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お前の番だ! 186 [お前の番だ! 7 創作]

 新木奈は、もう一度あゆみの書が見たくなったからとか何とか云って次の日も夕方頃に上野までやって来て、あゆみの前に歯の浮くようなべんちゃらの総棚浚えをしてから帰るのでありました。慎に以ってご執心な事であると万太郎は一面感心するのでありました。
 それに展示場で誰に忌憚する事もなくあゆみの書が最も素晴らしいと堂々と公言して憚らないのは、そう云う確固たる表現をあゆみの耳に届けて、あゆみの一種の戸惑いに満ちた驚嘆を誘導する事で、自分の印象を強く焼きつけようとする売りこみの手練手管の一種であろうとも思えるのでありました。まあ、万太郎の読み過ぎかも知れませんが。
 一方の威治教士はと云うと、二日続けては現れないのでありました。さてさて、豪勢なアレンジ花篭と食事を一回と云う売りこみと、花束と来訪二回と云う売りこみとでは、どちらがあゆみの心根に妙なる共鳴和音を響かせ得たでありましょうや。
 それは兎も角として、初日の夕刻には是路総士も会場に姿を見せるのでありました。是路総士は立ち上がった万太郎とあゆみに手を上げながら受付前に立つのでありました。
「よお、ちゃんと仕事をしているな」
 是路総士が万太郎に笑顔を向けるのでありました。
「押忍。・・・じゃなかった、はい」
 万太郎は固いお辞儀をするのでありました。
「一応、これを」
 是路総士は熨斗袋を紫色の袱紗から取り出して受付机の上に置くのでありました。
「これは慎に有難うございます」
 云った後から万太郎は、云ってみれば身内も同然の是路総士に向かってそう云う畏まった謝礼の言葉はこの場合適切かと、ちらと自問するのでありました。「それでは一応、総士先生に催促するのも何ですが、こちらの芳名帳の方にご記名をお願いいたします」
 是路総士は先の威治教士よりも綺麗で風格のある楷書で名前を書き記すのでありました。何でも、大岸先生に聞いたところに依ると、今般の書道展に是路総士の書をと所望したのでありましたが、自分は門外の者であるからと丁重に断られたと云う事でありました。
「あら総士先生、態々お越しいただいて有難うございます」
 大岸先生が是路総士の姿を認めて、受付の方へ小走りにやって来るのでありました。是路総士は大岸先生ににこやかな顔を向けた後一礼するのでありました。

 日曜日の午後五時からの専門稽古が終了すると、師範控えの間で鳥枝範士が、にこやかな困惑顔、で是路総士に話しを切り出すのでありました。
「いやいや、些か小難しい難題が出来いたしました」
「ほう、難題、ですか?」
 是路総士は万太郎が差し出した茶を一口啜ってから云うのでありました。難題だとは云うものの、鳥枝範士の顔には然程のしかつめらしさは浮かんではいないのでありました。
「おい折野、面能美にここに来るようにと云え」
 鳥枝範士の前に茶を置いた万太郎に鳥枝範士が命じるのでありました。
(続)
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