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あなたのとりこ 638 [あなたのとりこ 22 創作]

「社長と常務の悪辣さに対しては、俺と唐目君だけでは対抗出来ませんからね」
 袁満さんは挑むような笑いを社長に投げるのでありました。
「いや、全総連が絡んでくるのはいただけない」
 社長はここでもまあ、オロオロする気配を見せるのでありました。
「しかしもう、これだけ敵対的な雰囲気になってくると、我々だけでは持て余して仕舞いますよ、こういう争議の専門家の助けを借りないとね」
 袁満さんはこの全総連出馬と云う伝家の宝刀たる一言に、社長がまんまと反応したと思ってニンマリほくそ笑むのでありました。社長の狼狽する姿は今度は袁満さんの思う壺でありますか。まあ、そのたじろぎの本気度ぶりが如何程かは判らないのでありますが。案外肚を括って弁護士の手助けを頼りに正面作戦で争う心算なのかも知れません。
「そこを余人を交えずに、社内の人間で真摯に話し合おうと云うのが本義で、今日の会議もその趣旨でこうして集まった訳だし」
 社長は不本意ながら、でありましょうが袁満さんに愛想笑いを送るのでありました。
「あくまでも社内の全体会議に拘るのですね?」
「勿論そう云う気持ちだよ、私は」
「それなら自分の不条理極まりない考えに異を唱える人間に対して、すぐ怒鳴り出して話し合いを台無しにする常務に、この場から退席して貰うしかないですね」
 袁満さんは土師尾常務を睨みながら云うのでありました。この袁満さんの提案は土師尾常務にとって慎に心外であったようでありました。土師尾常務は袁満さんに負けまいと、一層の険しさを湛えた目で袁満さんを睨み返すのでありました。
「僕は話し合いを台無しになんかしてはいない!」
 土師尾常務はテーブルを一つ、そんなに激しい音は立てないながら拳で叩くのでありました。感情の赴く儘、と云うのではなく努めて控え目な叩き方であったのは、自分の感情を抑制している姿を態と演じる事に依って、出来ない我慢をギリギリ我慢してやっているのだ、と云う辺り袁満さんに見せようとする意図でありますか。
「ほら、そう云うところがダメなんですよ」
 袁満さんは対抗するためかこちらもテーブルを、土師尾常務の叩き方よりは少し大きな音が出るような技巧を凝らして、叩きながら云うのでありました。
「まあまあ二人共」
 社長は背凭れから身を乗り出して、掌を下に向けた前腕を上下に何度も振って、睨み合う袁満さんと土師尾常務を宥めに掛かるのでありました。

 社長はやや声の調子を荒げながら土師尾常務に云うのでありました。
「土師尾君も、気持ちは判るが、もう少し穏やかにやってくれないと、話しがちっとも前に進まないじゃないか。良い大人なんだから」
「判りました。気を付けます」
 土師尾常務は注意されて取り敢えず悄気て見せるのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 639 [あなたのとりこ 22 創作]

「しかし土師尾君を退席させるのは勘弁して貰いたいね。土師尾君も役員なんだから、会社の将来像に対して責任があるし」
 社長は自分一人で従業員と対峙するのは何とも困るようでありました。一対五では如何にも気が重いと云うのでありましょう。
「それでは以後話しに口を出さないと云うと云うなら、居ても構いませんけど」
 袁満さんは土師尾常務の方を見ないで云うのでありました。
「そんな訳にはいかない」
 もう早速土師尾常務が口を出すのでありました。空かさず袁満さんはげんなり顔で舌打ちをして見せるのでありました。
「何を舌打ちなんかしているんだ。不謹慎だろう」
 土師尾常務は早速袁満さんの無礼な仕草に噛み付いてくるのでありました。
「もう良いわよ!」
 ここで堪りかねたように那間裕子女史が声を荒げるのでありました。「こんなくだらない事を何時までもグダグダ云い合っていても何もならないわ」
「会社を辞めようとしている者に、ここでそんな事を云われる謂れはないよ。那間君と均目君こそ少し黙っていて貰いたいものだな。何処迄増長すれば気が済むんだ!」
