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毛布と拙生のややこしい関係Ⅰ [本の事、批評など 雑文]

 夏場、暑くて寝しなに剥いでいたタオルケットが、明け方に体が冷えて目が覚めて必要とする時には布団の上にはなく、足もとの遥か手の届かないところにあって、態々拙生は上体を起こしてそれを取らなければならない場合があります。すぐ横に、掛けようと思えばすぐに掛けられるように用意していたはずのタオルケットは、いざその瞬間を迎えた時には決まって、在るべき場所から遥か遠方に勝手に移動してしまっているのであります。
 これが冬の夜となると、布団に潜りこんで蹲り足先の冷えが体から抜け去る時を今かいまかと待っていても、いつまで経っても足先は氷のように冷めたいままで、その間は寝つけないで困ってしまうことがあります。敷布団と毛布と掛け布団の関係の何処かに破綻が起きていて、きっとそこから冷気が侵入してくるためであります。拙生は足を動かしてまず毛布の具合を平らに均し、どこかにあるであろう隙間を塞ごうと試みるのであります。しかしやはりまだ冷気の侵入口は完全に塞がれてはおらず、足先は冷たいままであります。仕方なく一旦起きあがって布団を取り除け、毛布を少しの隙間もない様にきれいに均し直してから、その上で掛け布団を被せて、この布団もこれでもかと云うくらい平らに均して、静かに毛布と布団の形状に動揺を与えないように体を中に納めていくのであります。しかしまだ冷気は何処からか侵入してきます。首元が怪しいと思い毛布を手繰り上げて首の辺りの隙間を埋めるのでありますが、その手繰り上げ方が悪かったのか、またぞろ足先の方から冷気は布団の中に忍びこんで来るのであります。やれやれ。
 ユーリー・カルロヴィチ・オレーシャの『羨望』(集英社文庫・木村浩訳)と云う小説の冒頭辺りにある「わたしはいつも毛布とややこしい関係をもつ」と云う記述を思い出すのであります。その前後を引用すると「品物はわたしを愛してくれない。家具はわたしに脚払いをくわせようと機会をうかがっている。ワニス塗りの何かの角が、いつだったか、文字どおり、わたしに噛みついた。わたしはいつも毛布とややこしい関係をもつ。わたしに出されるスープはいつまでたってもさめない。何かちょっとしたもの-お金とかカフスボタン-が机から落ちると、それはきまって、どけにくい家具の下に転がりこむ。わたしは床を這う。そして、頭をあげると、食器棚が冷笑しているのが見える」とあります。
 オレーシャは一八九九年ウクライナでポーランド人の家庭に生まれ、十代で黒海沿岸のオデッサでロシア革命に遭遇し、その後モスクワに出て『羨望』で一躍ソヴィエト文学の寵児となった作家であります。『羨望』はオレーシャの社会主義体制との齟齬感をリリカルに表現した作品でありますが、社会主義リアリズムがソヴィエト文学の基調、と云うかそれ以外のものは容認しない体制の中にあって、彼は次第に書く場を失って、時に沈黙し、時に体制賛美の評論や映画シナリオを書き、困窮し酒に溺れ、その後スターリン体制の終焉で彼にも雪解けが来たのですが、一九六〇年六十一歳で此の世を去ったのでありました。オレーシャに関しては、最近では岩本和久氏の『沈黙と夢-作家オレーシャとソヴィエト文学』(群像社刊)に詳しいのでそちらを読まれるのをお勧めするのでありますが、拙生は先に引用した記述に関して、ちいと軽いこと等書いてみたいと思います。
(続)
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