いては間違いなく均目君の今云った通りのお考えだよ」
(続)
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あなたのとりこ 610 [あなたのとりこ 21 創作]

「いけしゃあしゃあと良く云えるわね、そんな事が」
 那間裕子女史が土師尾常務を睨み付けるのでありました。
「つまり社長はここに居る従業員全員の賃金やら処遇を犠牲にして、常務の待遇をその儘維持したいと云うお考えだと受け取って構わないのですね?」
 均目さんは念を押すように社長に言葉をぶつけるのでありました。
「出来る事ならそんな風にはしたくはないんだよ、私は」
 社長は弱々し気に曖昧な云い草で逃げようとするのでありました。
「でも、屹度そんな風にする心算なんでしょう?」
「まあ、土師尾君の処遇を変える心算は、ないかな」
「はい、その言葉で結構です」
 均目さんはそこで口調を変えてきっぱり云うのでありました。「あくまでも社長がそう云うお気持ちなら、自分は会社を辞めさせていただきます」
 均目さんの唐突な辞意表明にこの場に居る全員が呆気に取られるのでありました。那間裕子女史迄もが目を見開いて言葉を失くしているような風であるのは、頑治さんにしたらちょっと意外の感があるのでありました。それはこの二人は何か打ち合わせのような事をした上で、この会議に臨んでいるのではないかと秘かに考えていたからであります。
 先に那間裕子女史が頑治さんのアパートに夜中に突然泥酔して現れて、それを均目さんに迎えに来て貰ったのでありましたが、その後二人にどう云う経緯があったかは知れないながら、何となくよりを戻していて、二人結託してこの会議を土師尾常務糾弾会みたいなものにしようと企んだのではないかと頑治さんは睨んでいたのでありました。今迄の会議の流れからも、この二人の結託は得心のいく推量だと思われたのでありました。
 しかしここで均目さんの辞意表明に、那間裕子女史が寝耳に水と云った顔をして驚いているところを見ると、頑治さんの秘かな推量は外れていたと云う事でありますか。まあ、土師尾常務追及は二人で示し合わせていたとしても、均目さんの辞意表明に関しては、二人の間で予め話し合われていたところではなかったと云う事なのかも知れませんが。
「ちょっと待ってくれないか」
 ここで社長があたふたしながら口を開くのでありました。「均目君は片久那君が居なくなった後の制作部の実質的責任者と云うところなんだから、均目君に辞められるとなったら、それは業務の上で会社として大いに困る事になる」
「しかし那間さんもいる事だし、そこは屹度大丈夫でしょう」
 均目さんは無表情且つ無抑揚に云うのでありました。
「そんな云い草は如何にも無責任じゃないのか」
 土師尾常務がそんな均目さんを睨むのでありました。
「貴方にそう云われる謂れはありませんよ」
 均目さんは土師尾常務を睨み返すのでありました。常務と云う呼称から、貴方、と云う云い方に変えたのは、明らかに上役に対する敬意をここに於いて放棄する、と云う表明でありましょう。つまりこれ以後上役とは思わないと云う事であります。
(続)
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あなたのとりこ 611 [あなたのとりこ 21 創作]

「急にそんな事を云われたらあたしも困るわ」
 那間裕子女史が狼狽した風の云い草をするのでありました。「片久那さんは均目君を後継として会社を辞めたんだから、その半年も経たない内に今度は均目君が辞める事になったら、この先制作部はちゃんと遣っていけなくなるじゃないの」
「そんな事はないよ。第一那間さんは俺より先輩格なんだから、制作部の仕事内容に関しては俺なんかより余程理解しているじゃないか」
「そんな事ないわよ」
 何時もは至って気丈な那間裕子女史が弱々しく云うのでありました。
「いや、俺が居なくても那間さんが居れば間違いなく大丈夫だよ。制作部関連の請求書の整理とか支払いに関する経理作業とかはそんなに煩雑な仕事と云う訳ではないし、慣れれば那間さんなら今迄の仕事を熟した上で充分やれる作業だよ、俺でも片久那制作部長が居なくなってからそれなりにちゃんと出来ていたたくらいなんだから」
「そうじゃなくて、あたしは制作部本来の、地図とか本の編集や管理仕事以外の雑用は、さっぱりする気なんかないと云っているのよ」
「でも、本当にそれ程煩雑な雑用はないよ、実際に」
「そうでもないんじゃないの、実際は」
 何だかここに至って均目さんと那間裕子女史の間の問題になって来た按配であります。この二人の遣り取りを聞きながら社長も土師尾常務も、それに他の従業員も呆気にとられたように口を閉ざして、事の様相と成り行きを見守るしかない在り様でありますか。
 それに気付いたように均目さんが周りをゆっくり見渡すのでありました。それから土師尾常務の顔に目を据えるのでありました。
「俺としては那間さんが一通り管理仕事が熟せるようになる迄は会社に居る心算だし、別に貴方みたいな無責任から会社をすぐにでも辞めると云っている訳じゃない。引継ぎはちゃんとしてから辞める心算ですよ。それに貴方は片久那制作部長の遣っていた仕事なんか自分の器量なら簡単に熟せると、社長に日頃から嘯いているんでしょうから、俺が居なくなっても、那間さんが遣れるようになる迄貴方が代わりに遣っても構わないのだし」
 均目さんは片頬に冷笑を湛えて云うのでありました。この均目さんの言を聞いて、社長は隣に座る土師尾常務の方にゆっくりと顔を向けるのでありました。
 頑治さんはこの様子を見ながら、成程紛う事なき事実として、土師尾常務は常日頃から均目さんが今、嘯いている、と云ったような大口を社長に向かってちゃっかり、さも自分が頼りになる存在であるかのように装うために叩いているのでありましょう。まあ、本当に片久那制作部長の遣っていた仕事が出来るかどうかは疑わしいところではありますし、頼りになると社長に本当に思われているかどうかも実は大いに疑問でありますけれど。
「確かに、そうなったら土師尾君に一肌脱いで貰う事も出来るか」
 社長は土師尾常務に確認するかのようにそう云って何度か頷くのでありました。
「いや、僕は今の営業の仕事と会社全体の運営を見る事で手一杯ですよ」
 土師尾常務は慌てて云ってあたふたと何度も首を横に振るのでありました。
(続)
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