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お前の番だ! 177 [お前の番だ! 6 創作]

「いや、実は前から気にはしていたのです。まあ、入門から三年も経っているのに今更何ですが、花司馬先生が、あゆみ先生、とちゃんと尊称をつけて呼ばれているのですから、僕なんかも当然そう呼ばなければならないかと、今日改めて思ったのです」
「別に、今の儘で良いんじゃない?」
 あゆみは万太郎の蟠りを軽く往なすように云うのでありました。
「しかし、花司馬先生がそう呼ばれているのですから。況や僕ごときが、・・・」
「万ちゃんが内弟子に入るより前に、あたし一度花司馬先生に、あたしを先生と呼ぶのは止してくれないかって云った事があるの。でもその時は、あたしが子供の頃から常勝流を習っているのだから、実年齢は別にして、自分より遥かに姉弟子に当たるのだからそう云う人を、先生、と呼ばないわけにはいかないって、そう頭から断じられて仕舞ったの」
「花司馬先生らしい律義なお考えですね」
 万太郎はその折の花司馬筆頭教士のしかつめ顔が目に浮かぶようでありました。
「でもあたしが年長である花司馬先生に、先生づけで呼ばれるのは如何にも不自然ではないでしょうかって食い下がったんだけど、いいやそうはいきません、武道にあって入門の順を疎かにしたりすれば、他の門下生にも示しがつきませんし、敬称順列の乱れが延いては技法の乱れにもつながって仕舞います、なんて大真面目な顔で説かれて、この頑固さとあれこれ渉りあうのはとてもしんどいなって、ちょっとげんなりもしたの」
 あゆみはその時を思い出して困ったように少し眉根を寄せるのでありました。その顔は話しの内容とは全く関係なく、如何にも可憐に万太郎には見えるのでありました。
「へえ、そんな事があったのですか」
 万太郎はあゆみの顔から視線を外しながら応えるのでありました。
「だからあっさり諦めたの。ま、好きなように呼んで貰えば良いかって」
「でも考えてみれば、花司馬先生のお考えにも一理あるかなあ」
「ねえ万ちゃん」
 あゆみに改まってそう呼びかけられて、万太郎はあゆみの方を向くのでありました。あゆみの眉根の皺がより深くなって、つまりより可憐な表情になっているのでありました。
「な、何でしょう?」
 万太郎はどぎまぎとしながらあゆみの顔をやや上目に窺い見るのでありました。
「万ちゃんまでそんな四角四面な事考えないでね。ずっと、あゆみさん、て呼んでくれていたんだからそれでいいじゃない。その方がこちらとしても余程気楽なんだからね」
「押忍。・・・じゃなかった、はい」
 万太郎が云い直すのは、ここは道場ではなく娑婆だと思い至った故であります。
「全く、武道をやっている人は堅苦しい事が好きな人が多くて困るわ」
「でも総士先生なんかは如何にも飄々としていらして、道分先生にしても大いに捌けていらっしゃると云った印象で、ちっとも堅苦しい感じはありませんが?」
「でも二人共、根は堅苦しいのよ」
「それに興堂派の若先生なんかは、堅苦しい感じはまるっきりしませんけどね」
(続)
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