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お前の番だ! 35 [お前の番だ! 2 創作]

 良平は万太郎の「下半身がたじろぐ」と云う表現が妙に気に入ったようでありました。だから以後、初心者に稽古着の着方を指導する折とかに「下衣だけでは下半身がたじろぐかも知れないけど」等と時々、余計な付言をものしたりするようになるのでありました。
「稽古着に年季の差を設けない剣道とは、仕来たりが全く違うのですね」
「まあ、三段以上でも男は稽古で袴をつけるような門下生は殆どいないな。折角の稽古なのに、指導者に自分の膝の動きを隠してどうする、と云う考え方からだな。女子にしても稽古で袴をつけるのはあゆみさんくらいしかいないよ」
「色々小難しい風習もあるのですね。帯の方は、黒帯は有段者が締めるのですよね?」
 万太郎は良平の白帯の結び目に目を落としながら訊くのでありました。
「そうそう。初段審査に合格すると道場から黒帯を進呈される」
「へえ、そうですか。ところで、あゆみさん、と云うのは?」
「ああ、総士先生の娘さんで、三段かな。幼稚園児の頃から常勝流をやっていて、今では時々剣術の指導もする人だ。勿論体術にしたって相当に強いけど」
「そのあゆみさんと云う方に男のご兄弟はいないのですか?」
 万太郎は白帯を体に二重に巻きつけながら訊ねるのでありました。
「いや、総士先生のお子さんはあゆみさんだけだ。しかも総士先生が四十を超えた頃のお子さんだから、あゆみさんの年齢は俺より一つ上くらいかな」
「ああ、男のお子さんは総士先生にはないのですか」
 万太郎は臍の下で帯を結束するのでありましたが、手際が悪いので結び目が上手く纏まらず何とも見た目がよろしくないのでありました。
「そう。お子さんはあゆみさんだけ」
 良平がそう云いながら結び目を直してくれるのでありました。
「それならそのあゆみさんが常勝流道場の跡取りと云う事になるのですか?」
「いやそれは俺ごときが与り知らない問題だな」
「常勝流は一子相伝でしょう?」
「そうだけどな」
 万太郎の帯を直した良平が結び目を固くするために、最後に両帯端を持って強く横に引くのでありました。万太郎の胴がその力に不規則に揺らぐのでありました。
 それはこれでその話しはお仕舞いだと云う、良平の意思表示のサインのようでありました。依って万太郎はそれ以上の質問を控えて、上衣のあわせ目を整えるのでありました。
「おいこら、着替えに何時までかかっているのか!」
 道場に戻って見所前に座っている鳥枝範士の下に趨歩すると、いきなり鳥枝範士の雷鳴のごとき声が万太郎と良平の顔にぶつかるのでありました。
「ああどうも済みません。帯の結び方がよく判らなかったので」
 万太郎は慌てて低頭するのでありました。
「まあよい。もうすぐ稽古が始まるから、それまで下がって正坐していろ」
 鳥枝範士が下座を指差すのでありました。
(続)
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