SSブログ

あなたのとりこ 663 [あなたのとりこ 23 創作]

「安心も何も、別に後悔している訳じゃないですから」
 袁満さんは苦笑して見せるのでありました。
「ああそう。くよくよしているように見えたからね」
「そんな事はないですよ」
 まあこの袁満さんの言葉は本心六分に強がり四分、と云ったところであろうと頑治さんは思うのでありました。袁満さんはどこか元気がないのは確かでありましたから。

 ここで均目さんが話頭を曲げるのでありました。
「ところでこうなったからには、当然組合は解散と云う事になるかな」
「だって残った組合員は甲斐さんだけだもの。甲斐さんが一人で組合を続けるとは考えられないわ。日比さんが加担する筈もないし」
 那間裕子女史が頷くのでありました。
「いやあ、案外そうとも限らないかも知れませんよ」
 袁満さんが意味あり気に笑うのでありました。
「日比さんが組合に入って、甲斐さんと二人で活動を続けるかも知れないって事?」
「ないとは思いますが、でもまあ、ひょっとして」
 袁満さんは再び思わせぶりに笑うのでありました。日比課長が甲斐計子女史に妙な下心を抱いている、或いは、抱いていたのを、袁満さんも知っているのでありましょう。何時だったか、日比課長の甲斐計子女史を見る目が妙にいやらしく、昔風の云い方で云えば、何となくモーションをかけてくるのが不気味だから、会社帰りに神保町の駅まで一緒に付いて来てくれと、頑治さんも前に女史に頼まれた事があったのでありました。
 袁満さんは日比課長にそんな不埒で秘かな魂胆があって、甲斐計子女史に組合活動を口実に使って緊密なる接近を図ろうとしてくるかも知れないと、そう云う事を半分冗談交じりで云っているのでありましょう。しかしそれはないであろうと頑治さんは考えるのでありました。日比課長の甲斐計子女史に対する懸想の本気度は、実際、組合に入ると云う選択と、切実さに於いて、まあ、対置可能な程大きいとは云えないでありましょうから。
 これは那間裕子女史には無関係な事であり、女史の気質に即して云えば、知ったこっちゃない話しであります。袁満さんも、那間裕子女史に対して余計な思わせぶりを態々ここでしたものであります。話しがややこしくなるだけではありませんか。
「日比さんが労働組合に対する認識を改めて、組合活動に目覚めた訳?」
 那間裕子女史は日比課長の甲斐計子女史に対する懸想を全く以って知りもしないから、かなり頓珍漢な質問を袁満さんに投げるのでありました。
「いやあ、日比さんはそんな殊勝な人じゃないですよ」
 袁満さんは鼻を鳴らすのでありました。
「じゃあ、一緒に組合活動して、甲斐さんをナンパでもしようと云う目論見?」
 お、流石に那間裕子女史であります。袁満さんの思わせぶりな云い草に、ここはなかなか鋭いところを突いてきた、と云うところでありますか。
(続)
nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:

あなたのとりこ 664 [あなたのとりこ 23 創作]

