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枯葉の髪飾りCLⅩⅩⅣ [枯葉の髪飾り 6 創作]

 或る夜どうしても不安を抑えきれずに、拙生は叔母に電話を借りて彼女の家に電話をしたのでありました。電話に出たのは彼女のお母さんでありました。
「ああ、井渕君」
 そう云う彼女のお母さんの声は、何時も聞いていた声とは違って暗く沈んでいるのでありました。それにどこか拙生に対する今までの気安さが微妙に脱色されているような風で、感情の冷えを湛えているように感じられるのでありました。拙生はこの前吉岡佳世から再び入院した旨の手紙を受け取ったのだが、その後の経過はどうなのかと、彼女のお母さんの第一声から察すれば、良好と云う経過説明は先ず聞けないだろうと悟るのでありましたが、しかし一縷の望みを期して質すのでありました。
「今度は肺に、重か病気の出とるとよ」
 彼女のお母さんはそう云った後、次の言葉を飲みこむのでありました。拙生は彼女のお母さんのこの沈黙で、吉岡佳世の容態がかなり悪いことを理解するのでありました。本当は前の心臓の手術の後すぐに、肺にごく小さな異変があることは、家族には知らされていたと云うことでありました。しかしそれは今後の適切な処置で、充分克服できるものであろうと云うことであったそうであります。
 細気管支肺胞上皮の腫瘍、と彼女のお母さんは云うのでありました。それは今回の入院に際して、改めて吉岡佳世に付与された病名なのでありました。拙生は医学的な知識がないものでありましたから、その病気がどのようなものであるのか、名称を聞いただけではまったくイメージが湧いてこないのでありました。拙生はもう一度彼女のお母さんからその病名を聞き質して、電話機の傍らに置いてある小さな紙片に書き止めるのでありました。今度は肺を守るために、ひょっとしたらもう一度、吉岡佳世の体にメスを入れことになるかもしれないし、それはまだ不確定であると、再度病名を云った後に彼女のお母さんは続けるのでありました。
 電話の最中に彼女のお母さんが声を詰まらせてみたり、時に長すぎる沈黙をしてしまうところから、彼女の今回の入院が予断を許さないものであろうところは、充分に判るのでありました。拙生は、一気に追い詰められたような気分になるのでありました。
「どがんね、そっちの方は?」
 電話の最後の方で話題を変えるように彼女のお母さんは拙生の近況を尋ねるのでありましたが、勿論それは明るい話題でこの拙生からの電話を締め括ろうとする、彼女のお母さんの配慮からのものでありましょう。拙生は大学にも東京暮らしにも大方慣れたし、新しい友達も出来たと簡単に近況報告をするのでありました。しかし髪型も服装も前と殆ど変わらないし、それに水商売のアルバイトはやっていないとも云い添えるのでありました。
「それじゃあ、体に気をつけてね。夏休みに逢えるとば、楽しみにしとくけんね。そん頃には、佳世が元気になっとるぎんた、よかとやけど」
 彼女のお母さんはそう云って受話器を置くのでありました。拙生は吉岡佳世の病名を記した紙片を掴むと、電話を借りた礼を云うのもそこそこに叔母の家を出てアパートの自室に戻るのでありました。
(続)
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