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素足に雪駄で [時々の随想など 雑文]

 二十代後半からずっと雪駄を愛用してきたのであります。雪駄はその手軽さと、下駄のように高らかな音を出して我此処に在りと宣言しながら歩くような、云ってみれば傲慢さがないので好きな履物であります。特に道と云えばアスファルトやコンクリートだらけの昨今、そこを歩く下駄の音はいかにも時代錯誤的な感じがするではありませんか。その点雪駄なら比較的静かでありますし、静寂を尊ぶ図書館に入るのも大丈夫であります。雪駄ならいざと云う時にそのまま走ることも出来ます。ま、その履物としての姿形は下駄も雪駄も、アナクロと云う点で五十歩百歩ではありましょうが。
 荷風散人の『日和下駄』の出だしには、いつも日和下駄を履き蝙蝠傘を持って歩くと記してあります。その効能が以下綴られているのでありますが、永井荷風が歩いた大正時代の東京と今の東京では道路の事情はまったく変わってしまっているでありましょう。彼の人が述べる下駄の効能も今の東京では、さほど大げさに云いつのるほどの有難味はないでありましょう。荷風は自筆のイラスト等によると足袋を履いておりますが、この足袋が泥濘のために汚れないようにするには、成程高下駄の方が適していたのでありましょうか。
 しかし、拙生は今の東京を生きております。それに足袋を用いません。いつも素足であります。濡れても汚れてもつるっと拭けばそれでよしであり、足袋を守るために地面からの一定の高さを必要としないのであります。履物の好みは、これは彼の人と拙生の生まれ育ち、気風の違いでありましょう。ついでに云うと蝙蝠傘も持ち歩きません。生来根性がずぼらに出来ているせいか拙生は手ぶらを尊ぶ者であります。しかしそれにしても下駄で歩きまわるとなると、きっと荷風散人は散歩の度にひどく疲れたでありましょうに。
 荷風も晩年の写真を見るとスーツにネクタイ姿、皮靴に、トレードマークの蝙蝠傘と財産一切を入れたボストンバックでありますから、やはり戦後は道路事情の変化によって日和下駄を必要としなくなったのでありましょうか。ちなみに帽子は中折れ帽、時にベレー帽、ボストンバックの代わりに買い物籠と云う出で立ちもあり、時々名残のように下駄姿の写真も見られます。自筆イラストのような和服に足袋に日和下駄、蝙蝠傘に鍔つき帽子と云った姿はやはり大正時代限定のものでありますか。
 それにつけても拙生の雪駄であります。昨年は電車に乗る場合を除いてついに雪駄で一年を通しました。家から仕事場までは歩いて数分でありますが雪駄は拙生の通勤履であります。雪の積もった日も台風の日も雪駄で通ったのであります。仕事場でも靴下を履くのが面倒でそのまま裸足でおりました。冬場は拙生の裸足をみる人悉くが奇異の目を拙生の足元に落とし寒くはないかと聞くのでありますが、拙生は平然と「貧乏で靴下を買うお金もありませんから」と莞爾として云い放つのであります。「なんせ一年中雪駄ですから、靴下足袋の類は一切用いないのであります」と雪駄の件もそれとなく云い添えます。
 拙生としては冬場の素足を褒めてもらうより、雨の日も風の日も雪の日も雪駄で外を歩くそのへそ曲がり振りに驚嘆してもらいたいのでありますが、冬に靴下も履かないで居るへそ曲り振りの方が他所様には思いの他であるらしく「一年中雪駄」の方には食いつきがいま一つ芳しくありません。まあしかし、通勤の数分であるから冬の戸外にあって素足に雪駄でも我慢の内でありましょうが、これで一時間も外を歩くとなるとさすがにそう云う豪胆さは持ちあわせてはいない拙生であります。
 ふとパソコンから目をそらした先に愛用の雪駄があったものですから、こう云ったことを少々書いてみた次第であります。つまらん事でまことに恐縮であります。・・・
(了)
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ジョウビタキ

はじめまして。「永井荷風」タグ検索にてお邪魔しました。
文章が完成していて非常に読みごたえのあるブログですね!
これからも時々お邪魔いたしたく存じます。
by ジョウビタキ (2008-12-16 22:16) 

汎武

ジョウビタキさんコメントを有難うございます。荷風散人は人生の達人として、その総てではないのですが敬愛する御仁であります。
このコメントを御縁に古書のこと等今後、色々ご教示ください。
ところでドラマの『坂の上の雲』に拙生の知人が正岡子規の友人役でエキストラ程度ではありますが、出演するはずであります。拙生も楽しみにしているのであります。
by 汎武 (2008-12-16 22:38) 

ジョウビタキ

こんにちは。ジョウビタキです。こちらこそ、宜しくお願い申し上げます!
ところで、御朋輩様が『坂の上の雲』にご出演とはなんと羨ましい!しかも子規友人役で!伊予時代でしょうかそれとも東京時代でしょうか?いちだんとドラマが楽しめますね。
by ジョウビタキ (2008-12-17 13:48) 

汎武

ジョウビタキさん、この子規の友人役と云うのが実は拙生の合気道の弟子筋の人間で、今売り出し中の若手エキストラ(!)であります。もうちっと売れたらその素性をご報告させていただきます。坊主頭で書生風で子規役の俳優さんと肩を組んだ写真を見せてくれましたが、恐らく伊予時代の友人でありましょう。
by 汎武 (2008-12-17 17:57) 

マッスー

雪駄で検索して来ました

私は一本下駄が好きなのですが、やはり音が大きく 謙虚さに欠けます

その点、雪駄で歩く時は音も無く、質素に歩けます

足袋を履くか履かないかという疑問が湧きましたが

私はやはり雪駄を大事に使いたいという思いと、足は汗のかきやすい場所ですので、清潔な感じがする足袋を履いています

雪駄や地下足袋がはやると嬉しいです
by マッスー (2013-08-21 22:45) 

汎武

マッスーさんコメントを有難うございます。
足袋は紋付羽織袴の正装の場合には必須ですが、
普段はサラッと素足の方が粋かなとか、一方で愚考します。
雪駄が流行るのは大歓迎ですが、そうなるとへそ曲がり
の拙生としては、他のアナクロな履物を竟探して仕舞います。
わらじなんぞは履く時に一々面倒そうですかなあ。・・・
by 汎武 (2013-08-22 10:37) 

若造

雪駄に裸足はヤクザやゴロツキの格好だとおじいちゃんに教わりました。音がするからとか現代の道路事情もあるかもしれませんが、やはり素足には下駄、雪駄には足袋が粋なのではないでしょうか。
by 若造 (2015-10-21 22:13) 

汎武

若造さんコメントを有難うございます。
「素足には下駄、雪駄には足袋」は「粋」と云うよりは謂わば「定型」でありましょう。「粋」と云う感覚はその「定型」を「崩す」とか「グレる」時に生成される感覚であろうと愚考いたします。依って、ヤクザやゴロツキの格好に、時には不覚にも魅かれて仕舞うと云う感覚があるのは、ある種妥当なところで、これは「粋」への感受性の一端ではありましょうか。
まあ、「粋」と感じるかどうかは全く個的な感受性に属する事柄ですから、その個人がそれをそう感じるのなら、それはそれで良いと思います。
どだい「粋」と云う感覚をあれこれ言葉で解説するこの拙生の駄文なんと云うものは、「野暮」そのものと云えるでありましょうか。
by 汎武 (2015-10-22 10:34) 

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