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お前の番だ! 128 [お前の番だ! 5 創作]

「判っています。何度も云いますが、内弟子の大変さはお二人を見ていれば判ります」
 来間は注がれたビールをグイと飲むのでありました。
「道場の内弟子になんかなったら、気儘に旅行に行ったり映画を見たりとか云った趣味を楽しむ時間も、それから彼女と二人でイチャイチャ過ごす時間なんかも全くなくなるし、若い頃にしか出来ない楽しい事も殆ど諦めるしかないな。それで給料が四万円ホッチしかないんだから買いたい物も買えないし、ましてや将来のための貯金も出来そうにないぜ」
 新木奈が来間に矢張り薄笑いを浮かべた儘そう諭すのでありましたが、しかし万太郎は別にこれと云った趣味も道楽もない自分であってみれば、それを楽しむ時間がない事を特に苦痛に感じる事はないと思うのでありました。依って四万円の手当にしても、それは同年代の一般企業に就職した連中に比べれば不足かも知れませんが、万太郎としてはそれだけあれば全く不満のない一か月を悠々と過ごす事が出来るのでありました。
 衣食住が取り敢えずちゃんと保障されていて、手当の四万円は丸々自分の小遣いとして使えるのでありますから、寧ろ同年配の一人暮らしのサラリーマンなんかよりは自由に使える金は余程多いのかも知れません。何よりも、好きな武道の稽古三昧の日々が送れているのでありますから、こんな結構な身の上はないと云うものであります。
「当の折野さんと面能美さんの前で、そんな云い草はないだろう」
 三方が新木奈の言葉に突っかかるのでありました。
「ああいや、それだけ内弟子は大変だと云う意味で云ったんだよ、俺は」
 自分の先の云い方が万太郎と良平に対しては失礼に当たるかもと、すぐに察した新木奈が慌てて抗弁するのでありましたが、新木奈は単なる社会的エリートを気取りたいだけの男ではなく、一応それなりの、まあ、自分の現状の立場の有利不利に対してと云う限定ではありますが、鼻持ちならないヤツと思われないための一定の察しの良さも持ちあわせてはいるようであります。万太郎は、鼻持ちならないヤツと思うのでありましたが。
「二人には今の自分の境遇に一先ず不満はないと見ているね、俺は。今は将来に実を結ぶであろうところの高い志望のための雌伏の時で、だから傍から見れば鳴かないし飛ばないように見えるわけだ。傍が見た目だけでその今の境遇に対してとやこう云う必要はない」
 三方はそう捲し立てるのでありましたが、少し酒に酔ったのでありましょうや。
「二人が、鳴かず飛ばず、だと云いたいわけか?」
 新木奈がこれも薄笑いながら揚げ足を取るのでありました。
「鳴かず飛ばず、大いに結構。この言葉は今の日本では良い意味で使われないが、本来はこれは司馬遷の史記にある言葉で、中国の春秋時代の楚の荘王がちっとも政治をしないで三年間遊び暮らしているのを、五挙と云う男が諌めようとした時に、三年鳴かないが一度鳴けば人を驚かさずにはおかないし、一度飛べば天まで昇るだろうよ、五挙よ控えろ、ワシは判っておるのじゃ、と返した故事に依っている。鳴かず飛ばず、大いに結構!」
 三方は彼の日頃の言動からは想像出来ないペダンチックな事を云い募るのでありました。これは間違いなく酔っているのでありましょう。
「その話しは、前に総士先生からも聞いた事がありますよ」
(続)
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