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石の下の楽土には 53 [石の下の楽土には 2 創作]

「いやいや、俺はそんなに行ってないってば。肉屋の大将に誘われて、つきあいで、そりゃ何回かは行ったけどさ」
 薬屋の主人がニヤけながらそんな云いわけをするのでありました。その脂下がった顔からすると、要するに通い詰めているクチだと云っているわけであります。拙生はその後また、あの笑い声を聞くのかと構えたのでありますが、薬屋の主人は口で笑いを作っただけで今度は声を立てないのでありました。拙生は止めていた息を秘かに吐くのでありました。
「今度アタシも誘ってくださいよ」
 小浜さんがそう云いながら薬屋の主人が持つ猪口に酌をするのでありました。
「なんだいオヤジも参戦かい、ママの争奪戦に」
「はい、あんな艶っぽいママなら、宣戦布告させて貰いたいもんで」
「そんなら序でに、そこの秀ちゃんもどうだい? あの店には若い女があと二人居るから、そっち狙いでさ。飲み代は俺が出してやるよ」
 薬屋の主人が拙生に話しかけるのでありました。
「いやあ、自分は遠慮しときますよ。そう云うのは苦手だから」
 拙生は顔の前で手を振るのでありました。
「なんだい、もう彼女がいるから遠慮しときます、てか?」
「そんなんじゃないですが」
「そうすると秀ちゃん、屹度ホモって云うわけかい」
 薬屋の主人が下卑た笑いを口元に浮かべて云うのでありました。
「それも違いますよ」
 拙生は薬屋の主人のその無礼な口調と、呆れる程単純で大雑把な推理に多少ムカッとしたのでありましたが、それは腹の中から出さずになるべく穏やかに返すのでありました。
「だったらいいじゃねえか、つきあっても。それにあそこにはカラオケもあるし、インベーダーゲームも置いてあるぜ」
「自分は音痴だし、ゲームもしないし」
 拙生は薬屋の主人のくどい誘いが鬱陶しくなって、今度は少し無愛想な云い種になるのでありました。拙生は鼻歌も歌わない人間でありましたから、人の前でマイクを握って歌を歌うなんと云うのは、寄席の高座に上がって曲芸を披露するのに近いと考えていたのでありました。それに当時のカラオケは演歌ばかりで、拙生が知っている曲などは一つもないのでありました。それから、拙生は喫茶店に入る時も、なるべくゲーム機の置いてない処に入るのを常としていたのでありましたから。
「なんだい、居酒屋で働いているくせに、随分お固い兄さんだなあ」
「ま、アタシの店は女の客が極端に少ないんで、こんな秀ちゃんでも大丈夫なんですよ」
 小浜さんがそんなフォローになっているような、なっていないようなことを云って、薬屋の主人のしつこい攻勢から拙生を庇ってくれるのでありました。小浜さんが間に入ってくれなければ、薬屋の主人の使った「お固い」と云う言葉の穿ってなさに喰いついて、拙生は衝動的になにかやり返していたかも知れません。
(続)
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