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家が建つぞ(3) [時々の随想など 雑文]

 ほぼ二月遅れで、家は大方完成するのでありました。棟梁と建築会社の担当者の案内で、拙生は父親と二人で、二階の自分の占有空間になる予定の板張りの部屋を検分するのでありました。一間半の縁側よりは遥かに広くて、矢鱈に細長くもないその部屋を、拙生は大いに満足の面持ちで眺め回すのでありました。南側には大きな窓が設えられていて、木目も艶やかな白い床木と染み一つないクリーム色の壁で出来たその空間が、なにか自分にはえらく勿体ないもののようにも思えるのでありました。
 壁や床の状態を点検する父親に、特に問題がないのなら掃除も含めて二日後には総ての工事が終了する予定であると、建築会社の担当は説明するのでありました。大工の棟梁は拙生を見ながら「こがん広か自分の部屋の出来て、よかったねえ、坊」と云って笑いかけるのでありました。「坊が見て、なんか足らんもんのあるなら、なんでも云うてよかぞ」そう棟梁に云われても、部屋の広さと美しさに幻惑されている坊にはなにも思い浮かばないのでありました。
 それならばと拙生に代わって父親が、横手の壁に三段の吊り棚を拵えてくれぬかと申し出るのでありました。棟梁はそれを心安く請け負ってくれるのでありました。尤も、この吊り棚は父親にすれば、拙生の教科書やら学習参考書やらの勉強に用いる本類を収納するためのものとして拵えて貰う積りであったのでありましょうが、実際には拙生がその頃凝っていたプラモデルと、それを塗装するための絵の具やシンナーや艶消し剤の炭酸マグネシウムの粉や、様々の太さの筆類の置き場所となるのでありました。
 棟梁はこの吊り棚だけではなくて引き出しの五つついた、飾り彫の施してある大き目の収納箪笥も予算の予定外に拵えてくれたようでありましたが、それは娘婿の体たらくで工事が遅れて仕舞ったことへの詫びであると云う話でありました。この収納箪笥は後々まで、母親が大いに重宝に使っていたのでありました。
 検分を終えて外へ出ると、外水道の水受けを娘婿の左官がモルタルで制作しているのでありました。彼は棟梁に促されて作業を中断すると、立ち上がって父親に自分のせいで工事が遅れて申しわけなかったと頭を深々と下げるのでありました。「こうしてちゃんと仕上がったとやけんが、まあ、よか」と父親は寛容なことを云って彼の肩を一つ叩くのでありました。いよいよあと二日で家が建つぞと拙生は大いに嬉しかったのでありましたが、これで大工の棟梁や娘婿の左官と逢えなくなることと、それに茶菓子のお零れに与れなくなることを寂しく思うのでありました。
 名残を惜しんで父親が退散した後も居残って、拙生は娘婿の左官の横でその作業を見ているのでありました。娘婿の左官は「こがんしてコンクリば打つぎんた、必ず次の日の朝に、犬の足跡のついとるとばい」と拙生に云うのでありました。確かにその頃は野良犬が多くて、どう云うものか未だ乾かないコンクリートを必ず踏みに来るのでありました。野良犬と云うのは塗りたてのコンクリートがことの他好きな生き物のようであります。
 確かに次の日、その水受けには犬の足跡が三つ四つついているのでありました。それはまるで工事終了の検印のようでありました。拙生はこの水受けについた犬の足跡を見ると、大工の棟梁と娘婿の左官のことを後々までも懐かしく思い出すのでありました。
(了)
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