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枯葉の髪飾りⅩⅩ [枯葉の髪飾り 1 創作]

「お前、本気で東京で大学生になる気にならんばだめぞ」
 拙生は云います。「そうなったらいいか、とか云うとじゃなくて、本気の本気でぞ」
「うん判った。本気で大学生になりたいて思う」
 吉岡佳世はそう返すのでありますが、どこかその彼女の云い様にまだ切実さが感じられないのであります。やはり心の底の方では断念しているような匂いのするその声に焦れて、拙生はもっと彼女を鼓舞しようと思うのでありました。しかし彼女の病気のことやそれにその病気を核に(核にせざるを得ずに)組み立てるしかなかったであろう彼女の将来像と、その細った将来像に対する彼女の悔しさや遣る瀬なさを斟酌すると、拙生は軽はずみにそれ以上の言葉を重ねることに気が引けてくるのでありました。だから拙生は云うべき言葉を唇で堰き止めて彼女をじっと見るしかないのでありました。
「井渕君て、優しいね」
 暫く二人黙った後、吉岡佳世が拙生を見てぽつんとそう云うのであります。「判ってるって。あたし本気で大学生になるつもりに、なるから」
 そう云う彼女に拙生はひとつ頷きを返すだけでありました。彼女の顔にかかる麦藁帽子のつばの陰が縦に少し動いたのは、彼女も頷いたからでありました。
「あたしにも東京に親類が居るとよ」
 彼女が云います。「叔父さんが東京に住んでいて、小さか頃は従兄弟が夏休みにこっちに遊びに来たりしとったの」
「ふうん、結構親しくしとるとか、今でも?」
「うん、手紙とか電話とかするよ、そんな頻繁て云うわけじゃないけど」
「そんなら好都合やっか。東京では其処に厄介になればよかし」
「そうね。あたしが東京に行ったら、きっと面倒見てくれるて思うよ」
「段々、現実味が出てきたぞ」
 拙生はなんとなく嬉しくなるのであります。
「話してたら、なんか凄く本当に、東京で暮らしたくなってきた」
「よしよし、その調子ばい」
「勉強してないし、進級もまだはっきりせんから来年は無理て思うけど、再来年とかならあたし大学受験出来るかも知れん、体さえ大丈夫になれば」
「何年かかってもよかくさ。オイは多分一足先に東京に行って待っとるけん」
「うん、待っとってね。きっとそがんなるように頑張ってみるから」
 吉岡佳世は拙生をじっと見るのでありましたが、彼女の目には海に煌めく無数の波頭がよりくっきりと映っているのでありました。
 あまりに長く夏の海辺の日差しの中に居るのも良くないであろうと云うことで、彼女の体を気遣って拙生と彼女は手を繋いで小屋に戻り、そこでまた暫く話をして過ごし、あまり遅くならない時間に海水浴を切り上げるのでありました。まあ我々の勝手な希望と云うこと以上ではありませんが、彼女の今後の目途が立った限りは、これからは第一に彼女の体を厭わなければなりません。それ故の早切り上げであります。
(続)
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