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あなたのとりこ 327 [あなたのとりこ 11 創作]

 土師尾営業部長は甲斐計子女史と一緒には帰って来ないのでありました。恐らく社長室に居残って社長と今後の事をあれこれ打ち合わせしているのでありましょう。
「どうしたんだい、甲斐さん?」
 日比課長が自席に座った甲斐計子女史の方を振り向いて気後れ気味に声を掛けるのでありましたが、甲斐計子女史からは何の返答も返ってこないのでありました。
「甲斐さん、社長室で何かあったの?」
 妙に重苦しい空気である事を心配して、袁満さんが席から立ち上がって甲斐計子女史の方に近寄りながら、やや深刻そうな声音で訊くのでありました。
「あたしは馘首なんだってさ!」
 甲斐計子女史が普通に返答をする間としてはやや不自然に長い間を空けて、嵩じた声で如何にも捨て鉢でありながら無理にあっさりを装って吐き捨てるのでありました。
「馘首、って、そのう、・・・」
 袁満さんは一瞬、甲斐計子女史が今発したその言葉が上手く呑み込めないと云う困惑顔をして、つんのめるようにその場に居竦むのでありました。それから暫しの後、深呼吸してから甲斐計子女史の傍まで進み寄るのでありました。日比課長もいきなり生じた異様な緊張感に気圧されながらも、甲斐計子女史の横に進むのでありました。
 制作部スペースにもマップケース越しこの甲斐計子女史の言葉が聞こえて、片久那制作部長を始め、そこにいた均目さんと那間裕子女史、それに頑治さんもほぼ同時に俯いていた顔を起こすのでありました。頑治さんが片久那制作部長の方を見ると、その視線に気付いて片久那制作部長も頑治さんの方にチラと顔を向けるのでありました。
「社長にそんな事を云われたの?」
 袁満さんがそう訊いているのでありましたが、制作部の四人もその袁満さんの質問と、その後に発せられる筈の甲斐計子女史の返答に耳を敧てるのでありました。
「今度から新しい賃金体系になるんだけど、その適用外を納得すれば今まで通り働いて貰うけど、そうじゃないなら辞めて貰いたいんだってさ」
 甲斐計子女史の声は大袈裟に云えば泣き声に近くなっているのでありました。
 そこ迄聞いてから片久那制作部長が椅子から立ち上がるのでありました。それから急ぎ甲斐計子女史の机の方に姿を消すのでありました。
 これは仕事どころではないと、均目さんが片久那制作部長の後を追うのでありました。那間裕子女史もすぐに均目さんの行動に倣うのでありました。頑治さんは、一緒になってそちらにガヤガヤと全員押しかけるのは、何だか必要以上に事を騒然とさせて仕舞うような気がしたのでありましたが、しかしここでのんびり座しているのは同僚に対する情義に欠けると思って、少し遅れて甲斐計子女史の机の方に向かうのでありました。
「ひどいなあ、それは」
 日比課長がそう云ったところに片久那制作部長が現れたので、日比課長と袁満さんは片久那制作部長に甲斐計子女史に一番近い位置を譲るために脇に退くのでありました。ここは一番、自分達よりも片久那制作部長の出番と見取った故でありましょう。
(続)
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