 しかしまあ、こう云う無意味な話しをダラダラ続けてこの酒宴を態々長引かせるのは叶わないから、頑治さんは話しを軌道に戻そうとするのでありました。
「組合を解散するとなると、先ずは一応甲斐さんの思いを聞き質した上で、解散と決定したら、全総連にその旨報告しなければなりませんよね」
「それはそうだね。信義の上からも、組合の事を放ったらかしにして、この四人がスパッと会社を辞める訳にはいかないよなあ」
 袁満さんが軌道修正に乗ってくるのでありました。
「まさか甲斐さんが組合活動を続ける筈がないし、組合解散は間違いない事だろうけど、その時はどういう手続きが要るのかしら?」
 那間裕子女史が猪口を置いて袁満さんを見るのでありました。頑治さんは空かさず徳利を取って小さく振って中身があるかどうかを確かめてから、那間裕子女史の猪口に日本酒を注ぎ足すのでありました。那間裕子女史はちらと自分の猪口に視線を向けたけれど、それはさて置いて、と云う感じですぐにまた袁満さんの方に目を戻すのでありました。
「それはその旨全総連に報告した時に、教えてくれるんじゃないですか」
「面倒な手続きとかなくて、すんなり解散できるのかしら」
「いやあ、バックに付いているあの政治政党の事だから、面倒な手続きなんかより以前に、何だかんだと難癖を付けたり、宥めたり賺したり脅したり誉めそやしたりのあの手この手を遣って、何とか解散させないようにしようとするんじゃないのかな」
 これは均目さんの言でありました。
「だって当のあたし達が会社を辞めて、向後贈答社とは無関係になって仕舞うんだから、思い止まらせようとする事なんか出来ないんじゃないの?」
 那間裕子女史が反論しながら、先程頑治さんが酒をなみなみ満たした猪口を徐にまた取り上げて口元に運ぶのでありました。
「だから、辞めないで闘争を貫徹しろ、とか指嗾するんじゃないのかな」
「そんな事云ったって、あたし達が辞めるのは全くの自由だし、その個人の選択を妨害する権利なんか全総連にはないじゃないの」
「でもそこがあの政党の狡猾なところで、これ迄献身的に何くれとなく協力をしたり、各方面に対しても様々便宜を図ってきた恩義とか、春闘の時もその前の組合結成迄も色んな協力を惜しまなかった、総連加盟の他の社の労働組合に対する情義はどうなんだとか、義理と人情とかに絡めて一種の恫喝をしてくるような気がするなあ」
「何それ。まるでヤクザみたいじゃないの」
 那間裕子女史は信じがたいと云った表情をして見せるのでありました。
「その辺の手練手管なら幾らでも保有しているよ、あの政党は。そう云う遣り口で長い歴史をしたたかに、と云うのか狡猾にと云うのか、生き抜いてきた政党だしね」
 均目さんは自得するように何度か頷くのでありました。
「しかし全総連はその政党そのものではないし、その政党と関わりはあるとしても、別組織だよ。均目君の今の論は、坊主憎けりゃ袈裟まで、と同じ類いじゃないの?」
(続)
nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:

あなたのとりこ 665 [あなたのとりこ 23 創作]

「いやあ、それはあの政党の正体を知らないからだよ」
 均目さんはあくまでも自分の考えに拘るのでありました。
「兎に角、甲斐さんが組合を一人で続けていくなんて事はないし、甲斐さんがあたし達が辞めた後の面倒な全総連との遣り取りをしなくて済むように、あたし達が会社を辞める責任に於いて、組合解散と全総連からの離脱をはっきり申し入れていくべきよね」
 那間裕子女史は均目さんのあれこれ面倒臭い話しを打ち止めにするように、そう云って同意を求めるように頑治さんを見るのでありまいした。
「ま、それが筋でしょうからね」
 頑治さんは頷いて那間裕子女史に同調する意を表すのでありました。
「明日にでも我々四人で全総連に赴いて、組合結成以前からお世話になった横瀬さんに、先ずちゃんと報告する事にしようか」
 袁満さんが頑治さんを見ながら云うのでありました。「その時に組合存続やら長期の闘争を強く勧められたとしても、まあ、あくまでも俺達が会社を辞める意志の強さをしっかり示せば、横瀬さんとしてもそれ以上、慰留とか指示とかは出来ないんじゃないかな」
「そうね。こっちの意志次第よね、結局」
 那間裕子女史が何度か頷いて見せるのでありました。
「そんな風に、こっちの思い通りにいくかね」
 均目さんは首を傾げて未だ懐疑的なところを表するのでありました。
「でもまあ、結局全総連には俺達の考えをちゃんと伝えなければならないし、それを遣らなければ、俺達としても結局、すんなり会社を辞められないし」
 袁満さんは説得するように均目さんの方に少し強い視線を向けるのでありました。
「均目君は全総連にあたし達の態度を表明する事に嫌に消極的なようだけど、それじゃあ訊くけど、他にあたし達が、甲斐さんや全総連に対して無責任じゃなく、きっちり後始末をして会社を辞めていく、どんな方法があると云うの?」
 那間裕子女史もやや強めの視線を均目さんに送るのでありました。
「まあそう云われると黙るしかないけどね、俺としては。つまり俺が云いたいのは、全総連と云う組織は、俺達が考えている程正義の味方的な組織なんかじゃないし、単純に俺達の意志をちゃんと尊重してくれるだけの、甘ったるい組織でもないと云う事だよ」
 均目さんはそう云ってビールグラスを手にするのでありました。要は均目さんとしては敢えて反対の意を表したり茶々を入れる心算はなかったのかも知れませんが、しかしちょいとばかり理屈を捏ねてみたかったと云う事になりますか。別に均目さんとしても、全総連に報告に赴く事自体に断固反対する等と云う意は更々なかったのでありましょうし。

