もうじやのたわむれ 164 [もうじやのたわむれ 6 創作]
拙生は件の店員が持ってきた支払伝票に、宿泊施設のフロントで借りたボールペンでサインして喫茶店カトレアを出ると、往来を見回しながら先ず云うのでありました。
「夕刻の商店街なんと云うのは、娑婆もこちらも変わりませんなあ」
「ではアーケードを少し戻って、先程云ったように、映画・興行街と云う道票のあった通りに入って見ようと思うのですが、如何ですかな?」
拙生は鵜方氏に確認するのでありました。
「はい、そうしましょう。どうせ私のは視察目的ではなくて気晴らしの散歩なのですから、貴方のお足の向く儘にお伴するだけです」
映画・興行街に向かう脇道はアーケードの通りよりも道幅が狭いし、車通りもあって、大層混雑しているのでありました。しかし矢張りここでも、質量のない我々はスムーズに歩を進める事が出来るのでありました。それにつけても霊達は我々が見えないし接触もしないとしても、何かしら亡者特有の気配みたいなものは少しは感じるのでありましょうか。
「ここはなにやら、浅草の六区を思い出すような通りですね」
拙生は歩きながら鵜方氏に云うのでありました。
「そうですね、しかし浅草六区よりはこちらの方が遥かに活気がありますよ」
道をやや歩くと映画館が三軒並んだ後に、バラック建ての大きな一杯飲み屋があって、そこからは香ばしいモツ煮こみの匂いが辺りに拡散しているのでありました。その横にはこれもバラック建ての牛飯屋、その次には、こちらは結構立派な三階建ての割烹料理屋、それにこれも立派な店構えの鰻屋、その後に小ぢんまりした古着屋とか演劇用品店、それから履物屋なんかが続いているのでありました。道向かいには芝居小屋、それからまた映画館が二軒あって、その後にストリップ小屋、それから花屋なんといった店が軒を連ねていて、幟が幾本も立った、入口に提灯の下がった寄席らしき建物もあるのでありました。
拙生はその寄席らしき建物の方に歩を向けるのでありました。木の看板に、六道の辻亭、と勘亭流でしたためてあります。ああここが審問室で話しに出たこちらの世の寄席かと、拙生は足を止めてその入場券売り場やら入口の佇まいを眺めるのでありました。看板の横には確かに、桂米朝近日来演、と朱文字で書いた紙が貼ってあるのでありました。
看板を確かめると隅の方に<亡様歓迎>の文字も書いてあるし、腕時計で確認すると夜席が丁度始まる時間のようでありましたから、拙生は入ってみようかなと思うのでありましたが、しかしそうすると、寄席が跳ねる頃にはもうすっかり夜でありましょうから、日のある内に宿泊施設へは帰れなくなると云う寸法になります。それに鵜方氏が落語や演芸に然程の興味もないとしたら、つきあって貰うのは恐縮でもあります。因って今日は按配が悪かろうと考えて、拙生は後日改めて一人で来て、昼席に入る事にするのでありました。
「寄席がお好きなようですね?」
拙生が寄席の前で立ち止まって看板を繁々と見つめているのを認めて、横で一緒に立ち止まった鵜方氏が訊くのでありました。
「ええ、娑婆ではよく上野鈴本とか浅草演芸ホールとか、池袋演芸場に通いましたよ」
「ああそうですか。私はそちらの方面にはとんと疎くて」
(続)
「夕刻の商店街なんと云うのは、娑婆もこちらも変わりませんなあ」
「ではアーケードを少し戻って、先程云ったように、映画・興行街と云う道票のあった通りに入って見ようと思うのですが、如何ですかな?」
拙生は鵜方氏に確認するのでありました。
「はい、そうしましょう。どうせ私のは視察目的ではなくて気晴らしの散歩なのですから、貴方のお足の向く儘にお伴するだけです」
映画・興行街に向かう脇道はアーケードの通りよりも道幅が狭いし、車通りもあって、大層混雑しているのでありました。しかし矢張りここでも、質量のない我々はスムーズに歩を進める事が出来るのでありました。それにつけても霊達は我々が見えないし接触もしないとしても、何かしら亡者特有の気配みたいなものは少しは感じるのでありましょうか。
「ここはなにやら、浅草の六区を思い出すような通りですね」
拙生は歩きながら鵜方氏に云うのでありました。
「そうですね、しかし浅草六区よりはこちらの方が遥かに活気がありますよ」
道をやや歩くと映画館が三軒並んだ後に、バラック建ての大きな一杯飲み屋があって、そこからは香ばしいモツ煮こみの匂いが辺りに拡散しているのでありました。その横にはこれもバラック建ての牛飯屋、その次には、こちらは結構立派な三階建ての割烹料理屋、それにこれも立派な店構えの鰻屋、その後に小ぢんまりした古着屋とか演劇用品店、それから履物屋なんかが続いているのでありました。道向かいには芝居小屋、それからまた映画館が二軒あって、その後にストリップ小屋、それから花屋なんといった店が軒を連ねていて、幟が幾本も立った、入口に提灯の下がった寄席らしき建物もあるのでありました。
拙生はその寄席らしき建物の方に歩を向けるのでありました。木の看板に、六道の辻亭、と勘亭流でしたためてあります。ああここが審問室で話しに出たこちらの世の寄席かと、拙生は足を止めてその入場券売り場やら入口の佇まいを眺めるのでありました。看板の横には確かに、桂米朝近日来演、と朱文字で書いた紙が貼ってあるのでありました。
看板を確かめると隅の方に<亡様歓迎>の文字も書いてあるし、腕時計で確認すると夜席が丁度始まる時間のようでありましたから、拙生は入ってみようかなと思うのでありましたが、しかしそうすると、寄席が跳ねる頃にはもうすっかり夜でありましょうから、日のある内に宿泊施設へは帰れなくなると云う寸法になります。それに鵜方氏が落語や演芸に然程の興味もないとしたら、つきあって貰うのは恐縮でもあります。因って今日は按配が悪かろうと考えて、拙生は後日改めて一人で来て、昼席に入る事にするのでありました。
「寄席がお好きなようですね?」
拙生が寄席の前で立ち止まって看板を繁々と見つめているのを認めて、横で一緒に立ち止まった鵜方氏が訊くのでありました。
「ええ、娑婆ではよく上野鈴本とか浅草演芸ホールとか、池袋演芸場に通いましたよ」
「ああそうですか。私はそちらの方面にはとんと疎くて」
(続)
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