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お前の番だ! 185 [お前の番だ! 7 創作]

「ああそう」
 大岸先生は奥の方に視線を向けるのでありました。それからそちらに歩き去るのは、あゆみと一緒に新木奈にもう一度愛想をするためでありましょうか。
 万太郎は目の前に置かれた、大輪の赤い花が活けられた花瓶を見るのでありましたが、それは目障りと云うのではないにしろ、しかし何となくそこにあると場所塞ぎであります。万太郎はなるだけ机の端の方に花瓶をそろそろと移動させるのでありました。
 三十分程であゆみと新木奈が受付に戻って来るのでありました。大岸先生は展示場の方で他の来訪者にも愛想をふり撒かなければならないから、一緒ではないのでありました。
「今日は、良い目の保養になりましたよ」
 新木奈があゆみにそう云うのを傍で聞きながら、目の保養、なんと云うのは今時の若い者の云い草かと万太郎は興醒めするのでありました。
「いえ、拙いもので恥ずかしいくらいです」
「あゆみさんの書が一番印象的でしたね。文字が力強く躍動していて、それでいて全体としては繊細でしとやかで、良くあゆみさんの個性が表現されていると感じましたよ」
「恐れ入ります」
「いや、本当に」
 あゆみは照れ臭そうに浅くお辞儀するのでありました。それから頭を起こす時に受付机の端にある花瓶を目に止めるのでありました。
「この花をいただいたのでしょうか?」
「そうです。先程大岸先生が花瓶に活けてここに置いたのです」
 これは横から差し挟む万太郎の言葉でありました。
「まあ綺麗なお花」
 あゆみは花に顔を近づけて、左手の指でそおっと下から支えるように花弁に触れるのでありました。「こんな綺麗なお花までいただいて、今日は本当に有難うございました」
「いや、別に。兎に角、あゆみさんの書を見ることが出来て今日は良かった。書を見て感動を覚えたりしたのは生まれて初めてですよ」
 新木奈はその辺りを大袈裟に且つ念入りに強調するのでありました。
「他に素晴らしい作品が一杯ありますから、そんなに云っていただくと身が縮みます」
「いやいや、あゆみさんの作品が一番輝いて見えました」
 あゆみさんの作品、ではなく、あゆみそのものが一番輝いて見えたと云うのが正しい心の内の表現であろうと、万太郎は新木奈の渾身のべんちゃらを聞きながら秘かに思うのでありました。新木奈はあゆみ以外の他の誰彼も、他人の書も、もっと云えばあゆみ本人の書に対してすらも、初めから実は何の関心も抱いていなかったのでありましょうから。
 この辺は先程来た威治教士と同じ穴の貉と云うものであります。万太郎には威治教士も新木奈にしても、その了見が奈辺にあるか容易に透けて見える気がするのでありました。
 二人のこんな判り易い下心の表出を、あゆみは気づかないのでありましょうか。それとも気づいていても、しれっと気づかないふりをしているのでありましょうか。
(続)
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