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お前の番だ! 281 [お前の番だ! 10 創作]

「今日はいきなり受けを指名されて、些か戸惑いました」
 稽古が終わって、母屋の食堂で明日の打ちあわせをしている時に万太郎はあゆみに話しかけるのでありました。是路総士は来間を介添えに風呂に入っているのでありました。
「ああそう」
 あゆみはそれまで見ていた稽古予定表から目を放して、ゆっくりと顎を起こしてテーブルの向かい側に座っている万太郎を見るのでありました。その向けられた瞳が心持ち動揺しているように見えるのは、これは万太郎の僻目でありましょうか。
「このところ受けを取る機会がなかったので、緊張してしまいました」
「そうね。中心指導で万ちゃんに受けを取って貰ったのは随分久しぶりかしらね」
「とんでもない高度な技か、何時もはやらない崩し技の稽古でもされるのかと思って身構えたのですが、一本目も二本目も、それに最後の技も案外普通の基本技でしたね」
「何か急に、万ちゃんに受けを取って貰いたくなったのよ。どうしてだか知らないけど」
「ああそうですか」
 あゆみに先に、どうしてだか知らないけど、と云われて仕舞ったので、万太郎は何か意趣でもあっての事かと訊き募る言葉を失うのでありました。
「ま、ちょっとした気紛れみたいなものね」
「で、・・・その時感じたのですが、あゆみさんの仕手の動きが、何時になくぎごちないと云うのか、少し固かったようにお見受けしましたが?」
「あらそう。固かったかしら?」
 あゆみはたじろぐように少し目を見開くのでありました。「別に普通にやっていたつもりだったけど、でも矢張り、固かったかしらね」
 あゆみが照れたように笑うのでありました。「万ちゃんには何も隠せないわね」
「何か、あったのですか?」
 万太郎があゆみの顔を覗きこむのでありました。
「うん、まあ、ちょっとね」
「話し難い事ですか?」
「話し難いと云えば話し難いし、そうでもないと云えばそうでもないし、・・・」
 あゆみは何ともまわりくどい事を云って暫し口籠もるのでありました。
「話し難い話しならば、僕はこれ以上何も聞きませんが」
 万太郎がつれなくそう云うとあゆみは眉尻を下げた何とも情けなさそうな顔をして、やや上目に万太郎を見つめるのでありました。あゆみにそんな表情で見つめられた経験が今までなかったから、万太郎は内心大いに怯むのでありました。
「実はね、他でもない、新木奈さんの事なのよ」
「新木奈さん、・・・の事ですか?」
 ここで思わぬ名前があゆみの口から出てきたものだから、万太郎は不興気に眉根を寄せるのでありました。「新木奈さん、・・・が、どうかしたのですか?」
「あたし新木奈さんと、この前二人で、調布の喫茶店で逢ったの」
(続)
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