「社長はここに居る全員で、向後の会社の在り方とか方向性を話し合いたいとおっしゃっていたんじゃなかったですかね?」
 均目さんが土師尾常務を無視して社長に目を釘付けて訊くのでありました。
「勿論その心算だよ、私は」
 社長は一つ大きく頷くのでありました。
「それなら辞意を表明したとしても、今現在間違いなく社員である俺や那間さんも、会社の将来に対してものを云う権利はあるんじゃないですか?」
「それはまあ、その通りだ」
 社長は先程の頷きよりは小さい頷きをして見せるのでありました。
「と云う事だから、俺や那間さんに口を開くなとは云えないんじゃないですか?」
 これは土師尾常務に向かって云うのでありました。「何ら建設的な意見も云う事が出来ないで、そのかわり話しの腰を折ったり、無関係な茶々を入れたり、子供の口喧嘩みたいな云い合いに終始したりしている人に、黙っていろと云われる謂れこそないですね」
 均目さんのこの断固とした云い草に、土師尾常務は少しばかりたじろぎを見せるのでありました。ガツンといかれると途端に思わず知らず怯んで仕舞うのは、如何にも根が小心者のこの人の常の反応と云うものでありますか。
 しかし自尊心から、その怯みを糊塗しようとやっきになって何か云い返そうとするのでありますが、逆上しているものだから咄嗟に効果的な言葉が浮かんでこないで、口をモゴモゴさせながら、例に依って眼鏡の奥の眼球を微揺動させてしまうのでありました。これですっかり、平常心を喪失して仕舞っている事を見破られて仕舞う訳であります。
「何か云う事があるなら、とことん受けて立ちますよ」
(続)
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あなたのとりこ 640 [あなたのとりこ 22 創作]

 均目さんは土師尾常務の小心を見抜いて、嵩にかかって云い募るのでありました。
「と云う事は、・・・」
 ここで社長が喋り始めるのでありました。「均目君と那間君がこの全体会議に参加して何でももの申す権利があるのだから、同じ事でどんなに会議の進行を妨げていると云っても、土師尾君も会社の一員なんだからこの会議に参加する権利があるんじゃないのかね。それなのにこの場から退席しろと云うのは、これは矛盾する云い草じゃないのかね?」
 社長は袁満さんを見ながら余裕の笑みを浮かべるのでありました。
「それは、そうですが、・・・」
 云い返す理屈に窮して今度は袁満さんがたじろぐ番でありました。
「しかし建設的な意見ならこちらも聞く気持ちもありますが、下らないいちゃもんやら挑発やら、それに全く的外れな憤慨とか自己保身のための強弁とか、そんなものばかりしか口にしない人は会議の邪魔にしかならないじゃないですか。真面目で厳粛な会議の進行を保証するためには、邪魔をする人は出て行って貰わないといけませんよね」
 均目さんがあたふたし出した袁満さんの代わりに云うのでありました。
「僕はあくまで会社の将来を思ってものを云っている心算だ」
 社長の応援を得たもので、土師尾常務はここで意を強くして、居丈高に云うのでありました。まあ、何となく従業員側の方が分が悪いような気配でありますか。
「要するに常務の云う会社の将来とは、先程整理したように、甲斐さんと日比課長以外の社員を切り捨てて、しかも残った甲斐さんと日比課長の賃金やら待遇は、春闘以前の水準に戻すと云う事で、そこから一歩も動く気がないのでしょう?」
 袁満さんがなかなか立ち直らない風情なので均目さんが続けて云うのでありました。
「社長はこちらの云い分も聞くつもりだと云って、自分は然ももの分かりのよさそうな顔をしながら、実は土師尾さんを矢面に立たせて、あたし達とちっとも噛み合わない云い合いをさせ続けて、結局一方的にそちらの云い分を四の五の云わずに呑み込ませようなんて云う、そんな狡い肚なんでしょう。そんな陳腐な策謀なんか疾うに知れているわよ」
 那間裕子女史も均目さんに加勢するのでありました。この二人の仲がどうなっているのかは知れないながら、立場の上に於いてこの共闘は納得出来るものでありますか。
