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お前の番だ! 172 [お前の番だ! 6 創作]

 万太郎が二人の目線の交差に容喙するのでありました。威治教士は咄嗟に笑いを顔から全消去して、万太郎に険のある横目を向けるのでありました。
 威治教士は万太郎が徐に差し出した筆を無愛想に取ると、上体を屈めて芳名録に署名するのでありました。一応興堂派道場の跡取りとして書道はある程度修めているようで、未だ文字の良し悪しがよく判らない万太郎が見ても、なかなか達者な楷書でありました。
「あゆみさんの書はどの辺りに展示してあるのかな?」
 威治教士は上体を起こしながらそう訊くのでありました。
「ああ、あちらの方に二点展示してあります」
 あゆみは先程威治教士から届いた花が飾ってある方とは反対側の壁を、掌を上にして指し示すのでありました。威治教士はそちらに視線を投げるのでありましたが、受付の前から動く気配は全く見せないのでありました。
「よろしければご案内しましょうか?」
 あゆみが気を利かせてか申し出るのでありました。豪勢な花篭と熨斗袋を貰っている手前、疎かなあしらいは出来ないと云う事でありましょう。
「それじゃあ、お願いしようかな」
「では、こちらへ」
 あゆみは受付のテーブルから身を離して威治教士を奥の方に誘うのでありました。万太郎は二人が並んで奥に進むのを見送りながら、静かに椅子に腰を下ろすのでありました。
 開場と同時に来客が立てこむのでありました。忙しいけれども目が回る程の忙しさと云う感じじゃないと先にあゆみが云っていたのでありましたが、どうしてどうして、書道展の受付と云う仕事に慣れていない万太郎は大わらわとなるのでありました。
 途中から、先程会場設営を伴にした女性が一人、見かねて万太郎の横に来て手伝ってくれるのでありました。万太郎は奥で談笑しながら展示してある書を並んで見ているであろう、あゆみと威治教士の方に注意を向ける暇等まるっきりないのでありました。

 興堂派内弟子の堂下に先導されて向かった師範控えの間では、興堂範士と花司馬筆頭教士が茶を飲みながら談笑しているのでありました。そこに威治教士の姿も在るのは、珍しいと云えば実に珍しい光景と云えるでありましょうか。
 威治教士は師匠であり父親でもある興堂範士に限らず、目上の畏まるべき人との同席があんまり得意ではないようでありました。普段なら億劫がって呼ばれなければ控えの間には現れず、道場に居残っていたり、内弟子部屋や、次の稽古時間まで間があれば外に出て、喫茶店とかで取り巻き連中と戯れ言でも云いあっているのが常でありました。
「おお、ご苦労さん。さあさあ、中にお入りなさい」
 興堂範士が廊下で正坐してお辞儀する万太郎とあゆみに声をかけるのでありました。
「失礼いたします」
 あゆみはもう一度丁寧に頭を下げてから膝行で座敷に入るのでありましたが、万太郎は弁えを保って廊下に正坐して控えているのでありました。
(続)
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