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お前の番だ! 279 [お前の番だ! 10 創作]

「態々時間を作って通っていながらちっとも武道の稽古に専念しないで、何か別の魂胆でここに来ているのが見え透く人は、道場の者としてげんなりもするしがっかりもするわ」
「そうですね。そう云う人は技の習得も道場での作法も好い加減だから、見た目も気合が抜けていてい如何にもだらしないですよね。だから他の門下生に対しても好い影響は全くありませんからね。専門稽古生なら厳しく諌める事も出来ますが、一般門下生となるとこちらも多少の躊躇があります。まあ一般的に、そう云う人は専門稽古生にはなりませんか」
「そうよね。でも一般門下生も、大方の人はちゃんとしているんだけどね」
 これは新木奈を対象としての会話と云う事になりますか。この後には威治教士を対象にした万太郎とあゆみの評言、或いは愚痴が続く筈でありますが、常勝流の先輩格でもあり他派の人でもあり、しかもその他派の将来の総帥たるべき人でもある事から、何となく威治教士の事をあれこれ論うのは二人共憚りが先に立つのでありました。
 あゆみにすれば新木奈よりも威治教士の方に、色々と云いたい事が多くあろうかと思われるのでありました。あゆみは屹度自分を見る威治教士の視線に猥りがわしさすら感じているかも知れませんし、これは傍で見ている万太郎も気づいている事でありました。
 まあ、あゆみに向けられる新木奈の視線にも、同じ種類の猥りがわしさは充分見て取れるのではありましたが、しかしその必要以上の気取り癖と、あゆみ自身の凛然とした容のために、迂闊な態度は見せられないと云う自重があるのも感得出来るのでありました。新木奈の方は多分、そう滅多な事は余程でない限り仕出かさないでありましょう。
 これが威治教士となると、若しも何かの拍子に逆上でもしたら、その後に何を遣らかすか判らないなと云う不気味さがあるのであります。新木奈に対しては一喝で事足りるでありましょうが、威治教士には何かと手古摺るのかも知れません。
 ま、手古摺ったとしても最後には屹度抑えこんで見せると云う自信が、別に確とした拠り所のある自信ではないのでありますが、万太郎には何故かあるのでありました。それは勿論、単に力を行使すると云う事ではなく、理に於いても迫力に於いても彼の人を屈服させることが出来るであろうと云う、妙に揺るぎない自信のようなものでありました。
「若しも何か不測の事態が出来したとしても、僕があゆみさんをちゃんと守りますよ」
 万太郎は決然とした顔をして、あゆみに出し抜けにそう云うのでありました。そう云った後で、如何にも出し抜けな言葉だったと反省したばかりではなく、その言葉の持つ別の意味に於いて、万太郎は不意にたじろいで仕舞って赤面するのでありました。
「そう? じゃあ、お願いね」
 あゆみが万太郎に大らかな微笑を向けるのでありました。万太郎は慌ててコーヒーカップを取り上げて、冷たくなった残りを咽に一気に流しこむのでありました。

 道場での威治教士の無言でありながらも執拗な威迫に竟に堪り兼ねたのか、近頃新木奈が稽古にちっとも姿を見せなくなるのでありました。そうなると、少なからず気を揉んで仕舞うのが万太郎の人の良さと云うものでありましょうか。
「今日も新木奈さんは稽古にいらしてませんね」
(続)
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