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あなたのとりこ 219 [あなたのとりこ 8 創作]

 均目さんが冗談抜きの真顔で頑治さんを持ち上げるのでありました。「まあ、前任者がちゃらんぽらんで相当にひどかったからと云う理由もあるけど」
 そうですね、と云うのも何となく不謹慎のようで憚られて、頑治さんは曖昧な笑いを浮かべて均目さんの言には頷かないのでありました。
「まあしかし、今度の配置転換とか業態の変更は、春闘時に予定している労働組合結成の件との兼ね合いで、どう云う風な経緯を辿るんだろうかねえ」
 頑治さんが思いを回らすような顔で云うのでありました。すると那間裕子女史も均目さんも同様の表情で沈黙して、静かな飲酒の時間が暫し流れるのでありました。
 宴も終わり間際になって那間裕子女史が酔い潰れて寝て仕舞うのは件の如し、でありましたか。これも例に依って均目さんが横から女子の体を支えて住処まで送り届けるのでありましたが、二人が寄り添って神保町駅の階段を改札に向かって降りて行く後ろ姿を見届けてから、頑治さんは歩いて自分のアパートへの帰路を辿るのでありました。

   混乱と不信と大儀

 色々とごたごたした初出社の日より遡る事一日、一月四日には正月休みで帰省していた夕美さんが郷里から東京に戻って来るのでありました。頑治さんは約束通り午後三時少し前に東京駅の東海道新幹線ホームに出迎えに赴くのでありました。予め夕美さんの乗った列車の指定席番号を聞いていたから、頑治さんはちょうどその車両が停止する目印辺りで二十分くらい、無表情にぽつねんと立って待っているのでありました。
 列車が到着してドアが開き、何人目かに夕美さんがパンパンに膨らんだデイパックを背負って、右手には大振りの旅行カバン、それに左手には大判の紙袋を引っ提げて、その紙袋が重くて持ちにくいのか頻繁に待ち直しながらホームに下り立つのでありました。荷物の多さもさりながら、そのせいで夕美さんが何となくあたふたしているような風情に、頑治さんはいじらしさ六分と微笑ましさ四分を覚えるのでありました。
「よう、お帰り」
 頑治さんは目が合ってすぐに破顔して声を掛けるのでありました。
「頑ちゃん、ただいま。と云う前に、先ずは明けましてお目出とう」
「ああ、お目出とう」
 頑治さんはそう返して畏まって小さく礼をするのでありました。その様子を見て夕美さんは笑って、こちらも律義らしく頭を下げるのでありました。
 頑治さんは夕美さんの両手の荷物を預かるのでありました。
「有難う。ああ重かった」
 夕美さんはこれでようやく荷物から解放された、と云った風に両手首を振って手指の血行を促す動作をするのでありました。とは云っても、高々座席から出口までの距離ではありますから、この夕美さんの所作は些か大仰とも云えるのでありましたが、まあしかし頑治さんが手に持ってみると二つの荷はなかなかに重くはあるのでありました。
(続)
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