 次の日の朝頑治さんが出社してみると、珍しく土師尾常務が既に自席に座っているのでありました。土師尾常務は頑治さんを一瞬天敵を見るような目で睨むのでありました。頑治さんはどうしましたと敢えて静かに訊き質して、彼の人と同等程度の敵意を露骨にここで示して脅してやろうかと思うのでありましたが、まあそれは止めるのでありました。
(続)
nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:

あなたのとりこ 666 [あなたのとりこ 23 創作]

 土師尾常務は頑治さんの対抗心に気付いて慌てて視線を外したのでありましたが、未だ頑治さんが自分をじっと見ているのを頬に感じるようで、どこかおどおどした様子で居住まいを正したりするのでありました。本来肝っ玉の小さい人でありますし、どう云うものか頑治さんは苦手のようでありますから、こう云う反応になるのでありましょう。
 頑治さんの後に甲斐計子女史が出社して来るのでありました。その後数分置いて袁満さんが現れるのでありました。袁満さんは扉の開く音に振り返った頑治さんに手を挙げて挨拶を送るのでしたが、頑治さんの時同様天敵を睨むような目で袁満さんを見据える土師尾常務の視線に対しては、ちゃんと気付きながらもすげなく無視するのでありました。
 その後、出社時間ギリギリで扉を開けるのは均目さんでありました。均目さんは袁満さんと頑治さんに順に挨拶の言葉をかけるのでありましたが、袁満さん同様に土師尾常務は無視するのでありました。例によって那間裕子女史は朝寝坊で遅刻のようであります。
 制作部スペースに進む均目さんに対しても、土師尾常務はその姿が見えている間、敵意剥き出しの視線を向けるのでありましたが、均目さんも相手にしないのでありました。
「何か自分達三人に対して云いたい事でもあるのですか?」
 頑治さんは均目さんの姿を眉間に皺を寄せて目で追う土師尾常務に対して竟、不愉快を隠さないでそんな言葉を掛けて仕舞うのでありました。
 土師尾常務は反射的に頑治さんの方に視線を移して、頑治さんの鋭く睨む目に出くわすと慌てて視線を外すのでありました。この遣り取りで歩を止めた均目さんが頑治さんと土師尾常務を交互に見るのでありました。
「俺達三人をそんな妙な目で睨むのは、何か云いたい事があるからでしょう?」
 袁満さんがそう云いながら、自席を立って頑治さんの横にゆっくり遣って来るのでありました。均目さんもマップケース向うの制作部スペースに引っ込むのを止めて、その場に立ち止まって土師尾常務の方に視線を投げるのでありました。何やらかなりの険悪な雰囲気に、甲斐計子女史は関わり合いになるのを避けるように、慌てて席を離れて入り口脇のカーテンで仕切られた小さな炊事スペースの方に避難するのでありました。
「君達は社長に直接、辞表を提出したようだな」
 土師尾常務が不快感を眉宇に滲ませるのでありました。「そういうものを直接社長のところに持って行くと云うのは、実に不謹慎な行為じゃないか、と僕は思う」
「しかし常務に出そうにも、例によって常務は得意先直行とやらで会社に現れなかったじゃないですか。それにその後も思った通り結局会社には顔を出す事なく、出先から直帰したんだからこちらとしては、要するに止むを得ず社長に提出した迄ですよ」
 袁満さんが土師尾常務を睨みながら云うのでありました。
「それなら今日迄待てば良かったんだ」
「今日まで待っても、常務が朝から会社に現れると云う保証は何もないですからね」
「現に今日は、僕は誰よりも早く、朝一番に出社しているじゃないか」
「それはどうせ、昨日社長から電話か何かがあって、そこで散々叱責されたり苦情を云われたりしたものだから仕方なく、殊勝らしく朝から会社に出て来たんでしょう」
(続)
nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:

あなたのとりこ 667 [あなたのとりこ 23 創作]

 均目さんが皮肉な笑いを片頬に湛えながら云うのでありました。「それをどう云う勘違いか妙に偉そうに、しかも恩着せがましく、誰よりも早く朝一番で、とか抜け々々と云ってのけるのは、一体全体どう云う了見からなんですかねえ」
 そう云われて土師尾常務が何時になく何も云い返さず悔しそうに下唇を噛むのは、屹度均目さんの指摘てえものがドンピシャだったからでありましょう。
「我々が直接辞表を社長に提出した経緯も、社長は理解してくれましたからね」
 袁満さんが止めの一発の心算でそう告げるのでありました。「社長は俺達が常務を吹っ飛ばして直接辞表を渡した件については、特段何も云っていなかったでしょう?」
「それはそうだが、そこは社長の度量の大きさと云うもので、大いに問題行為だと認識していても、敢えて目を瞑ってくれたんだろうさ」
 土師尾常務はこの場に居ない社長の顔を、忠義立てからか告げ口される事への警戒心からかちょいと立てて見せるのでありましたが、これで昨日社長から叱責なり苦情なりの電話があった事を、間抜けにもうっかり認めて仕舞った事になる訳であります。
「社長は俺達が揃って辞表を提出した件とは別に、常務の仕事態度や部下に対する信頼のなさとか関して、何かあれこれ云っていませんでしたか?」
 袁満さんは口の端に憫笑を湛えて訊くのでありました。それに対して土師尾常務は鬼の形相で袁満さんを睨むのでありましたが、ここでも抗弁を控えるのでありました。まあつまり、昨日の電話でそのような言が社長からあったのでありましょう。それにひょっとしたら袁満さん達と社長との間には自分を介しない交通があって、下手な嘘をここでついたなら、後でそれを社長に報告されるかも知れないと疑心暗鬼したのでありましょう。
「まあ、良いや」
 ここで均目さんが言葉を発するのでありました。「そう云う事で俺と袁満さんと那間さん、それに唐目君の四人はもう既に正式に辞表を提出して、社長の承認によりこの二十日の締め日を以って退社する事になりましたので、よろしくお手配ください」
「判ったよ。云われる迄もなくそのように手配するよ」
 土師尾常務は不愉快そうに一度頷くのでありました。「念のために云っておくが、後に不手際を残さないように、キッチリと自分の仕事を完結してから辞めてくれよ」
「貴方に態々そう云われる迄もないですよ」
 袁満さんが鼻を鳴らすのでありました。
「それから、これはもう社長に同意を貰っている事項ですが、つまらない工作とか企まないで、就業規定で決まった額の退職金はちゃんと出してくださいよ」
 均目さんが云い添えるのでありました。土師尾常務はここでも大いなる不快感を満面で表しながら均目さんを睨み付けて、しかし何だか後ろめたそうにその目をすぐに外して、判るか判らないくらいの小さな頷きをして見せるのでありました。
 丁度そこに那間裕子女史が扉を開けて事務所内に入って来るのでありました。那間裕子女史は座った土師尾常務を小さな弧状に囲んで、辞表提出組が何やら詰め寄ってでもいるような気配に、少し戸惑ったような表情をするのでありました。
(続)
nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:

あなたのとりこ 668 [あなたのとりこ 23 創作]

「あら、皆で何の談判をしているの?」
 那間裕子女史は妙にあっけらかんとした口調で誰にともなく訊くのでありました。遅刻したくせにあっけらかんとしている態度にも不愉快を覚えたようで、土師尾常務は眉根を寄せてプイとそっぽを向いて何も答えないのでありました。
「別に談判じゃなくて、昨日直接社長に辞表を出した経緯を説明したり、退職金は変な謀なんかしないで、規定通りちゃんと出してくれと要望していたんだよ」
 均目さんが近寄って来る那間裕子女史に説明するのでありました。
「要望と云うより、そんなの当たり前の事じゃない。社長もそこは約束してくれたし」
「ただ常務のこれ迄の遣り口を考えると、ここでちゃんと念を押しとかないと、どんな無体な事を仕出かすか判ったものじゃないですからね」
 袁満さんは土師尾常務とは近々きっぱりおさらばする事が決まったためか、慎に遠慮の無い云い草をするのでありました。土師尾常務は袁満さんをまた睨むのでありましたが、何も云い返さないのでありました。袁満さんがもう自分に対して弱気に出る必要がないと判ると、生来の小心さから用心深く、と云うよりはちょいと及び腰になったのでありましょう。ひょっとしたらこれ迄の意趣返しも袁満さんは狙っているかも知れませんし。