「そんな事はないよ。僕はあくまで双方で納得出来る解決策を模索する心算だ」
 社長はこの上も無く謹慎そうな顔で云うのでありました。狐と云うのか狸と云うのか、ネコ被りと云うのか、社長もなかなか食えない御仁であります。
「寧ろ、賃金や待遇面では一歩も譲らないとか、誰一人会社を辞めさせないとか、駄々っ子みたいにつべこべ自分達の一方的な云い分で騒ぎ立てて、少しも歩み寄ろうとしないのは君達の方じゃないのか。僕にありもしない罪を着せて、あれこれ詰って話し合いを妨害する前に、君達こそ自分達の度し難い頑なさを反省するべきじゃないのか」
 社長が土師尾常務をこの話し合いから排除する事の不当を、それなりの筋の通った理屈で指摘した言に依って、形勢が少しばかり自分達に有利になったと云う感触を得て、ここは攻め時と土師尾常務は調子に乗ってこう云い募るのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 641 [あなたのとりこ 22 創作]

「もうこうなったら、労働争議しかありませんね」
 袁満さんは土師尾常務に天敵を見るような目を向けるのでありました。「全総連に事情を話して、従業員側に酌むべきところがあって、社長や土師尾常務の考えが非道であると判断されたなったら、もうこちらとしては徹底抗戦するしかありません」
「徹底抗戦と云うのは、つまりどう云う事なんだね?」
 社長がほんの少し不安になってたじろぎを見せるのでありました。
「それはこれからの事ですから、今こちらの手の内を明かすことはしませんよ」
 袁満さんは社長のこの不安に付け込むように云うのでありました。
「まあ、一般的には都労委に持ち込んで贈答社の争議を公然化するだとか、全総連の争議専門の委員会に依頼して、我々の要求が貫徹される迄色んな手段で世間に訴えるだとか、ひょっとしたら全総連とつながりのある政党に出て来て貰うとか、全総連には出来得るあらゆる支援をして貰います。全総連は先ず間違いなく我々のために動いてくれます」
 均目さんが続くのでありますが、これも特に確証はないながらの脅し文句と云うものでありますか。ひょっとしたら問題を持ち込んでみても全総連は鈍い反応しか示してくれないかも知れませんし、もっと穏健な調停を勧められるかも知れませんし。
 それに第一、均目さんは全総連のバックに控えている政党が嫌いなんじゃなかったでしたっけ。その嫌いな政党の全面支援を、いくら社長を怯えさせるためとは云え、ここで如何にも頼みになる後ろ盾たるものとして仄めかすと云うのは、何やら調子の良いご都合主義と云うものではないかと頑治さんは思うのでありました。
「若し争議と云う事になれば当事者の一方である社長や土師尾さんの名前が世間に出て、あっという間に広まる事になるわね。一躍有名人になれますよ、この界隈では」
 那間裕子女史も冗談口調ながら一種の恫喝をしかけるのでありました。事もあろうに労働者を虐げる悪辣な当事者として世間に名を広めて仕舞うのは、社長や土師尾常務にしたら何とも痛恨事であろうと云う目論見からでありますか。
 特に土師尾常務は人に慈悲を説く宗教者の端くれとして、これは慎に恥ずべき一大事でありましょうし、一気に面目丸つぶれどころか、宗教者としての顔を向後永遠に喪失して仕舞うかも知れないのであります。まあ少なくとも土師尾常務が、何に付けても相当の小心者であるなら、そう云う風に大袈裟に考えて屹度取り乱すでありましょう。
 しかし見たところ、那間裕子女史が読んだ程土師尾常務はおろおろしてはいないのでありました。どちらかと云うと全然そう云うところに無頓着そうな顔をしているのでありますが、これはどうやら大胆者だからと云う訳ではなく、恐らく鈍感さから、事の重大さを推し量れないでぼんやりしているのでありましょうか。那間裕子女史としては当初の恫喝の効果が上手く上げられなかったようで、がっかりと云うところでありますか。
「君達は私を脅している心算かね?」
