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もうじやのたわむれ 163 [もうじやのたわむれ 6 創作]

 拙生は娑婆にあった喫茶店の記憶を共有している鵜方氏との会話に、全く以って嬉しくなってくるのでありました。
「後、覚えているのは神保町駅の裏手に在ったざぼうるとか、ラドリオの道向かいの神田伯剌西爾とかね。富士見坂にDANとか云う小さな喫茶店もありました」
 鵜方氏が指を折りながら云うのでありました。
「それに古瀬戸珈琲店やら、画材屋のレモンの喫茶部とか、マンモス喫茶ならウィーンの並びのシェーキーズとかですかね」
「お茶の水も神保町も随分と変わりましたよね」
「そうですね。地下鉄の神保町駅が出来た頃から、街の変化が激しくなりましたかな。しかし古くからあった天麩羅とか豚カツのいもやも、ビールを飲みながら食事するランチョン、それに中華料理の北京亭なんかは、前と変わらず頑張ってやっていましたかな。ああ、白山通りの北京亭の近くだったかに、白十字なんと云う大きな喫茶店もありましたなあ」
 拙生は大いに懐かしむのでありました。
「白十字はもう廃業しましたよ、随分前に」
「ああ、そうなんですか」
「ま、今時喫茶店だけでやっていくのはしんどいでしょうしね。寂しい限りですなあ」
 鵜方氏は口を尖らして、寂しそうな表情をして見せるのでありました。「なんか、喫茶店の話しをしていたら、私もコーヒーが飲みたくなってきましたよ」
 鵜方氏はそう云うと背をやや伸ばして辺りをキョロキョロと見回し、先程の白シャツ黒ズボン蝶ネクタイの店員を見つけると手招きして、新たにウィンナコーヒーを注文するのでありました。拙生もブレンドコーヒーをもう一杯頼むのでありました。
「豆アレルギーは大丈夫でしょうかね?」
 拙生は心配するのでありました。
「なあに、痒みが出たらそれはそれで、その痒みも一緒に懐かしがりますよ」
 鵜方氏はそう云って笑むのでありました。
 そんなこんなで世情の視察散歩をすっかり忘れて、喫茶店関連の昔話しに盛り上がっていたものだから、ちょいとした拍子に腕時計に目を遣れば、もう夕刻に差しかかろうとしているのでありました。暗くなるまでに我々亡者の宿泊施設に戻るとなると、この喫茶店カトレアで何時までもこうして娑婆を懐かしんでもいられないのであります。拙生は新たに出てきたコーヒーをぐいと飲み干して、そろそろ散歩を再開しましょうと鵜方氏に提案するのでありました。鵜方氏も昔話しに未練を残しつつも、腰を浮かすのでありました。
 夕刻に差しかかったためなのか、道幅が広いためにひどく混雑していると云う程ではないにしろ、通行する霊達の数も随分増えて、往来はより賑やかになっていて、先程よりも気ぜわしい気配なんぞが漂っているのでありました。行き交う霊達も、心持ち早足になっているようにも感じられます。これからもう少し時間が深まってサラリーマンの退社時刻にでもなれば、屹度この商店街にはもっと多くの霊が繰り出して来るのでありましょう。
「随分人が、いや霊が出てきましたねえ」
(続)
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