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お前の番だ! 105 [お前の番だ! 4 創作]

 万太郎は久々に感じた足腰の疲労感を、仙川駅から乗った電車の揺れに早速にふるい落とされるような気がしてくるのでありました。火曜日の朝、またこの電車に乗って道場に足を運ぶ時には、もうすっかり自分の全身から所労は抜け去り、その代わりに稽古に対する意欲のみが、池を満たす湧き水のように漲っているに違いなかろうと踏むのでありましたが、実際には脚の筋肉痛はそう早くに彼の体から去りはしなかったのでありますが。

   ***

 玄関まで迎えに出た万太郎に興堂範士が笑顔を向けるのでありました。
「おう、折野君、助教士になったそうだな?」
「押忍。お陰様で今月より助教士を拝命いたしました」
 万太郎は律義らしくお辞儀するのでありました。助手として興堂範士と一緒に出張指導にやって来たのは息子の威治教士でありましたが、威治教士はそんな話題に興味はないと云った仏頂面で、頭を起こした万太郎と僅かに目をあわすだけでありました。
 何時もは花司馬筆頭教士か板場教士が助手としてついて来るのでありましたが、その日に限って興堂範士が威治教士を連れて来るとは、いったいどう云う風の吹きまわしでありましょうか。威治教士はこう云った、自分が持て囃されもしない助手と云う立場で他道場を訪問するのは、あまり好まないであろうと万太郎は思っていたのでありましたが。
「あにさんの内弟子になってからどのくらいになるかな?」
 興堂範士が万太郎の顔を一直線に見ながら訊くのでありました。
「早いものでもう三年になります」
「三年で助教士なら出世は早い方だな。とんとん拍子に境地が進んだものと見える。ワシなんぞは先代に助教士にしてもらったのは、入門から五年以上過ぎてからだった」
「押忍。役職こそ助教士となったのですが、相変わらず未熟者の儘です」
「いや興堂先生、別に折野の境地が進んだからではなく、人手不足の折、と云う道場の台所事情から折野と面能美の二人を助教士にしたのですよ」
 これは一緒に玄関に迎えに出て廊下に正坐している鳥枝範士が云う言葉でありました。
「鳥枝君は相変わらず口が悪い。二か月前にお邪魔した時に、このところ体術の技量が随分上がったと感じておったし、助教士はしごく順当な役職だと思いますぞ」
 社交辞令とは判っているものの、しかし万太郎は敬服する興堂範士にそう云われて内心大いに嬉しがるのでありました。
「興堂先生、総士先生がお待ちです。お上がりになってください」
 鳥枝範士がそう云いながら立ち上がるのは、興堂範士に早々に靴を脱ぐ事を促すためでありましょう。万太郎は急いで三和土に降りて、興堂範士と威治教士の脱いだ靴を靴箱の中に丁重に仕舞うのでありました。
 鳥枝範士は二人を師範控えの間に案内するのでありました。万太郎は尻払いについて一緒に師範控えの間まで向かうのでありました。
(続)
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