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大きな栗の木の下で 63 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 御船さんは掌を沙代子さんの背に翳した儘、声を出せずに何時までも体を強張らせているのでありました。急に泣き出すことはないじゃないかと、強張った頭皮の奥の方で思うのでありました。まあ、当時の心境を思い出して感情が激したからでありましょうが、こう云う状況は実に困るのであります。何が困るかと云うと、挙げた掌の持って行き場がなくて、この儘では肩が疲れて仕舞うではありませんか。・・・
 沙代子さんがゆっくり頭を起こすのでありました。その動作で翳した儘にしている掌が沙代子さんの後頭部に触るのを避けるため、御船さんはおずおずと掌を引くのでありました。引っこめられた御船さんの掌は御船さんの頭に着地して、そこを三指で何度か掻き毟るのでありました。
 沙代子さんは膝を抱えていた手を解いて、拳で瞼を押さえるのでありました。それから傍らにずっと置いていた小さな手提げバッグを取って、中から白いハンカチを取り出すとそれで涙を拭うのでありました。
「ご免ね、泣いたりして」
 沙代子さんは小さく鼻を啜ってから、照れ笑いながら云うのでありました。いやどう致しましてと云うのも妙だから、御船さんはなんとなく気弱そうに笑っているしかないのでありました。頭に載せた儘の三本の指が、またもや御船さんの頭皮の上を何度か行ったり来たりするのでありました。
 零れる涙がほぼ止まったためか、沙代子さんはハンカチで目頭を押さえる仕草を止めるのでありました。しかしハンカチはバッグの中に仕舞わずに、沙代子さんは両手に隠すように握った儘にしているのでありました。
「なんか急に、勝手に涙がでちゃったのよ」
 そう云って少し上目に御船さんを見る沙代子さんの睫が未だ少し濡れていて、瞼がほんのりと赤く腫れているのでありました。御船さんは不謹慎であるとは思うのでありましたが、その沙代子さんの目が妙に色っぽく見えるのでありました。御船さんはたじろいで沙代子さんの目から怖ず々々と視線を外すのでありました。
 女の涙なんぞと云うものは、確かに急に勝手に出てくるものであるらしいと云うことは、女性の友達が少ない御船さんとしても、なんとなく聞き知ってはいるのでありました。本当に、当人の了見に関わりなく、それが不随意に出るのを避けられないのであれば、これは実に厄介な代物であろうと思われるのであります。況やそれを見せられるにたち至った男共にとっては、当の女本人よりももっと扱い難い厄介至極なものであると云えます。それにまた、全く忌み嫌うべきものであるとは云い難いところが、益々以て厄介至極なところでもあるのでありますが。
「本当にご免ね、あたしが突然泣いちゃったものだから、白けさせたみたいね」
 沙代子さんが手持無沙汰に俯いて黙りこんでいた御船さんに云うのでありました。
「いやいや」
 御船さんはそう返しながら頻りに手を横にふって見せるのでありました。「白けてなんかいないよ。落ち着くまで、こうして黙って腕時計と沙代子の按配とを見ていただけだよ」
(続)
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