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枯葉の髪飾りCⅨ [枯葉の髪飾り 4 創作]

 東京では叔母の家に荷を下ろすと受験する大学の下見やら、交通事情の把握やら久し振りに会う親類との歓談やらでなんとなく忙しく過ごして、そう斯うしている内に三校受験する最初の大学の受験日を迎えるのでありました。その後の一週間で、出来具合は別として恙無く総ての受験を終えた拙生は、開放感にようやく肩の力を抜くのでありましたが、気になるのは吉岡佳世の恢復具合であります。大丈夫であろうとは思うのでありましたが、矢張り心配と云えば相当に心配なのでありました。こうも長く彼女の顔を見ないで過ごしたことがなかったために、彼女に逢いたいと云う気持ちも募りに募って、佐世保へ帰れる二日後を待ちきれなく思うのでありました。
 そう云えば最初の大学の入試でこんなことがあったのであります。それは世界史の試験で「A.D.(A)年、明王朝を開いた(1)は流民の出身で、中国歴代王朝の始祖の中で庶民から身を起こした者は、嘗てB.C.二〇六年に王となりB.C.(B)年に皇帝と称した(2)の(3)と二人しか居ない云々」とか云う問題で、ABに数字を、1と3に人名を、2に王朝名を記入する問題でありましたが、Aは一三六八、Bは二〇二、1は朱元璋、2は漢、3は劉邦と云うのが答えであります。この朱元璋の「璋」の字が拙生にはどうしても思い出せないのでありました。嘗て体育祭の日に無断で吉岡佳世を病院まで見舞いに行った拙生は担任の坂下先生から罰として歴代中国王朝名とその創始年、王朝を開いた人物名を暗記してくると云う宿題を出されて、四苦八苦してそれを覚えたのでありましたから、答えは総て判ったのでありますが、その漢字の偏だけがあやふやなのでありました。
 幾ら頭の隅からその字をほじくり出そうとしても確信のある文字が浮かばないのが悔しくて、拙生は学生服の内ポケット辺りを左手で触って吉岡佳世の写真に縋るのでありましたが、そうするとあらあら不思議「璋」の字が瞼の裏に忽然と現れたのでありました。拙生の驚喜する様は普通ではありませんでした。同時に吉岡佳世のおまじないの神秘に打たれたのでありました。
 この事実は、帰って吉岡佳世に話してやったら屹度彼女も面白がるであろうし嬉しがるに違いないと、拙生は東京のお土産話を一つ手に入れた気になったのでありました。しかし彼女を喜ばせようとして拙生が話を作ったと思われるのも嫌なので、この話にリアリティーを持たせるべく語るにはどう云う喋り方が良いのか、どう云う展開で語る方が真実味が有るのか等と考えていたら二日間はようやく過ぎて、いよいよ佐世保へと帰る日が到来したのでありました。
 拙生は叔母に入試の合格発表を見に行って貰って、その結果を電話してくれるよう頼んで、其の家の玄関を急ぎ足に出るのでありました。
「何処かに合格しとったら、すぐに知らせてくれんばばい」
 そう云い置いて逗留させてもらった礼の言葉を述べる時間も惜しむように出て行く拙生に、叔母は屹度眉を顰めたことでありましょう。これでようやく吉岡佳世に逢えると思うと拙生は心急きながら、叔母の家のある世田谷から私鉄と国電の中央線を乗り継いで、佐世保行きの寝台特急さくら号の出る東京駅へと向かうのでありました。吉岡佳世へのお土産は件の入試の時の話と、お茶の水の有名な画材屋で買った写真立てでありました。
(続)
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