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石の下の楽土には 95 [石の下の楽土には 4 創作]

 この、墓の納骨棺の蓋を開けると云う行為が、もう島原さんのための行為ではなくなっているのでありました。その行為に依って、拙生の四年前の無念と、手つかずの儘の気持ちの整理と、今に至っても時として襲って来る、震え戦慄くような絶望を劈き破る閃光が、棺の中から屹度放たれるのであります。その閃光の中にあの彼女が立ち上がって、拙生のこの四年間で少しくすみ始めてはいるものの、矢張り未だに大きな瘤の儘である気持ちの蟠りを一挙に粉砕してくれるような、神々しい微笑を投げかけるのであります。拙生は島原さんよりももっと突拍子もなく、支離滅裂で、毛程の実現性もない、何の用意もなく吹き上がって来たこの錯乱に唆されて、蓋に添えた手の指に力をこめるのでありました。
 そうして、納骨棺の底に塊のように泥んだ闇の中には、在るが儘の現実が、在るが儘の無表情で、静かに佇んでいるのでありました。放たれるはずの閃光が閃かないので、拙生は懐中電灯を取って、蓋の開かれた納骨棺の中を照らしたのでありました。中には無機質な白い骨壷が三つ、玉砂利の上に慎ましやかに置かれているだけなのでありました。その余りのあっけない当たり前さに、返って拙生の頭は混乱してくるのでありました。
 どのくらいの時間拙生は納骨棺の中を覗いていたでありましょうか。拙生の錯乱が急速に萎むのでありました。漸く落ち着いて、思考の脈絡を取り戻した拙生は、島原さん、矢張り娘はこの中で果てて等いませんでしたよと、口の中で云うのでありました。思った通りです。幾らなんでもそんな馬鹿なことを、娘が仕出かすわけがないのであります。
 娘は島原さんが考えたようなとんでもない理由からではなく、全く別の事情で墓地に姿を現さなくなっただけなのでありましょう。娘の突然の消失が余りにショックだったので、島原さんは惑乱したのであります。
 云ってみれば寂しくこの世を生きていくことになった者同士が、互いの不足を敏感に嗅ぎつけたから、島原さんと娘は出会ったのであります。そしてこの墓地で寄り添ったのです。だから誤解を恐れず云うとすれば、島原さんは娘に恋をしたのです。
 島原さんはその恋人を喪失してしまったのかも知れないと云う恐怖から、想像の底の方へついつい性急に跳び下りて仕舞ったのです。でもそれは、矢張り惑乱と云うべきものなのであります。待ってさえいれば娘はひょっとしたらまた、島原さんの前に現れるかも知れないではありませんか。娘の家族の墓がここに在る限り、娘は屹度またここへ来るでしょうし、その可能性はかなり高いと云えるでありましょう。少なくとも、拙生が高校時代につきあっていた彼女が、再び拙生の前に現れる可能性よりは、遥かに、遥かに、遥かに、高いではありませんか。・・・
 外れた島原さんの危惧が、恥ずかしそうに納骨棺の縁から夜の闇の中へ消え登って行くのでありました。その後を追うように、拙生の錯乱がきまり悪そうに俯いて、同じく夜の闇の中に消えて行くのでありました。
 拙生は納骨棺の蓋を元通りに閉めるのでありました。ひょっとして島原さんが墓地に来て、この蓋が前と違う風に歪んでいたり、或いは綺麗に嵌っていたりしたら、また余計な混乱をするといけないから、拙生は元の歪みをその儘再現しておくのでありました。
 ・・・・・・
(続)
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