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あなたのとりこ 571 [あなたのとりこ 20 創作]

「たった今、那間さんから電話があったんだ」
 先程新宿駅で別れた袁満さんからでありました。
 洋風居酒屋を出てから頑治さんは袁満さんと那間裕子女史と一緒にブラブラ新宿の街を駅まで歩いて、那間裕子女史からもう一軒付き合えと云うお誘いがからなかったものだから、三人はその儘夫々違う電車に乗って帰宅の途に就いたのでありました。那間裕子女史が珍しく二件目の酒場行きを誘わないで、意外にもあっさりと帰宅の方を選んだのは、どこか調子が狂ったような具合であると頑治さんは何となく思ったのでありました。
しかしそれを云ってそれなら二件目と云われるのも少々煩わしかったものだから、勿怪の幸いとさっさと駅の地下通路で二人にさようならを云ったのでありました。女史に特に変わった様子は見受けられなかったのでありましたが、ひょっとしたら自宅アパート近くの居酒屋か何処かで、一人で己が将来を考えながら飲んでいたのかも知れません。
 袁満さんは荒い息の気配を受話器から滲ませながら続けるのでありました。
「それで、色々考えたけど、結局会社を辞める事にしたって云うんだよ」
「でも、新宿で飲んでいた時には、そんな素振りは見受けられませんでしたけど」
「そうね、その時意外には思ったけど、何となく激昂するような素振りも、取り乱して仕舞うような風もなくて、結構淡々としていたように俺も感じていたけどね」
「電話の那間さんはどんな感じで、会社を辞める事を切り出したんですか?」
「新宿で別れた時よりもかなり酔っているような口調だったかな。まあそれでも、感情が昂って平静でいられない、と云った感じじゃなかったようだったけど」
「今、自分のしている事や云っている事が、ちゃんと判っているようでしたか?」
「酔ってはいるけど、意識はちゃんとしているようだったけど」
「袁満さんをからかっているような感じはありませんでしたか?」
「いや、それもなくて、ちゃんとした報告、と云った調子だったよ」
「じゃあつまり、全くの正気で、会社を辞める決断をした事を、袁満さんにその電話で明らかにしたと云う事になるんですかね?」
「そう、だと思うけど」
 袁満さんの、受話器の向こうで頷いている気配が伝わるのでありました。
「で、袁満さんはそれに対してどう云う反応をしたんですか?」
「それはすごく慌てたよ」
 袁満さんはそう云って落ち着くためか一拍の間を空けるのでありました。「だって新宿で飲んでいた時には、そんな事を後で云い出すとは思ってもいなかったから」
「まあ確かに、土師尾常務が那間さんに対する、ある事無い事の悪口を袁満さんにぶち撒けたって聞いても、意外にも落ち着いた受け止め方でしたね」
「俺も、反応から見ると大して応えてはいないと思っていたんだけどなあ。でも自分よりも歳下で後輩でもある俺や唐目君の手前、激しい怒りとかくよくよしているところとかは見せられないと、努めて気丈に、落ち着いている風を装っていたんだなあ」
「まあ那間さんは、気が強い、と云うキャラクターで売っている人ですから」
(続)
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