 社長の方は均目さんと那間裕子女史の脅しが少しは利いているらしく、眉間に皺を寄せて苦ったような顔をして見せるのでありました。
「いや、そんな心算は毛程もないですよ」
(続)
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あなたのとりこ 642 [あなたのとりこ 22 創作]

 均目さんがしれっと云うのでありました。これくらい応えたところを見せてくれないと恫喝した張り合いがないと云うものでありますか。
「若し事が大袈裟になるようなら、私としても弁護士と対策を練る必要がある」
 ここは恐らく、社長としても対抗上、弁護士、と云う存在を出して、この職能人の頼りになるべき助っ人効果を狙って云ったのでありましょう。
「弁護士なら全総連にもいますよ」
 袁満さんが意にも介さないと云った余裕の語調で云い返すのでありました。「しかも労働問題専門の手練れの弁護士ですし、バックには怖い政党も付いているし」
「ほう、そう云うのなら法的な推移になる事も厭わないのだね?」
「そうなったら思う壺ですよ。こちらとしても存分に戦えます」
 袁満さんは売り言葉に買い言葉でそう見栄を切るのでありましたが、これは虚勢でありましょう。本音としては、そんな大それた面倒臭い事態になるのは袁満さんとしてはまっぴらご免な筈であります。袁満さんはその名前の通り、万事に付け角のない円満なるところを好む御仁であり、闘争的な境地とは凡そ縁遠い人物でありますから。
「本気で社長や僕と戦う覚悟があるんだな、袁満君は?」
 土師尾常務も袁満さんの人柄は承知しているので、見縊るような薄ら笑いを頬に湛えて挑発するように念押しするのでありました。
「こうなったら仕方ありませんからね」
 袁満さんもここに及んだからには、引くに引けないのでありました。
 土師尾常務はそんな袁満さんの何時にない強情とむやみな棄て身を見て、怯んで少々持て余すように眼鏡の奥の眼球を微揺動させるのでありました。
 袁満さんがここで急に立ち上がるのでありました。この袁満さんの唐突な行動に土師尾常務は何を思ったか急いでソファーの背凭れに身を引いて、防御のためか両前腕を顔の前に盾のように翳すのでありました。内心袁満さんの初めて見せる開き直りに恐々としていたために、この小心者は体面も気にせず殴られると勘違いしたのでありましょう。
「ぼ、暴力は止してくれ!」
 声の裏返った土師尾常務のこの怯えの言葉を聞いて、袁満さんのほうがキョトンとするのでありました。その後に、この頓珍漢な反応に憫笑を返すのでありました。
「そんなんじゃありませんよ」
 袁満さんは呆れたように、且つ勝ち誇ったように云うのでありました。「もう話し合いはこれで打ち切りましょう」
 袁満さんは土師尾常務から目を離して社長の方を見るのでありました。
「未だ話しは済んでいないじゃないか」
「これ以上、何を話す事があるのですか?」
「ここで打ち切ると云う事は、もう決定的に決裂すると云う事だよ」
 社長はこの期に及んで未だ話し合いに拘るのでありました。
「決裂で結構です。あとは全総連と協議して今後の対応を取ります」
(続)
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あなたのとりこ 643 [あなたのとりこ 22 創作]

 袁満さんはきっぱりと云うのでありました。そのきっぱりさに引き摺られるように頑治さんも立ち上がるのでありました。均目さんも那間裕子女史も続いて立ち上がるのでありましたが、甲斐計子女史は少しの間逡巡するような素振りを見せるのでありました。
 しかし甲斐計子女史は、それでも自分は一応組合員であると云う自覚と義理からか、どこか躊躇いがちで弱々しく膝をゆるゆると伸ばして腰を上げるのでありました。何やらその風情と云うものは痛々しそうですらあるのでありました。それを見て頑治さんは、この期に於いて自分達に同調を求めるのはどこか酷なような気がするのでありました。

