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朝寝がしたい [時々の随想など 雑文]

 この間までは何時までも寝ていることが出来たのでありました。起こされなければ丸一日、いや丸二日でも布団に潜りこんで夢と現の境を、何時果てることもなく彷徨い続けられたのであります。それが家に杖つく歳となった途端、朝七時に目を覚ましたらもう再び意識が枕に奪われることは屹度なくなり、この儘寝そべっていても仕様方もなく、のそりと上体を布団の上に起き上がらせるようになるのでありました。かくなりたるは、要するにもう先が短いのだからなるだけ長く現の世界を生きろと云う、天の慈愛に満ちた配慮かともちらと思ったりするわけであります。
 もう少し微に入って云えば、朝七時に目を覚ますのではなくて払暁に前以って目を覚ますのであります。それは小便の用をなさんがための場合もあるのでありますが、特にその用なくとも何故かその刻決まって我が眦を開かしめるのは、これは先に云った天の配慮ならなにもこの時間に一端、夢の淵から我が意識を水面に引っ張り上げることもなかろうと、その念の入ったお節介ぶりを疎ましくすら思うのであります。いくらなんでもこの時刻に起き出すのも勿体ないような半端なような気分でありますから、その後はうつらうつらと寝ているのか覚めているのか定かならぬ境地で、七時の目覚ましの鳴るのをぼんやり待つのであります。そう云えば小便に行く間隔なんぞも、随分と短くなった昨今でありますか。
 で、ありますから、かの有名な膀胱炎、いや元へ、孟浩然の『春暁』にある「春眠不覺暁」の句を、実に以って恨めしく思うこの頃なのであります。春眠に限らず、厳冬の最中だろうが盛夏の只中だろうが、拙生の睡眠と起床は大概このような按配なのであります。
 ところで、この孟浩然は中国は唐の時代の玄宗期に重なる人でありますが、この期は唐の文化が絢爛と花開いた時であると同時に、佞臣李林甫の登場や玄宗の楊貴妃への耽溺、安史の乱と云った乱雲がその国土を覆い、頂点を越した国運が衰退へ向かう分岐点でもあったのでありました。孟浩然は李白、杜甫と云う盛唐を担う代表的詩人の登場のやや前に位置づけられる詩人であり、中央に出仕することもなく土地の名望家としてその一生を終えた、云わば或る意味で結構幸福な詩人であったと云えます。『春暁』の、朝寝から覚めて鳥の声を聞きながら、足りた睡眠に満足して伸びをしながら、昨夜の風雨の激しさに庭の花がどれだけ散ったかを気にかけると云った、緩やかで、温よかで、脳天気で、他愛もない詩情が、時代が急激に暗転するほんの一瞬前の、砌の、名残のような静けさの中で詠われた詩であると見るなら、それは或る意味で悲痛な詩の顔にも見えるのであります。
 それから「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」と云うのは、幕末の志士高杉晋作の手になる都々逸でありましたか。これも高杉の革命児としての苛烈な生き様を背景に秘め持つところの、即興的な他愛ない色恋の戯れ唄として読んでみれば、そこに儚い文学性を認めることも充分出来るでありましょう。
 てなことを払暁から目覚ましの鳴るまでの間、夢と現の汀で、考えているような考えていないような風にダラダラとぽつねんと過ごす拙生は、当然高杉の苛烈さなど毛ほども所有してはいないのでありますし、残念無念、いや元へ、孟浩然のような豊かな詩情も持ちあわせていないのであります。只、どうせ七時以降は眠れないのであるし、昼間に眠たくなるのは叶わないので、単に眠りたいと焦っているだけのことなのでありました。
(了)
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