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お前の番だ! 8 [お前の番だ! 1 創作]

「この技を止めの号令がかかるまで繰り返せ」
 鳥枝範士の指示に下座の門下生が「押忍!」と応じて、夫々がまた組になって道場一杯に散らばると只管技の反復に精を出すのでありました。
 万太郎は面能美良平と鋭い打ちこみの気合をかけながら交互にこの技の修錬に励むのでありましたが、道場の引き戸がそっと開いて、そこから白い稽古着に袴をつけた若い女性が静かに道場に入って来るのが、彼の目の端に映るのでありました。この女性は是路総士の一人娘で、是路あゆみ、と云う名前の万太郎より一歳年上の、稽古中は艶やかな髪を後ろにポニーテールに纏めた、なかなか凛々しい細面の顔立ちをした美人でありました。
 是路あゆみは先ず見所に正坐している、父である是路搖歩総士の傍に行って見所の下から律義らしく座礼をするのでありました。是路総士が小さく頷くと、あゆみは静かに立って今度は指導に道場を歩き回っている鳥枝範士に近づいて、落ち着いた声で「遅くなりました」と発声しながら丁寧な立礼をするのでありました。
 鳥枝範士の是路総士と同じような小さな頷きを確認して、あゆみは道場の中を少し眺め回してから万太郎と良平の組を見つけるとそちらの方に、稽古で不規則に動き回る門下生達を上手に避けながら歩み寄って来るのでありました。
「よろしくお願いします」
 あゆみが二人に声をかけるのでありました。二人は稽古の手を止めずにあゆみに向かって「押忍」と小さく同時に瞼で礼をしつつ返答するのでありました。目を細めるだけの極めて略式の礼ではありましたが、二人は別に横着をしているのではないのでありました。
 万太郎が内弟子に入った頃、あゆみが稽古中の万太郎に近づいてきて同じように立礼した事があったのでありました。総士のお嬢さんでもあり道場では大先輩に当たるので、万太郎は稽古を中断してその場に正坐してあゆみに畏まった座礼を返したのでありました。
「稽古中は手を止めずに略礼で」
 あゆみが万太郎にくりくりとした目を一直線に向けて小声で諭しながら、早く立てと掌を小さく上下に動かして指示するのでありました。
「あ、どうも。押忍」
 万太郎はおどおどと立ち上がるのでありましたが、稽古中は総士と範士以外の者同士は、礼を失しない程度に簡略に挨拶するのが道場の作法であろうとすぐに察するのでありました。しかしそれにしてもあゆみの視線に万太郎は大いにたじろぐのでありました。
 別にそれは道場の作法に未だ不慣れな万太郎を、きつく咎めたり詰ったりするような目線ではなかったのでありました。しかし妙齢の女性の、無意識であるにしろ動揺の微塵もない間近からの一直線の凝視は、万太郎をどぎまぎさせるに充分でありました。
 まあそう云うわけで、万太郎と良平の組にあゆみが混ざるのでありました。あゆみが他の門下生の組に混ざってもそれは別に構わない事でありましたが、しかしあゆみも是路総士の一人娘として道場では内弟子と同じような立場でありましたから、そこは内弟子同士で、同じ、立取りの腕一本抑え表技、の稽古をするにしても、他の門下生よりはややきつめに修錬するのが道場の仕来たりとしては自然で妥当であると云うものでありましょう。
(続)
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