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枯葉の髪飾りCCⅩⅩⅩⅨ [枯葉の髪飾り 8 創作]

 大和田は拙生の問いにうんと云って目を逸らし、両膝に両肘をついて前かがみになって俯くのでありました。
「オイには、井渕に、どうしても謝らんばならんことのある」
「体育祭の時のことか?」
 拙生はすぐにそう推察するのでありました。他には大和田に謝られるような筋あいの事柄は、特に拙生は有していないのでありましたから。
「うん。あん時オイの軽はずみな言葉で、井渕ば傷つけたようで」
「オイが傷ついたとやなか。お前が傷つけたとは吉岡ぞ」
 拙生がそう云うと大和田は首を大きく前に落とすのでありました。
「井渕にも、吉岡に対しても、オイは酷かことば云うたて思う」
 大和田はそう云うと不意に立ち上がってベンチの横に正座するのでありましたが、これは全く思いがけない彼の振舞いでありました。大和田はベンチに座っている拙生を切羽詰まった表情で見上げてから、額を地面につける程に腰を折るのでありました。
「おい、大和田、そがん真似は止めろ。誰かに見られたら、変に思われるやっか」
 拙生は彼の後頭部に向かって云うのでありました。
「済まん、井渕。許してくれ」
「止めろて云いよるやろうもん。おい、大和田」
 拙生が制止しても大和田は額を上げようとしないのでありました。
「ずうっと、謝りたかったとばってん、なんか、どうしても出来んやった」
 大和田はそう声を喉から絞り出すように云った後に、ようやく頭を起こすのでありましたが、両手はまだ地面についたままなのでありました。「オイはひねくれ者で、そのくせプライドばっかい高かもんけん、相手ば傷つける積りなんかは本当はなかとに、ついうっかり皮肉なことば云うてみたり、厭味ば云うてみたり、人ば蔑むようなことば云うてみたりして仕舞うと。詰まりそうやって、自分の高過ぎるプライドば今までなんとか保とうてしよったと。なんか如何にもちんけな人間て、つくづく思うばってん。そいけん、自分の仕出かしたことの尻拭いも、今まで自分でちゃんと出来んで居った。井渕の顔ば見る度に、謝らんばとは必ず思うとやけど、ずうっと出来んやった。全く情けなかことやけど」
 大和田がこの一年間そのことで悶々とし続けていたことは、彼の枯れ木のように跪いた姿から、本当のことであろうと想像出来るのでありました。
 やや強い風が公園の中を吹き抜けていくのでありました。大和田の旋毛の辺りの髪がその風に乱されるのでありました。その毛は寒風に凍えたように立っている儘なのでありました。旋毛の毛を立てて跪いている大和田を見ていたら、不意にどうしたものか拙生は彼を許す気になるのでありました。尤も拙生はもう体育祭のその日に彼を殴っていたのでありましたから、今に至って許す許さないと云う程に、彼のあの時の言動を長く深く恨みに思っていると云うわけでは実はなかったのでありました。しかし以降彼と深く交わる気は、更々持ちあわせてはいませんでしたけれど。第一、それまでも大和田とは深く交わることなどなかったのでもありましたし。
 拙生はベンチから腰を上げて大和田の脇に手を差し入れて、彼を立たせようとするのでありました。大和田は拙生に誘われて力なく立ち上がると、もう一度ベンチに座り直すのでありました。
「井渕、オイば許してくれるやろうか?」
 大和田が拙生を上目遣いに見ながら聞くのでありました。
「許すも許さんも、あん時にオイはお前ば殴っとるとけん、オイとしてはもう、一応は片のついた話て考えとったばい」
「て、云うことは、許して貰えるて思うて、よかとやろうか?」
 拙生は無言で頷くのでありましたが、はっきり「許す」と言葉に出して云わないところは、やはり心の奥深い何処かで、大和田を許さない気持ちが蟠っているからなのかも知れません。
「なんか今、ようやっと少し、胸の閊えのとれた気のする」
 大和田はそう云って少し笑って見せるのでありました。それから拙生から目を逸らすと前を向いて、両膝に両肘をついた前屈みの姿勢の儘目の前に広がる公園の風景を見ているのでありました。風が幾度か拙生と大和田の横を吹き過ぎるのでありました。
 多分大和田は吉岡佳世がこの世から去ったことを、恐らく未だ知らないのだろうと拙生は推察するのでありました。大和田がそのことを知っているなら、彼は吉岡佳世を失った拙生の未だ生々しい心情を慮って、拙生に今日声をかけることはしなかった、或いは出来なかったのではないでしょうか。
そうであるなら、拙生が吉岡佳世の死を今ここで敢えて大和田に知らせるのは、如何にも彼に対して酷なことであるかと思うのでありました。その事実を新たに彼に告げることは、彼に別の懊悩をこれから強いることになるかも知れませんから。まあしかし、それにしても、大和田に対してそんな気遣いをしている自分を、拙生は少し意外に思うのでありました。
「そんなら、オイはこれで」
 暫くして大和田はそう云って立ち上がるのでありました。拙生は片手をゆっくり挙げて彼に別れを告げるのでありました。拙生の挙げた掌に、冷たい風が突き当たるのでありました。
「それから、もし井渕の都合のつく時にぞ」
 大和田は拙生に応答の片手を挙げて見せながら云うのでありました。「その内、まあ、今年でも来年になってからでもよかけど、隅田とか安田とかと、勿論吉岡も一緒に、何処かで集まって皆で酒でも飲もうで」
 大和田は云い終ると再び笑いかけてから拙生に背を向けるのでありました。
「おい、大和田」
 拙生は少し間をあけて彼に声をかけるのでありました。「・・・、来年こそは、受験、頑張れよ」
「うん、有難う」
 大和田はもう一度拙生に片手を挙げて見せ、その拙生の言葉が嬉しかったのかほんの少し長く拙生を見つめて、拙生の傍を離れて行くのでありました。
(続)
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