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大きな栗の木の下で 82 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 御船さんが空に目を移して云うのでありました。
「なにはともあれ、なんとなくそれで一件落着ってところかな」
「ううん、とても一件落着なんて云うんじゃないわ。単にあたしと矢岳君の決別が決定的な局面を迎えたって云うだけ。その後も、ごたごたが暫く続いたのよ」
「まあ、そうだよな。それは当然かな」
 御船さんはそう云いながらまた街の光景の方に目を落とすのでありました。
「そのごたごたも、あたしには結構しんどかったわ」
 確かに、寧ろそっちの方が、沙代子さんにとっては精神の消耗する、遣りきれないような事柄であったろうかと御船さんは想像するのでありました。
「結局、その矢岳と云う男は、どこでどうしていたんだい?」
 御船さんは沙代子さんの方を見ないで聞くのでありました。
「新潟の方に居たのよ。ご両親が横浜から移って行った先の」
「事務所を辞めた後、東京を逃げ出したと云うわけだな?」
「まあ、見様によってはそうなるのかな」
 沙代子さんは俯いて、膝の上の細かい草を手で払うのでありました。「矢岳君としてはもう、行き場のないどんづまりに追いこまれたって気持ちになっていたんでしょうね、音楽の事もあたしとの事も」
「ひどいヤツだな」
 御船さん思わずはそう呟いた後で、その言葉がひょっとして沙代子さんの感情を逆撫でしはしないかと恐れるのでありました。しかし本当に、ひどいヤツではありませんか。総て自分で始めたことなのに、自分の不始末でうまくいかなくなると、途中で放り投げてトンズラを決めこむなんと云うのは、児戯にも悖ると云うものであります。
「確かに、そう云う風にも云えるんだけどさ」
 沙代子さんが海を見ながら云うのでありました。「矢岳君の大人になり切っていない脆さとか、気持ちの弱さとか、まあ、色々父や母も、他の人も云うんだけどさ、そう云う本人の問題もあるけど、でも結局、矢岳君と世の中の流れって云うのか、時宜っていうのか、そう云うものとの兼ねあいが上手くいかなかっただけのような気も、あたしはするのよ」
「なんだい、それは?」
「そうね、按配って云うのか、頃あいて云うのか、タイミングって云うのか。・・・」
「タイミング?」
「世の中への嵌り具合とその時期って云うのか。・・・」
「世の中への嵌り具合とその時期?」
「なんかさ、あたし達には操作出来ない宇宙のエネルギーみたいなものがあって、その機微を捉えて上手くその波に乗れば、時宜を得て、ピタッと自分の狙い通りに世の中に嵌るって云う感じ。よくあるでしょう、何をやってもダメな時とか、なんでも怖いくらい上手くいく時とか。そんなもの」
「なんだいそれは。所謂、観念論か?」
(続)
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