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石の下の楽土には 37 [石の下の楽土には 2 創作]

「でもあたし、この後もずうっと、誰とも深くつきあうつもりはないもん。第一、お墓とお花屋さんにしかあたし行かないから、誰もあたしのことなんか気づきもしないだろうし。そうなると誰かのお葬式なんか出ることは、一生ないと思うの」
「まあ、そんなこと未だ判るもんじゃない。君がこの後の何十年もの間、この墓とアルバイト先の花屋以外に、本当に何処にも行かないとは私には到底思えないし。今後一人の知りあいも君はつくらないなんと云うのも、まず絶対ないことだって思うよ」
 島原さんは今度は少し笑いを浮かべて云うのでありました。しかしなにやら諭すような口調になっていることが、島原さんは実は多少不本意なのでありました。「君の家族のお墓は、ずっと在るとしても、君が働いている花屋が、後五十年間、ちゃんと営業しているとは限らない。花屋のご主人はお幾つになるのかい?」
「今もう、五十歳は越えていると思うわ」
「だったら後何年、あそこで花屋をやっていられるんだろう。まさか百まで花屋を続けているとは思われない。それに君だって七十歳になって、今と同じようにアルバイトとして花屋に勤め続けていると云うのも、まあ、花屋が存続していたとしても不自然な話だしね」
「それはそうだけど、アルバイトを変わったとしても、あたしは結局今と同じような感じで、一人暮らしして、どこかで働いているんだって思うの。長い間には住んでるアパートだって変わるだろうし。でもやっぱり今と同じようにこれから先、あたしは生きて行くんだと思うの。どこに住んでようが、どこで働いていようが、結局このお墓の前に来るのが、あたしのこの世での唯一の仕事なの」
「知りあいも出来ないって云うけど、この私と知りあったじゃないか、つい最近」
 島原さんが云うと、娘は島原さんの顔を眩しそうに目を細めて見るのでありました。
「それはそうね。でもこの先、・・・あの、ずうっと先の話だとしてよ、あたしがお爺ちゃんのお葬式に出ることは、知りあいでも、まずないでしょう?」
「それはそうかも、知れないけど」
 島原さんは云うのでありました。云いながら、そう云えば自分の葬儀は誰がどのように執り行うのだろうと思うのでありました。そんなことを依頼する人が周りには一人もいないと、島原さんは今更ながらに気づくのでありました。千葉の親戚は皆、自分同様老人になってしまったし、その次の世代にとってはあまり深いつきあいもしてこなかった自分など、他人も同様だろうし。
「お爺ちゃん、どうかした?」
 島原さんが黙ったので、娘が島原さんの表情を窺いながら云うのでありました。
「ああ、いや、どうもしないけど」
 島原さんは間近で覗きこむ娘の顔をちらと見るのでありました。「要するに私が云いたいのは<四人、或いは五人の葬式に立ちあった者>と云う表現は、詰まり<誰でも>と同じ意味で使われているってことだよ。だから現実にそれだけの数の葬儀に立ちあう必要もないし、もし君が今後一つの葬式にも行かなかったとしても、それでもちゃんと楽土には行けるってことだから、なんの心配も要らないってことだ」
(続)
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