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もうじやのたわむれ 228 [もうじやのたわむれ 8 創作]

 逸茂厳記氏はしめやかに云うのでありました。なかなか<人の好い>鬼であります。
「いやとんでもない。それはそれとして、いや、それだからこそ別の面で面白かったとも云えます。落語なんと云う芸は噺自体の面白さと、観る側の演者への慣れと期待と云うものが揃って初めて、聞き応えのある芸となるのだと云う事が良く判りました。その噺を面白くするかつまらなくするかは、演じる側よりは観る側の心がけに多くかかっているのかも知れません。そう云う点が確認できたことは、こちらで寄席に来て得た収穫でしたよ」
 拙生はそう咄嗟の思いつきを並べて、取り敢えず逸茂厳記氏を宥めるのでありました。
「はあ、そう云うものでしょうか」
 逸茂厳記氏は何となく憂い顔を緩めるのでありました。
「実際こちらの芸人さんも、なかなかの達者でいらっしゃいましたよ」
「いや、それを云うなら、芸人さん、ではなく、芸霊さん、若しくは、芸鬼さん、です」
 それはもう判っているのでありますが、なかなか細かい事を指摘する鬼でもあります。
「ああそうでした、そうでした」
 拙生は頭を掻いて見せるのでありました。「寄席の雰囲気は娑婆と殆ど同じで、その点は何と云うのか、ちょっと安心しましたよ。こちらに生まれ変わっても、屹度また私は寄席通いを始めるでしょうね。ま、娑婆の嗜好がこちらでも連続するわけではないと云う事なので、今の時点でそう断言はする事は憚るべきかも知れませんがね」
「貴方様がこちらの世に生まれ変わって、寄席通いされる年齢に達する頃には、私達の方が寄席の常連として、大きな顔をしてここの客席に座っているかも知れませんよ」
「この先貴方が落語や漫才なんかの演芸を益々お気に召されて、頻々とこう云う場所にいらっしゃるようになるとしたら、そう云う事もあり得るでしょうね」
「ええ、今日初めて観させていただいて大変魅力的だと思いました。この先屹度、私の趣味に寄席通いと云うのが加わるでしょう。ひょっとしたら将来、ここの客席で貴方様と隣同士に座る偶然なんかがあって、初めていらした貴方様に対して私が如何にも通ぶった顔をして、寄席の蘊蓄を語って聞かせるなんと云う場面かあるかも知れませんね。私に寄席の楽しさを教えてくださった貴方様に、私が若しもそのような無神経で僭越な真似をするようでしたら、その時にはどうぞご容赦ください。特段の意趣あってではないですから」
「意趣がないのは当然でしょうね。なにせ生まれ変わった後の私に、今のこの面影はすっかり認められなくなっている筈ですからね。私だと貴方が気づくわけがないですから」
「それに貴方様も閻魔庁でのあれこれの記憶は蘇りませんですから」
「ま、お互いに全くの初対面と云う事になるわけですね、その場合は」
「ええ、そう云う事ですなあ」
 拙生と逸茂厳記氏は同時に笑うのであしました。
「そんな折りが若しありましたなら、どうか遠慮なく蘊蓄をお聞かせ下さい。私はこちらの世での寄席の初心者として、喜んで貴方のお説を拝聴いたしますから」
「いやいや、滅相もない」
 逸茂厳記氏は掌を横にふって、この拙生の戯れ言に笑ってお辞儀するのでありました。
(続)
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