石の下の楽土には 80 [石の下の楽土には 3 創作]
島原さんはそう云って猪口を口元まで持ち上げるのでありました。「時間が何時もと違ったから、逢えないかも知れないとは思ったんだけど、矢張りその日は娘には逢えなくてね。墓には、少し萎れかけた三日前の花が二本、挿してある儘だったよ」
「ああ、そうですか」
拙生は一応そう相槌をうつのでありました。
「その日は、私が花を取り替えて、家に帰ったんだ」
島原さんはようやく猪口に口をつけるのでありました。「次の日は逢えるだろうと、何時もの時間に墓地に行ったんだけど、その日も娘は居なかったし、墓や周りを掃除をした跡もなかったんだよ」
「島原さんが千葉に行った日以降、娘は墓地に来ていないと云うことでしょうか?」
「うん、そうだね。ずうっと毎日、来ていたんだけどね、あの娘は、墓地に」
島原さんはカウンターに片肘をついた手に猪口を持った儘、なかなかそれを口に運ばないのでありました。
「ああそうか、娘がアルバイトを替えたって、前に話していましたよね。それで墓地に行く時間がとれなくなったのかな」
「いや、前のアルバイトは辞めたけど、次のアルバイトは未だ決まっていないって云っていたんだよ、最後に逢った時には」
「ああ、そうだそうだ、そんな話でしたかね、前に島原さんにお聞きしたのは」
拙生がそう云って島原さんの前の徳利を取り上げると、島原さんはその拙生の所作に動かされて猪口を口につけるのでありました。島原さんが手に持った儘の空いた猪口に、拙生は日本酒を注ぎ入れます。
「私も、娘のその次のアルバイトが決まったんで、墓地に来る時間が取れなくなったのかも知れないとは思ったんだよ、その日は。でも、その次の日も現れないとなると、ちょっと心配になってね」
「娘は矢張り、全く墓地に来なくなったんですね、詰まり、そうなると」
「そう云うこと、だよね」
島原さんはそう云って、拙生が酒を注いでから未だ口もつけていない猪口を、カウンターの上に静かに置くのでありました。
「毎日来ていた娘が、急にぷっつり来なくなると云うのは、それは確かに変ですよね」
拙生が云うと島原さんは返事をしないで、顔を俯けてカウンターの上に置いた猪口をじっと見るのでありました。
「ああそうだ、秀ちゃんも飲むかい?」
島原さんは暫く黙った後、今気がついたと云う風に急にそんなことを云うのでありました。拙生は一礼して、こんな場合のために流し台の横に何時も置いてある自分専用の猪口を取り上げるのでありました。客に酒の相手を求められた時の流儀として、愛想に猪口を差し出して一杯は注いで貰うけれど、それは口をつけても決して飲まずに、酒を満たした儘手元に置いておけと拙生は小浜さんに指示されているのでありました。
(続)
「ああ、そうですか」
拙生は一応そう相槌をうつのでありました。
「その日は、私が花を取り替えて、家に帰ったんだ」
島原さんはようやく猪口に口をつけるのでありました。「次の日は逢えるだろうと、何時もの時間に墓地に行ったんだけど、その日も娘は居なかったし、墓や周りを掃除をした跡もなかったんだよ」
「島原さんが千葉に行った日以降、娘は墓地に来ていないと云うことでしょうか?」
「うん、そうだね。ずうっと毎日、来ていたんだけどね、あの娘は、墓地に」
島原さんはカウンターに片肘をついた手に猪口を持った儘、なかなかそれを口に運ばないのでありました。
「ああそうか、娘がアルバイトを替えたって、前に話していましたよね。それで墓地に行く時間がとれなくなったのかな」
「いや、前のアルバイトは辞めたけど、次のアルバイトは未だ決まっていないって云っていたんだよ、最後に逢った時には」
「ああ、そうだそうだ、そんな話でしたかね、前に島原さんにお聞きしたのは」
拙生がそう云って島原さんの前の徳利を取り上げると、島原さんはその拙生の所作に動かされて猪口を口につけるのでありました。島原さんが手に持った儘の空いた猪口に、拙生は日本酒を注ぎ入れます。
「私も、娘のその次のアルバイトが決まったんで、墓地に来る時間が取れなくなったのかも知れないとは思ったんだよ、その日は。でも、その次の日も現れないとなると、ちょっと心配になってね」
「娘は矢張り、全く墓地に来なくなったんですね、詰まり、そうなると」
「そう云うこと、だよね」
島原さんはそう云って、拙生が酒を注いでから未だ口もつけていない猪口を、カウンターの上に静かに置くのでありました。
「毎日来ていた娘が、急にぷっつり来なくなると云うのは、それは確かに変ですよね」
拙生が云うと島原さんは返事をしないで、顔を俯けてカウンターの上に置いた猪口をじっと見るのでありました。
「ああそうだ、秀ちゃんも飲むかい?」
島原さんは暫く黙った後、今気がついたと云う風に急にそんなことを云うのでありました。拙生は一礼して、こんな場合のために流し台の横に何時も置いてある自分専用の猪口を取り上げるのでありました。客に酒の相手を求められた時の流儀として、愛想に猪口を差し出して一杯は注いで貰うけれど、それは口をつけても決して飲まずに、酒を満たした儘手元に置いておけと拙生は小浜さんに指示されているのでありました。
(続)
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