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あなたのとりこ 128 [あなたのとりこ 5 創作]

「そんな気は更々無いわ」
 那間裕子女史はあっけらかんと掌を横に振って見せるのでありました。「営業としてあたしはウチの会社に入ったんじゃないもの」
「でも営業の仕方に一家言あるようじゃないか」
「見ていたらもどかしくなるのよ。ただそれだけ。前に云ったけどあたしは元々旅行雑誌の編集がやりたかったの。ウチの会社は地図も作っているから、云ってみれば地図作成とかオフセット印刷の知識とか、グラビアの目利きのスキルを習得しようと思って入社したんだもの。まあ、そうじゃない詰まらない仕事もやらされているけどね、現実には」
 那間裕子女史は二杯目のジントニックのグラスを一気に空けるのでありました。

 那間裕子女史のジントニックの一気飲みに付き合う心算は無いのでありましたが、頑治さんもグラスに残ったウィスキーソーダを干すのでありました。
「お代わりを頼みましょうか?」
 頑治さんが気を利かせてすぐさまそう訊くと那間裕子女史は一つ頷くのでありました。頑治さんはウェイターを呼んで、ジントニックとウィスキーソーダのお代わりを注文するのでありました。未だグラスの底の方に少量残している均目さんを見ると、均目さんは微かに首を横に振ったので、均目さんの分は注文しないのでありました。また後からオンザロックではなくて他のものを注文する心算でいるのかも知れませんし。
「へえ、旅行雑誌の編集がやりたかったんですか」
 頑治さんがまたもやここでも無意味な感心顔をして見せるのでありました。こう云う余計な頑治さんのサービス精神が、那間裕子女史の舌の回転に滑らかさを与えているのでありましょうが、まあ、後輩の役目として大した事も無い先輩の一々の言動に感心したり驚いて見せるのは、高校生時代のラグビー部での上級生に対する態度として養われたものでありましょうか。上級生を気分良くさせるのは下級生たる者の役目であると云うのは、無批判にごく当たり前の弁えとしてその時に習得させられた癖のようであります。
「まあ、旅行雑誌に限らないけど、あたしは兎に角編集者になりたかったのよ」
「編集者と云ったら今のご時世、なかなかの花形職業ですよね」
「大手の出版社はね。大学の同級生で大手に入った人も何人か居るけど、聞けばなかなか派手な仕事が多そうよ。それは勿論ちまちました下働きみたいな仕事も大手とは云えあるんでしょうけど、それでも時々羨ましいと思う時があるわ。ウチみたいな零細企業は大凡編集者らしい仕事なんて無いも同然よ。名前の売れた人との付き合いも全然無いし」
「第一ウチは、今は出版社じゃないから」
 均目さんが同調するような、或いは水を差すような事を云うのでありました。
「そうね。今の社長が大日本地名総覧社を引き継いで、その後暫くして社名を変えた時点から出版社じゃなくなったわよね、残念ながら」
「那間さんは大学の同級生の手前、ウチが出版社じゃなくなった事が悔しいんだよね」
「別に悔しくはないけど」
(続)
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U3

 話は貴ブログの記事(作品)とは関係がありませんが、経験のないことを書くのはなかなか大変ですね。
 間違いのないように裏付けを取ったり、想像をかき立てたり色々工夫して何度も読み返して修正してと云った具合に。
by U3 (2018-04-15 16:05) 

汎武

確かにそうですね。
しかし話しを創ると云う営為は経験だけに頼る訳にもいきません。
かと云って想像力だけでばく進するとリアリティーが保証されません。しかもその頼りの我が想像力が貧弱であってみれば。
丹念さと細心さと後は勇気、と云うか、踏ん切りですかね、結局。
by 汎武 (2018-04-15 16:36) 

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