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あなたのとりこ 417 [あなたのとりこ 14 創作]

 とは云うものの、袁満さんの呟いた事も満更当たっていない事も無いと頑治さんは考えるのでありました。何となく昨年の暮れからここまで、陰鬱とか不安とか不信とか憤怒とか落胆とか、そんなネガティブな感情ばかりが会社での諸事に纏わり付いていたような気もするのでありました。勿論それとは反対の好もしき感情も全く無い事もなかったでありましょうが、概観すると矢張り気の滅入る事の方が多かったような印象であります。
 出雲さんはそう云うあんまり心躍らない感情の波間に、自ら好んでと云う訳ではなく浮かんでいる内に諸事に愛想尽かししていた訳で、今次の土師尾常務と一緒の水戸での営業活動が会社を辞す決断の決定打となったのでありましょう。だから早々にこの場から遁走を図って、次の全く新たな展開に期するところ大なるものがあるでありましょう。出雲さんのこれから先の方便の道は、結局出雲さんだけが決定出来るものでありますし。
「あーあ、俺ももう辞めたいよ」
 袁満さんが少し捨て鉢な口調で愚痴るのでありました。しかしその愚痴にはリアリティーが然程無いと頑治さんは感じるのでありました。どんなに多く見積もっても四分程度の願望で、残り六分は辞める気は無いと云う事でありましょうか。
 そんな袁満さんの心根も然る事ながら、この言葉は出雲さんの辞意に対して、それを確定的に認める事を表明したと云う風にも捉えられるでありますか。つまり袁満さんは説得を諦めたと云う態であります。まあ、袁満さんが認めようが認めまいが、この件に関しては畢竟、出雲さんだけにしか最終的決定権は無いのでありますけれど。
「すみませんねえ、本当に」
 出雲さんはまた訪れた暫しの重苦しい沈黙の時間を破るようにそう云って、再び袁満さんと頑治さんに向かって深くお辞儀するのでありました。
「いやまあ、仕様が無い事ですよ」
 もう袁満さんは意を表したと云う事になるでしょうから、これは頑治さんが説得を放棄すると表する科白と云う事になるのでありあした。

 出雲さんが一足早く席を立つのでありました。喫茶店に残された袁満さんと頑治さんは隣り合って座った儘、冷めたコーヒーをしめやかに口に運ぶのでありました。
「これで組合員は、五人、と云う事になるのか」
 袁満さんが寂しそうに云うのでありました。「この春に旗揚げして、あたふたしながらやっと春闘を一度経験しただけと云うのに、もう二人も組合員が減った訳だ」
 出雲さんは兎も角、恐らく袁満さんの計算には組合旗揚げ前に会社を辞めた山尾主任が入っているのでありましょうが、それは計上すべき人数かどうか頑治さんは少し迷うのでありました。まあ、だからと云って敢えてその事を云いはしないのでありますけれど。
「でも甲斐さんが新たに入ったじゃないですか」
「それはそうだけど、若し甲斐さんが入らなければ四人の組合と云う事になっていて、これじゃあ経営三人に対してあんまり体裁がよろしくないし、迫力が無いよなあ」
「いや、人数だけが組合の拠り所と云う訳ではないでしょうけれど」
(続)
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