 全総連には辞表提出した四人が会社帰りに揃って説明に出向くのでありました。委員長の袁満さんと書記の那間さんの二人で行って貰っても良いのかも知れませんが、それでは何だか如何にも事務的だし軽々しいし、今まで何かと世話になった事に対して不誠実な気がするものだから、ここは全員揃って、と云う事に一決したのでありました。
 勿論、重大説明に袁満さんと那間裕子女史の二人が、二人だけで出向く事に気後れした事もありますか。それに頑治さんと均目さんにしても、袁満さんと女史の二人に縁切れの報告と説明を任せて、後は知らん振りと云うのも大いに気が引けるのでありましたし。
 出向いた四人は横瀬氏に、五六人が打ち合わせとかに使用する小さな会議室に案内されるのでありました。四人は横に並んで横瀬氏一人と対座するのでありました。
「何か会社の状況に変化でもあったのかな?」
 横瀬氏は当然これから為す四人の重大発表を未だ知らないものだから、何処かのんびりした口調でそう訊くのでありました。
「ええ、実は、・・・」
 袁満さんが気難しそうな顔をして後を云い淀むのでありました。その様子に横瀬氏は俄に普段ならぬ気配を感じてか、笑いを消し去ってパイプ椅子の背凭れから身を起こして、乗りだした身を支えるためにテーブルに両肘を乗せるのでありました。
「実は、唐突で恐縮なんですが、ここに居る四人は会社を辞める事にしたのです」
 何となく後を続け辛そうな袁満さんに代わって、均目さんが云うのでありました。
「えっ、辞めるって、・・・それは」
 横瀬氏は当然の反応として驚くのでありました。その後、険しそうな目で前に座る四人の顔を順に見遣るのでありました。
(続)
nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:

あなたのとりこ 669 [あなたのとりこ 23 創作]

「藪から棒で、本当に恐縮なんですが、結局そう云う結論になったんです」
 袁満さんがようやく気分を立て直して均目さんの後から続けるのでありました。横瀬氏は怪訝そうな目を袁満さんに向けて、暫く言葉を発しないのでありました。
「その経緯をちょっと説明してくれないかな」
 横瀬氏は少しの間黙った後でそう返すのでありました。
「業績不振を云い訳に、せっかく春闘で獲得した我々の賃金やら待遇やらの成果を、社長と土師尾常務は簡単に反故にしようとしたからです」
 袁満さんが陰鬱な声で説明し始めるのでありました。「賃金は春闘の前の状態に戻すし、勿論年齢別同一賃金の体系も崩すし、果ては制作部を廃止してその後は他社商品中心の営業で遣っていくと云う提案を、ここにきて出し抜けに持ち出してきたんですよ」
「それでは約束が違うなあ」
 横瀬氏は舌打ちするのでありました。「春闘の妥結結果を何と思っているのだろう」
「その通りです」
 袁満さんが一緒に憤慨して見せるのでありました。
「そんな無茶な事を一方的に通告してきたのかい?」
「いや、向こうから社内の全体会議を開きたいとの要望があって、その中でそう云う提案と云うのか、宣告と云うのか、そう云うものがなされたのです」
「社内の全体会議、ねえ」
 横瀬氏は腕組みをして首を傾げるのでありました。「社内の全体会議とか云う閉じられた場で扱う議題じゃなくて、それは労働問題として扱うべきものだろうに」
「そう思ったのですが、・・・」
 袁満さんが語尾を濁すのでありましたが、目は向けないまでも、袁満さんの気持ちは均目さんの方に向いている気配が頑治さんに伝わるのでありました。向こうの持ち出した社内の全体会議と云う体裁をその儘受けるか、それとも労働問題として全総連も巻き込んで組合で受けるかは意見の分かれたところでありましたが、どちらかと云うと均目さんが、その思惑は確とは知れないながらも、自分達の意を社内の全体会議の方に引っ張ったと云う思いが袁満さんにはあるのであります。それはまあ、全くその通りであります。
 袁満さんのそう云う気持ちが判るようで、均目さんは何となく落ち着きを失くして身じろぎ等するのでありました。
「向こうから賃金の改変の提案があった時点ですぐにその全体会議とやらを打ち切って、こちらに一報を入れてくれたら方が良かったのに」
 この横瀬氏の指摘は実に以ってその通りでありますか。
「人員整理とかの話しも出ていたんで、我々としてはちょっと浮ついて仕舞って、適切な対応が出来なかったんですよ」
「人員整理の話しも出ていたのかい?」
 横瀬氏は呆れたように云うのでありました。
「ええ、向こうの提案に、制作部の廃止、と云うものがありますから」
(続)
nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:

