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大きな栗の木の下で 84 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 あたしさ、今更だけどさ、矢岳君の心情とかを察して、もっと優しくしてあげれば良かったかな、なんて思うこともあるの。そうすればそのあたしの優しさが、少しは矢岳君の心の中に沁みて、矢岳君の方もそんなに追いつめられたような気持にはならなかったかも知れないし、あたしと矢岳君の仲も、ひょっとしたらまた違ったものになったかも知れないし。ま、それは判らないけど。・・・
 あたしもその時、全然余裕がなかったからね。それに被害者意識みたいなものだけが、あたしの中で膨らんでいたからね。さっき御船君が云ったように、ひどいヤツだって、矢岳君のことを思っていたからね。でもまあ、当人同士の気持ちの重なり方の関係とか、つまりあたしの優しさとか、そんなものは実はちっぽけな要素なのかも知れないわね。
 なんかさ、人と人が別れる時って、当人達の心根の問題もそれは大きな要素ではあるけど、でもそんな嫌にはっきりとしていて、当人の皮膚の内側だけで醸されるものだけじゃなくてさ、前の話の蒸し返しになるようだけど、流れている時間との噛みあいの機微って云うのか、綾って云うのか、つまり時宜って云うのか、なんかそんなものが決定的に作用しているような気がするの。それにその機微も綾も、生まれてくる時予め決定されているのかどうかは判らないけど、でも当人にはどう仕様もないものなの。
 またあたし、なんかまわりくどくてややこしい話をし始めたみたいね。それに観念論だって、これも御船君に一言で片づけられそうだわね。・・・>

 見事に観念論に属する考えだと、御船さんは海を見ながら思うのでありました。しかし観念論であるかそうでないかは、この際どうでも良いことなのでありました。寧ろ当人の力の及ばない決定論的なことなのであれば、つまり沙代子さんがあれこれと、この矢岳と云う男との一連のごたごたについて、これから先、何も思い悩む作業は必要ないと云うことなのだから、返って好都合のようにも思えるのであります。
 沙代子さんの過去の傷に対する苦悩とか煩悶とか云うものなど、御船さんにとってなるべく発生してなど欲しくないものないのでありました。沙代子さんには何時も無邪気にニコニコとしていて欲しいのでありました。ま、それが御船さんには総てなのでありました。
「結局具体的には、どう云う風に落ち着いたんだい?」
 御船さんは、これはひょっとしたら出過ぎた質問かとは思うのでありましたが、しかしその辺を聞いておかないと、なんとなく心持ちが宙釣りにされた儘のような気がするものだから、沙代子さんに遠慮がちに聞いてみるのでありました。
「うん。父が知りあいの弁護士さんに相談して、その人に間に立って貰って事後処理をするってことにしたの。その方が、当事者同士が感情的に話をするより処理が早いし、必要以上に苛々することもないし、こちらの云い分をドライに向こうにぶつけられるからって」
「ふうん。まあ、賢明な方法みたいにも思えるな」
「父は、向こうに絶対的に非があるんだからこちらの云い分はあくまで押し通すし、それなりの報いは負って貰うって云う意気ごみだったわ。でも、あたしの方は何時までもごたごたしているのはご免だから、なるべく早く片づけたいと云う気があってさ」
(続)
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