 全体会議を切上げた後、組合員はお茶の水通り沿いの全総連の入っている古びたビルを通り越して、御茶ノ水駅近くのマンモス喫茶店ウィーンに向かうのでありました。全総連に直行するのではなく、その前に喫茶店で打ち合わせを持つと云う事は、実は全総連に事の次第を報告して、愈々会社に対して敵対的な労働争議を大袈裟に開始する確然たる覚悟がなかなか固められなくて、どこか未だ及び腰であったためでありますか。
 席に着いてから袁満さんが均目さんに確認するのでありました。
「均目君は会社を辞める決心は変わらないのかな?」
「勿論その心算です」
 均目さんは袁満さんを見ないで俯きがちに頷くのでありました。
「那間さんも、同じかな?」
 袁満さんは、今度は那間裕子女史に視線を向けるのでありました。
「あたしも辞める心算よ。だって会社の中に居る場所がなくなる訳だから」
「でも営業社員としてなら残って貰っても良いと云う事だったけど?」
「営業として残る気は、更々ないわ」
「均目君もそうかな?」
 袁満さんはまた均目さんの方に目を移すのでありました。
「俺もまっぴらですよ、社長や土師尾常務にああ迄云われて残るのは」
 均目さんは、今度は袁満さんの目をしっかり見ながら応えるのでありました。
「ああそうか。まあ、そうだよなあ」
 袁満さんはがっかりしたような風情で二人の意を改めて呑み込むのでありました。
「しかし徹底抗戦と云う事になったら、その闘争の間は辞めませんよ」
 均目さんは袁満さんの落胆を慮ってそう云うのでありました。
「あたしも闘争がひどく長引かないのなら、残っても構わないわよ」
 那間裕子女史も一つ頷いて見せるのでありました。
「しかし法廷闘争まで行くとしたら、かなり長引くんじゃないかな」
 袁満さんは顰め面で首を傾げるのでありました。
「あんまり長引くと生活ができなくなるし、それは困るわ」
「しかし例えば争議団体にはカンパやら全総連からの助成やら、それに全総連の各組合を相手に物品販売やら、色々と生活支援の手立てはあるみたいだけど」
(続)
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あなたのとりこ 644 [あなたのとりこ 22 創作]

「でもそんな急場凌ぎみたいな事にずっと関わっていくのは、ちょっとね。将来像がちっとも描けないものね、それじゃあ」
「那間さんはこれから先、雑誌編集者として遣っていきたいと云う志望があるからね」
 袁満さんは暗い顔で納得の頷きを返すのでありました。
「別に絶対雑誌の編集者と云うのではないけど、まあ、本とか雑誌とか何でも良いけど、兎に角編集者として遣っていきたいと云うのはあるけどね」
「均目君は大丈夫なのかな、闘争が長引いても?」
「まあ、大丈夫と云う事ではないけど、でもまあ、最後まで付き合いますよ」
 均目さんは妙に気楽な調子で返答するのでありました。均目さんは片久那制作部長が始めた仕事に呼ばれるのを待っている身でありますから、再就職にあくせくする必要はないのでありましょう。しかし呼ばれたらすぐに行かなければならないでありましょうから、そんなに悠長に贈答社の労働争議に付き合っている訳にもいかないでありましょう。
「唐目君はどうなのかな?」
 袁満さんは頑治さんの顔を見るのでありました。
「まあ、当面大丈夫ではありますが。・・・」
「でも唐目君にしたって、そんなに何時迄も関ずらわっている訳にもいかないわよね。彼女さんとの将来もある事だし」
 那間裕子女史がここでそう云って頑治さんの反応を横目で窺うのでありました。頑治さんは無言で、努めて無表情に那間裕子女史の視線を遣り過ごすのでありました。
「甲斐さんはどうだろう?」
 袁満さんは遠慮がちに甲斐計子女史に視線を向けるのでありました。
「あたしははっきり云って迷惑よ、そんなものに関わるのは」
 甲斐計子女史は少し怒ったような云い草をするのでありました。「そんなものに関わるくらいなら、あたしは組合を辞めさせてもらうわ」
 この女史の発言に困じて全く以って手古摺るような表情をして、袁満さんは甲斐計子女史からおどおどと視線を外すのでありました。甲斐計子女史の感情の嵩じた決意表明に対して、気の優しい袁満さんとしてはおいそれと逆らえないでありましょう。まあ、頑治さんとしても袁満さん同様にこれはなかなか大儀なところではありますか。