あなたのとりこ 670 [あなたのとりこ 23 創作]

「そう云う事なら益々、こちらにすぐに連絡を入れて欲しかったなあ」
 横瀬氏は恨みがましい目で四人の顔を見るのでありました。
「済みません。総てこちらの手落ちです」
 袁満さんはテーブルに額が付くくらい深くお辞儀して見せるのでありました。
「それで、二進も三進も行かなくなって、四人で会社を辞める事にしたのかい?」
 横瀬氏は何となく棘のある云い方をするのでありました。
「向こうに制作部廃止の目論見がある以上、あたしも均目君も会社を辞めるしかないじゃないですか。それは経営方針なんだから、向うの専権事項だし」
 那間裕子女史が横瀬氏の棘に対抗するようにぞんざいに云い棄てるのでありました。
「いや、向うの専権事項、と云って済ます問題じゃないよ」
 横瀬氏は那間裕子女史の不見識を批判するように、眉根に皺を寄せながら云うのでありました。「それは単なる労務対策と云うだけで、要は面倒な組合員達を会社から排除しようと云うのが本当のところかも知れないしね」
 それは確かにそう云う側面、いや、ひょっとしたら、正面、があるかも知れないと頑治さんは思うのでありました。その謀に自分達はまんまと乗ったのであります。
 と云うより、実は向こうの魂胆は薄々判っていたくせに、面倒になる事を嫌って意識的に見過ごして仕舞ったのでありますか。これは那間裕子女史にしてもそう諾うところがあるようで、横瀬氏に抗弁したそうに頬を膨らませて見せるものの、何も云い返さないのでありました。実は逃げたのでありますから、云い返す面目が立たないのであります。
「向こうに組合員を会社から追い出そうと云う肚があったとしても、それに対抗してうんざりするような対抗措置を長々と続ける気は、そもそも我々にはありませんし」
 均目さんが云い出すのでありました。「そんなようなら、綺麗さっぱり会社を辞めて次の道を探す方が賢明だと云う判断ですよ」
「会社側に不当極まりない扱いをされても、何も云わず黙って、情けなく会社の良いようにされっ放しになる、と云うのかい?」
 横瀬氏は眉根の皺の数を増やすのでありました。
「妙に事態が拗れて対決が長引くよりは、その方が余程マシだと思います」
 均目さんは悪びれない云い様を装うのでありました。
「ここに来てケロッととそう云われて仕舞うと、今迄君達の組合結成や春闘にあれこれ力を貸してきた全総連の立場がないね」
「いや、今までお世話になった事には感謝しています」
 袁満さんがまたもや深いお辞儀をするのでありました。「何も知らない我々が曲がりなりにも組合を結成して、春闘では多くの成果をかち取る事が出来たのは、偏に横瀬さんや全総連の皆さんのお蔭だと心から思っていますよ」
「でも、その感謝の意も、かち取った成果もここでサラリと捨てる訳だ」
 横瀬氏は皮肉な笑みを浮かべるのでありました。袁満さんは苦った表情で肩を竦めて、更なるお辞儀なのか単に俯いたのか判らないような所作をするのでありました。
(続)
nice!(13)  コメント(1) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。