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あなたのとりこ 63 [あなたのとりこ 3 創作]

 頑治さんは高校生の頃から小説本を読むのが好きなのでありました。人間心理の探究とか異世界の風物に憧れるとか、或いはグッと実用本位のところで語彙の収集とか作文能力や文意理解能力の鍛錬とかそう云った向上心タップリの意識は更々無く、敢えて云えば、頁上に物語られる日本語の流れに自分の心の流れを同調させている時間がこよなく好きなのでありました。自分である事からの解放、等と云えば何とも大袈裟でありますが。
 しかしだからと云って頑治さんは別に文学少年、或いは文学青年と云った類の人種でも全くないのでありました。同じくらいの斤量で体を使って激しい運動をする事も好きなのでありました。小学生の頃から体育は得意科目なのでありましたし。
 しかし因みに、幾ら好きな体育とは云え、団体競技よりは個人競技のスポーツの方が好きではありましたか。他者との連携とか協調とかは苦手と云う程ではないにしろ、どちらかと云うと何となくまどろっこしくて大儀に思われるのでありました。
 小説好きは大学生になっても変わらないのでありましたし、専攻の地理学関連の本よりは小説本の方が蔵書としては遥かに多いのでありました。ならば地理学ではなくそちら方面の専攻を選べば良かったものでありますが、しかし専攻学問として小説本に向き合うと云う営為は、何処か自分の嗜好には合致しないような気がするのでありました。で、大学を卒業してからも国内外や時代を問わず小説好きは相変わらずなのでありました。
「さて、お腹一杯になって、これからどうしようか」
 夕美さんが本に目を落とした儘の頑治さんに訊くのでありました。
「そうねえ、居酒屋にでも行くかい?」
 頑治さんはそう云いながらちらと腕時計の方に目を移すのでありました。
「そこで祝杯、と云うのも悪くないけど」
 あんまり気が乗らないような夕美さんの口振りでありました。
「他に何か、これからやる事の候補はある?」
 頑治さんの目はそれとなく未だ腕時計に向いているのでありました。
「ワインでも買って頑ちゃんの家に行く、と云うのはどう?」
 頑治さんはそこで目線を上げるのでありました。
「それは構わないけど」
「その方が気兼ね無くゆっくりとお話しが出来るじゃない」
「ウチにはワインの当てになるような食い物が何も無いよ」
「それも一緒に買って行けば良いわ」
「そうだな、じゃあ、まあ、そうしようか」
 これは元々頑治さんの目論見でもあったから全く異存は無いのでありました。
 二人は中華料理屋を出ると地下鉄神保町駅近くのスーパーマーケットでワインと、幾種類かの調理の要らないツマミ物を買い込んで御茶ノ水駅の方に向かうのでありました。
「ここが頑ちゃんの今度の職場でしょう?」
 日貿ビル道向かいに在る贈答社の入る五階建てのビルの前を通る時に、夕美さんが足を止めて建物を眺め上げながら訊くのでありました。
(続)
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