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あなたのとりこ 678 [あなたのとりこ 23 創作]

 袁満さんは甲斐計子女史から目を離して、小さく舌打ちしてから気を取り直すように、ゆっくりとした手付きで再び受話器を耳に宛がうのでありました。
「甲斐さんは電話に出たくないそうです」
 そう受話器に向かって話す袁満さんを、甲斐計子女史は険しい目付きをして睨むのでありました。確かに出たくないのはその通りだけども、先方に対してもそっと無難な無愛想でない云い方はないのか、と云った恨みがましさがあるのでありましょう。
 甲斐計子女史はその後、その通りですね、とか、いや嫌悪している訳ではないと思いますが、とか、要するにそう云う労働問題とかに本人は至って無関心な方で、とか云う袁満さんを観察しながら、袁満さんと横瀬氏とで話されている電話の内容が、どうやら自分に変なお鉢が回って来る事なく決着しそうな具合であるらしい事に、胸を撫で下ろすのでありました。辞職四人組のお蔭で気分が陰鬱になるような、本来、これ迄の人生で毛の先程も興味のない面倒が自分に回ってくるのは、それは確かにひどい災難でありましょう。
「もうあたしは向うと話さなくて良いのね?」
 甲斐計子女史は袁満さんが電話を切った後に念のため確認するのでありました。
「ああ、もうその件は片が付いたよ」
 袁満さんは不機嫌そうに一つ頷いて見せるのでありました。ただ後で訊くと更にもう一度しっかり確認したい事があるから、その日の夕方に委員長の袁満さんと書記の那間裕子女史に、全総連の本部迄来てくれないかと云う依頼があったのでありました。
「また今日も行くの?」
 それを聞いた那間裕子女史は心底げんなりしたように云うのでありました。
「何か再度確認したい事項があると云うんですよ」
 袁満さんは些か遠慮気味の口調で返すのでありましたが、それは何だか、那間裕子女史に悪い事をしているような気がしたためでありますか。当然の事として、別に袁満さんは女史に対して済まなく思うべき何事もないのであります。まあそれは、不愉快そうな云い草をした那間裕子女史の方もそれは重々判ってはいる事ではありましょうけれど。
「今更何を確認したい事があるって云うの。あたし達四人はこの会社を辞める事になったんだし、甲斐さんは組合活動を続ける気はないんだし、それで充分組合の件はもう決着した訳じゃないの。確認したい事ってそれ以上一体何があると云うのよ」
「要するに俺達に辞意を撤回させて、労働争議を継続しろと指嗾するのが目的だろう」
 均目さんがそう云って口の端に笑いを作るのでありました。
「冗談じゃないわ。労働争議の継続より会社を辞める方が優先よ」
 那間裕子女史は憤慨するのでありました。
「勿論、俺達の誰もが労働争議の継続なんかご免ですよ」
 袁満さんも同じく怒りを表するのでありました。
「それでも向うは、何だかんだと辞意撤回の方向に教導したいんでしょう」
 均目さんはどこか他人事のように云うのでありました。
「ああもう、気が滅入って来たよ」
(続)
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