「唐目君はどう考えているの?」
 那間裕子女史が訊くのでありました。
「袁満さんが幾ら時間が掛かってでも闘争すると云うのなら、付き合う心算です」
「それって、彼女さんの方は大丈夫なの?」
「それは余計なお世話ですよ」
 頑治さんは多少の、先輩後輩の礼儀と云う上での遠慮と忌憚を込めながらも、不快を明瞭に滲ませながらきっぱり云うのでありました。
 那間裕子女史はそのつれなさに鼻白んで、如何にも不愉快そうに目線を外すのでありました。頑治さんがあくまで下手に出る辺りが逆に気に入らないのかも知れません。
(続)
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あなたのとりこ 645 [あなたのとりこ 22 創作]

 はっきり不愉快なものは不愉快だと表さない頑治さんの抑制的な云い草に、ある種の偽善の匂いか、或いは自分に対する揶揄を感じたのでありましょう。まあその辺は頑治さんも判るのでありましたが、しかしそれは決して狙って女史の気持ちを弄ぼうとしている訳ではないのでありました。頑治さんとしてはあくまでも礼儀の心算でありました。
「しかし闘争が長期化したら、一人去り二人去りして、結局その争議団に残って最後まで活動出来るのは、自分と袁満さんだけと云う事になりそうですね」
 頑治さんはそう云う見通しを述べるのでありました。
「まあ、そうなるかな」
 袁満さんはげんなり顔をするのでありました。
 均目さんが先ず頑治さんの顔を見て、目が一瞬合った後にばつが悪そうに視線を逸らすのでありました。那間裕子女史は頑治さんにも袁満さんにも目を向けず無言で下を向いているのでありました。甲斐計子女史はと云えば、口を尖らせて不機嫌そうにソッポを向いている儘なのでありました。この三人の反応からすると、つまり頑治さんの見通しが当たる公算なんと云うものは、かなり大だと云う事でありましょうか。
「袁満さんは本当に、この争議に生一本に打ち込む覚悟があるんでしょうね?」
 頑治さんは袁満さんに真顔を向けるのでありました。
「いやまあ、唐目君がやるのなら、俺も付き合うよ」
「付き合う?」
 頑治さんは袁満さんの言を疑問形で反復して見せるのでありました。
「それは、自分を闘争の主役ではなくて、脇役として位置付けると云う事?」
 これは那間裕子女史が云うのでありました。袁満さんの云い草に何だか潔くないところを見て取って、思わず気になって頑治さんよりも先に口を開いたのでありましょう。自分に直接関係のない事でも、いや寧ろ無関係な事であるからこそ、竟押っ取り刀で横から口出さずにはいられないと云うのは、那間裕子女史の性格でもありましたか。
「いやまあ、そう云う訳じゃないですけど。・・・」
 袁満さんは首を横に振るような、振らないような曖昧な仕草をするのでありました。
「袁満君が組合の委員長なんだから、そう云うのは無責任に聞こえるわね」
 那間裕子女史は尚も追及の言を吐くのでありました。それから頑治さんの方に、この自分の追及に同調しろと云うような目を向けてくるのでありました。頑治さんはその目に対して同調どころか、返って不快そうな視線を返すのでありました。この頑治さんの目容に那間裕子女史は少したじろぎを見せるのでありました。
「まあ、会社を早々に辞める心算でいて、闘争に積極的でもないあたしが、袁満君の云い草に潔くないとか云って噛み付くのは、ちょっとお門違いかも知れないけど」
 那間裕子女史は頑治さんの目からそわそわと視線を外しながら云うのでありました。
「俺は、社員の事なんか屁とも思ってはいないし、要するに自分の得になる事にしか興味がない土師尾常務に、一泡吹かせてやりたいと云うのはずっとありますよ。それに聞いたような説教を厚顔無恥に、滔々と垂れるインチキ坊主振りにも反吐が出ますしね」
(続)
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