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大きな栗の木の下で 62 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 矢岳君のプライドの高さからすれば、その頃の矢岳君の境遇と云うものは、仕事の上でも生活の上でもすごく不本意だったと思うの。不本意続きだったと思うのよ。矢岳君今まで周りの人に結構ちやほやされていたし、自分はちやほやされるべき者だって云う自信家でもあったからさ、そう云う人って、ほら、一般的に逆境に弱いじゃない。
 だから、ちょっとひどい云い方をすれば、矢岳君は赤ちゃんの父親だと云う自覚の前に、先ず咄嗟に、あたしと赤ちゃんが世界の中心に居ることに、或る意味で僻みみたいなものを持ったんだと思うの。勿論順境だったら、矢岳君はもっと大らかな心根で居られたんだと思うの。でも折り悪く逆境のど真ん中に立っていたから、気持ちが隘路に追いこまれて仕舞っていたのよね。
 本人は一方ではちゃんと判っていたんだと思うの、自分の了見の狭さや、依怙地な態度や、それを改めたいのに改められないって云う潔くないところを。でもプライドの高い人って、それがなかなか出来ないのよね、判っていても。
 まあ、今でこそあたしこんな、その時の矢岳君の気持ちの分析みたいなこと、こうしてわけ知り顔で話しているんだけど、当時はただ、矢岳君はどうして、自分の子供がこの世に誕生したって云うのに、こんな冷たくなっちゃったんだろうって、そんな悲しい思いだけだったかしらね。矢岳君もあたしと同じに、ちょっとだけど安定感みたいなもの、一緒に感じてくれればいいのにってさ、そう思うばかりだったわ。
 でも赤ちゃんの世話をするって云うのは、生活がもうそれ一色になって、他のことなんか気にしていられないのよ。特にあたしみたいに、今までのほほんと呑気に生きてきた人間にとってはさ。赤ちゃんの為にやることが、もう、一杯あるの。だから矢岳君のそんな態度は大いに気にはなるけど、それはそれとして、そっちの方まで構っている暇なんか全くないのよ。なにより先ずあたしは、赤ちゃんの世話が第一なの。
 矢岳君にすれば、それがまた不満なわけ。それを不満になんか思っちゃいけないってこと、ちゃんと判っているから余計、矢岳君は不満が募るの。あたしへの不満ばかりじゃなくて、思い知らされた自分の狭量さにも、自分がちゃんとあたしをフォロー出来ない無力さみたいなものにも、それに仕事が予想に反して上手く運ばないもどかしさや不安なんかもひっくるめて、やりきれなくなっちゃうのよ。
 だから矢岳君は、結局、家に居ようとしなくなったの。そうなることは、あたし実は、もう前から予測していた気がするの。だってそうなるしか、ないものね。・・・>

 沙代子さんは急に曲げた両膝を立てて、それを両手できつく抱いて、膝の中に顔を伏せるのでありました。それは屹度、意ならず急にこみ上げてきた涙と、そうやって不用意にも涙を流してしまった顔を御船さんから隠すためであったのありましょう。御船さんはその沙代子さんの様子を見て、甚だしく動揺するのでありました。
 御船さんは咄嗟に沙代子さんの背に掌を置こうとするのでありました。しかしその行為がこの今の場合、沙代子さんとの関係の濃淡から鑑みて、礼を失していないかどうか判断出来なかったものだから、御船さんの掌は途中で動き失くして躊躇うのでありました。
(続)
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