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「四月廿九日。祭日。陰。」1 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 男は蹲った儘目を開くのでありました。疲れ果てて少しまどろんだようでありました。腹痛を堪えるためにしゃがんで両手を腹に押しあてて、体を丸めて押入れの襖に寄りかかったのはもう二時間も前のことでありました。七十半ばをとうに過ぎ、老いさらばえて張りを失った腹の筋肉は、強く圧迫する掌に情けない弾力を伝えているのでありました。首に巻いた儘の茶色のマフラーが顎の無精髭をざらざらと撫でるのでありました。幾らか、今は腹の痛みは和らいでいるような気がするのでありました。
 このところ毎日、男はこの腹痛に悩まされているのでありました。昼頃一日一回の食事を駅前の大黒家と云う蕎麦屋(と云っても蕎麦だけではなく、寿司も天麩羅も鰻も出す店なのでありますが)で摂って、その後家に帰って暫くすると決まって腹痛に襲われるのでありました。若い時から胃腸が弱いのではありましたし、以前も時々こう云った腹痛に悩まされていたのではありましたが、ここにきて必ず食後にそれは発生するのでありました。
 大黒家で食すカツ丼が今の自分の胃には重すぎるのか、それともその時一緒にやる一合の燗酒が良くないのかとも男は考えるのでありました。しかし腹痛が頻発する前から一合酒とカツ丼の食事は決まって続けていたのでありましたから、矢張りここに至って自分の胃の機能が急激に尫弱になったのでありましょう。三月の頭に引きこんで仕舞った風邪が小康を得て以来、特に胃の不調が顕かになってきたのでありました。
 その三月頭の風邪も、結局自分の体の衰弱が引きこんだものでありました。前日、何時も通りに浅草の街に出てアリゾナと云う馴染みの洋食屋で食事中に気分が悪くなり、帰ろうとして貧血のため店外で転倒し店の人に助け起こされたけれど、車を呼ぼうと云うその好意を拒むように浅草駅まで数分の距離を数十分かけて独歩し、タクシーを捕まえて男は市川の家まで帰ったのでありましたが、その後十日程も布団から起き上がれない日が続いたのでありました。臥せていなくとも、家から一歩も外に出られないのでありました。熱が出て咳が暫く連続する症状は正しく風邪でありましたが、しかし要は自分の体のあらゆる機能が急速に低下したのが原因の発症に違いないのでありました。まあ、浅草で気分が悪くなる以前から、なんとなく体調不良の予兆はあったのでありました。
 十日程の間、家事の手伝いに来て貰っている近所の老媼の作った粥すら、食す意欲も湧いてこないのでありました。それがまた余計、男の老衰を助けたのでありましょう。
 漸くその風邪の症状もなんとか癒えて、男は久しぶりに大黒家へ出かける気になったのではありました。しかし高々百メートル程の歩行中に、何度転びそうになったことか。これは浅草の時のような貧血のためではなくて、病臥によって足腰の筋力が極度に衰えたことによると判るのでありました。だからあの時程、驚きはしないのでありました。
 思えばアリゾナ店先で転倒する数日前にも、同じ浅草の尾張屋と云う蕎麦屋で転倒したことがあったのでありました。帰り際に便所に立って、そこでズボンを下ろした姿で引っ繰り返ったのでありました。下ろしたズボンが足を掬ったような風でありましたか。よろけた体を立て直せなくて転んだのは、矢張り足腰の弱化のためでありました。意識はしっかりしていたのは貧血ではなかったからであしましたが、意識明瞭な分だけみっともなさに苛まれて、その後尾張屋の暖簾を潜ることが出来なくなって仕舞うのでありました。
(続)
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