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お前の番だ! 280 [お前の番だ! 10 創作]

 一般門下生稽古が始まって、最初の基本動作と基本打ちこみを門下生達が道場一杯に散らばって反復稽古している時に、万太郎がその日の中心指導を担当するあゆみに近寄って話しかけるのでありました。丁度その日、威治教士の姿は道場にないのでありました。
「そうね。今日もお休みのようね」
 あゆみは一応道場を見回す真似をするのでありました。
「姿が在ると鬱陶しいのですが、ないとなると、ちょっと心配になりますね」
 万太郎は周りの門下生に聞こえないように小声であゆみに云うのでありました。
「どうしたのかしらね」
 あゆみはそう返すものの、特段に心配そうな表情をしないのでありました。万太郎はその日のあゆみの無表情が何時になく冷淡であるように思えて、少々心に引っかかるものを覚えるのでありましたが、まあこれは、万太郎の思い過ごしでありましょうか。
「はい。では技の稽古に移ります」
 あゆみが道場中に声を響かせるのでありました。その声で門下生達は下座に下がって正坐するのでありましたが、何時も通りそれと入れ違うように、受けを取るために来間が道場真ん中に立つあゆみの傍に駆け寄ろうとするのでありました。
 あゆみはそんな来間の方に掌を矢庭に突き出して見せて、その動きを拒むのでありました。来間は機先を制せられた形になって、つんのめるように静止するのでありました。
「今日は折野先生、お願いします」
 あゆみが万太郎を指名するのでありました。不意に名前を呼ばれた万太郎は戸惑いながらも即座に立って、あゆみの傍に駆けつけて半座の姿勢で控えるのでありました。
 万太郎が教士になってからは、あゆみは前のように道場で万太郎の姓を呼び捨てにはしなくなるのでありました。それどころか命令口調も改めているのでありました。
 それは教士となった万太郎への敬意からありましょうし、中心指導をするようになった万太郎を自分が格下扱いするのも、門下生の手前、忌憚があると慮ったからでありましょう。万太郎は当初、そんな如何にも律義なあゆみの道場での口調及び態度の変化に、大いにまごつくのでありましたが、もうこの頃はようやくに慣れて仕舞うのでありました。
 それにしてもその日に限ってあゆみが万太郎を受けに指名したのは、一体全体どう云う了見に依るのでありましょうや。来間では受けを熟し切れないような、高度且つ複雑な技をこれから稽古しようとでも云うのでありましょうか。
「では立ち技の、正面中段突き腕一本抑え、をこれから稽古します」
 これは常勝流体術の基本中の基本技であります。態々万太郎に受けを取らせようとするのでありますから同じ、腕一本抑え、でもあゆみに何か意趣があるのかも知れません。
 万太郎はあゆみの隠れた意趣を読もうと、やや身構えて組形の受けを取るのでありましたが、あゆみは特段変わった事をするわけではないのでありました。まあ、それならそれで万太郎としては形通りに見事な受けを取るだけであります。
 ただ受けを取っていて、万太郎は何時ものあゆみらしからぬ、妙な力みをその動きに見て取るのでありました。この力みは、何を万太郎に伝えているのでありましょうや。
(続)
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